第一章 シュザン旅立つ③
雨がしとしとと降る。固く平らに踏み固められた街道が、いびつな形に歪んでいく。
シュザンはその中を、勇ましく歩く。ぱちゃぱちゃと足を踏み出すほどに鳴る音は、さながら英雄をたたえる拍手喝采のようだ。
気分が良くなって、うっかり鼻歌まで飛び出てくる。
「ふーん、ふんふんふーんと。おっと、雨が強くなってきたぜ」
厚く垂れこめた雨雲は、泣き虫な子供に似ていた。次から次へと、よくもまあこれほど泣けるもんだと、シュザンは感心すら覚える。
まだ冬は訪れていないとはいえ、秋の肌寒い風が容赦なく体を叩く。ぶるりと体が震え、シュザンは、暖を取りたい気持ちに駆られた。
「お! ぼろい小屋」
十メートル先に、朽ち果てた小屋が見える。こんなことならば、一時間前に見た上等な小屋に入れば良かったと後悔するが、戻るわけにはいかない。
シュザンは、仕方ないと諦め、小屋のドアを開けた。
「誰!」
鈴の声が聞こえた。この小屋は薄暗く、かび臭い。そんな場所に似つかわしくない声にシュザンは首を傾げた。
「お前こそ、誰だよ」
「あの男じゃない? 名前を名乗りなさい」
「俺? シュザンだけど」
シュザンは、小屋の奥に目を凝らした。ぼんやりとした輪郭しか見えないが、どうやら少女らしき人物が壁を背に座りこんでいるらしい。
「なあ、お前なんだよ? ヘ、ヘックション」
「……暖をとりにきたの?」
「そうだ。雨の音が聞こえんだろ? お、へへ。暖炉があるじゃねえか」
部屋の左手に古ぼけた暖炉がある。なにか燃えるものはないだろうか、とシュザンがキョロキョロと視線を巡らせると、突如大きな音が鳴った。
「うわ! でっかいおならか?」
「なんでよ! お、おならなんてはしたない真似するわけないでしょう。ほら、ここに樽があったから壊したのよ。乾いているし、燃えるんじゃないかしら?」
木片が、シュザンの足元に目がけて飛んできた。
(へへ、気が利くじゃん)
彼は拾い集めて、暖炉に投げ込むと、首を傾げた。
「どうやって火を起こせば良いんだ?」
「はあ? 何なのよ。……あなた荷物を背負っているでしょう。貸しなさい」
言われたとおりにすると、彼女は荷物をあさり、小袋を取り出した。
「これは……油? うん、これがあれば火種がなくても燃えそうね」
彼女は、油を木片に振りかけると、ぎこちなく火打石を使って炎を灯す。
明かりは速やかに暗闇を追い払い、少女の澄み切った青の瞳を浮かび上がらせた。
「ふう、まったく。こんだけ道具が揃ってて、火も起こせないなんて、本当に旅人なの?」
今ならはっきりと、彼女の姿が視認できる。
やや細身の体型で、修道服を旅装にアレンジしたような服からは、白い手足が伸びている。銀の髪をポニーテールにしており、ぱっちりとした目が印象的だ。
腰にはショートソードが下げられており、胴体には細かな傷がついたレザーアーマーが装備されていた。
控えめにいっても美少女である彼女の容姿に、シュザンは感心したように頷いた。
「へー、美人だな」
「ふわ! と、突然ナンパ? 私、そんな」
「でも、でっかいおならするからお下品だ」
「放屁じゃないって言っているでしょう! 引っ叩くわよ」
顔を真っ赤にした少女は、瞳を潤ませた。
「冗談だって。本気にするなよな」
「……はあ、分かったわよ。私も暖を取りたかったし、とりあえずお礼を言っておくわ。その、あんがと」
少女は床に正座すると、隣の床に座るように促した。
断る理由もないので、シュザンは大人しく従う。
「暖かいぜ」
爆ぜながら灯る炎が、冷えた身体を温める。どうやら予想よりも疲れていたようで、座ったとたん猛烈な疲れをシュザンは感じた。
「シュザンっていったわね。私はサラリ。旅をして生活しているわ」
「んー旅人、大変そうだ。俺はレルト―レ村で母さんと暮らしてる」
「え? 旅人じゃないんだ。じゃあ、どうしてこんなところに」
シュザンは、短く鼻息を漏らすと、剣の柄を握った。
「村に悪さする盗賊がいるから、オルドの人に助けてくれって言いに行ったんだ。でも、あいつら酷いんだぜ。全然話を聞きやがらねえ」
「なによそれ、最低ね」
だろー、と頷いたシュザンは、拳を握りしめ膝を叩いた。
「だからさ、決めたんだ。俺が一人で盗賊をぶっ飛ばす。大軍を相手にするんじゃないんだ。絶対いけるさ」
サラリは、あきれ顔になってため息を吐く。
「ぶっ飛ばすって、相手は一人じゃないんでしょう? それは無茶よ。う! ……あちゃー、せっかく血が止まってたのに」
サラリの顔が苦痛に歪む。肩を手で押さえており、指の隙間から血が滲みだしている。
「怪我しているじゃないか。えーと、袋になんかあったけか?」
シュザンは革袋の中身を床にぶちまけると、拾っては投げを繰り返した。
サラリはクスリと笑うと、床から小瓶を摘まみ上げた。
「このポーションもらうわね」
蓋を開け、サラリは液体を喉に流し込む。どうやら効果はあったようで、苦悶の表情は晴れやかな表情に切り替わった。
「ああ、楽になった。助かったわ、ありがとう。……って、フフ」
「ん? 楽しいことでもあったのか」
「ええ、おかしいじゃない。こんなに短時間に二度もお礼をいうなんて」
サラリはお腹を抱えて笑う。
(やっぱり、女の子は笑ってる方が綺麗だよな)
内心そう呟いたシュザンは、表情を引き締め問いかけた。
「でさ。お前、なんで怪我してたんだ?」
「……それは、襲われたの。知らない白髪の男が、突然切りかかってきたのよ」
「突然って、そりゃねえぜ」
シュザンは顔を曇らせた。
彼は激しい怒りに駆られたが、別に珍しい話ではない。戦争が絶えて久しいとはいえ、世界の情勢は不安定だ。
伝説の傭兵王ゲイル・カーンが建国せし国、サムンスと世界各国との間に結ばれた和平締結・休戦協定によって、なんとか偽りの平和を築いているのがクローズの現状である。
「恐ろしい強さだったわ。……たまたま、本当にたまたま、あの時魔物の群れが殺到してこなかったら、私は切り殺されていたでしょうね」
両手で自身の身体を抱きしめるサラリは、見ている者の胸が痛くなるほど震えている。
「な、なあ。大丈夫かよ?」
「……うん。ごめん、暗くさせちゃったわね。話変えましょう。さっきの話だけど、私も手伝うわ」
「さっきの? あ、盗賊の話かよ。良いのか?」
「ええ、お礼にね。私、攻撃はあんまりだけど、防御だけはなかなかなのよ」
「うーん……」
不味い果実を噛み潰したような顔をするシュザンに、サラリは眉をひそめる。
「なによ?」
「あ、いや。女の子を戦いに巻き込むのは、なんかやだなって思ってさ」
「心外ね」
サラリは鼻を鳴らす。
「女だからって戦えないわけじゃないわ。馬鹿にしないでよね」
「あ、いや。そうじゃなくってさ。女の子ってさ、顔や身体に傷跡残るの嫌がるんだろ。もしそうなったら可哀そうだって思ってよ」
「ふーん、女々しい顔しているのに、男の子っぽいこと思うのね」
「なんだと!」
シュザンは立ち上がると、親の仇を見るような剣幕でサラリを睨む。だが、
「だって、綺麗な女の子っぽい顔だし、黒くて長い髪もサラサラだわ」
サラリは気にしたふうもなく、堂々と言った。
「これは……母さんがさ、女の子が欲しかったって言ってたからよ、喜ぶと思って伸ばしてんだ。なんだよ、変……かよ」
予想外の反応にサラリは、ポカンと口を開けると、頬を僅かに赤らめた。
「……その可愛さ反則。もう、私が悪かったわよ。コホン、その盗賊団は、どこにいるの?」
「村の近くにある洞窟にいるよ」
そう訊くと、サラリは天井を見上げ、考え込んだ。
「レルト―レの近くだったら、徒歩で一週間ってところかしら。先は長いわ、早めに寝ましょう」
「おう」
「あ、それと」
サラリは、人差し指をナイフのように鋭くシュザンに指す。
「寝ている時に、エッチなことしないでよ」
「しねえよ。ああ、でも、寒かったら俺に抱きついて良いよ。暖かいからな」
猛烈な気恥ずかしさを感じたサラリは、思わず怒鳴ってやろうと思った。だが、当の本人が邪気のない笑みを浮かべるものだから、がっくりと肩を落とし黙り込むしかなかった。
「もう。おやすみ」
サラリは、シュザンから離れると、床に転がった。
シュザンは彼女に習うように、大の字に寝そべると、ものの数秒もせずに眠りに落ちた。