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08

 アレックスが眠った後、ジャックはまだリビングにいた。そっと入ってきたロボに気がついて顔を上げる。

「どうぞ」

 差し出されたのはウイスキーのロックが入ったグラスだった。精緻なカットが施されたグラスもその中身も、ジャックが手にしたことなどない高価なものだ。


「アレックス様からです。おそらくトマト煮込みのお礼のつもりかと」

「……どうも」

 ジャックはそれを受け取った。立ち去ろうとしたロボを一瞬ためらってから呼び止める。

「なにか?」

「こんな状態で良いのか?」

 ジャックはロボを見つめた。ジャックとしてはあえて感情を表出しないつもりだったが、もしかしたら苛立ちが滲んで見えてしまったかもしれない。


「確かにナイトウォッチとしては天才的なのかもしれないが、夢と夢魔の研究ばかりして、外の普通の生活を知らないなんて気の毒だ。あれだけ美人なら、男だってほっとかないだろう。まあ美人で財閥の一員なんてことになれば悪い虫とか財産狙いとか別の心配はあるかもしれないが、少なくともこんな引きこもっているよりは健全な悩みじゃないかと思うけどな」


 正直、屋敷でアレックスと初めて出会うまでは、どれだけいけすかない甘ったれた女が出てくるのかと思っていたのだ。

 確かにある意味想像以上で度肝は抜かれたが、アレックスはけして甘やかされているだけの空っぽの頭の娘ではなかった。きちんと自分が何者かを見つめていようとしている。だから人と関わろうとしない部分だけが彼女のなかでひどくいびつだ。


「今日、めちゃくちゃなことにはなったが、外に出ることに恐怖は無いんだな。ならいろんな人間と出会ったほうがいい」

 ロボは、静かにジャックを見つめていた。やがて小さな声で返す。

「ごもっとも」

「え?」

「私だってそう思います」

 ロボはジャックを見据えた。そこに怒りを感じたのは自分の思い違いだろうかと考えた瞬間に、ロボが話し始める。


「あなたに言われるまでもなく、わかっているんですよ。私のアレックス様がどれだけ美人で可愛くて、賢くて魅力的かなんてことくらいね。確かに外に出た瞬間、クズみたいな男供が群がるのは目に見えている。しかしそれは当然だから仕方ないのです。いいんです、私がお守りしますから。そんな連中、アレックス様の魅力を示す数値でしかありません、気にもしませんよ。数が多くたって全然困りません」

「……え?……あ?……ええ?お前、そんなにたくさん喋れるのか?!」

 今まで、彼の端的な言葉しか聞いたことがなかったジャックは驚く。


「当たり前ですよ。しかし私の全てはアレックス様のもの、他の人間に何かを与えるなんて、言葉の一つだって嫌です」

「ちょ、待て。お前!変だぞ?今まで気がつかなかったけど、お前も相当変だ!あんな仏頂面して、アレックスにも素っ気ない態度なのに、お前実はそんなふうに考えていたのか?こわ!」

 ジャックは唖然としてロボを上から下まで眺める。ふん、とロボは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「なあ……今日どうしてアレックスの居場所がわかったんだ?」

 あまり興味がなかったが、少し怖いもの見たさという気持ちになってきた。

「アレックス様の考えていることぐらい追えなくてどうします。まああの人が片付け下手ということが幸いしましたが。ミランダの日記の奇妙な散文にアレックス様が興味を持ったこと、デスクに開きっぱなしの五十年前と現代の地図、なくなっている小銭。まあそのあたりから察することは容易い。本当は私が迎えに行きたかったのですが、それよりはあなたのほうが適任かと判断しました」

 流暢な言葉を不気味そうに聞いていたジャックはやがてため息をついた。


「お前はアレックスを好きなのか」

「好きとかそういう問題じゃありません」

 ロボはそこでふいに笑った。

「あの人は私のものです」

「おい、お前笑顔が邪悪だぞ」

「おや、失礼いたしました」

 すっといつもの無表情にもどしてしゃあしゃあとロボは言った。


「ま、そういうことです」

「……なら、お前はアレックスをあえて他と接触しないようにしているのか?」

 もしそうならば、彼の得体の知れない心が恐ろしい。愛情じゃなくて執着だ。ジャックは始めて目にするロボの態度に驚きばかりを感じている。これに恐怖を感じないのは今まで捜査官として出会った数々の事件のお陰かもしれないと自分の仕事に感謝してしまう。

「……違いますよ。信じないかもしれませんが違います」

 ゆっくりとロボは告げた。


「だから別にあなたを邪険にしないでしょう?」

「どういうことだ?」

「アレックス様を外に連れ出してくれて、悪意を感じない人間には私も寛大だということです」

「なら外に出る事は」

「望んでいますよ。アレックス様は人間です。たしかにナイトウォッチとしては強大な力を持っていますが、ただの若い娘なんですよ。外に出て、他の若い娘と恋の話をして未来を語って、デザートをばくばく食べながらダイエットの相談でもしていれば良いんです。歌って踊って、まあそこそこ出来が良さそうな男と恋愛でもすればいい」

「じゃあ」

 そう言ってやれ、という言葉をジャックは飲み込んだ。


 ロボがどれほどにアレックスを大事に思っているかはわかってしまった。彼のアレックスを自分のものにしておきたいという野心も本物だろう。だがそれを押し殺してアレックスの普通の娘としての幸福を祈っている。

 彼がそれをしないのは理由があるからだ。


「あなたはナイトウォッチについては何も知らない」

「どういうことだ」

 ロボは星のない夜のような黒い瞳でジャックを見ていた。見れば見るほど整った造作だと思う。まるで人間ではないようだ。

「人は、自分自身が夢に何を託すか知らないんです」

「夢は夢だろ」

「そこには呪詛と執着が満ちている」

 ロボの言葉を理解できない。


「旧本国のナイトウォッチギルドなら知っていることも、この新しい国の人間は忘れてしまっている。かわいそうなアレックス様。彼女がもしナイトウォッチとなるのなら、先達もないこの国で一人で切り開かねばならないのです。旧本国ですら今となっては稀少なナイトウォッチの苦悩なんて誰も知らない」

「お前は何を言っているんだ?」

 ロボはジャックを眺めてくる。その涼しげな瞳に逆に観察されているようで、落ち着かない気分になる。


「こんな事件がありました」

 ロボは語りはじめた。

「アレックス様のお父上には弟君がおられました。とても優しくて親切な男性でした。兄弟仲は良く、彼も兄の子供たちを可愛がっていました」

 ロックハート財閥総帥にそんな兄弟がいたと聞いたことがあるだろうかと思う。確か名前くらいは聞いたことがあるが表舞台には殆どでてこないはずだ。

「アレックス様も大変慕っておられました。二人で出かけたことも数え切れません」

 そして、その日が来たのだとロボは言う。


 ロックハート家の屋敷で、叔父は昼寝をしていた。その時アレックスはまだ五歳。それでも彼女の魔眼は美しく光り輝いていた。

 他人の夢に入るということを試したくて仕方なかった時の話だ。ソファで寝ている叔父を見てアレックスは彼の夢に入ってみることを思いついた。

アレックスを連れて動物園や水族館、映画に出かけていった彼だ、きっと楽しい夢を見ているのだろうと。大人が近くに入れば止めただろうが、その時不運なことに居間にはアレックスとその叔父しかいなかった。

夢に潜る方法だって、まだ正式に教わっていなかったのに、アレックスはその優秀さで自然と理解してしまっていた。


「屋敷のものが気がついたときには、アレックス様は目を見開いて倒れていたそうです。以後何も語らずただ生きている状態でした。もちろん彼女のお祖母様はナイトウォッチですから夢魔の存在を疑いました。でも関係なかった」

「じゃあなんで」

「ただ、ショックだったのでしょう」

 ロボはそこで言葉を切る、語ると決めてきたのだろうが、やはりためらっているかのように。


「二年ぐらい、アレックス様はなにも語られませんでした。食事こそ取るものの、あまり眠りもしない。もちろん言葉もなく感情の表出もない。ご家族様の嘆きようときたら」

「なにが原因だったのか、今ならわかるんだな」

「……少しだけアレックス様がその時見たものを語ってくれたことがあります。まれに、そのことについて口を開くときがあるので……火と血を見たのよ、と」


「火と血?」

「今まで語ってくださったことを総合しますと、状況は思い浮かびます。アレックス様は夢の中で自分たち一家にすさまじい怒りを抱えている叔父上を見つけてしまったようなのです」

「怒り……」

「叔父上にアレックス様は殺されたそうです」

「どういう……」

「叔父上は兄の家族とは仲が良かった。でも心の奥底では兄とその家族に対して怒りを感じていたということです」


 ロボもその詳細はまだ知らないのか。ジャックは漠然と想像してみる。大好きな叔父さんが夢の中で自分達家族を憎んで殺しているのを見てしまったら。

 たった五歳で。


「その叔父はどうしたんだ?」

「彼もなにも語りませんでした。でも彼自身には思うところがあったのでしょう。一族を去ったそうです。もし彼が去らなければ、アレックス様の心の傷も浅くて済んだかもしれません」

「傷って」

「自分の力が他人を傷つけた」

 ジャックもロボの次の言葉を続けられないくらい重い話だった。ジャックは無言でウイスキーを口に運ぶ。ただ、ロボが部屋から出て行かないところをみると、話はまだ終わっていないのだろう。


「いろんなものを抱えているんだな」

 言えたのはそんな凡庸な言葉だけだ。

「でもアレックスはもう二度とそんなことをしたがらないだろう?」

「そうですね。だからこそ私はあの人になにも言えない。人との距離を適切にとって、普通の娘として幸せになれとも、腕を磨き心を鍛えて力あるナイトウォッチになれとも言えません。どちらが幸せかなんて私にもわかりませんから」

 ジャックの言葉にロボもあっさり同意した。叔父の心を知ってしまったがゆえに、彼を追放してしまったアレックスは人の心など読むまい。ナイトウォッチとして自分が在ることも、まだ恐れているに違いないからだ。


「ここに留まるのが一番なのもわからなくもないな……」

 自分が口に出した言葉に違和感を覚えた。それならどうしてと疑問が浮かぶ。

「どうして彼女は中央捜査局の窮地に興味を示したんだ?」

「なんでそんなこともわからないんですか。いいですか、ジャック・ドネリー捜査官」

 あきれた声でロボは言う。

「アレックス様はまだ子供なんですよ。まだ自分を信じることができるんです」

 そうか、とジャックは気がついた。

 だからアレックスは澱んでいないのだ。



 まだリビングからは人の気配がうっすら漂ってきている。きっとジャックが起きていて仕事をしているのだろう。

 とりあえず寝ろ、ああ、その前で風呂だ。、うちの裏庭の野良猫より汚い!またばっちくなりやがって!とジャックが大騒ぎして、最終的に否応無しにベッドに放り込まれてしまった。


 うまく眠れないのはミランダの夢のことを考えて気が高ぶっているからだ。資料を読み日記を辿る。ミランダを輪郭がはっきりしてくるほどに楽しくなってくる。人の気持ちを知るのは怖いはずなのに、それよりも高揚感があるのはナイトウォッチとしてのさがだろうか。


 ダリル叔父のことをアレックスは考える。思い出す必要などないくらい、いつだって考えているのだ。

 彼のことを憎んだり恨んだりしていない。逆に申し訳なく思うくらいだ。

 ロックハート財閥は彼の兄である自分の父が受け継ぐことにずっと前から決まっていたのだという。長子であり、優秀で、正妻の子であれば特に問題ない。ダリルも優秀であったようだが所詮次男だ。ただ可能性はあったのかもしれない。可能性は期待を呼ぶ。


「ロックハート財閥の総帥なんて興味は無いよ。荷が重いし」

 けろっとした顔でそういっていたダリル叔父の真意なんて五歳の自分にはわからなかった。ただ、彼は優しい叔父様であった。自分がもっと大人だったら、彼の悔しさを理解できたのだろうか。幸福な兄一家を見て、なにを考えていたのか、そこにある暗い炎に気がつけただろうか。

 でも終わった話だ。


 労せず、というわけではもちろんないが、あたりまえのように総帥の立場を手に入れた兄と、それを当然と思っているその子どもたちに対して彼は妬みを抱いていた。

 抱いていただけだ。

 彼はきちんとそれを自覚し抑制して隠し、忠実な腹心として兄を支え、甥姪にも優しく親切であり続けた。一瞬そんな考えがよぎったとしても、自分が兄に取って代わろうなどと考えてもいなかったに違いない。誰だって人を妬むことくらいあるのだ。

 彼は完璧だったのに、それを壊してしまったのは幼稚な自分。


 ダリルは、アレックスの様子がおかしくなったことに自分の内心が関わっていることを認めないわけにはいかなかったのだろう。優しく聡い男だった。

 父も自分の弟を問い詰めたに違いない。可哀想な兄弟。


 二人の間にどんな話し合いがあったのかはアレックスも知らない。祖母の献身的な治療で、アレックスが言葉を取り戻したのは二年後だ。そのときにはダリルは一族の中にはいなかった。父に聞いても彼の居場所は教えてもらえない。

 いや、自分に彼の行方を知りたいという気持ちが足りないだけだ。


 怖いから。


 夢の中でしかなかった彼の憎しみは、今はもう現実になってしまっているかもしれないと思うと怖くて探せない。

 アレックスは自分が五歳のあの時のまま立ち止まっていることを知っている。でもそれではいけないと思った。

 このままでもいいと祖母ケイトは言ってくれたけどそれが本心でないことくらいアレックにはもちろんわかっている。家族はこのままでも仕方ないと考えている。ロックハート財閥はアレックスが何も貢献しなくてもまったく揺らがないだろう。全ての選択肢を与えられてアレックスは逆に身動きができないくらいだ。

 ケイトが死んでもアレックスは変わらないでそのままこの屋敷から出なかった。ロボと静かに暮らそうと思っていたのだが。


 ロボに関わる大事なことをアレックスは知ってしまった。このままではいつか必ずロボを失うことになってしまう。どうして彼が今までそれを言わなかったのかはわからない。祖母ケイトも何故か言わなかった。祖母が亡くなってから独学で夢魔やナイトウォッチについて調べていなければきっとわからないままだっただろう。


 ロボのために。


 でもそれは口実なのかもしれない。自分自身もいつまでもこの場所の留まることにうんざりしていた。

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