第五章 騎士として過ごす日々①
長い廊下に、長靴が鳴らす硬い音が響く。
その長靴を鳴らす張本人ロス・ハウワは、手元の資料を眺めため息をついた。
(まさか、な。これは最悪の事態も想定しなければならないかもしれない)
ロスは、前から歩いてくる部下に敬礼を返し、チラリと窓に視線を向ける。
広大な青空は、吸い込まれそうなほど晴れ渡っている。自身の心情とは真逆の空模様に、皮肉めいた笑みを頬に浮かべたロスは、視線を真下に向けた。
そこは、ヒューア城の中庭だ。太陽の光が青々した芝生と中央に位置する噴水の水を照らす。その噴水の横に、人が四人いた。
彼らは剣を手に、ヒューア式剣術の型どおりに動いている。教官の男を除けば、三人は新米だが、一人は実に良い動きをしている。だが、残りの二人はお世辞にも良い動きとはいえない。
「だああ、どうりやああ」
「こら! 声で誤魔化そうとしてはいけない。きちんと型通りに動くんですよ」
一際大声を上げた新兵を見たロスは、先ほどとは打って変わり心から楽しそうに笑った。
※
「ぜえ、ぜえ。結構、できてたんじゃねえか」
「いやまったく全然駄目である」
シュザンの言葉を、全力で否定した男は第十三歩兵部隊の隊長兼教官だ。
名をグレゴリー・デーンズ。入団試験の際、シュザンの相手を務めた騎士である。
鎧姿は相変わらずだが、今日はヘルムを着用していない。おかげで、角ばった顔の輪郭に、太い眉、高い鷲鼻、太い唇、そして意外にもクリクリとした可愛らしい目がよく見えた。
彼は、巌のようにごつい手で、シュザンの肩をがっしりと掴む。
「だが、昨日よりは良くなっている。この調子で励むが良い。なに、貴君は才はないが、ガッツがある。それは、戦いにおいて重要な要素だ。自信を持て」
シュザンは、照れくさそうに笑った。
「へ、だったらもっと練習して、グレゴリーのおっさんを追い越してやるよ」
「楽しみである。だが、シュザン二等騎士。上官である私は、おっさんではなく、グレゴリー隊長と呼ぶのだ。正しく呼べなかった罰として、素振り千回追加である。他の二人は休むが良い」
「ゲエ! い、いや。全然余裕だぜ」
強がりもここまでくれば立派な特技だ、とグレゴリーは内心褒めた。……口にはしなかったが。
同じ隊に配属されたサラリとウルフは、芝生に腰かけ、シュザンの必死な素振りを見て大声で笑う。
「グレゴリー隊長。今日も精が出ますね」
「む? おお、これはこれはロス広報官。隊長として当然の責務を果たしているまでです」
グレゴリーの後方から、ロスが声をかける。柔らかな笑みを投げかけるロスに、グレゴリーは力強い歩みで近づいた。
「彼らが入団して半年ですか。早いものですね」
「ええ、まったくですな。こら、シュザン。剣をもっとしっかりと握って振るのだ。まったく」
ロスはクスクスと笑うと、黙り込んだ。しばし、そのままの状態が続いたが、茶色に近いロスの金髪が風に吹かれたのと同時に、彼は静かに言葉を発した。
「どの程度のレベルまで仕上がっていますか?」
「……ウルフは、すでに並の騎士よりも圧倒的と評してよいほどに強い。サラリとシュザンは、得意技を除けば、まだまだですな。ヒューア式剣術だけで戦った場合、町のごろつきに一対一であれば楽に勝利できるでしょうが、三対一となれば厳しいレベルです。ですので、戦略の幅は狭まりますが、得意技を前提とした戦いに徹するべきでしょうな」
「そう、ですか」
ロスは難しい顔で、グレゴリーだけ聞こえるように発音する。
「そろそろ、本格的な任務を受けてほしい」
「むう、本格的なですか。難易度にもよりますが、時期尚早ではないですかな?」
「いえ、そうもいってられないのです」
ロスは、手で自身の口元を隠しながら呟いた。
「アウトサイダー独立国家の動きが、いよいよ活発化しそうなのです」
グレゴリーは、驚きを隠せない様子で首を振った。
「馬鹿な、ただの噂では? ゲイル・カーンの力が弱まった話が本当であったとしても、彼の国サムンスが各国と結んだ和平締結・休戦協定があれば、容易に戦争など起こせぬはず」
「ええ、確かにおっしゃる通りです。もし戦争を起こせば、サムンスを筆頭に、世界各国を敵に回すことになる。常識的に考えてあり得ない。だが、アウトサイダー独立国家に送り込んだ部下の報告を聞けば聞くほど、戦を始めようとしているしか考えられないのです。
……念のために、騎士を増員しましたが、彼らの力が必要な時が来るかもしれない。隊長各位は、部下を一刻も早く育ててもらいたいのです」
「むう、わかりました。であれば、多少の危険は承知で、任務をこなし、実戦経験を養わなければなりませんな」
表情を引き締めたグレゴリーは、鎧が軋むほど筋肉に力を込め膨張させた。
「フ、気合十分ですね。けれど、さすがに初めから難しい任務を任せるわけではありませんよ。まずは、……このあたりから挑戦してもらいましょうか」
ロスは手に抱えていた資料を一枚引き抜くと、グレゴリーに手渡した。
「オーガの群れの討伐ですか」
「ええ。オルドの北東にレーア村という村があります。その近辺にどうやらオーガの巣があるようです」
グレゴリーは、表情を曇らせる。
オーガは力が強く、巨体の持ち主だが、動きは遅い。慎重に戦えば、十分に対処可能だ。グレゴリーの心配はオーガそのものではなく、オーガの巣がある場所である。
「あなたの懸念もよくわかります。人食いの森とアウトサイダー独立国家ですね」
ヒューア国の国境をまたぐ形で広がっている人食いの森は、魔女が住むと噂される魔境だ。人が入れば、たちまち魔女に殺されると噂されている。加えて、人食いの森からずっと北に進むと、アウトサイダー独立国家の領土がある。かなりの距離があるのでまず大丈夫だろうが、オルドよりは距離が近づくのだ。
不吉な報告を聞いたばかりのグレゴリーにとっては、不安になるのが当然といえた。
「大丈夫。あの森は近寄らなければ問題ありません。アウトサイダーについても、まだ動くタイミングではないでしょう」
ロスは優秀な男だ。広報官と名がつくが、実際は工作員としても活動している。彼の情報であれば、とグレゴリーは、渋々頷いた。
「承知した。明日には出発いたしましょう」
「お願いします。現地にはすでに騎士ジャネットがおりますので、協力して事に当たってください」
「う、あのジャネットですか? 正直、私は苦手なのですが」
ロスは頭をのけ反らせるほど、大声で笑った。
「アハハハハ、百戦錬磨のグレゴリー隊長でも女傑は苦手ですか」
「ロス広報官。笑い過ぎですぞ」
「あ、はあー。いや、失敬」
ようやく笑い終えたロスは、ちらりとグレゴリーの後方を見やる。
釣られて背後を見たグレゴリーは、目を見張った。
「な、なな、何をやっとるかシュザン二等騎士」
「あ、おっさん。俺ってば天才かもしれねえぜ。ただ素振りをしてるだけじゃ、絶対駄目だ。この噴水を敵と見立てて、斬りまくればすぐに強くなる。間違いない」
「馬鹿者! この噴水は、建国五百年を記念するために建てられたものである。傷をつけてはならん」
慌てふためき駆け出すグレゴリーの背を見送ったロスは、たまらず大声で笑い出した。




