第二章 恐るべき邂逅②
シュザンは驚きとともに気付く。握られたサラリの手は、震えていた。
(こんなに怖い思いをしているのに、俺を気遣ってくれたのかよ)
情けなかった。
シュザンは、サラリの手を強く握り返すと、盗賊の男とは真逆の方向に走る。
がむしゃらに、漂う血の臭いを置き去りにするように、二人は命がけの脱出劇を繰り広げた。
――だが、ものの数秒もせぬ間に、二人の足は止まった。
「立ち塞がれ、雷よ」
晴れ渡る青空に、真昼の月のように似合わぬ雨雲が現れ、轟音が轟く。
「あ!」
二人の眼前に、幾重もの雷が降り注ぐ。地面は爆ぜ、死を連想させるには十分な衝撃が体を叩いた。
「逃げるな、娘」
パッと後ろを振り返ると、白髪の男が鞘から剣をぬき、ゆっくりと近づいてくる姿が目に映った。
男が歩を進めるほどに、濃厚な血の臭いが漂ってくる。
シュザンは、サラリの前に飛び出すと、柄を握りしめた。
「立ち向かってくるな小童。用があるのはその娘だ」
シュザンはねじ切れんばかりの勢いで首を振った。男はそんなシュザンの様子に、眉をひそめる。
「なぜ、庇おうとする?」
「庇うに決まってるだろ。サラリは良い奴だ。殺そうとするなんて、お前なんなんだよ」
男は、戸惑いの表情を浮かべた。
「良い奴だと? そんな馬鹿な」
「馬鹿は、てめえだ!」
勢いよく啖呵を切ったは良いが、シュザンは目の前の男が恐ろしくて仕方ない。心臓の音がやけにうるさく感じ、歯がガタガタとなった。
シュザンは元々、臆病者ではない。恐怖と立ち向かえる勇敢な少年だ。だが、白髪の男の底知れぬ闘志が、彼の勇気を萎ませる。
「シュザン……」
声が聞こえた。サラリの弱々しい声が。そんな声など聴きたくはなかった。初めて会った時の、彼女の姿がシュザンの脳裏をちらつく。
――プツっと何かが切れる音がする。
「許せないぜ。こんなに怖い思いをさせるお前みたいなやつがいるから、皆の笑顔が減るんだ」
ふつふつと燃ゆる闘志がシュザンの胸を焦がし、血管を伝って全身へ浸透していく。
さっきまでが嘘のようだった。動きを封じていた恐怖の鎖は断ち切られ、力が漲ってゆく。
シュザンは、鞘から剣を抜き放つ。煌く閃光は、空気を絶ち、肉を切り裂く。……はずだった。
「ぬう!」
「あ、嘘だ」
剣は、白髪の男が持つロングソードに阻まれた。シュザンは、力を込めて弾き飛ばそうとするが、鉄の山がそびえるがごとく、剣は微動だにしない。
「子供ならざる一撃。……そうか、貴様も受け継ぎし者か」
「受け継ぎし者? なんの話だ」
シュザンの問いに対する返答はない。男はシュザンに蹴りを叩きこみ、距離を取った。
「ゲホ。あ……ぐ」
「シュザン、逃げて!」
サラリの艶やかな髪が、シュザンの視界を掠める。
「やああ」
サラリは、お世辞にも上手とはいえない攻撃で、果敢に男を攻めたてる。
対する男は一歩たりとも動こうともしない。最小限の動きで攻撃を躱し、サラリを見据える。
「ふむ。……試してみるか」
男の口から言葉が漏れ出た瞬間、カマイタチのような鋭い斬撃がサラリを襲う。
弱い攻撃など存在しない。水平斬り、突き、袈裟斬り。全ての斬撃が、命を奪う死そのものであった。
だが、彼女の顔に焦りはない。
サラリは、ショートソードを構えると、水のように滑らかに攻撃を受け流していく。
「う……」
ようやく立ち上がったシュザンは、思わず見とれてしまう。銀の髪が艶やかに揺れ、舞うように命を紡いでいくサラリの姿は、美しかった。
「……シュザン、起きたの? 油断しないで!」
ハッとしたシュザンの頬を斬撃が掠める。
男は、サラリだけでなくシュザンにも攻撃を加えだした。
(まず、い。まずいわ。捌き切れない)
サラリの心に猛烈な焦りが生まれる。自分の身を守るだけならまだしも、絶妙なタイミングで襲い掛かるシュザンへの攻撃まで防いでいては隙ができてしまう。
じわり、じわりと、サラリは追い込まれていく。そして、
「あ!」
ショートソードが空を舞った。
サラリの喉には、男の怪しく光る剣が突きつけられている。
「サラリ!」
「動くな、小僧。……女、問いに答えよ。なぜ後ろの小僧を見捨てなかった?」
荒く息を切らしながらも、サラリは強い口調で言った。
「甘く見ないでよね。私は破門された身とはいえ、レサラス教を信仰する者。命を蔑ろにするような女じゃないの。ましてやシュザンには世話になったのだから、見捨てるなんて選択肢はないわ」
男は顎に手を置くと黙考し、やがて満足げに頷いた。
「ふむ、あいわかった。では、小僧。貴様はなぜここに来た?」
「決まってんだろ。盗賊どもが俺の村を襲うから退治しにきた。なんか文句あっかよ」
威勢良くシュザンは胸を張ると、鼻を鳴らす。
男は眩しそうに目を細めた。
「……様子を見る」
顔面中を歪ませるシュザンを尻目に、男は踵を返す。
シュザンは慌てて、その背中に言葉を投げかけた。
「待てよ。お前、何者なんだよ? 盗賊……じゃねえよな」
「盗賊? ふ、そんな輩と一緒にされては困る。吾輩は」
男は立ち止まらないまま
「ゲイル・カーンという」
確かにそう呟いた。
シュザンとサラリは、衝撃でしばし言葉を失う。
傭兵王ゲイル・カーン。吟遊詩人が歌う物語に必ずと言っていいほど登場する平和の象徴。
吟遊詩人は歌う。彼の者、多を寄せ付けぬ一騎当千のつわものなり。されど、誰よりも平和を愛し、武を振るうことを嫌う。彼は命を愛する博愛の戦士、と。
「どう……してだよ」
呆然と吐き出されたシュザンの言葉に答える声はない。ただ、風だけが悲しそうに砂をさらった。