第六章 共鳴④
馬を走らせること三日。とうとう目的地である人食いの森の姿が前方に現れた。人食いの森は、平原のど真ん中に位置しており、遠目でも目立つ。
空はよほど機嫌が悪いのか、レーア村を出てからずっと曇り空を保ち続けている。
シュザンは、先ほどまで降っていた雨で濡れた髪を片手で絞る。
「なあ、おっさん。森に到着したらどうすんだよ?」
「ふむ、まずは馬を隠し、魔女の住処を探す。住処が分かれば、馬まで戻り静かに脱出するである。隠密性が重要であるから、鎧を脱ぎ捨てて、皮鎧に着替えるのを忘れるな」
グレゴリーは周辺を見渡すと、眉をひそめた。
「むう? 全体止まれ」
シュザンは、グレゴリーの視線を辿ってみた。……なにかが森の入り口で飛び回っている。距離が遠いことを考慮しても、飛んでいるものは随分と小さいようだ。
「妖精……かもしれぬな。気を付けろ。妖精はそれぞれが固有の技を持つ生き物だ。油断をしていると、やられるぞ」
ジャネットの声に頷いたグレゴリーは、顎でウルフを呼んだ。
「へいへい、ご用ですかい?」
「目が良いだろう。そっと近づいて、確かめてきてほしい」
「片目の男に無茶を言いなさる。ま、ご命令なら仕方が……あー手遅れみたいです」
どういうことだ、と思ったシュザンは森の方を見た。……妖精らしき、羽の生えた小人がこちらに向かって飛んできている。
「……?」
シュザンは、奇妙な感覚を覚えた。小人が近づいてくるほど、懐かしいような、安堵するような感覚が、血の中を駆け巡る。チラリと、横にいるサラリに視線を向けると、彼女は戸惑うような視線をシュザンに投げかけてきた。
「なあ、お前も?」
「え、ええ。なんなのかしら?」
「来るぞ!」
グレゴリーの声で、慌てて前を見たシュザンは小人がすでに眼前へ迫っていることに気付く。
「お前たち、何の用だ? ここは魔女様の森。酷いことをする人間は、立ち入り禁止だ」
小人は意外にも大きな声で、シュザンたちに警告を発する。
グレゴリーはわずらわしげにメイスを掴むと、馬上から小人目がけ振り下ろした。
「わわ、何をする!」
「避けられたか。ウルフ二等騎士、細かい的を狙うのは得意な貴君の出番である」
「ちょ、ちょちょっと待ってくれよ」
シュザンは、前に飛び出すと、小人に背を向け両手を広げた。
「シュザン二等騎士、何のつもりだ? その者は妖精だ。見つかった以上、始末せねばならんのである」
「待てよ、いきなり殺すことないだろ。事情を話せば、森を通してくれるかもしれねえだろ」
「シュザン、あんた邪魔だよ」
ジャネットは、斧の柄を掴むと、シュザンに向けて構えた。場に満ちる緊張感に、シュザンは喉を鳴らす。
「お、落ち着いてください。隊長も騎士アネットも」
「ん? お前とお前」
シュザンの横に並び立って、何とか場を収めようとするサラリ。
妖精は、そんな場の空気などお構いなしに、シュザンとサラリを指差した。
「どうして人でなしのヒューア王国の連中と一緒に居る? 危ないぞ」
どういう意味だろう? そう思ったシュザンが、
「はあ? 意味が分かんねえ」
と疑問を呈すると、妖精は首を傾げた。
「どうって? お前らは仲間だろう? ほら」
妖精は小さな手でシュザン、サラリの順で、身体に触れてきた。
――光が弾け、空間が揺らいだ。
先ほど感じていた奇妙な感覚が増幅していく。シュザンは、感覚の奔流に襲われ、わずかな時間呆けてしまった。
「……あ、なんだ?」
「シュ、シュザン。いま、私たち……」
サラリは続きの言葉を紡げなかった。グレゴリーたちの顔に、驚きの色が広がっていたからだ。
「あ、なん、という。共鳴現象か」
「ま、待ちなグレゴリー、本当に共鳴現象かい。気のせいじゃないのか?」
「馬鹿を、いうなである。騎士ジャネット、知っておろう。私が妖精討伐部隊にいたことを。その私が、間違えるとでも?」
ジャネットは口を閉ざすと、戦斧の柄を手が真っ白になるほど強く握りしめた。
……悔しそうで、悲しそうで。
複雑な感情が入り混じったような顔になったジャネットは、瞳から涙を一筋流した。
「騎士ジャネット、どうしたんですか?」
「……サラリ。騙していたのかい?」
意味が分からず眉をひそめるサラリ。ジャネットは、天が裂けたかのような大声で叫んだ。
「騙していたのかい! ええ? この裏切り者があぁぁあ」
「え?」
ジャネットの戦斧が、サラリの頭上に迫る。
シュザンは咄嗟に剣を抜刀し、戦斧を真っ二つに両断する。
――辺りに鉄が切り裂かれる鋭い音が鳴り響いた。
「……騎士ジャネット?」
震える声でサラリが名を呼ぶ。脳裏に暖かくて優しいジャネットの声がリフレインする。しかし、ジャネットが発した言葉は、別人のように冷たかった。
「貴様たち二人は、我が王国の敵だ。必ず殺す」
困惑から驚愕へ。サラリの顔は感情のままに変化した。
シュザンは、わけがわからず、混乱で頭が真っ白になった。ただ、まずい状況だということはわかった。理解できてしまった。
シュザンは、早鐘のように鳴る心臓を鎧の上から叩きつけると、馬を操り、サラリの前に飛び出した。
「どうしたんだよ、おっさん、ジャネット。な、なあウルフ、どうしたんだよこの二人。変になっちまった。俺たちを殺そうとしやがる」
藁にも縋る思いで、シュザンはウルフを見た。
彼は、気まずそうに顔を背けると、目を閉じた。
「まこと、残念である。だが、殺さねばならぬ。この際、裏切り者であったかどうかは問わぬ。ただ、せめてもの慈悲だ。安らかに逝くが良い」
グレゴリーの丸太のように逞しい腕が、持ち上がる。頼りになると思えたその腕が、今は恐ろしいものにしか見えない。シュザンは、唇を引き結び、剣を持つ手に力を込めた。
「そこまでじゃ。これ以上の狼藉はワシが許さぬわ」
若い女性のような声が、辺りに残響する。シュザンは、周りを見渡したが、広い平野のどこにも声の主らしき姿は見受けられなかった。
「姑息な魔女めが、姿を見せよ。グレゴリー・デーンズが、相手になるである」
「冗談じゃないわえ。すぐに殺そうとする相手の前に姿を現すものか。……んん? 見覚えがある。――ああ、お前は我が同族を屠った憎く部隊の一員じゃろう? 許さぬ、と言いたいところじゃが、今はそこな二人を守るのに全力を尽くそうぞ」
魔女の言葉が途切れた瞬間、雷がグレゴリーらを目がけて落ちてくる。
幾百もの光の矢は、天が下した神罰のように苛烈で、慈悲の欠片もない。
一撃が落ちるたび、空気が震え、轟音が全身を叩いた。
とても、人間が生きていられるような威力ではない。
「お、おっさん」
目の前の天災を眺めていたシュザンは、汗にまみれた手を握りしめ、呆然と呟いた。
もうもうと立ち上る土煙で視界は遮られ、焦げ臭い臭いが鼻を突く。
「じゃ、ジャネット、ウルフ、隊長。皆、し、死んじゃったのかしら」
震える声で問いかけるサラリの肩に、シュザンは手を置いた。
「……ど、どうなった?」
「あ、見てシュザン!」
サラリが指差す先に、シュザンは視線を向ける。
風が吹き、みるみる土煙が晴れていく。その中に、険しい顔で佇む三人の姿があった。乗っていた馬は地面に倒れていたが、三人は鎧が所々壊れているだけで、大きな怪我はしていない。
「耐魔力加工が施された鎧かい、小賢しい。じゃが、そう何度も受けられるものではないじゃろう。とっとと、去るが良い」
グレゴリーは、普段の彼らしくなく舌打ちをすると、忌々しげに徹底を指示した。
背を向け、去り行く三人に、シュザンは言葉を投げる。
「待てよ、突然なんなんだよ。意味が、わかんねえよ。……なんとかいってくれ」
……返事はない。去り際に、ウルフがシュザンを見て、首を振った。
シュザンとサラリは、ただ立ち尽くすしかできなかった。
「おーい。お前ら、どうしたんだ? ……魔女様、こいつら僕を無視する」
「……ショックを受けとるようじゃのう。パジュ、その二人をワシのもとへ案内するのじゃ」
「はいー。ほら、行くぞ。付いてこい」
耳元でけたたましく叫ぶ妖精にさえ、意識を向けることはできない。ぐるりぐるりと、さきほどの出来事を思い返し、「ちくしょう」とシュザンは言葉を絞り出した。
風が吹き、分厚い雲から雨が降り出す。
今日、雨に濡れたのは二度目だった。
一度目は、悪態をつきながらも、グレゴリーたちと共にいた。
――二度目の雨は、夏だというのにやけに冷たく感じた。
シュザンは雨のニオイを胸いっぱいに吸い込むと、もう一度「ちくしょう」と呟いた。




