5.聖遺物
パーティーが依頼を受けていない時に、避難民の元へ訪れるのは、レナにとって既に習慣となっていた。
エリウスを伴う事もあるし、彼に用事がある時は、一人でも赴く。
その日は一人で、避難民の手伝いをしながら、病人や怪我人を治療していた。
「聖女様、ありがとうございます」
「良いんですよ」
もう、自分のスキルが聖女である、ということは周囲に知れていた。
数ヶ月前、エリウスをバカにした冒険者に
「エリウスは、聖女スキルの持ち主である私が認めた人物です! 侮辱は許しません!」
と、思わず言ってしまったのだ。
あっという間に噂は広がり、王国軍から招かれたりもしたが、その話はエリウスから断って貰った。
自分の愚かな振る舞いで彼にはまた迷惑をかけてしまった、そう後悔したが、後の祭りでしかない。
怪我人の治療も一段落し、そろそろ宿に戻ろうと思案していた時、ひとりの男に話し掛けられた。
ここでは見慣れない顔だ。
「聖女様、初めまして。私は最近移って来たばかりの新入りなのですが⋯⋯聖女様に是非お渡ししたい物がありまして」
「私に⋯⋯? 何でしょう」
「こちらなのですが⋯⋯」
男が差し出したのは、薄手の、黒い手袋だった。
「これは⋯⋯?」
「私の住んでいた村に伝わる、聖遺物です。治癒魔法の力を高めると伝わっています。村が魔物に襲われた時に、何とか持ち出した物になります」
聖遺物は、神や賢人が遺したとされる特別な魔法具だ。
絶対数が少ないため、その価値は計り知れない。
「まあ⋯⋯そんな高価な物、受け取れません」
「いえ、私が持っていても宝の持ち腐れですし⋯⋯売った所で、心ある方に所有して頂けるかもわかりません。ならば、持つべき方にお渡しして、人々の役に立てたいのです!」
切々と訴えかける男の熱意に押されるように、
「そこまで仰って頂けるなら⋯⋯」
と返事をして、レナは差し出された手袋を受け取る。
長年伝わっているという話だが、まるで新品同様の綺麗な状態だった。
「ただ⋯⋯」
「⋯⋯?」
男は言い淀んだのち、申し訳無さそうに言った。
「この手袋には、もう一つ伝わっている事があります。普通に使用するには問題無いのですが、自分の限界を超える魔法を使うと、未来を捧げる事になる、と」
「⋯⋯未来を?」
「はい、私にはその意味はわかりかねるのですが⋯⋯」
何とも不気味な言い伝えだ。
受け取ってしまったため、突き返すのも失礼かも知れないが⋯⋯あまり使う気になれない。
──と。
「大変だ、誰か、誰か来てくれ!」
受け取った手袋を持ったまま、切迫した叫び声に誘われるように、レナはそちらへと向かった。
声の主に辿り着くと、そこには凄惨な光景があった。
レナは現場の状況から、幼子が馬車に轢かれたようだと察した。
足が千切れかけ、口からは血を吐いている。
「せ、聖女様、私の子を、どうか、どうかお助けください!」
すがりつく母親を見ながらも、レナは自身の経験から⋯⋯。
(⋯⋯これは、助けられない)
と判断した。
レナの治癒魔法で癒せるレベルではない。
できることと言えば、せめて、苦痛を和らげる事。
患者のそばに座りながら⋯⋯自身の手に握られている物に気づく。
ほとんど反射的に手袋をはめながらも、男の忠告を思い出した。
(⋯⋯自分の限界を超えてはいけない)
レナは既に、上級治癒魔法を使える。
ならば、それを超えるとされるのは『神級治癒魔法』だけだ。
詠唱は知っているが⋯⋯。
(ダメよ。私には⋯⋯使命がある。エリウスを魔王討伐へと導くという、使命が)
あくまでも、限界は超えない。
上級治癒魔法を詠唱し、幼子へと光を当てると⋯⋯。
傷がみるみるうちに塞がる。
これまで上級治癒魔法は何度も使ってきたが、明らかに効果が高い。
すぐに幼子の呼吸は安定した。
千切れかけていた足も繋がり、外傷は全て消えた。
「これで、大丈夫⋯⋯だと、思います」
「ああ、聖女様! ありがとうございます!」
母親の礼を耳にしながらも、レナの意識は、先ほど身に付けた手袋へと向けられていた。
「そんな奴いたかなぁ?」
「ご存知ではないですか⋯⋯すみません、お時間取らせてしまって」
「いや、良いんですよ聖女様。貴女様には御世話になりっぱなしですので。むしろお力になれず申し訳ない」
改めて手袋の礼を言おうと、人に聞き込みをしながら男を探したが、誰も彼の事は知らない様子だった。
レナに手袋を渡したのち、ここを離れたのだろう。
とにかく、機は熟した。
スキルもかなり高める事が出来たし、偶然にも、それをより活かせる道具も手に入れたのだ。
「エリウス、お話があります」
深夜、レナはエリウスの部屋を訪ねた。
夜に男性の部屋を訪ねる事に抵抗はあったが、皆が寝静まったあとでないと、誰に聞かれるかわからない。
幸いな事に、遅い時間だというのに彼は起きていた。
言いにくい事ではあるが、それでも、ハッキリと伝える。
「もう私のスキルもかなり鍛えられました。会計のエレインは不要だと思います」
レナが切り出すと、エリウスは黙っていた。
その答えを待つことなく、レナは言葉を続けた。
「いいですか、エリウス。今後戦いはますます激しくなります。戦う手段を持つアナタや私はともかく、いまだにろくに戦えないエレインは、魔王と対峙なんてすれば、必ず命を落とすでしょう。ここらで暇を与えるのが、むしろ優しさです」
それくらいの理屈は、エリウスにもわかっているはずだ。
だが、彼は優しい。
レナも気がついている。
エリウスは誰に対しても公平に接している。
だが、表に出さないようにしているものの、エレインのことは、特別気にかけている。
そのことに「面白くない」と感じる自分がいることもまた、偽らざる気持ちではある。
しかし。
この提案は、そんな、嫉妬心で言っているのでは、ない。
自分に言い聞かせながら、レナは更に続ける。
「エレインを追放しましょう。アナタがそれをキチンと言って頂ければ、私は追従し、彼女がへんな未練を持たないように、冷たい言葉を投げかけます」
自分は今まで、その為に彼女と距離を取り、冷たく当たっていたのだから。
ここまで言っても、エリウスが首を縦に振らないなら──仕方ない。
あとは、リーダーとしてのエリウスの判断に任せる、そう思って返事を待っていると⋯⋯。
「わかった、レナ。君の言うとおりだ。エレインには明日伝える。だから⋯⋯君もそろそろ休め」
「⋯⋯ええ。エリウス」
「ん?」
「ありがとう」
彼に礼を言い、部屋を辞した。
翌朝、ファランにもエレインの追放について協力をお願いした。
口は悪いが根が優しい彼に、酷な事をお願いしている事は承知していたが⋯⋯。
レナの説得に、ファランも最初こそ渋っていたが
「そうだよなぁ⋯⋯。あいつがいると何かと助かるが⋯⋯それにいつまでも甘えて、死なせる訳にはいかねぇよなあ」
と、最後には賛同してくれた。
エリウスの呼びかけに全員が集合し⋯⋯
「エレイン、悪いが出て行ってもらう⋯⋯君は、追放だ」
彼の言葉を皮切りに、それは始まった。
レナもこれまで以上に彼女に冷たい言葉を投げかけた。
ファランも追従してくれた。
このまま終わると思ったが、意外な事があった。
エリウスが彼女に餞別を渡す、と言い出したのだ。
あまり良い考えだとは思えない。
変に優しくすれば、彼女はパーティーに未練を持つだろう。
「え、彼女に餞別を差し上げるくらいなら、教会へと寄進をした方が⋯⋯」
レナが反対すると、エリウスは手で言葉を制止ながら言った。
「俺たちはSランクパーティーだ。いくら役立たずだったとはいえ、着の身着のままで仲間だった人物を放り出したとなれば、外聞も良くないと思ったのだが⋯⋯まあ、そんなこと気にしなくてもいいか⋯⋯そうだな、レナの言うとおり⋯⋯」
「えっ、ちょ、ちょっとお待ちになって⋯⋯確かにそうですね。一時とはいえ仲間だった者に、何の施しも与えずとなれば、それは神の御心に反しますわね」
レナは普段から、周囲に聖女として足るに相応しい振る舞いを心掛けている。
ハッキリ言って、自分がどう思われるのか、についてはそれ程頓着していない。
だが、自分が変に振る舞う事は、パーティーの、引いてはエリウスの評判を下げてしまう。
だから変な噂が広まる、というのは阻止しなければならない。
だが、あまり高価な物を渡し、エレインが変に未練を持ったら⋯⋯レナが心配していると。
エリウスが渡したのは、低級の傷薬だった。
その程度なら問題ないだろう。
「それ低級の傷薬じゃないですか。エリウスは意地悪ですね。でもエレイン、貴女にはお似合いかしら?」
言っていて気持ちが良いものではない。
だが、これも彼女のためだ。
ファランの呆れたような顔を見ながら、レナは無理やり笑った。
エレインが去ったあと、ファランの部屋を訪ねた。
「ファラン、私⋯⋯上手く振る舞えてましたか?」
「ああ、レナ。聖女とは思えない態度だったよ。まぁ、その⋯⋯頑張ったな」
彼らしくない、素直な言葉に。
彼の胸を借りて、しばらく泣いた。
だから、まさか、こんな事になるとは思ってもいなかった。
数ヶ月後、レナが耳にしたのは⋯⋯エレインの活躍だった。