3 ベルナード伯ウェイン・ロスガルド
ここはエルガリア王国。
アステラシア北方に位置する、通称騎士の国だ。
北西には古代より神々が住まうとされ、信仰の対象にもなっている神々の山脈をいただき、北東は限りなく広がる大草原と接している。
大草原には蛮勇を誇る騎馬民族が住まい、度々国境を侵し、略奪を働く彼らの蛮行は、エルガリア最大の悩みでもあった。
彼ら騎馬民族の戦功の基準は、打ち取った敵の数。正確に言えば、打ち取った敵から切り取った耳の数で決まる。
これはかつて、アステラシア全土で流行したらしいが、現在は各国の王により禁止がされている。
続けているのは辺境の蛮族たち。あるいは法に縛られない傭兵団の奴らくらいだ。
俺たちがそんなことをしたら、たちまち騎士の称号を剥奪されてしまうだろう。
まあ、そんな騎馬民族の奴らだが、最近は大人しく、国境を侵すことも少ない。
これは、長らく騎馬部族連合を率いていた蛮族王、ボンマシャルが討ち取られたことが大きい。
ちなみに、ボンマシャルを討ち取ったのは俺。
北方にもたらされた平和は、俺の功績ってことなのさ。
▽
我が名はウェイン・ロスガルド。今年で三十路に入る。
エルガリア王国の正騎士にて、ベルナード伯。
ボンマシャルを討ち取った北方戦線の英雄だ。
現在は、王都にて国王の近衛従士を務め、業務は多忙。
我が家、ベルナード城へ帰還するのも3ヶ月ぶりだった。
この後は、国王の南方視察へ付き従わなければならず、休暇は十日も無い。
まあ、有り難いことだ。国王の信任が厚いわけだからな。
妻は、かつて王都で花に例えられるほどの美女であったエリーザ。
彼女との間には、これまた可愛いアルフィンという七歳の息子もできている。
四十を手前に近衛従士を引退し、家督をアルフィンに譲ったら、その後はエリーザと静かな余生を暮らしたい。
今はそんな夢を抱いている。
まさに順風満帆な我が人生。
だが、そんな俺にも悩みはある。
仕事が忙しくて、なかなか家族に会えないこと。
家に帰れば帰ったで、とあるメイドの誘惑が酷いこと。
息子が内向的で、やや引きこもりがちなこと。
まあ、他にもあるんだが、その辺はまたおいおい話そうか。
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帰還した翌日、俺は日課である剣の型を行い、家族とともに朝食を取ると、馬車で出掛けるエリーザとアルフィンを見送った。
今日は、麓の街にある書店に、書籍が入荷する日なんだとか。
アルフィンは、外で遊ぶよりも、部屋に籠って本を読むことが好きらしい。
すでに読み書き、算術あたりは大人顔負けにできるとか。
親としては嬉しい反面、少し複雑な思いもある。
俺が子供の頃はその真逆、勉強なんぞ大嫌いだったもんだが、妻に似たのだろうか。
まあ、勉強が好きなのは良いことだ。いずれ騎士学校でも習うこと。その予習と思えばいい。
そんなことを考えつつ、執務机に座る。
ここは領主の執務室。壁に並んだ鹿や狐など、数々の剥製は先代領主、つまり俺の親父の趣味である。
さらに、本棚のいちばん上段を見て欲しい。あそこに並んでいるのは、実はポルノ小説。もちろんカバーは変えてある。
俺じゃない。やはり親父の趣味だ。若い頃、夜こっそり自室に持ち出して、お世話になった思い出はあるけどね。
そう言えば、本に目覚めたアルフィンが、ここの書籍を読みたいと言っていたが、あの上段だけはダメだな。後でどこかに隠しておかねばなるまい。七歳の子供には早すぎる。
そして俺の脇に、机を並べて座る男、彼の名はガイアン・ロスガルド。親父の趣味………という訳では無い。俺の腹違いの弟だ。
黒髪に黒眼、昔はよく似た兄弟だと、周囲に言われたものだ。
だが成長するにつれ、自分と同じ人間が居るってのは、何だか気持ち悪いということに気付いてくる。
今では黒髪を短く刈り込み、立派な口髭をたくわえ、立派な武人っぽい男になっていた。
もはや見た目年齢は、完全に向こうが上だ。オッサンだ。
この前、それをからかってやったら、ムスっとしてたよ。
ちなみにロスガルド姓を継いでいる者はもう一人いる。
年の離れた弟で、正騎士に叙任されたのを機に、どこかの部隊に配属された。
あれからもう、長年会っていないな。まあ、ここで話すことでも無いか。
先代、うちの親父は戦場では豪傑、しかしプライベートでは好色漢、つまりは女たらしだった。
元は貴族では無く、どこかの家の騎士見習いだったらしいが、戦場での目覚ましい活躍を認められ、正騎士に叙任される。
そして、女ひとりとなり、断絶寸前だったロスガルド家の娘と結婚するわけだ。つまり俺の母親だな。
いわゆる政略結婚。よくあることさ。
そして当然、俺が生まれてすぐに、母はその寵愛を失った。
側室を迎え、弟ガイアンが生まれる。当たり前だが、母は面白くない。家庭の雰囲気は悪くなる。
すると今度はあちこちに妾を囲い始めた。さらに好みの女をメイドに雇い入れ、愛人のように扱う………
やりたい放題だな。
エリーザと結婚する前に亡くなってくれて、本当に良かったと思っている。
あの助平親父じゃ、本当に妻を寝取りかねない。
そんなんだから、親父の落胤は、けっこうあちこちに居たりするらしい。
ここベルナード城にも、未だに親父の子供を名乗る奴らが、時々訪れたりする。
だけど全部追い返しているよ。本当かどうかわからないし、いちいち応対してはキリが無い。
おっと、何だか回想が長くなってしまったな。
仕事に戻ろうか。
▽
俺が不在の間、領主代行をやっているのはガイアンだ。
どうでもいいような案件は、その時、彼の権限で処理してしまっている。その方が効率が良い。
現在、俺の机の上に積まれた書類は、ガイアンが抽出した、重要と思われる案件だった。
ちなみに、俺たちは兄弟、他の奴らが居なければ、会話は当然タメ口である。
俺は、書類を手に取り、目を通し始める。
そして、ふと、思い付いたようにガイアンに尋ねた。
「ここへ来る途中、街に寄ったんだが、ずいぶんパンの値段が上がっていたな」
「大丈夫だ。市場に出回っていないだけで、在庫は十分にある。商人どもも、いずれ売り時が来れば倉庫を開くだろうよ」
「市民が暴動を起こすような事態は避けてくれよ」
「問題ない。表向きの理由は、昨夏の冷害の影響による小麦の不作としている。市民にはわからんさ」
「なるほどな。まあ、お前のことだから、抜かりは無いんだろうがな」
「無論だ。もしも市民の不満が爆発しそうになったら、俺から商人に働きかける。それに、いずれ利益が出れば、ここへ………な」
(利益の一部は、城へ流れるようになっているってことか………)
俺はふぅ、と小さなため息をつくと、足を組み換え、手元の書類をぺらりとめくる。
領主という職業に、癒着ってやつは付き物だ。否定はしない。
だが、俺はあまり、進んでそういった不正をしようとは思わなかった。
一方、ガイアンは利益のためであれば、むしろ進んでそういった不正に手を染めるきらいがある。
領地経営における、方向性の違いってところだろうか。
(まあ、それに助けられたことも、多々あるわけだが………な)
考えようによっては、俺のために、自ら汚れ役を買ってくれているとも言える。
それに、ガイアンは優秀だ。政治面は無論のこと、剣の腕も俺より立つ。
俺が王都で安心して働けるのは、彼が領地経営を万全にサポートしてくれているからでもあった。
俺は手に持った書類を、ぱさっと机に置く。
「何か不備があったか?」
「いや、完璧だ。俺が言うことは何も無い。このままお前の考えどおり進めてくれ」
「そうか。良かった」
そこで、ガイアンの仏頂面に、初めて笑みが浮かんだ。
何だ。緊張でもしてたのか?
俺とお前の仲だ。不備があっても怒りはしないよ。
本当に、武骨な男だな。
昔から固いところはあったが、ここまでじゃなかった。
もっとにこやかに笑えて………まあ、子供だったせいもあるが。
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そこでふと、名案が思い浮かんだ。
「なあ、ガイアン、お前んとこの息子はいくつになる?」
「エランか。今年で八つだ」
ガイアンの結婚は俺よりも早く、それを機に城を出て、麓の街に館を建てて暮らしている。
俺は別に、あのまま城に居ても良いと思っていたんだが、当主は当主、臣下は臣下と、しっかり区別しなければならないものらしい。
そして奴には三人の子供がいた。男・女・女だったはず。そして長男は確かアルフィンと同い年くらいだったのを思い出したのだ。
「勉学はどうしてる? 家庭教師か、それとも学校か?」
「今のところ読み書きは侍女だ。剣術は俺が教えている。そうだな、そろそろ家庭教師でも………」
「そ・れ・な・らっ!」
俺はぐいっとガイアンの顔を覗き込み、奴の言葉を遮って叫んだ。
………まずい、思わず唾がかかってしまった。
だが、ガイアンは微動だにせず、表情を変えない。
全く何て奴だ。俺も気付かないふりをしよう。
「王都から一流の家庭教師を呼ぶ。そしてアルフィンと一緒に勉強させよう。そうだな、剣術は俺とお前が教えれば十分だ。どうだ、いい考えだろう?」
「………ああ、そうだな。兄上さえ良ければ」
「良いに決まってるだろう。俺にはお前がいてくれた。アルフィンにも同年代の友達が必要だ。思い出せよ、木剣を持って野山を駆け回ったあの日々を!」
「そういえば、野犬に追いかけられて、木に登ったはいいが下りられず、小便をもらした奴がいたな」
「ちょ、おま、それは………」
こいつ、何てことを思い出させやがるんだ。
こうなったら、こっちも………
「ああ~~そういえば………、そういえば! そういえば~~~?」
だが、必死にガイアンの恥ずかしい思い出を探すが、なかなか出てこない。
そういえば、こいつ、昔から抜け目がない奴だったなぁ………。
「親父の金をくすねて見つかって………!」
「見つかったのは兄上だ。俺も連帯責任で鞭を食らったがね」
「メイドの入浴を覗いて………!」
「あれも鼻血を出して、思わず叫んだのは兄上だ。しばらく俺まで侍女たちから白い目で見られた」
「親父のポルノ小説をカピカピにして………」
「俺のところに、兄上から回ってきた時にはもう、一番盛り上がる場面のページがくっついていたな」
「………」
もう何も言えねぇ。
俺はキリッとした顔でガイアンを見つめると、おもむろに両手を上げた。
もう降参、お手上げって意味だ。
「すまん、その節は迷惑をかけた」
そのセリフに、思わず顔を真っ赤にして、吹き出すガイアン。
くそ、唾がかかったぞ。まあ、さっきのとお相子にしてやるか。
バカ笑いを見せるのが恥ずかしいのか、そのまま背を向け、うずくまる。
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あ、何か咳込んでいる。大丈夫か?
別に俺たちの仲だ。笑い顔くらい、見せてもいいだろうに。
まあ、大人になると、それぞれのプライド………みたいなものが出てくるのかな?
アルフィン、お前も良い友達を作って、色々な思い出を作れよ!
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