第二章 恐るべき邂逅④
「シュザン」
後ろからしわがれた声が聞こえた。後ろを振り向くと、レルト―レ村の村長であるオウ爺のにこやかな顔が目に映る。
「あ、なんだよ」
「お前さん、また無茶をしたんだってな」
また説教かよ。シュザンは、うんざりとした面もちで肩をすくめた。
「悪いかよ」
「ああ、悪い。けど、偉い。戦うという選択肢は愚かだが、お前の気持ちは誰よりも勇敢で正しい」
シュザンは意表を突かれた。普段、オウ爺からは小言を聞かされるばかりで、誉められたことなど数えるほどしかない。
汗がじんわりと出るほどの気恥ずかしさを感じながらも、何気ない調子で鼻を鳴らした。
「へ、だろう」
「やれやれ、素直じゃないのう。まあ、いい。ずっとここにいては風邪を引く。家まで送って行こう」
腰が曲がり、擦り切れたロープを引きずりながら杖を突くオウ爺は、まるで風に吹かれる枯れ葉のようだ。
どっちかっていうと、俺が送ってくんじゃねえのか、と小馬鹿にした気持ちでオウ爺の後を追うと、風に交じって美味しそうな匂いが漂ってきた。
シュザンは、村の中央の辺りに明かりが集まっていることに気付いた。
「あ、なんだ?」
「ほほ、いいから来い」
明かりに近づけば近づくほど、シュザンの顔に笑顔が広がっていく。どうやらこれは、
「もしかして俺のために」
「頑張ったからな。盛大には無理じゃが、盗賊を倒した感謝の宴を開こうと思ってな」
村の中央は、普段は会議をする場として使用される。だが、今はシュザンとサラリの頑張りを称えるための宴が準備されていた。
茶色いテーブルが乱雑に置かれ、その上には温かな食事が並んでいる。焼き魚や野菜の炒め物など、質素な物ばかりだが盗賊の被害に遭ったこの村の人々にとってこの食事は、信じられないほど贅沢なご馳走だ。
「おうおう、この村の英雄様がご到着だ」
「聞いたぜシュザン。お前さん、とんでもない無茶をやらかしたってな」
村人たちが、笑ってシュザンを迎える。彼は喜びに体が震えたが、とある事情を思い出し表情が固まった。
「あ、いや。盗賊を倒したのはさ、俺っつうか。すっげえ強い野郎が」
「言ったわよ。そのうえで、あなたの行動を褒めてくれているのよ」
シュザンの傍に歩み寄ったサラリは、彼の背中を叩いた。
「痛って!」
「まあ、気楽にしなさい。私の歓迎会でもあるのだから。はい」
サラリが、木製のお椀を差し出してきた。中は、もうもうと湯気が立ち上るスープがなみなみと注がれていた。
「これは?」
「私が作った料理よ。せっかくだから食べてみて」
シュザンは、ゲッと大きな声を出した。
「なに、不満?」
「いや、お前さ料理できんのかよ」
シュザンはこれまでの出来事を思い出す。サラリという少女は、とにかく不器用だ。持ち物を壊されたことは、一度や二度ではない。
「失礼ね。料理は得意よ」
そう胸を張る彼女には悪いが、とてもそうは思えない。大きさも形もバラバラの野菜が浮かぶスープのありさまが、シュザンの不安をあおる。
「そ、そうかよ。……まあ、残すのも悪いしな。じゃ、じゃあ、いただきます」
(さようなら俺の胃袋)
目を閉じてスープを口に運ぶ。
「あ!」
その瞬間、旨みが爆発した。
「美味いじゃねえか」
「でしょ。結構自信あるんだから」
鮮やかに笑ったサラリは、近くのテーブルに腰かけると、真向かいを指した。
「ほら、座って食べなさいよ」
「あ、ああ」
戸惑いがちにシュザンが座ると、サラリは円を描くように両手を動かし、祈りの言葉を呟いた。
「なにしてんだ? そういや食べもんを食べる時に必ずやるよな、それ」
「……お祈りよ。私は元々レサラス教のシスターだったの」
「ああー、破門がどうとかって。あだ!」
彼女の蹴りが、シュザンのすねにヒットする。思わぬ打撃技にシュザンは涙目で、すねをさすった。
「普通、デリケートな話は避けるべきよ」
「ぐ、すまねえ」
サラリは澄ました顔で頷くと、少しずつ食材をナイフで切って口に運んだ。
シュザンは鼻を鳴らすと、彼女にならうようにスプーンで豪快にすくって食べ始める。
(まあ、気になるけどよ。そのうち話してくれるよな)
好奇心が頭をもたげたが、また蹴られては面白くない。シュザンは、仕方ないと問いただすことを諦め、宴を楽しんだ。
※
宴といっても、堅苦しい礼儀などはない。好きに食べ、酒と会話を楽しむだけの場だ。いつの間にやら鳴り出した楽器の音色に、村人たちは踊り出した。
ヒューア国に伝わる伝統の楽器ダビキは、長い棒に一本の弦と丸い太鼓が付いている。交互に弦と太鼓が奏でるメロディーは、聴く者を陽気な気持ちにさせてくれた。
周りを見渡せば、イルエの周辺にはすでに男連中が集まっている。イルエは今年三十六になるが、見た目は二十代前半に見えるほど若く美しい。夫はすでに他界しており、イルエを妻にと考えている輩は後を絶たない。
「凄いわね。あなたのお母さん」
「ああ、まあな」
サラリは、意地の悪い笑みを浮かべた。
「嫉妬してる?」
「え、なんで?」
「だって、あなたお母さんっ子でしょう。あの状況は面白くないんじゃないの?」
シュザンは、首を振った。
「いや、そうでもねえよ。母さんを幸せにしてくれるやつがいるんなら、別に結婚しても良いと思う。……実はさ、俺は母さんの本当の子供じゃねえんだ」
サラリは目を丸く見開いた。どことなく似ている親子だと思っていただけに、その話はあまりに意外すぎたのだ。
「十七年前にさ、俺は森に捨てられていたんだと。母さんは夫を亡くしたばかりで、孤独の日々を過ごしていた時、俺を拾ったらしい。……大変、だったと思う。俺は馬鹿だし、沢山迷惑もかけちまった。だからさ、母さんには楽しい人生を送ってほしいんだよ」
「そう、だったの。なんだ、私たち結構に似た者同士ね」
サラリは皮肉げに笑う。
シュザンが目で疑問を呈すると、サラリはジッと見つめ返した。
「私の場合は、修道院の前に置き去りにされていたらしいわ。よほど酷い親だったらしく、毛布どころか着るものさえない状態でね。発見したシスターに保護されて以来、私はレサラス教のシスターとして生活していたのよ」
そこまで話すと、サラリは固く口を閉ざした。シュザンは彼女の目に、深い悲しみの色が滲んでいるように思えて胸がずきりと痛んだ。
(な、なんかねえかな)
そう思った時、シュザンは弾かれたように立ち上がった。
「よし! 踊ろうぜ」
「え? ええ! 私ダンスできないわよ」
「大丈夫、俺だってできねえよ」
恥ずかしそうにサラリは首を振る。シュザンはどうしたもんかと周りを見渡すと、ニヤリと笑った。
「お前、俺の誘いを受けといたほうが良いぜ?」
「な、なんでよ?」
「だってお前、村の男たちに狙われているぜ」
サッと、サラリが周辺に視線を走らせると、何食わぬ顔で頭をかく男たちの姿が目に飛び込んできた。
「え、どうして? イルエさんじゃあるまいし」
「そりゃ、お前が美人だからだろ」
「ば、馬鹿じゃないの?」
耳まで赤く染め上げるサラリの手を強引に掴むと、シュザンは力いっぱい引っ張った。
「村の男ども、残念だったな! サラリは宴が終わるまで俺と踊るんだよ」
ブーイングの嵐が飛び交うが、シュザンは気にしない。それどころか、ブーイングさえも楽器の一部であるかのように、楽しげに飛び跳ねた。
「も、もう。ゆっくり、わあ!」
サラリはシュザンに振り回されて、迷惑そうに顔をしかめる。だが、やがて
「わ、わわ。もう、アハハハハ」
愉快気な笑い声が口から漏れ出た。
宴は夜遅くまで続く。
今日ばかりは、夜空も空気を読んだのか、満天の満月が煌煌と輝いていた。