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ジャックは足早に屋敷に入り込んだ。
ガラスが割れていた部屋の床には靴の跡が色濃く残っている。ざっと眺めて三種類ほどの足跡を見分けた。屋敷の人間達はどうしているだろうかと考えるが、今は夕刻だ。庭師と女中はすでに帰宅している時間だと気が付き、それだけ安堵した。巻き込まれる人間は少ないほうがいい。
部屋から廊下に顔を出すと、二階に上る階段の辺りに人影が見えた。
「そうか、あいつらはアレックスが今どの部屋にいるのか知らないんだな」
ジャックは拳銃を握りなおした。一瞬息を詰めて、それから廊下に飛び出した。一気に廊下を駆け抜け、振り返ったその男に飛びかかった。持っていた拳銃で顎を狙って殴り飛ばす。がつんという硬い音がして男が床に転がった。低いうめき声を無視して、ジャックはもう一度拳を腹に叩き込んだ。
何か無いかとあたりを見回し、カーテンのタッセルを引きちぎる勢いで手にした。それで男の両手を縛り上げる。
かつんという音に顔を上げれば、階段の上に、また別の男が立っていた。ジャックも一瞬気後れするような大男だ。唸り声を上げ、男は階段から落ちてくるような勢いでジャックに飛びかかってきた。逃げきれず、男の左腕に弾き飛ばされる。
床に倒れこんだところを圧し掛かられそうになって慌てて床を転がって避ける。勢いで拳銃が床を滑っていったのはその時だ。
「しまった……!」
手放したそれに飛びつこうとした瞬間、耳が痛くなるような銃声がして、耳の横の床に穴が開いた。漂う硝煙の匂いにぞっとする。
ジャックは息を飲むまもなく、腹筋をつかって勢いよく飛び起きた。低い姿勢のままその大男の足に体当たりするように飛びついた。男は短い悲鳴を上げる。重心を低くしたジャックのタックルに男はバランスを崩してしりもちをついた。しかし男の握っている拳銃が引き金を引かれ、また銃声が耳を打った。庭に面した窓がひび割れ弾けるように飛び散った。
「こんなところに銃なんか持ち込みやがって!」
ジャックは銃を持つ腕の関節に拳を打ち込む。関節にダメージを食らって大男は大きな声で叫んだ。もしかしたら骨が砕けたかもしれないが、過剰と考える余裕は無かった。男も腕を上げて、ジャックの肩口を突き飛ばした。それだけでもじんじんと打たれた場所が激しく痛み、痺れが走った。馬鹿力!と罵る。
ジャックは男から離れようとしたが、今度は男がジャックの足をつかんだ。そのままジャックは床に胸から叩きつけられる。衝撃で息が出来ない。
「くっ……そ……」
ジャックは身を反転させて、男の腹に頭突きをした。今度は男がひっくり返り、ジャックをつかんでいた手が外れる。倒れこみながら床を転がってジャックは今度こそ、手放した銃を拾い上げた。流れるように引いた引き金は、きちんと仕事して、弾丸を男の肩口に撃ち込んだ。
響く銃声にジャックは舌打ちする。なにかあったことが仲間にこれでばれる。急がなければ。
大男は、うわあと叫びのた打ち回っているが、起き上がる気にはなれないようだった。
「ロボ!」
怒鳴ってみたがあの男が出てくる様子はない。ジャックは仕方なく、今度は自分のネクタイを引き抜いて男の手を背中側で縛り上げた。手際よく二人を片付けたが、不快感にジャックは顔に手を当てた。出ている鼻血を手の甲で拭うと、ジャックは廊下の向こうを見た。
あれは、とジャックは考えるまもなく走り始めていた。
三人目の男が、アレックスの作業部屋のドアの前に立っていたのだ。
「待て!」
そう叫んでジャックは走り出した。長い廊下がこれほど憎いこともない。男の左手にはすでに構えられた拳銃がある。
そして男の右手がドアノブをつかんだ。
アレックスが思い出さなくてよかった、と思うことがロボには一つある。
かっとなってやってしまったが、あれはまずかった。少々大人げなかった。
ミランダの屋敷の図書室で契約を完了させた時のことだ。あれにはもう少しだけ続きがある。
「……ロボ」
アレックスが彼の名をかすれた声で言った。
あー、これは怒り出すな、と予感した。確かにアレックスの気持ちを無視して契約してしまったわけだから、絶対怒るに違いない。
しかし自分は悪くない、とロボは逆に腹立たしい。
アレックスは自分のものだし、自分は彼女のものなのに。それを少しだけ具体化しただけだ。なんで怒られなければならないのだ。まあ怒ったところで可愛いだけですけど。
しかどうせ怒られるのなら。
ええい、この際だ、とロボは怒り出す寸前のアレックスの顎をつかんだ。ぎょっとしたアレックスが息を飲んだ瞬間に彼は脚立から身を乗り出して、アレックスの額に口付けた。
火事場泥棒、と罵られたが、はいその通りです、間違いありません。
だってキスしたかったんだから仕方ない、盗まれるほうが悪い。
と全然良心の呵責もなかったが、顔を離してみればアレックスは真っ赤な顔をしていて、そして彼女は動揺のあまり、ふわーっとバランスを崩して、脚立から落ちた。後から本が何冊もアレックスの上に降り注いだ。
さすがにそれをみて、まずい、と思って慌てて脚立から飛び降りたのだった。記憶の混乱で、アレックスはその時のことを忘れてしまっている。契約までは思い出したが、その後のことについては、どうやらまだ忘れているらしい。
さてどうしたものかと考える。
自分から言うのはどうかと思うし、かといってアレックスが後で思い出しても面倒なことになりそうだ。
今のところ、ロボの考える最善の策は、「一回のキスぐらいどうでも良くなっちゃうくらいアレックスにキスする」なのだが。
まあこれからナイトウォッチとしていろいろ学ぶことが多く忙しいからきっと思い出さないだろうなと思っている。
……それはそれで少し残念。
アレックスの耳に銃声が飛び込んできた。
え、と飛び起きる。
まだ現実世界に馴染んでいないアレックスの目に飛び込んできたのは、閉ざされていたはずのケイトの仕事部屋の扉が開き、そこに立っている男の姿だった。見たことの無いその男は血走った目でアレックスを睨みつけている。彼の持つ銃はまっすぐアレックスを捉えていた。
「どうい……」
つぶやこうとしたその横目にロボがアレックスを庇おうと飛び出してくるのが見えた。男の指が引き金に力をかけるのを妙にゆっくりはっきりとアレックスは認識していた。
が、次の瞬間、響いた銃声は男のものではなかった。男の拳銃がふいに弾き飛ばされ床に落ちる重い音が続く。次の弾丸は男の足に当たったのか苦悶の声をあげて男が床に伏した。その男に飛びかかったのは急に姿を現したジャックだった。ジャックは床に落ちた相手の銃を蹴り飛ばす。
扉の小さな視界越しに見る一幕にアレックスは唖然とする。そして彼女を抱え込んだロボも呆然としていた。
アレックス達は後で知ることになるそのクーパーの仲間を床にねじ伏せて、ジャックはアレックス達を見た。
「まあ仕方ないな」
息を切らせてジャックは言う。
「寝ているときというのはみな無防備だ」
「……何が起きたのかわからないけど、確かにその通りね」
ミランダが、ディクソンが、そして中央捜査局の二人のナイトウォッチが、目覚める気配がした。




