第一章 シュザン旅立つ②
――うるさい。騒がしい声が、響いている。
酷い景色だ。地面がめくれた草原に、兵士たちが雄叫びを上げ、激しく剣をぶつけ合っている。
誰かが剣を振るうたびに血が舞い、命が消えてゆく。道徳はなく、慈悲はなく、ただ地獄だけが広がる世界。
己が生きるために、相手の命を奪う。そこに是非はない。けれども、胸をつくような悲しみが、見ている者の心を傷付けた。
――苦しい。誰か止めてくれ。
願う声は、怒号にかき消される……かに思われた。
戦場に一陣の風が駆け抜ける。風の正体は、斬撃だった。両軍の境目となる大地を粉々に砕き、兵士たちはたたらを踏む。
「両軍、戦をやめよ」
猛烈な破壊音とともに、射抜くような声が戦場に響く。
兵士たちは、両軍の境目に立つ男を訝しむように見た。
男はあまねく視線を威風堂々と受け、剣を真上に突き上げる。
「無益なり。この戦いは他のどの戦よりも意味がない。自分たちが豊かになるためでもなく、守るためでもなく。ただ、怨嗟に飲まれ戦う泥仕合。救いがない。即刻やめよ」
――不思議だ。叱るような厳しい声なのに、まるで自身が怪我をしたような含みある声だった。
「うるせえ! 貴様になにがわかる。俺の女房はこいつらに犯されて殺されたんだ」
「なにをいっている。お前らこそ俺の村を焼いただろう。小さな子供だっていたんだぞ」
憎悪が再燃する。
兵士たちは男の制止を振り切り、目の前の敵に刃を向けた。とても話を聞いてくれるような雰囲気ではない。
男は、どこか泣きそうな顔で言葉を紡いだ。
「……やむをえまい。言葉が届かぬならば。貴様らの犠牲をもって、終わりにしよう。我が武力を示し、争いを起こしたくとも起こせぬことを知らしめる。その礎になれ」
腰に下げた刀の柄に手を添えると、吐き出す息とともに一閃した。
ただの一刀。それはいかな理か。幾万といた兵士たちは、自身が振るった何万もの刃ですら届かぬ究極の一撃に倒れた。
吐き気をもよおす血の臭いと、驚愕な表情で固まる兵士の顔が、戦場を埋め尽くす。
――なんでそんなことをするんだ!
シュザンの心に、怒りが溢れた。わけもわからないが、こんなにたくさんの命を殺していいわけがない。
詰め寄ろうとするが、肉体はなく。声だけが響く。
――あれ? そういえばあの一撃はどっかでみたっけか?
妙な既視感が心に満ちて、問いかけた。
――なあ、お前の技はなんなんだ?
答えはなかった。男は絶望を張り付けた顔で、冷たい大地を眺めた。その横顔があまりにも救いようがなく、怒りは哀れみに変わった。
「おい、こっちを向けよ。話してみたら楽になるかもしんねえぜ」
言葉は果たして届いたのか、世界は暗闇に包まれる。居心地の悪い余韻を残して……。
※
「起きてよ、お兄ちゃん。着いたよ」
「う、ううん。あ、天井が揺れてら」
「馬車だから当然だよ。それより、どうして泣いてるの? 怖い夢でもみたの」
手で頬をさすると濡れている。カッと頬が赤くなったシュザンは、そっぽを向いた。
「あ、いやなんでもねえよ。変な夢見ちまっただけだ。で、えーとなんだっけか。飯か」
「違うよ。オルドに到着したんだよ。あはは、お寝坊さんだ」
シュザンは、サマサの頭を撫でると、馬車の正面に目を向ける。幌に縁どられた景色の中央には、立派な城壁に挟まれた門が見えた。
「あれがオルドか。小さい頃に母さんに連れられて以来、来たことがなかったな」
「おっきな町なんだよ。お店とかもね、立派でおもしろい商品が売られているの。あーあ、お父さんがもっと儲けられれば、オルドでお店を開けるのにな」
「はは、そいつは耳が痛い。あんまり、カッコ悪い話をシュザン君にしてくれるな」
馬車は緩やかに門の手前で停車した。
「シュザン君。僕たちは馬車の荷物を点検してもらってから町に入るから、しばらくかかると思う。君は急ぎなんだろう? だったら、構わず行ってきたらどうだい」
「あー、うん、そうだな。じゃ、世話になったな。今度は、バケモンに襲われないように注意しな」
「え! 行っちゃうの? やだよ」
サマサは、瞳に涙をにじませた。
「無理いわないの。ごめんなさい、シュザンさん。サマサはお兄ちゃんができたみたいって喜んでいたものだから」
メイカの困ったような笑みに、シュザンは首を振ると、背負っていた弓矢を取り出した。
「おい、これをやる」
「良いの?」
「ああ。これで父ちゃんや母ちゃんを守れるようになれ。……あー、泣くんじゃねえよ。生きてりゃたぶん会えるって」
サマサは、幼いながらも強い光を灯した瞳で、シュザンを見つめた。
「うん、わかった。約束だよ。次、会う時までに私、いまよりたくさん強くなるね」
「おう、絶対約束だ。そんじゃあな」
シュザンは底なしの笑顔で行商人の一家に手を振ると、門へ向けて足を向けた。
「んー、いい子だったな。よし、後で日記に書いとこう。……それはさておき、なあ、門番のおっちゃん。通って良いか?」
唐突に投げられたシュザンの言葉に、門番の男はわずかに頬をひくつかせた。
「お、おっちゃんだと! これでも二十歳だぞ。ったく……えーと、商人じゃないんだよな。荷物はこれだけか?」
「おう、早く通してよ」
シュザンの遠慮のない物言いに、門番は引きつった笑みを深める。
「ほら、通れよ」
「ども。……おお!」
オルドへと足を踏み入れたシュザンは、瞳をキラキラと輝かせた。
流石は五百年もの古き歴史あるヒューア王国の首都だ。青や白をベースとした石造りの建物は、深みある風貌であり、広大な都市空間が広がっている。
レルト―レ村も石造りの建物が多いが、なにより大きさが段違いだ。三階建ての建物が軒を連ね、チリ一つない美しい街路は、馬車を真横に六つは並べても余裕があるだろう。
シュザンは興奮気味に、辺りを見渡した。
「すげえ人の数だな。うまそうな食い物の匂いもしやがるぜ」
鼻をピクピクとひくつかせながら、シュザンはあてもなく彷徨う。
嘆願書を届けなければならないことは覚えていても、どこに届ければ良いのかがわからない。
シュザンは、ぼんやりとした様子で歩いている女性に声をかけた。
「なあ、嘆願書とかってどこに届ければいいのかな?」
「え? 嘆願書ねえ。……やっぱり、城に行くべきじゃない? ほら、あそこ」
女性の人差し指が差す場所は、なるほど立派な城がある。周りの建物よりもさらに数倍はでかいだろう。あの大きさならば、町のどこにいても目につく。
「そか、あんがと」
シュザンは、颯爽と街路を駆け抜け、真っすぐに城を目指す。
気分は羽が生えたように快調だ。人助けもできたし、理由はわからないが、自分でも信じられないほど強力な居合斬りを使えるようになった。
それになにより、オルドに嘆願書を持ってこられた。これはシュザンにとって、大きな意味を持つ。
「何がシュザンなんかに、嘆願書は運べないだ。村の連中め、帰ったらケツをぶつ、いや蹴っ飛ばす。そんで、剣の凄さを見せつけてやる」
シュザンの心は、熱く滾っていた。
生まれてこの方、才能らしき才能はなく。辛うじて弓矢と裁縫だけができるのが、シュザンの小さな自慢だった。
きっと、村に帰れば英雄扱いだろう、と本人は思っている。
村は近くに住みついた盗賊によって、一週間に二度ほど盗みを働かれていた。慎ましやかな日々を送るレルト―レ村にとって、冬に向けた貯えを盗まれるのは、命にかかわる死活問題だった。
かといって、村にはまともな戦士もいない。逆らえば、斬り殺されてしまうに違ないと、村人たちは夜も眠れぬ日々が続いていた。だが、シュザンの持つ嘆願書を城に届ければ、兵士が派遣されて万事解決する。
……そう思っていたシュザンの想いは、淡く砕かれた。
「駄目だ」
嘆願書を一瞥するなり、兵士はシュザンに嘆願書を押しつけた。
「な、なんでだよ」
「その書類に押されている印は、レルト―レ村のものだろう。あの村は、去年分の税を滞納している。今年の分と合わせて納めない限り、どのような書類も受け取れない決まりになっている」
「し、しかたねぇだろ。収めたくても、不作で育たなかったんだ。ちゃんと払うってオウ爺は言ってた。なあ、村がこれ以上、盗賊に襲われたら大変なんだよ」
シュザンがなおも食いつくが、兵士は聞く耳を持たなかった。
「引き返せ。さもなければ、お前を不審な者として拘束する」
カーと頭に血が昇り、シュザンの顔が赤く染まる。
ここまでの分からず屋に、シュザンは出会ったことがなかった。村が危ないから助けるのは、兵士の役目じゃないのか? 怒りで全身が震え、握られた拳からは血がしたたり落ちた。
「この、馬鹿野郎!」
シュザンは、兵士の鎧に拳を叩きつけると、一目散に来た道を駆けて行った。
「貴様! 待たんか」
人を押しのけ、肩で風を切りながらも、シュザンは叫ぶ。全身に湧きあがる怒りと悔しさを、彼は持て余した。どうして良いのかわからない。ただ、感情のままに足を動かす。
「はあ、はあ、はあ」
気付けば、シュザンは街道に出ていた。後ろを振り向くと、大きな城壁が見下ろしている。
マルクたちと来た時は頼もしく見えた城壁も、今や冷気がにじみ出る岩石にしか見えない。
シュザンの頭に、町の華やかな風景がよぎったが、
「ふん、こっちから願い下げだ」
鼻息とともに捨て去った。
燦燦と降り注ぐ朝日も、まつ毛にかかる汗も、とにかくうっとうしくてしかたがない。
彼はオルドに背を向けると、汗を払い歩き出す。
――ああもう、イラつくぜ。
マルクからもらった果実をほおばっても、怒りは冷めるどころか燃え上がりそうだ。シュザンは種を吐き出すと、街道脇に生えている木の幹を蹴っ飛ばした。
「痛ってぇ! 固すぎんぞ」
赤くなった足をさする。
「あ!」
痛みが良い刺激となったのか。――ふと、ある考えが湧いて出た。
「……うん、そうだよ。なんで思いつかなかったんだろう」
足の痛みが引くにつれて、自分の考えが素晴らしい偉業のように思えてきた。むしろ、嘆願書を受理してもらうことよりも、高尚なことだとシュザンは信じて疑わなかった。
だって、そうではないか。城でふんぞり返っているやつらに頼るよりも、この方法の方がはるかにスマートだ。
シュザンは、剣の柄を掴むと、イヒヒと忍び笑いを漏らした。