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 翌日は早朝から屋敷に中央捜査局の人間が十人ほど出入りしていた。知らない人に会うのが嫌なのよ、と胸を張ったアレックスはその間書斎にこもりっきりであり、実質対応したのはロボとジャックだった。


 捜査局の人間は、ロックハートやアレックスに興味津々な者と、ナイトウォッチを不気味に思っているのか及び腰の者の二極化だったが、用事が終わると皆一端表に出て撤収の準備を始めている。午後になり、かつてはケイトの……今はアレックスのものである仕事部屋に、ついに役者がそろった。

 今回の標的ミランダ・エイムズ。そして巻き込まれた中央捜査局ナイトウォッチ二人。彼らは並んでベッドに横たわっている。そして人がいなくなったのを見計らって出てきたアレックス。中央捜査官としてジャックだけが残り部屋の壁に寄りかかって様子を見ていた。ふとジャックはピアノの横にある奇妙な物体を指差す。


「あれはなんだ?」

 巨大なコーヒーサイフォンのようにも見える装置だ。

 上部に球体のガラスがついている。蓋があるので球体は開くのだろう。下部では長い管が下方に向かって伸びている。途中につまみのある管の切れる先には何故か鈴が山ほどついていた。一番下には半円のガラス球が受け皿のようにあった。

「一番上に水を入れる」

 アレックスはそれだけ言って、ジャックを見た。それから彼はナイトウォッチの仕事に詳しくないと思い出す。淡々と説明を追加した。


「水は管を伝って降りて、鈴を鳴らして下に落ちる。鈴の数も変えられるしつまみで水の落ちる速さと強さも調節できる」

「……で、何に使うんだ」

「ナイトウォッチは標的の夢に入る際、関係者の意識を同調させる必要がある。身体に共通の刺激を与えることで夢を共有できるから。わたしはこの鈴の一定の音で同調させようかと思う」

「なあ、そのピアノは」

「祖母はピアノ演奏者を雇っていたみたい。香りを使う人もいる。でも香りはその濃度を安定させるのが難しそうだったし、わたしにはピアノ演奏者で信頼できる知り合いがいない。だから装置を作ったの」

 アレックスはちりんと指で鳴らした。


「どうやって夢に潜るんだ?」

「わたしが眠ることで、一定範囲で眠っている人間は影響を受けるわ。ジャックもここにいたければいてもいいけど、眠らないでね。わたしの影響を受けてミランダの夢に引きずり込まれてしまうから」

「おっかないな」

「そうね。できれば屋敷からも離れていて欲しいくらいだわ」

「それなら俺は一度皆と一緒に局に戻ろうかと思うが。呼ばれているんだ」

「いいわよ」

 アレックスはあっさりと答えた。


 アレックスは用意しておいた水差しからその奇怪な装置に水を注いだ。どんなものかしら、とアレックスはその様子を眺める。何回か実験して動きに不安は無いが万が一ということもある。ゆっくりと管を伸びてきた水は、張力でしばらく管の先に張り付いていたがやがて一滴目が落ちた。

 ちりん。

 さほど大きくない音で鈴がなる。

「おお、鳴った」

 ジャックが楽しそうに言った。それにかぶさるようにちりんちりんと音が鳴る。


「なあ、これってレコードじゃだめなのか?」

「夢に潜る時間は結構長いから……」

「ああ、そうか……」

 ジャックは頷いた。

「アレックスは基本的に一人で全てこなすつもりでいろいろ考えているんだな」

「……そうかも」

 ナイトウォッチは結局眠っている間は無防備だ。その状態を任せられるほど信頼できる人物とまだ知り合っていない。

「誰かと信頼できる相手と出会えると良いな」

 ジャックはさらっと言った。それは彼にとってはただの世間話のようなものだったのかもしれないが、アレックスにとっては祈りにも似た励ましの言葉だった。ちりんとまた鈴が鳴る。彼女がそれに答える言葉を捜す前に、ジャックは別の話題を出してしまった。


「で、はじめるのか?」

「あ、うん」

 アレックスはすっかりただの荷物置き場と化してしまっているピアノに向かった。そこからトレイに乗った何かを持ってくる。それは錠剤と水だった。

「これをわたしが飲んで、ミランダと目を合わせる」

「そうするとどうなるんだ?」

「潜行開始」


 この薬はナイトウォッチの最初の武器だ。寒冷地のとある樹木の実からこの薬効を見つけることで、人は夢魔に反撃する術を手にした。最初は煎じ薬、そして精製して粉薬に。

 アレックスはこの苦さが大嫌いなので、自分用に錠剤に変更してみた。祖母はまあそんなことまで考えて、と驚いていたがより快適にしたいと願うのはアレックスだけでなく人々の性質だ。そのうち発表するべきかとも思う。

 アレックスはためらう事無くその錠剤をぽんと口に放り込んだ。


「え、これで始まり」

「薬が効いたら」

「何か呪文とか、魔法陣とか」

「そんなものないわ」

 もっと派手な始まりを想像していたジャックは拍子抜けしたような顔をしていた。そう夢に潜る時は、現実世界は地味なものなのだ。ただ夢の中は……。


「ちょっとまて、ディクソン前総監は誰が連れて行くんだ」

「ロボが」

 示されたロボは淡々とジャックに告げる。

「ディクソン前総監は客間にいらっしゃいます。準備が整い次第と思いました。心臓の調子がいまひとつだそうですので、使う薬は短いほうがよろしいかと」

「だってお前はナイトウォッチじゃないんだろう?」

 そう尋ねたジャックの表情に浮かんだものがアレックスには手に取るようにわかった。

 執事というには若すぎる、それなのにケイトを知っている、そしてナイトウォッチの仕事の一端までできるこいつは何者だ?ジャックの目はそう語っている。


 説明するのは別に良いけど、もうちょっと眠くなってきちゃった。


 眠り薬も兼ねているこれが効いてこないうちにとアレックスはミランダのベッドに向かった。途中で一度ジャックを振り返る。

「そろそろ出て行ったほうがいいわよ」

「……了解」

 ジャックは中折帽を手にするがまだアレックスを見ている。ミランダのベッドに腰掛けて体をねじったアレックスはじゃあねとあっさり手を振る。そしてミランダのまぶたを軽く上に押さえ、彼女の瞳を覗き込んだ。ちりんちりんと規則正しい鈴の音が耳に届く。

「……あなたの目の色は緑色なのね」

 何とはなしに呟いたアレックスはその老女の瞳を自分の目に焼き付けた。これほど意識して人の目を覗き込むのは始めてだ。


 瞳を入り口にして彼らの夢に、そして心に道を繋げる。ミランダの瞳が海面のようにさざめいて見える。その奥の、深い深い、藍のような黒。自分の魔眼がぱっと花開くように輝くのが見えるはずもないのに良くわかった。ミランダの夢と繋がったのだ。

「……眠い」

 アレックスはミランダの横のベッドにごろんと横になった。小さな猫のようにやわらかく身を丸める。

「もっとのびのび寝ろ」

 ジャックの呼びかけが聞こえたような気がするが、それに返事をしたのかもう定かでは無い。ただ、ロボとジャックの会話が最後に聞こえる。


「…なあロボ、お前は何者だ?」

「アレックス様から話を聞いていませんか?」

 おやとアレックスはロボの次の言葉を予想して驚く。それを言うとは、よほどジャックを気に入ったのだろう。ロボの次の言葉はアレックスの耳にかろうじて届くがその瞬間には彼女は眠りに落ちていた。

「私はロックハート家の武器です」



 ロボとジャックは一緒に一端部屋を出た。

「武器って、お前どうみても人間だけど?」

 ジャックが疑わし気に自分を眺めているのを自覚しながらロボは相変わらずの無表情で答えた。

「申し訳ありませんが事情を説明している時間はありませんので」

「おい、アレックスは……」

「私がなんとかするので心配御無用です」

 一礼してジャックを置き去りに客間に向かう。


 アレックスがミランダを助けてこちらに戻ってこられるのかどうか、そんなことは不安にすら思わない。できるに決まっている。アレックスが何に自信がなくてなにを恐れているのか、ロボにはわかりかねるときもある。彼女は何一つ恐れるものなどないのに。

「あ、そうか」

 ふいにアレックスが恐れているものの正体がわかる。

 ロボ自身だ。正確には自分がロボの主人であれるかどうかということに対する漠然とした不安。


「アレックス様は妙なところで頭が悪い」

 短く呟いてから客間の扉を開けた。

「ディクソン様、そろそろ」

 だがロボの言葉は途中で飲み込まれた。客間ではその分厚い絨毯の上にディクソンがうずくまっていたのだ。苦しげに胸を押さえている。脇にはグラスが転がっていた。

「ディクソン様!?」

 そういえば、アレックスから彼は持病があるらしいことを聞いていた。しかしこのタイミングで発作がおきるとは。駆け寄って彼の肩を支えて起こし、椅子に座らせる。テーブルに散らばっていた錠剤を見つけた。


「大丈夫ですか?」

「時々発作がね」

 かすれる声でディクソンは言った。ロボが差し出した錠剤を震える手に受ける。それを口に放り込むのを見て、ロボはグラスに水差しから水を注いだ。発作の薬を喉に流し込んでディクソンは深いため息をついた。

「……迷惑を掛けたね」

「いいえ。ですが」

「潜行に付き合うのはやめたほうがいい?」

 ディクソンはロボを見つめた。ロボは短く同意を示す。


「僭越ですが」

「冗談じゃない」

「ですが」

「……このままでは後悔を一つ残して人生が終わってしまう。すこしだけ休んだら必ず行きます」

 まだ息苦しさを残した声音だが、ディクソンのその言葉にはロボが何か言うことを許されない強さがあった。

「後悔のない人生はないのでは?」

 かろうじてそれだけ口に乗せる。


「この後悔は他のものと重みが違います。私は成すべきことを成さなかった。その代わりとして社会に貢献して、それで満足するはずだった。でもね、代わりで済むことと済まないことがあるんです」

「迷わないんですね」

 そういってディクソンに杖を差し出した。彼も穏やかに微笑みながら受けとる。

「君の主人も私を信じてくれた。間違いなく私の助力が必要であろうとも。あんな若い娘さんに信頼させてその期待に応えなかったら、なんのための年寄りかという話です」

 ディクソンの言葉にロボは言葉を返せない。


「若い者によく言うことがあります。あなたは若くないが言いましょう」

 ディクソンは急にまた穏やかな表情を取り戻す。

「いつでも言える、いつでもできる、そう思って実現できなかったことは自分の呪いになりますよ。気をつけて」

 年長者の忠告と一般論にするにはその言葉はあまりにもロボに痛かった。

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