0 プロローグ
三十二歳童貞ニートが異世界に転生し、新たな人生を歩んでいく小説を読んだら死にたくなった。
ニートなめんな。童貞なめんな。こちとらアラフォーだっての。
三十二歳童貞ニートなど、とっくにブチ抜いて、さらなる高みへと絶賛上昇中だっつー話だった。
しかしあれだな、異世界転生ってやつが、こんだけ世の中にあふれてるってことは………
俺みたいに、生まれ変わってやり直したいって奴、けっこういるんだな。
おお、同士よ! 心の友よ!
書籍化おめでとう! どこの誰かも知らないけど!
俺も一回死んで、異世界に転生したいぜ!
でも、なるべくに楽に、苦しまずに死にたいもんだぜ。
それにはいったい、どうすればいいんだぜ?
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やっぱり死ぬのは保留だぜ?
ならば俺も、異世界に転生する夢想小説でも書いて、現実逃避でもしようかとPCに向かうが、それは自分の文才の無さを痛感するだけだった。
気が付けば、有名どころのウェブ小説を読み漁り、すでに時間は午前三時を回っている。
ああ、最高だよ。最高だよあんたら。
もしも異世界に転生できたら、いや異世界じゃなくてもいい。
もう一度、生まれ変わって、このクソみたいな人生をやり直せるなら………。
パソコンの電源を落とした瞬間、クソみたいな現実が、一気に俺に襲ってきた。
真っ黒なモニターに映る、冴えない太った中年男。
はい。どう見ても俺の顔です。ありがとうございました。
立ち上がれば、そこは異臭が漂う、足の踏み場もないゴミ屋敷。
思わず涙がこみ上げる。
窓を開け、叫びたい気持ちを必死にこらえた。何故なら、今日の昼間警察が来て注意されたからだ。
どうやら、夜な夜な発する俺の奇声を聞いたご近所さんが、警察に通報したらしい。
ちくしょう、奇声を発する自由すら無いのかよ。この国は!
………セイ、セイ、セイ、言うな。わかってる。悪いのは俺なんだ。
ゴミクズ以下の存在の俺なんだよ。
………うん、やっぱり死んじゃおうかな。
両親はすでに他界している。
止める者は誰もいない。
おもむろに立ち上がる。その先には、真っ暗な窓ガラスに映る自分の姿。
ふと、ラップっぽい踊りをしたい欲求に駆られた。
やりたい時に、やりたい事をやる。
叫べないなら踊ってやるぜ。
俺は腹の贅肉を揺らし、踊り始める。
ラップは無論、自己流だ。
「ズッチャカチャカチャッ、GO! 逝けYO!」
「チャカチャカチャッ、YOU、逝っちゃいなYO!」
「……だが断るッ!」
ビシッとポーズを決めて停止した。
うむ、70点ってところかな。
久しぶりの運動だったぜ。
暖房フル全開の部屋でやると、少し暑いんだぜ。
額ににじんだ汗をぬぐい、PCの前に座りなおすと、俺は考えた。
死ぬにしても、痛いのは嫌だ。苦しいのも嫌だ。
ならば楽に死ねる方法を───と、ネットで検索したが、死の恐怖を感じるのも嫌だった。
………死ぬのはやめだ。もう少し生きるか。
そして俺は、何かを思い出したように立ち上がると、巨体を揺らし、小走りでタンスに駆け寄った。
引き出しを開け、血走った眼で、そこにある通帳を凝視する。
そうだ、もしも俺が死んだら、この金は誰の物になる?
あの、俺を見捨てた、憎らしい姉貴の物になるのか!?
冗談じゃねえ。それだけは嫌だ。
これは俺の金だ。誰にも渡さねえ!
特にあのクソ姉貴には、びた一文、何も渡したくねぇ!
………いや、全部親の遺産で、俺が稼いだ物なんざ、1円も無いんですけどね。
それでも嫌なものは嫌なんだよ!
そうだ、まだ相当な残高がある。
ある意味、この数字が、俺の生命のタイムリミットだ。
そう考えると、けっこうな時間があるじゃないか。死ぬのはまだ早い。
死なない理由が見つかり、ほっとした途端、ぐぅ……、と腹が鳴った。
そういえば食料が底を尽きている。買い出しに行くとしよう。
俺は何事も無かったかのようにジャンパーに袖を通すと、玄関を開ける。
2月早朝の、強烈な寒波が、一気に流れ込んできた。
「ふひぃ……」
フードを目深にかぶる。外はまだ真っ暗だ。
コンビニまでは歩いて五分。道路に点々と設置された外灯が、俺の行く先を照らす。
ひきこもりにとっては、外出するのに定番の時間だった。
当然それは、他人との接触を、極力抑えられるからである。
加えて、この時間帯にいる店員は、冴えない中年男1名であることを知っていた。
……ククッ、あいつ、独身で彼女も定職も無いんだろうな。
などと考え、一方的に親近感を覚えたりしている。
いや、プライベートな会話など、一度もしたこと無いんだけどね。
それに、たとえバイトだろうと、仕事をしている時点で、あいつのほうが圧倒的にこちらより格上だ。
でも、いいじゃないか。
何か迷惑をかけてるわけじゃない。ただ、俺が勝手に思ってるだけなんだし。
ああ、そうさ。俺は仲間が欲しいんだよ。
クズはあなた一人じゃないのよ。他にもこんなにお仲間がいるのよ……って誰かに言って欲しいのさ。
ピロピロリ~ン、ピロピロリ~ン♪
軽快な音楽とともに、自動ドアが開く。
入った瞬間、視界に入るチョコレートやら、ハートマークやら。
(くそが! バレンタイン死ねッ!)
その、むせかえるバレンタイン臭に嫌悪感を覚える。
加えて、今日の店員は、茶髪のリア充っぽい若者であった。
「らっしゃぁ~せー」
こちらに目線もくれず、百%やる気なさそうな声。
(ちっ、何て日だッ!)
今日の運勢は最悪か!? 早々に買い物をして、家に帰ってしまおう。
家に帰ればバレンタインもクソもない。何の抑揚も無いひきこもりライフがまた始まるさ。
「ありあッざ~したーッ」
やる気の無い声に見送られつつ、店を出る。
両手には、食料品が詰め込まれ、パンパンになったレジ袋。
ちくしょう、今日は飲料を買い過ぎた。筋力がヤバいぜ。
俺は若干ふらつきながら、歩道を行く。
郊外の主要道路のせいか、この時間はよく、トラックが通行していた。
また1台、遠くから近付くヘッドライト。
早朝からお仕事、お疲れ様でーっす。俺は帰って飯食ってクソして寝ますけどね。
それは俺にとって、ごく日常の光景だった。
だが、日常と非日常は紙一重───、とでもいうのであろうか。
その数秒後、俺の前には、非日常の光景が広がることとなる。
脇道からす───っと、パジャマ姿の老人が出てきたのだ。
反射的に、心臓が、ビクリと波打った。
恐らくは八〇代くらい、ほぼ禿げ上がった白髪頭に、ズボンからはみ出た半ケツ。
そのじじいはプルプルと震えながら、さながらゾンビのように、ヘッドライトの前へと進んでゆく。
もう、おじいちゃんったら、今夜も徘徊しちゃって~!
などと冗談が言える暇もなく、俺の足が止まった。
そういえば、交通事故から女子高生を救って、異世界に転移する小説があったっけな。
俺が考えたのは、まずそれだった。じじいを救おうとは、微塵も考えなかった。
女子高生とじじいでは、圧倒的にその存在価値が違う。
俺の命を賭して救う価値など、あのじじいには無い!
いや、たとえあれが女子高生であったとしても、俺の足は動かなかっただろう。
そうです。俺はクズです。残念でしたー。
そう考えているうちにも、トラックはじじいに迫りつつあった。
俺自身、非日常の光景を目の当たりにし、脳みそが活性化されたのか、その光景が、やたらとスローモーションに見えている。
運転手は俺と同年代と思しき、金髪の中年DQN、顔をひきつらせ、車内で何かを叫んでいる。
じじいの歩みは止まらない。思わず拝みたくなるような、菩薩っぽい尊い表情をしていた。
運転手はクラクションを鳴らす暇もなく、必死の形相でハンドルを切る。
それは良い判断だった。クラクションを聞いても、あのじじいはきっと止まらなかっただろうから。
だが、結果としてその判断が、俺の命を奪う。
キキーッと鳴るスリップ音。
トラックは、じじいの鼻先をかすめ、道路右前方の歩道へと迫り来た。
───そうだ、俺の方へだ。
圧倒的なヘッドライトの光量に照らし出される俺。
そのまばゆい光に、思わず俺はあの世への扉が開かれたような錯覚を覚えた。
動こうと思えば、動けたのかもしれない。
だが、俺は動かなかった。まるでそれを望むかのように、その場に立ち止まる。
そして体中に蓄積された贅肉が、一気に弾け飛ぶ感覚。
恐怖を感じる暇もなく、俺は死を悟った。
車体とブロック塀にサンドイッチされる俺。
フロントガラスに顔面をめり込ませた俺は最後、DQNと顔を合わせる。
(なんか、すまん………)
白目をむいて気絶しているDQNを見て、ふとそんな気持ちが湧き起こる。
普段の俺ならば、絶対にそんな事は思わない。
俺の心はいたって安らかであった。
そうだ、俺はずっとこれを望んでいたんだ。
痛くも、苦しくもなく、恐怖すら感じる暇がない理想の死に方………。
俺の意識は闇へと沈む。
その口元には、わずかな笑みが浮かんでいたかもしれない。
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