第13話 空
流石に、もうそろそろだろう。
今回か、少なくとも、次。
そんな予感があった。
だがそれでも、油断はできない──いや、しない。
今の俺ならわかるが、師は、ハッキリ言って剣の才能に恵まれていなかった。
同じ「剣豪」のスキルであっても、剣の腕だけで言えば俺の方がおそらく数段上。
人のことは言えないが、魔王討伐を目指せる人物ではとてもなかった。
だが。
あれは最終試験という名目で、十三歳の時に、最後に師と立ち合った際。
俺が勝利を確信した一撃を放った際、師に攻撃をいなされ、カウンターを食らい、俺は地面に転がった。
もう越えた、と思った師に叩き伏せられた。
そして朗らかで、それまで怒ることなどなかった師からの、最初で最後の説教をされた。
「エリウス、なぜ君が負けたか分かるか?」
「⋯⋯わかりません」
「君は、私を越えたと慢心した」
「そんな、ことは」
「言い訳はよしなさい、エリウス。君はもう勝てると油断した。私はここ二年、手の内を隠したんだ。そんな君に最後に伝える為に、だ」
「何を、ですか」
師はそれまで見せたことが無かった厳しい形相で、俺を叱責した。
「勝つまでは、絶対に油断するな! そして、勝てない相手でも策を練り、勝てる道を探せ! 完全に敗北するその時まで、勝利を、油断なく追求する! それが剣を手にし、戦う者の気概だ!」
その言葉に俺が恥いっていると、師はそれまでの剣幕が嘘のように、笑みを浮かべた。
「もう、君とは勝負しない。勝ち逃げさせてもらう、これも一つの勝ち方さ」
「ず、ズルいですよ!」
「ズルも結構、勝てるならな、はっはっは」
だがそんな師も、魔王軍の前に敗れた。
だから俺は、最後まで油断しない。
魔王の死、その時まで全力を尽くす。
それが出来て初めて、師を越えたと胸を張れる。
とはいえ、だ。
エレインを追放後、俺にできることは何もない。
これまでも、追放イベントのあとに、まだ何かあるのではないか、と色々模索して来たが、赤字も青字も追加されることはなかった。
考えなかった訳ではない。
例えば、エレインが魔王城へと攻め込む際、俺が勝手に助太刀として参戦する、などといった事を。
だが、どうやってもそれはできなかった。
エレインが覚醒した場合、俺の死の運命⋯⋯つまり死にざまは確定するらしく、何をしてもそこに収束する。
だから、俺はもうそれを受け入れた。
エレインのスキル覚醒のあと追加される文字は、黒字で記される結果発表だけ。
つまり俺は、彼女を追放した時点でお役御免ということだ。
エレインをしばらく生存させ、様々な経験を積ませたら、追い出す。
魔王討伐において、それが俺の、神だかなんだかに与えられた役目ってことだ。
だからこそ、もし今回エレインが勝利することがあれば、追放時に餞別を渡せたこと、それが俺にとって、彼女の為に最後にできたことだった、となる。
今までもそれは考えたのだが、価値ある品はレナの妨害があり渡せない。
だから用意できたのは、多少の金と、傷薬が入った瓶。
瓶の中身はそれこそ、どこにでもある低級の傷薬だ。
どうすれば追放という場面で渡せるか、レナの性格を考慮し、機転を効かせ、なんとか渡す。
それだけだ。
まぁ、死ぬまでの一年はちょっとした休暇、という見方もあるかも知れない。
追放後のエレインの動向は、噂として伝わってくる。
追放されたあと、王国騎士団と連携しつつも、エレインは基本一人で戦う。
誰かと固定のパーティーを組んだりすることはない。
もしかしたら、追放されたというトラウマから、人と組む、という事に拒否感があるのかもしれない。
俺の事を、ひどく恨んでいるかもしれない。
だが、追放した後は彼女に会えないのだ、その心中を確かめるすべはない。
実は
「そろそろ魔王討伐が現実的だ」
と感じた百十回目から、俺はエレインを追放して死ぬ日が近づくと、毎回行っていることがある。
人に頼み事をしている、それだけだが、もしかしたら余計な事かもしれない。
だが、青字も黒字も記されることはない。
魔王討伐には影響のない事なのだろう。
今回も無事、エレインのスキルは覚醒した。
それから一年、俺は二十歳。
さて、そろそろだ。
毎度の事とはいえ、暗い気持ちになる。
エレインの追放が必須だと知ってからは、彼女がスキル覚醒しなかったケースを除けば、俺は毎回同じ死に方をする。
何度も変えようとした。
滞在場所、そしてそこでの行動⋯⋯。
だがその死に方は、何をしても変わらない。
だからもう、無駄な抵抗はやめた。
その日も、馴染みの宿で静かに眠った。
目を覚ますと、見慣れた場所にいた。
ある街の郊外、そこにある畑。
常に寝ている間にここに連れてこられる。
俺にとっての終焉の地。
晴れることのない空を見上げながら死ぬ、この場所。
「目が覚めましたか? エリウス⋯⋯」
「ああ」
俺は後ろ手に魔道具で拘束されたまま、拉致の主犯者を見上げる。
レナだ。
聖女レナ。
彼女が俺の死神だ。
「最近、噂で聞くんですよ⋯⋯エレインを追放した首謀者は私だ、と」
誰がその噂を流すのか。
それは俺も知らない。
だが、それによって彼女は疑心暗鬼に陥っている。
俺が彼女の元を離れ、再びエレインとパーティーを組む気ではないか、と。
「あなたは誓いました。私をひとりにしない、と」
毎回同じ事を聞かれる。
最初の頃は弁解していたが⋯⋯無駄だと気が付いてからは、やめた。
「あの言葉は、あの誓いは嘘じゃない、そう⋯⋯言えますか? エリウス」
そう、弁解は無駄なのだ。
彼女は聖女として、そのスキルの特性に目覚め始めている。
『嘘の看破』。
文字通り、相手の嘘を見切る能力だ。
本来は幻術など、こちらを騙すような行動をするモンスターに対して効果を発揮するが、もちろん人間にも使える。
皮肉なことに、レナがこの能力を覚えることと、エレインの追放はセットだ。
レナが『聖女』として、ある程度自信を深めるからこそ、エレインを追放しようなどと言い始める。
寄進を減らし、レナのスキルの強化について手を抜けば、エレインの追放自体が行われることなく、俺たちは魔王軍に破れる。
そして、俺は繰り返す中で気が付いてしまった。
エレインが魔王を倒すその時。
俺は死ぬ。
なぜなら、俺はクロと取引したからだ。
魔王を倒せるなら、二十歳から先の未来を捧げる。
それこそが、俺が「導」を手にするために差し出した、取引材料。
それ自体は、取引の時点で覚悟していたのだ、俺にとっては今更驚く事ではない。
俺が気づいてしまったのは⋯⋯。
エレインを追放し、結果パーティーに残るのが俺とレナだけになるなら、事を成したその時──
──彼女をひとりにしてしまう!
それがわかっていながら、俺は彼女に誓い続けた。
ひとりにしない、と。
魔王を死に導く、そのために、俺は彼女に嘘をつき続けた。
その嘘に彼女が気付き、悲しむことを知った上で。
だから。
この死にざまは、そんな俺に下された有罪判決。
彼女を騙し、利用することに対する罰なのだ。
「右手人差し指は、破壊を司る──」
詠唱とともに、レナの右手に魔力が収束する。
「それは神が与えし、罰」
そして、収束し終えると、もう一度彼女は聞いてくる。
「お願い、エリウス。言って⋯⋯あの誓いは、嘘じゃないと!」
最初の頃は「嘘じゃない」と答えていた。
ここ数回のループでは、沈黙していた。
だが。
「もうこれが最後かも知れない」
その想いが──俺に言わせた。
「君を一人になんてさせたくないっ! でも、無理なんだっ! どれだけ考えても⋯⋯無理だったんだ!」
そう、無理だった。
繰り返す中で強化されたものがある。
それは「導」の追加能力なのか、それとも俺の本能なのか、それはわからない。
だが、周期百回目を迎えたころから、俺はあることが感じ取れるようになっていた。
自らの死──つまり、敗北を感じ取れるようになっていたのだ。
自分に死や敗北を与える存在を前にすると、それを感じ取れる。
危機が高まれば高まるほど、それを強く感じる。
そして、レナから今感じるそれは──あまりにも強い。
俺に、この運命は回避できない、と確信させるほどに。
俺の言葉に、彼女は首を振った。
「その気持ちが嘘じゃないのは⋯⋯わかりました。でも⋯⋯許せません」
泣きそうな表情を浮かべた彼女の指から、魔法が迸る。
結果は⋯⋯いつもと、少しだけ違った。
今までは即死だった。
彼女の魔法は心臓に直撃し、俺はなすすべなく死ぬはずだった。
だが今回は彼女の狙いは僅かばかり逸れ、俺の左腕を、二の腕から先で吹き飛ばすにとどまった。
それでも俺自身も衝撃で吹き飛び、側にあった井戸に叩きつけられた。
井戸は丁度俺の膝の高さほどで、その衝撃で右ひざが折れた。
勢いは止まらず、俺はそのまま井戸へと落下した。
ふわりとした浮遊感を感じた直後、そのまま水面へ叩きつけられる。
⋯⋯まだ、辛うじて生きている。
今までと違う展開に、痛みの中でも不思議に思い、井戸から空を見上げると──。
見慣れた黒雲が、薄くなっていた。
いや、はっきりと白い。
そしてその切れ間から、青い空、そして陽光が降り注ぎ始めていた。
それが意味する結果は⋯⋯。
やった。
やってくれた。
ついに。
ついにエレインが、やってくれたのだ。
レナの魔法が逸れた理由はわからない。
俺の言葉なのか。
それとも、この空の変化に、俺より先に気が付いたせいなのか。
だが俺がいつもより、たとえ少しの間でも命を繋げた、そこには大きな意味がある。
心配事があった。
仮に、エレインが事を為したとしても、死に瀕した俺はそれを知ることなく、この世から消えるのではないか、ということだ。
自分がやってきたこと、その積み重ねの結果。
それを知ることなく消えてしまうのではないか、その恐怖が、常につきまとっていたのだ。
井戸の底から見上げた、狭い青空が知らせてくれた。
俺がやってきたことは──無駄ではなかったのだと!
「はは、ははは、はは」
自然と笑い声がこみ上げた。
父が「俺に見せたい」と願った、青い空。
俺が取り戻そうと、頑張ってきたもの。
「はは、やった、やった、やったぞ! はは、はは、ははははははは!」
出血で朦朧としながらも、俺の哄笑は止まらない。
俺は──やっとやり遂げられた。
その事がほっとするようで、少し寂しい。
できれば父に代わり、俺が魔王をこの手で倒したかった。
それが俺の役目じゃないと知った時は、悔しかった。
だが、もうそんなことすらどうでもいい。
心残りが無いと言えば嘘になる。
レナの事、そして同様に、ひとり残される母の事。
だが、一番の心残りは──エレイン、君に賞賛を送れないことだ。
ああ、できるなら。
彼女へと、直に賞賛を送りたい。
そして──彼女に知って貰いたい。
俺も、戦っていたのだ、と。
途中で袂を分かつ運命だったけど、それでも一緒に戦っていたのだ、と。
お前は俺なんて、所詮は追放した元パーティリーダーで、嫌な奴だと⋯⋯いや、もしかしたら、俺のパーティーにいた事なんて、自分の汚点だとすら思っているかも知れないけど。
俺はお前のことを、ずっと、いや、少なくともこの数十回のループの中では、戦友だと思っていたんだ。
何度も追放して、すまない。
魔王に何度も挑ませ、死なせてすまない。
勝たせてやることができなくて、すまない。
ずっと、そう思っていたんだ。
でもお前は、やってくれた。
やり遂げてくれた。
肩を落とし、俺の前から去ったあと、それでも持ち前の真面目さで訓練を続けたのだろう。
そして、たった一人で孤独に戦い、誰にも成せないことを成し遂げた。
そして、俺の宿願を、俺の代りに果たしてくれたんだな。
この青空を、俺に見せてくれたんだな。
「ありがとう、エレイン」
俺は沈んでいった。
そのうち、空は見えなくなり──。
俺の視界に、黒い帳がおりた。