第21話 剣はなくとも
嘲笑うクロを睨みつけながら⋯⋯。
俺は以前の⋯⋯つまりクロとの最初の邂逅、取引した時の事を思い出していた。
クロはあの時、俺に『諦めれば取引は無かった事になる』と言い、また『是非やり遂げて欲しい』とも言った。
それを考えれば、つまり
『魔王討伐をやり遂げること』
理由は不明だが、これが、俺が奴に敗北する条件、という事になる。
となると⋯⋯奴の狙いは、早期の魔王討伐や、それによって救われる命などではない。
俺が試行錯誤を繰り返し、迎えた今回の結果。
そのうちの何かが、奴にとって取引のメリットになり、俺が敗北する条件となりうる、ということなのだろう。
ただし、単にクロがメリットを得るだけなら、それを以て俺に対して『負けてる』という表現はしないはず。
つまり奴の狙いは──俺が取引の対価として差し出した物。
俺がやり遂げる事で初めて、奴が手に入れるもの。
──俺自身の『未来』。
俺は救われる多くの命の代わりに、二十歳以降の、俺自身の未来を捧げた。
奴はその未来と引き換えに、俺に『導』を与えた。
それが、奴と俺との取引内容。
そして、俺が途中で諦めていれば、取引は不成立。
その場合『未来』がどうなるかはわからないが⋯⋯恐らく元の運命に戻った、ということだろう。
つまりは⋯⋯。
「俺から未来を奪い、排除する。それがお前の狙いだったんだな?」
俺が予想を口にすると、クロはからかい口調で、楽しげに応じた。
「ん? まあ、半分⋯⋯いや、ちょっとだけ正解、かな? 確かにキミは厄介な奴だけど、本命じゃないね、ついでだよ⋯⋯って、まあ今さらいいじゃないか」
一貫してこちらをからかうようなクロの態度に、思わずカッとなって叫ぶ。
「良いわけあるか! お前の狙いはなんだ!」
「だーかーらー。キミは魔王の一刻も早い討伐を望み、ボクはそれを叶えたんだ。さっきは負けてるなんて言ったけど、取引としては十分な結果じゃないか」
そんな俺の態度すら楽しむように、クロは歪んだ笑み、その表情を崩さない。
ダメだ。
奴はこれ以上、何かを俺に教えるつもりはない。
ただ俺をからかい、それを楽しむ。
奴が今、心から愉悦していることが、その表情から伝わる。
恐らく、この男は⋯⋯。
好きなのだ。
人を陥れ、それを相手に分からせ、からかい、悔しがらせ、その様を楽しむことが。
それが、それこそが奴の望み。
──だが。
裏を返せばそれこそが、奴の緩み。
俺が突くべき隙。
思うに本来なら、この会談は不要なはず。
取引を巡って、互いに勝敗を決する要素があるというなら、そんな事はいちいち敵である俺に教えず、ただ粛々と勝てばいい。
あのまま放置してれば、敗北など知る余地もなく、俺はそのまま死ぬのだ。
それを曲げて、わざわざ俺に敗北を報せる必要などないのだ。
だが、自らの楽しみを優先するために、最後に俺をここに呼んだ。
つまり⋯⋯奴は慢心している。
もう俺に勝ち目はない、と油断している。
──師と、最後の立ち合いに臨んだ時の俺と同様に。
その油断ゆえに、この場がある。
ならば、俺がやるべきは師と同じこと。
俺は師の、最後の教えを心で反芻した。
『完全に敗北するその時まで、勝利を、油断なく追求する! それが剣を手にし、戦う者の気概だ!』
そうだ。
相手の油断、それは歓迎すべき事。
実際はこの場に、普段俺が頼りとする剣はない。
だから今は、剣は手にしていない。
これまで『導』でやってきたような、上手く行かなければやり直し、も効かない。
だから今こそ師の教えを守る時。
この場で必要なのは、剣でも、敗北を認める潔さでもない。
武器はなく、手段が少なくても。
やれることを、最後までやり抜こうとする気概だ!
時間はない。
俺が何かしようとすれば、そしてそれが打開策になりうるならば、奴は間違いなくこの会談を打ち切る。
そして打ち切られたその時、俺は死ぬだろう。
そんな瀕死の、今の俺に、何ができる?
奴に飛びかかり、肉弾戦を仕掛ける。
ダメだ、それは破れかぶれを伴った、本当に最後の手段。
俺は、左手を失い、右足もほとんど機能しない。
奴の実力もわからない。
今の俺に、強さがわからない相手と、正面から戦うという選択肢は採れない。
なら、他に何が。
俺が今までしてきたこと、そこに打開策は無いのか。
──いや、たぶん。
ここでするべきは、俺が今までしなかったこと。
新しい試み。
それこそが、奴の想定を越え、奴に一矢酬いる術。
時間がない、その事に焦りを感じる。
だが、それを感じるからこそ、冷静であることに努め、自分の手札を考える。
俺が今まで、してきたこと。
俺が今まで、してこなかったこと。
剣を振り、『導』を何度も見返し、因果を探し続けた。
今思えば、それは受け身の日々。
『導』に情報を与えられるのを待ち続け、それを繰り返すだけ。
色々考えはしたものの、結局は本に誘導され、与えられた物に縋る、それだけだ。
受け身ではなく、自ら動く。
それこそ、俺が今までやらなかったこと、欠けている姿勢⋯⋯。
そこで──閃く。
そう、奴は言った。
取引の時に、『導』の使い方は、おいおいわかる、と。
奴の言葉通り、俺は何度も繰り返す中、この本の力を少しずつ把握した。
そして──全てわかっていたつもりになっていた。
浮かんでくる文字、因果。
全て確かめ、検証したつもりになっていた。
だが、まだやっていないこと、試していないことは、ある。
──書き込んだら?
この本に、何か書き込んだらどうなるんだ?
何の確証もない思いつきだが、なぜか思考の引っかかりを感じる。
やれ! と何かが命じている気がする。
それは『導』の意志なのか、俺自身の本能なのか。
わからない。
だがもう、時間がない、他に思いつかない。
そして、必ず起こすべき、必須事項は『赤文字』。
好都合だ。
今、俺には書き込むための道具はないが⋯⋯書き込む手段は──ある!
そして経験上、本に書き込むべきは荒唐無稽なものではなく、現実的な因果。
「クロが死ぬ」「俺の手が生える」といった唐突な物ではなく、ありえそうなもの。
そのあたりの考えを素早くまとめ、俺は行動に移した。
「導!」
本を呼び出しながら、クロを観察する。
まずクロが俺に向けたのは、相変わらずの嘲笑だった。
「おやおや、エリウス。今さらそんなもの呼び出してどうする気だい? 最後にボクと思い出話でもする気かい?」
俺は奴の言葉に返事はせず、次にページを指定した。
「百十六ページ」
俺の指定に従い、『導』のページがめくられる。
そこはまだ、繰り返しによって出てくるページがない部分。
指定すると同時に、『導』を地面に置き、俺も座る。
『導』が自動的に開くと、そこにあるのは、空白、裏表紙の内側だ。
書き込むのに適した白紙だ!
そして⋯⋯俺は。
右手の人差し指を、レナに吹き飛ばされた左手の傷口、その中へとねじ込んだ!
瞬間、治まっていた痛みが爆発したように俺を襲う。
左手から、灼熱したように脳髄まで痛みが駆け上がり、思わず指を抜きそうになる。
そんな反射的な本能に逆らい、歯を食いしばり、俺は傷口に、更に指をねじ込んだ。
「おいエリウス、キミは何を⋯⋯あっ!」
常に笑顔だったクロの顔が、ここに来て初めて違う表情に変わった。
明らかに焦燥に駆られた、その表情。
──クロ、それだ。
それが見たかったんだ。
お前が見せたその顔こそ、これから俺がやろうとしていることの、正しさの証明。
奴は言った。
「運命の積み重ねが、どこに向かうかある程度予想ができる」
と。
ならばこれからやろうとする事が、奴にとって不都合な運命に繋がるなら、何かしらのリアクションがあるはず。
そう思い、奴を観察していた。
そして動きはあった。
ならば俺の考えた『因果』は間違っていない!
このまま進め!
心で自分に叱咤を飛ばしながら、激しい痛みに耐える。
以前、こいつとの取引に割り込んで来た男──シロ。
アイツならクロの企み、その全容に心当たりがあるはず。
それに賭ける。
俺が傷口から指を引き抜き、血で赤い文字を本へと書き込み始めると、クロは慌てたように手を振った。
同時に黒い世界が閉じ始める。
そして
(エレイン⋯⋯すまない! 最後までお前に頼る!)
俺が心の中で謝罪するとともに、字を書き終えるのと時を同じくして──
──黒い世界は、閉じた。