第24話 躊躇うことなく
「来るな! やるべきことをやれ!」
村人を狙った魔王の魔法を身に受けた直後。
加勢しようとする仲間に、『剣聖』ガレアスは指示を飛ばした。
やや逡巡する様子を見せながらも、仲間達は村人の避難作業に戻る。
村の入り口には、一本の大きな木が生えていた。
日照を遮る黒雲に負けず、まるで雲を穿たんとするかの如く、天に向かい雄々しく聳える大樹。
人々の、魔王への抵抗の象徴。
それを目障りだと感じたのか。
大樹を折るため、魔王自ら堅牢な魔王城を出て、ここへと足を運ぶ、という情報を元にやってきた村。
噂通り、魔王は姿を見せた。
まさに千載一遇の好機。
だが⋯⋯。
それは予想より早かった。
非戦闘員である村人の避難が終わる前に、魔王との戦いが始まった。
魔王は手勢として少数ではあるがモンスターを従えていた。
村人を守るため、ガレアス以外のメンバーは彼らを護衛しながら避難活動を進めた。
魔王の前に対峙したのは、ガレアス一人。
剣聖対魔王の戦いは熾烈を極めた。
そんなガレアスを「手強し」とみた魔王は、卑怯な戦法を選んだ。
ガレアスではなく、そばにあった村、そして大樹へと向けて放たれた強力な魔法。
その二つを守るため、身を挺して魔法を受けたガレアスは、立つのもやっとの状態。
満身創痍だった。
そんなガレアスを見下すように一瞥し、魔王は鼻を鳴らした。
「愚かな。それが人の弱さだ、剣聖よ。弱き者に引き摺られ、強者が弱者へと転落する。強者が強者として君臨できない。足手まといを切り捨てられない、それが人の弱さよ」
「意外と⋯⋯ペラペラしゃべるんだな」
ガレアスはあえて挑発するような言葉を吐いた。
「何?」
歯噛みしながら、ガレアスは魔王の言葉に反論した。
「人は、繋ぐ事ができる。想いを受け継ぐ事ができる! 己のみを頼り、他者を顧みない、それは貴様らの弱さだ!」
「ならば証明してみせよ、その想いの強さとやらを。その風前の灯火たる貴様の命でな!」
浮かべた嘲笑を改めることなく、魔王が歩み寄ってくる。
せめて、村人が避難する時間を稼がねば。
悲壮な覚悟をもって剣を握りなおした、その時。
「ええ、今から証明するわ──私が」
不意に。
涼やかな声が会話に割り込んできた。
一瞬前まで、そんな気配は無かった。
だが、今は確かにそこにいる。
ガレアスが振り返ると、黒い髪を靡かせた、一人の女剣士がいた。
彼女はガレアスの横を通り過ぎながら、申し訳無さそうに言った。
「剣聖様、ごめんなさい。本当ならあなたが魔法を受ける前にしたかったのですが⋯⋯そこは選べなくて。邪魔が入らないのは、今、この時だけなんです」
選べない?
何を?
ガレアスにとって、それは意味不明な言葉だった。
返事に困っていると、彼女はそのまま歩を進め、魔王の少し前で止まった。
そして、ガレアスへと振り返った。
「剣聖様はそこで。魔王は私が倒します」
「⋯⋯加勢、する」
ガレアスの申し出に、その女性剣士はかぶりを振った。
「見ていただきたい⋯⋯いえ、見届けて欲しいんです、あなたに。私と⋯⋯彼の剣を。他に気を取られることなく、しっかりと」
強い意志を感じさせる瞳で、ガレアスはじっと見つめられた。
静かな物言いだったが、有無を言わせない、何か、荘厳とさえ感じさせる雰囲気に、ガレアスはそれ以上なにも言えず、ただ頷いた。
「突然現れ、不遜な物言いをする女子よ。貴様ひとりで、我に勝てるとでも?」
そう言い放つ言葉に孕んだ、怒気。
ビリビリとした、何か、物理的な波動さえ感じるほどの圧を身に感じる。
同時に、魔王が身に纏う雰囲気が一変する。
自分と戦っていた時、奴はまだ本気じゃなかった、剣聖であるガレアスにそう思わせる程の、強烈な圧。
だが。
「ふふっ」
それを意に介した様子もなく、不敵にも彼女は笑った。
その態度に、魔王の怒気は益々膨らむ。
「我を前に驕るか、小娘!」
魔王の怒声に、彼女はあくまで涼やかに返した。
あの魔王を前にして、一切の気負いは感じない、自然体。
その事にガレアスが驚嘆する中、彼女はまたもや笑った。
「驕る? ふふふ⋯⋯」
一言呟くと⋯⋯彼女は腰の剣をすらりと抜き放ち、切っ先を魔王へと向けた。
「遂に言えるわ」
「何?」
魔王が、それまで以上の殺意を込めた視線を彼女へ向ける中、聞こえてきたのは──
「魔王よ!」
「何だ、小娘」
「私⋯⋯あなたの対策は完了してるの!」
ハッキリと聞こえたそれは⋯⋯自分の口癖。
だが、きっと。
彼女は自分の真似をしたわけじゃない。
ガレアスは不思議とそう思った。
数値化された過去──それは大樹の記憶。
まさにこの場面こそ、大樹によりもたらされた千載一遇の好機。
一年前、苦戦しながらも、何とか倒した相手。
だが、もうエレインは負ける気がしなかった。
エレインのスキル『数字の支配者』は、同じ相手と戦えば戦うほど強みを増す。
相手の行動を数値化し、適切な対処ができる。
彼女はすでに、魔王の手の内と、その対処法を理解している。
それ以上に。
エリウスの記憶、その追体験。
彼の考え、彼の修練の日々。
それらがエレインの血肉に受け継がれ、剣は更なる冴えを見せる。
それは、やっと果たせたエリウスとの共闘。
護るでも、護られるでもなく、本当の意味で共に戦う。
強くなったエリウスならこうするはず。
彼が未来を捧げていなければ、こうしたはず。
それを、エレインが自らの体で再現する。
戦いは一方的だった。
当然の結果だ。
だってこれは──一対二の戦いなのだから。
機先を制し、魔王の初動を潰し続ける。
相手が拳を振ろうと動けば、その踏み込む足を打つ。
魔法を使おうと距離を取ろうとするなら、こちらから距離を詰め、集中力を削ぐ。
魔王が何かしようとすると、すぐにエレインはそれを妨害し、潰す。
何もさせない。
「こ⋯⋯小娘があああぁああ」
やがて、満身創痍となった魔王が、両手を胸元で合わせるような動きを見せた瞬間。
エレインは魔王の右手首を斬り飛ばした。
「これで、自爆の魔法も無理でしょう?」
「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇえええ!」
そして戦いながら⋯⋯。
エレインはもう、魔王など眼中に無かった。
あるのは、エリウスへの想い。
(エリウス、あなたに見て欲しかった。私こんなに強くなれたよ)
エリウスが、彼女にくれた五年間。
それまでの十五年と、比較にならないほどの、充実した日々。
(ありがとう、エリウス)
(あなたがくれたこの五年間で、私、それまで知らなかった沢山の事を知ることができたよ)
(嬉しい事、悲しい事、人を想う喜び、想った人を失う痛み。
そして、やっぱり、想った人の願いを聞き届けて、叶えることができる、喜び)
(でもね⋯⋯私、わかっちゃったの。だからチョット、寂しい、かな)
エレインは理解していた。
彼女の捧げた『未来』の正体。
ここで魔王を殺せば、運命は大きく変化する。
つまり──今の自分はいなくなる、消えて無くなる。
そして、変わった運命の先、二人は出会う事はない。
運命を数値化する『数理の支配者』のスキルだからこそ、変化する未来にある程度の予測が立つ。
このあとの運命を、事実として、残酷に伝えてくる。
四人の英雄の物語。
彼らの英雄譚を、目を輝かせて聞く、平凡で、平和な日々を過ごす自分。
変化した運命では、交わる事のない二人。
でも。
(それでも、私たちは、この世界に存在した! 今から消えてしまうけど、この想いは、この世界に、ちゃんと存在した! あなたも、私も!)
だからこそ。
終わらせなければならない。
歪に変化したこの運命を──清算しなければならい。
(私にピッタリだよね。だって、私は『竜牙の噛み合わせ』最後の一牙、『会計』のエレインなんだもの!)
心で強がりながら。
頬を、何かが伝わるのを感じながらも、彼女は最後に。
(やっぱり最後は、あなたへの感謝で)
魔王の首筋へと、エレインの剣が疾る。
せめて。
最後は彼に、笑顔で別れを告げたくて。
そう思うのに、こみ上げるモノを堪えるのに必死で、それは叶わず──。
だからせめて、心の中だけでも。
晴れやかな笑顔を浮かべて。
(ありがとう、エリウス⋯⋯バイバイ)
彼女は躊躇うことなく断ち斬った。
魔王と──自分の未来を。
一滴の煌めきを残し、その女剣士は、現れた時と同じように、魔王を斬った瞬間に突然姿を消した。
その光景を見ながら、ガレアスの胸に浮かんだのは、畏怖と感動。
剣聖である自分から見ても、遥か高みに存在する剣技。
剣理を体現したような、圧倒的な技量。
根底にあるのは自分が修めた剣技に近いが、それでいて異質な剣。
俺は、あの剣技をものにできるだろうか?
剣を振る者としての性から、考えてみるが⋯⋯。
(いや、無理だろう)
素直に認める。
ガレアスの剣は彼の身体能力、その特徴に最適化された、彼自身にとっての最強を目指した剣。
その過程で手にしたものが、あの剣技を修めるのには却って枷になる。
それらを一度捨て、再度目指すとなると、それこそ生涯を費やしても足りないだろう。
だが、まっさらな状態なら。
例えるなら──白紙に新たに書き残すなら、自分にもできる。
そして。
剣聖であるガレアスから見ても、殆ど完璧とも思えるあの剣技にも、まだ改良の余地はある。
彼女は「見届けて欲しい」と言った。
ならば、彼女の見せた剣を更なる高みへと昇華させ、次代に繋ぐ。
魔王亡き今、それがきっと新たな己の使命。
そして、それを受け継ぐのは──。
「おーい! ガレアス!」
仲間の声が耳に届くと同時に、興奮により忘れていた痛みが身体を襲う。
何とか残っていた、最後の意地で立っていた身体が傾いだ。
倒れながら──見えたのは青い空。
そして、魔王の襲撃から何とか守られた大樹。
だが、達成感はない。
その代わりにあるのは。
(母さん、エリウス、すごい土産ができたぞ、沢山伝えたい事があるんだ!)
新たな使命感を胸にしながら、ガレアスは地に伏せた。
その後。
村の宿で十日ほど療養し、ガレアスは帰路についた。