高島君と峰岸さん
暇つぶしにどうぞ。
目を覆い隠しそうなくらいに伸ばしている黒髪が揺れ、同時に来た衝撃で眼鏡が飛んでいく。
ああ……どうしてこうなったんだっけ?
そんな疑問に対する答えは既に分かっている。今更確認するまでもない。
「おらっ! 二度と峰岸さんに近づくんじゃねえぞ……!」
そう、それだ。僕が今、教室で数人の男達に殴られていた理由なんてそれしかない。
男達は僕を好き放題殴って去っていく。情けないことに僕はそれに抵抗など出来なかった。
時刻は夕方、もう学校の授業などとうに終わり下校時刻ギリギリだ。
痛みに耐えながら家に帰れば……見知った靴がある。
僕はそれを見てああまたか、などと思いながら自分の部屋の扉を開けた。
そこには数々のゲームが散乱していて、その惨状を作り出した原因の女性が一人。
腰まである長い茶髪。クリッと大きな目、小さい鼻と口の整った顔立ち。発育もよく、体も出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。控えめに言っても美人な女性……クラスメイトの峰岸さんだ。
「あっ! ようやく帰ってきた! ねえねえっ、今日はこれやらない?」
「モン◯ンね、分かった」
彼女は笑顔を浮かべて僕にゲームのカセットを持って問いかける。
彼女が僕を見ても殴られた傷には気付かない、そうやって気付かれないように不良達は目立たない腹や背中を集中的に殴っているからだ。
何故そんな美人が僕のような根暗の部屋にいるのか。それにはきちんと理由がある。
休み時間、僕がゲーム機を持ってきて遊んでいた時だ。彼女の目にそれが映って、輝いた。
「ねえ! それって今じゃどこにも売ってない超レトロなゲームだよね!?」
「え? そうだけどって峰岸さん!?」
「すっごーい! それ次やらせてくれない!?」
峰岸さんはゲームが好きらしい。その時、彼女が話をしていた女友達を放って僕の方に来たので視線が痛かった。
それから峰岸さんは時々僕の方に来てはゲームをやらせてくれと頼んでくる。しまいには家に来ることになり、今では一週間に五回は僕の部屋に来る。
そんな彼女のことが好きになるのは……至極当然だろう。
美人な女性がかなりの頻度で近くにいて何も感じないなんて男としてどうかと思う。
でも彼女はクラスの半分の男子から好かれているような人だ。はっきりいって僕とじゃつり合わない、告白なんて勇気もない……現状維持、それしか出来ない。
「あっ、ゴメン! 三回目死んじゃった!」
「いいよ、またやろうよ」
こうしてゲームをしている日々が幸せなんだ……たとえ殴られることになっても。
でも気になる……どうして僕なんかと一緒にいるのか。それが心の中でループして、いつの間にか口に出ていた。
「どうして……僕なんかと一緒にいてくれるの?」
「え? どうしてって……」
困惑した表情を浮かべる峰岸さんを見てマズイことを言ったかなと後悔するが、返答はすぐに返ってきた。
「高島君が特別……だからかな」
マズイ……今、僕の顔は真っ赤にでもなっているだろう。期待してしまっている、してはいけない期待を……!
「特別……?」
落ち着け! 期待するな! 平常心だ、そう心で呪文のように繰り返しながら彼女の顔をジッと見つめる。
その綺麗な瞳が僕を貫き、動悸が激しくなる。
「うん……だって高島君は……大切な――」
大切な!?
「――ゲーム仲間だからね!」
「あ……うん」
だから期待しちゃダメだってあれほど心に誓ったのに……!
彼女に悪気はないんだろう、でもこれは質が悪いと思う。
「でもさ……僕って根暗だし、正直つり合ってないっていうか……」
「そうかな?」
っ!? そうネガティブな言動をしてしまったが、次の瞬間目に映るのは彼女の綺麗な顔だ。すぐ目の前に……おそらく少しでも顔を前に移動させれば唇が触れてしまうくらいには。
「高島君さ、顔は悪くないと思うよ? 長い髪と眼鏡が雰囲気変えちゃってるからそれをなくせばすごくカッコよくなると思うな」
彼女は右手で僕の長い髪を掻き上げてそんなことを平然と言ってのけた。
カッコいい……誤解されるよ、本当に。
「私は好きだなっ! 高島君の顔」
「へっ!? へえぇ! それは凄く嬉しいよ」
本当に嬉しい。口元が嬉しすぎてニヤニヤとしてしまう。
しかし、好きと軽々と発言してしまうあたりもしかして脈ありなのではと思ってしまう。先程期待しないとあれほど誓ったのに、それを破棄して思い切って聞いてみた。
「ねえ、峰岸さんは好きな人とかいないの?」
「私の好きな人? ……いるよ」
いるのか! それはもしかして!
「えっと……その人はどんな人? 名前とか――」
「なーいしょ、そういう高島君はいないの? 好きな人」
内緒ですかそうですか。期待なんてこれっぽっちもしていなかったよ、誰か知らないけど果報者だ。
「……僕は……いないよ」
「……そうなんだ」
嘘だ。本当は彼女が好きなのにそんなこと口が裂けても言えなかった。
今の関係性が壊れるのが怖いんだ。だって今の関係だって奇跡みたいなバランスで成り立っているんだ、もし欲を出して亀裂が入れば修復は不可能だろう。
それでも彼女に好かれたいという気持ちが込み上げてくるのはどうしようもないんだろう。
その日は時間なので峰岸さんは帰っていき、僕はある決意をした。
翌日。僕が入ってすぐ教室がざわめく。それは徐々に広がっていく。
「誰だよあれ……」
「あんなやつウチのクラスにいた?」
僕を見て峰岸さんは駆け寄ってきて驚いた表情で問いかけてくる。
「ちょっとちょっと! どうしたの高島君! 急にイメチェンして!」
その言葉が教室の中にいる生徒全員に聞こえたんだろう。次の瞬間「高島あぁ!?」などと驚愕の声が響く。
「いやっ、昨日言ってたでしょ? それを実践してみたんだけど……」
「すごいすごい! すごくカッコいいって! ねえそうだよね!?」
髪は短く整え、眼鏡をコンタクトにした僕は切れ長の目が特徴的なイケメンの部類に入っているらしい。
峰岸さんが女友達の方に振り向きはしゃぐように同意を求める。女友達もそれに同意して何度も頷いていた。
授業の合間の休み時間、僕は峰岸さんの女友達である三日月さんに話しかけられていた。
「で? もしかして峰岸が何か言って影響されたの?」
「……そ、その通りです」
「単純だねえ」
三日月さんは気さくに話しかけてくれるが、僕はしどろもどろにしか言葉を発せない。
三日月さんだって綺麗な人だ。教室の男子の目線がこちらを向いているのが分かる、その瞳に負の感情を宿らせて。
「もしかして……峰岸狙ってる? 好きなの?」
「……そんなこと……ないよ」
「……そう」
何だろう? 何か残念そうな呟きに聞こえたのは気のせいかな?
好きだなんて言えるわけがない。言ったら最後、瞬く間にクラスに、いや学校全体に広がる。女子の噂話はどんどん拡散されていくと聞いたことがある。
僕は三日月さんと話終わった後、トイレに行きたくて廊下を歩いていた。
――そこで……見た。
階段の隅で仲睦まじそうに話している男女……峰岸さんだ。
相手の仲良さそうにしているのは同じクラスの灰坂千春君だ。この強面で筋肉質な体の灰坂君、巷では有名で……ヤクザの家系なのである。
そういえば峰岸さんから幼馴染だと聞いたことがある。仲が良いのも納得、そして同時に敗北感が訪れる。
会話の内容を隠れて聞いてしまうが……好き、告白、カッコいい、付き合いたい、そんな単語が聞こえた。内容までは聞こえなかったけど、これは告白シーンだったんだろう。
峰岸さんは好きな人がいると言っていた、つまりそれが灰坂君だったということなんだ。
「分かった」そう了承した灰坂君に峰岸さんが感謝を述べる。
そうだよ……僕なんかが……端から好きになっていい相手じゃなかったんだ。
昼休み。僕は一人で俯いてお弁当を食べていた。
悲しい。虚しい。結局カッコいいと噂されても誰も話しかけてこないし、遠目で見てくるだけだ。
「ここ、空いてるよね? 良かったら一緒に食べない?」
女子の声、それに期待して顔を上げるがそこにいたのは峰岸さんだった。
……追い打ちだ。失恋が決定したばかりの相手とご飯を食べるなんて、そう思っても僕に拒否することは出来ない。せめて友達で、そう思っているのか……それともそれすら……おこがましいか。
「空いてるよ」
そう頷くしかなかった。
「だって、二人共」
その言葉で他に誰かいることを理解し、振り向くとそこには灰坂君とその友人である杉田君がいた。
早くも同席を許した自分に後悔し始めるが、それも遅く四人で食べることになった。僕と向かい合い峰岸さんが座り、その隣には灰坂君。僕の隣には杉田君が座って食べ始める。
クラスの男子からの視線が痛い。廊下を歩いている人達からも睨まれるし。
何が悲しくて失恋相手とその恋人、さらにはその友人と食べなくてはいけないのか。心が次第に重くなっていく中、峰岸さんの透き通るような声が僕に向けて放たれた。
「はい、あーん」
驚愕。峰岸さんは僕に向けて箸で取った肉団子を差し出してくる。
それ……相手間違えてない? 隣に灰坂君がいるのに何で僕に?
食べたい……そう、思う気持ちはある。でも明らかにアウトだ、隣に恋人がいるのにそんなことに応じるわけがない。応じてしまえるのならば僕はとっくに彼女に告白しているだろう。
「……嫌、かな?」
彼女が上目遣いで見てくるが、僕は絞り出すように拒絶の意思を出した。
「……ゴメン」
泣きそうだった。こんなチャンスは二度とない、それを棒に振るなんてバカだ。
峰岸さんは困惑した表情で灰坂君を見て、灰坂君はそれにたじろいだ。二人は少し用があるとだけ言って席を外し、その場にはあまり話したことがない杉田君と僕だけが残った。
杉田君は黙々とご飯を食べており、まだ昼休みが四十分もあるというのに食べ終わった。
僕も食べ終わったのだが、その後不思議なことに僕から話しかけていた。
「ねえ、杉田君さ……あの二人のこと何か聞いてる?」
「あの二人って千春と峰岸さんのことかな?」
何で……自分から傷口を抉るんだ。
「さあ、幼馴染ってことくらいしか聞いてないかな……気になるの?」
「うん、その、仲が良いなと思って」
「だよね、あの二人は仲が良いよ。恋人とか言われても違和感ないくらいには」
その言葉が心を抉った。
「そっか……そうだ、よね」
「うん、でもそうはならないって確信が僕にはあるよ」
「え?」
杉田君は知らないだけだ、でもその根拠があるような自信ある言葉に僕は興味を惹かれた。
「だって……峰岸さんには想い人がいるから」
「想い人? それが灰坂君なんじゃ?」
「違うと思うなあ、千春じゃない。それは確かに言えるよ」
何が違うんだかさっぱり分からないよ。お似合いの二人だ、幼馴染で仲が良いなんて最高の二人じゃないか。階段で告白してた、それなのにどこが違うっていうんだ。
何も知らないっていうのは楽でいいね。真剣な顔をして話す杉田君に生意気にも僕はそう思ってしまった。
「ゴメン、僕はトイレに行ってくるよ」
僕は苛立ちと悲しみを抱えながら教室を出ていった。
その後に灰坂君と峰岸さんが戻ってきてどんなやり取りがあったのか、僕は知らない。
僕は昼休み残った時間はずっとトイレに篭っていた。
「あ、千春」
「おお、あれ? 高島は?」
「トイレだってさ」
「そっか……戻ってきたら次の作戦を……!」
「それで? 浮かない顔してどうした?」
「ああそれなんだけど……」
僕はそれから放課後まで峰岸さんのことを避けた。こんな風に関わるのを避けるなんて初めてだった。
そして僕は視聴覚室にいた……周囲を不良達に囲まれながら。
「それで? なんでまだ峰岸さんと喋ってるのかなあ?」
「それに何だその顔、イメチェンとか調子乗ってんじゃねえぞ?」
「それで更に昼休み一緒に飯食ってたよな? まああの時あーんを受けなかったのはいいんだけど、一緒に食った時点で重罪だからな」
昼休みにあの場を見たのか……! 本当にツイてない。
視聴覚室には誰も来ない。この部屋は一年に一度くらいしか使われていないのだ、この場所は完全にこの不良達のテリトリーだ。
腹を殴られる。それだけならよかったのだけど余程苛ついていたのか、今日は顔面に拳がめり込んだ。
僕は思いっきり殴り飛ばされ、唇が切れたのか血の味がする。
いつものように抵抗なんてしない。僕はこんなことをされて当然の身の程知らず……だからここでは身の程を弁えて無抵抗で殴られる。どうせ好きなだけ殴ったら勝手に帰っていくんだ……それまで我慢をすれば問題なんてない。
十五分、三人から殴られ続けて何度吐きそうになったか分からない。
しかしそんな現場に高く、透き通る声が響いた。
「何をしてるの!? 今すぐやめて!」
どうして……ここにいるんだ。
――峰岸さん!
予想外の人物の登場に不良達も慌てるが、さらにそれに追い打ちをかけるように二人の男が現れた。灰坂君と杉田君だ、何で三人がここにいるんだろう……?
「まさかマジでこんなことになってたとはなあ、よく分かったな」
「昼休みそこの不良達が睨むように見てたからね、あの場では千春がいたから何もしなかったみたいだけど放課後なら高島君は一人になる。そして何かするなら人が滅多に来ない視聴覚室、まああの不良達がここにたむろしてるのは知ってたから」
「流石だな……さてとっ、テメエ等覚悟は出来てるか?」
何者なんだ杉田君。その説明を聞き終わり、灰坂君が冷たい視線を不良達に向けて言い放った。
「選択させてやるよ、どちらかを選べ。俺にしこたま殴られるか……高島に一発ずつ殴られるかだ」
結局殴られるしかない理不尽な選択肢、不良達は当然数が少ない方、つまり僕に殴られる方を選んだ。
本当は選びたくなんてないんだろうけど、灰坂君から感じられる殺気のようなオーラが不良達を従えさせていた。
「そういうわけだ、高島……こいつら一発ずつ殴っていいぜ」
それは、ありがたいと感謝すべきなんだろうか? おそらく僕に殴らせるためにわざと選択肢なんて用意したんだろう。
殴られるのは痛い、僕は身をもって知ってる。
「いや……いいよ」
「アァ!? 何でだよ!?」
「ここで殴ったら彼等と同じになるから……いいんだ。ただその代わり……二度と僕に関わらないでほしい」
「だとさ」
「わ、分かったから! あの灰坂が後ろにいるんだ、もう関わらねえよ! チッ、行くぞお前ら!」
「あ、はい!」
「分かった!」
不良達は無様に逃げていく。僕は助けに来てくれた三人に向き直って頭を下げる。
「ありがとう、お陰で助かったよ」
「礼ならこっちに言えよ、推測とはいえお前の危機に感づいたんだからな」
「そうだね、ありがとう杉田君。それと峰岸さんも来てくれてありがとう、心配してくれたってことだよね」
「当たり前でしょ!? 知らなかったよ、こんな虐めを受けてたなんて……私が原因で」
「それは……違うよ。峰岸さんと離れようと思えばいつだって離れられた。好き好んで峰岸さんと一緒にいた僕が原因なんだ」
自分を責めている彼女にどう声を掛ければいいのか分からなかったが、僕は思うままに言葉を発した。
「……そっか、そんなボロボロにされても私と居たかった?」
あれ、これ引かれてる? でも事実そう思ったんだ……好きだから。
「うん、出来ればこれからも」
「……うん、好きなだけ一緒にいようよ」
「なんか僕らお邪魔虫みたいだよね」
「ていうか空気だな、もう帰ろうぜ……ここにいると珈琲が飲みたくなる」
それから僕達はそれぞれ家に帰った。
灰坂君はカッコよかった。あれは真似出来るものじゃない、峰岸さんが惚れてしまうのも分かる気がした。
痛みに耐えながら玄関の扉を開ければ……見慣れた靴があった。
僕は慌てて自分の部屋に向かう。当然のように、そこには峰岸さんがいた。
「峰岸さん……なんで」
「何でって、当たり前でしょ! 確かに今日は休ませてもいいんだけど、ゲームは休みながらでも出来るだらね!」
彼女は今日のことなど気にしていないように元気な声を響かせる。
「そういうことじゃなくて! ……灰坂君は、いいの……?」
「何でそこで千春が出てくるの?」
「何でって……二人は付き合ってるんだよね?」
彼氏がいるのに他の男の部屋に来るなんてバレたらマズイんじゃ……!
「はい? いやそんなことないけど!?」
「あれ?」
おかしい、二人は付き合ってる筈……筈だけど……まさか全部僕の勘違いだったってことなのか?
つまり今日、僕は一日ずっと勘違いで悩み続けてたってことなのか……?
「だいたい付き合うなら高島君がいいしなあ」
「そうだよね、そう……僕!? いや何言ってるの!?」
少し顔を赤らめてそんなことを言った峰岸さん、僕はその言葉が幻聴ではないかと疑う。
つり合わないだろう、そんな言葉は出なかった。
僕は嬉しかったんだろう、否定の言葉など出る筈もない。
「だって、恋人になるなら共通の趣味を持ってる人がいいなって……それって、親しい人だと高島君しかいないなってずっと思ってたの」
「ぼ、僕しか……?」
「私ずっと好きだったから気付いてほしかったんだけどなあ……結局自分で言わないと伝わらないものなのかもね」
ずっと好きだった? ……何で気付かなかったんだろう。
自分を過小評価しすぎていた。身の程を弁えすぎていた。いや、もしかしたら評価自体はあっていて彼女が変わり者なのか。
いずれにしろ、僕も好意を抱いている以上これはチャンスだ。灰坂君と付き合ってないと分かったしこの場に乗じて、勇気を出して告白するんだ!
僕は大きく深呼吸して息を整える。そして決意を固めて震えながら声を発する。
「あ、あのさ……僕も峰岸さんが好きで……」
「……あ、今日はマ◯オでもやろうか!」
「……うん、そうだね。これからもずっと二人でこうしてゲーム出来たらいいなあ」
「そうだね、これからもよろしくね。末永く!」
「うん……よろしく……!」
それからずっと僕達は誰にも邪魔されず……二人で時間も忘れて遊び続けた。
しばらくは……こういう関係でもいいかもしれない……そう、思った。