9)紀元前400万年
「ぐわっ!」
いきなり目の前をスポットライトで照らされたかのような強烈な光。堪らず目をつむるが、それでも視界が白一色に塗りつぶされた。
「て、テル。太陽だよ、太陽。お日様だよぉ」
サクラの叫び声にゆっくりと目を開く。
「うぁっ! なんだこりゃ!」
照りつける強烈な陽光に目をくらまし、その強さで目の奥が痛くなった。
さきほどまでぽっかり浮かんでいた三日月が消え去り、瞬間に真昼間に切り替わったんだ。視力だけでなく意識まで奪われそうだ。
「あ、暑い……」
感覚がおかしかった。暗かったり眩しかったり、寒いだの暑いだの、もうムチャクチャだ。
月を消し去った太陽は、俺の真上から脳天を焦がす勢いで照りつけていた。そして大気が異様に蒸し暑い。
「これは奇怪なっ!」
鎧姿の野武士も信じられない光景に凝然とし、陽の光を浴びながら叫んだ。
男がそういう態度を取るのも、じゅうぶんに理解できる。こっちだって同じように叫びたい。
いやもうさっき叫んでいたし……。
「説明せよ! どういうことだ。夜が明けておるぞ」
いきなり俺の胸倉を掴みあげると、ぐいっと引き寄せられた。
「くっ、苦しい、おっさん手を離せ。俺だって理解不能だ」
頭領はゴミのように俺をポイッと捨てると、周りの景色に視線を切り替え、
「ここはどこだ?」
ゆっくりと首をひねって辺りを探った。
額を手で覆い、背伸びをして、
「解せぬぞ」
戸惑いと驚きにまみれた複雑な顔をして遠方へ視線を巡らせた。
山の木々が一変していた。熱帯雨林でしか見ることができない大きなシダが密生したジャングル。椰子の木を連想させる巨大な葉が垂れ下がり、ありとあらゆるツタの類が絡まり鬱蒼としていた。
茂みの奥は陽が浸透せず、薄暗くさえも見える。そしてその地表を背の低い名も知らぬ見たことも無い草木がびっしりと覆っていた。
俺たちはその中にぽっかりと空いた広場に立ち尽くして茫然自失状態だ。広さは円形に約50メートル。児童公園ほどだ。その空間内だけは時間が狂った気配はない。焚き火が未だに勢いを落とさずパチパチと爆ぜているからだ。
「何だこれは! 暑い……」
男は着ていた鎧を脱ぎ捨て、上半身の着物を後ろへ大きく捲くり開けた。スリムなイチとは対照的に筋骨隆々の腕と肩が現れ、鍛え上げられた筋肉は俺が見ても惚れ惚れしそうだった。
しばらくその筋肉を羨ましそうに眺めていたサクラが、視線を外してこっちへ振った。
「テル、ここってどこ?」
「俺に訊かれても……」
ここがどこかと聞かれても即答はできないが、大雑把な状況は読める。これで二度目だ。
「あの霧なのね……」
鈍いサクラでさえも感づいたようだ。
乾燥した石像みたいな白い顔をクルミへと向ける忍者野郎に訊く。
「またタイムスリップしたんだ……そうだろイチ?」
愛想の欠片も無い無表情忍者コスプレ野郎は、切れ長の細い目を瞬いてみせた。
「たぃ……む……すぅりっぷ……?」
野武士のおっさんはヒゲ面の顔を傾け、生まれて初めて耳にした言葉に怪訝な様子。
「お主ら、さっきから面妖な言葉を発するが、何のことだ?」
陽に焼けた野生的な面立ちは、意外と若々しく引きしまった肌をしていた。カツラでもない本物の生チョンマゲに目を奪われながら、
「あの子の……制御の利かない能力だ……」
「能力?」
野武士は納得いかないものの、俺の視線に釣られて、好奇心に満ちた瞳を地面にしゃがみ込むクルミへ向けた。
「お人形……さん……」
俺たちをロストワールドみたいなところへ送り込んだ当の本人は、人形をきゅっと抱きしめたまま、まだ子供みたいにグズグズと泣いていた。
「クルミちゃん。人形見せて……」
「サクラさん。お人形さん、怪我しましたよぉ」
悲しげに泣き顔を持ち上げるクルミ。涙で濡れた頬を手の甲で拭い、サクラへ差し出した。
「心配しないで、ちゃんと直してあげるから」
サクラも地面にしゃがみ込み、ボロボロになった人形を裏返したり袖をめくってみたり、首をかしげたり、クルミはサクラに寄り添い、負傷兵の回復を一心に願う白衣の天使並みに真剣な眼差しで、サクラの指の動きを追っていた。
「とりあえず、こっちは晩飯の準備をする」
俺に対しては無表情で無愛想なくせに、女連中には優しげな視線を送る、このムッツリスケベ忍者は何事もなかったように宣言した。
おいおい。こんな強い日差しの下で『晩飯』なんて言葉おかしいだろ。
「まだ晩飯を食っていない」
この状況でよくそんなことが言えるな、と焦ってみるが、それを無視して俺の腹がぐーと鳴る。
そうだ。あの小川の流れる森で口に入れた非常食が昼食だったんだ。そりゃ腹もへるはずだ。
つまり、長年連れ添ってきた胃袋が同意するところをみると、変わったのは俺たちではなく、回りの景色のほうで。となると──やばいことになった。それは日本、いや世界、いやいやいや宇宙のほうが変わっちまったということだ。
イチは焚き火の横に腰を落とすと、テツが銜えてきた山鳥の調理を再開し、その銀狼は人形の修繕作業を始めた女性二人の横で、愛犬のようにお座り状態。さっきまで野武士の連中を睨みつけていた険しい形相は消え去り、穏やかさを取り戻した眼光と柔和な表情は、まったく別種の生き物のように、柔らかく優しい光りで満ちていた。
「お。おい……。なんでお前らそんなのんびりムードでいられるんだ?」
俺だけが一人、ひどく焦っていた。
ここはいままでとは違う宇宙なんだ。あ。同じか……だが時代が違う。距離の問題でなく時間が異なっているってどういうことだ?
いくら歩いたって、元いた場所にはたどり着けないじゃないか。
いや違うぞ、時間の差が数年なら大丈夫だ。例えば去年とか。それなら家に帰ることは可能だ。
まてまて、そうなると過去の俺が存在するじゃねえか。いや、サクラだって二人になる。どっちのサクラを相手にしなきゃいけないんだ?
学校はどうなる?
俺と、もうひとりの俺との出席番号はどうなんるんだ。同姓同名だぞ。やっぱここはあれか、後から現れた俺が偽名を使わなければいけないのか。
あれ。過去の俺と出会うことになるのなら、今の俺にもその記憶があってもいいじゃないか。
でもねえぞ。ということはここは近い過去ではないのか?
──あぁぁ。何が何だか解らなくなってきた。
耐え切れず声を荒げる。
「俺たちは宇宙規模の遭難者なんだ。それなりの……」
「あたしたち遭難してるの?」
ほんと人の話を聞かないヤツだ。
「自分の所在が解らないんだぞ。そういうのを、」
「先に晩飯だ……」
「そうね。おなかすいたもん」
おい、人の話を聞けってんだ。サクラとその分身野郎。お前らまったく同じ性格してんな。
「テツがいる限り、迷うことは有り得ない」
「お前、俺と初めて会った時、『道に迷った』って言ってたじゃないか……」
「………………………………」
「ほらみろ。都合悪くなるとそれだ……サクラの生き写しだぜ」
ヤツはつんと尖った顎を突き出して黙り込んだが、こっちの胸中は穏やかではなかった。この光景を見れば解かる。とんでもない時間に移動したんだということが。ここはどう見たって日本じゃない。もし日本なら俺の知る時代ではない。
「さあ白状しろ。ここはどこなんだよ?」
さっきまで広がっていた見慣れた針葉樹や広葉樹の木々が混立する光景は一変して、南米のジャングルとそう変わらない景色。いやジャングルでも見たことも無い、鱗に似た樹皮に覆われた植物や、逆さにしたクラゲみたいにユラユラと空に向かって触手を広げたヤツ。あれは動物なのか、植物なのか?
ついでに言うと、今度は無骨な野武士の頭領まで引き連れて移動したのだ。
おっさんは険しい顔をしたまま、槍みたいな鋭い視線で周りを見渡していた。
テツがそいつの臭いを嗅ぐように、鼻先をすんすんさせて近づく。それに気づいて瞬間身構えるが、狼に敵意が無いと判断すると、無視して再びジャングルに目を向け丸太のような腕を組んだ。
野武士の長になるほどの男だ、度胸は誰よりもあるようだ。がっしりとした下半身と引きしまった上半身は、頑強の極みと言えそうな体格だった。そして腰には長い日本刀と硬そうな鎧のパーツがぶら下げていた。
「なぁ……。あの男どうする?」
横目でちらりと野武士を示してから、鳥の腹を開いているイチへ視線を戻す。
相変わらずみごとなナイフ捌きで、ヤツは手を止めることなく言葉だけを返してきた。
「この世界に置いて行くわけにはいかない」
「人道的にそうだよな」
今度はぱたりと手を止め、細長い目を焚き火の中央へ遣るイチ。フェーザー光線で火力を上げる気か、と思うような目だった。
「それがしの世界から見れば人間ごときの倫理など、どうでもいい」
「きつい言葉だな。じゃあ、なんで連れ帰るんだよ。放っておけばいいだろ」
今度はその目で俺を睨み、自信たっぷりに言い切った。
「時間規則を守るためだ」
燃え上がることはなかったが、やけに頭の中が熱かった。
「なんだそりゃ?」
込み入った話になりそうだったので、俺も焚き火の前に腰を落とそうとして飛び退いた。
「あっちいなぁ」
考えたらここは焚き火が恋しくなる季節ではない。できれば近寄りたくない蒸し暑さだ。
炎を避けて草の生えた荒地に座る。地面は硬くがっしりとしていた。
秋の気配が漂う北陸の山中から、いったいどこへ連れて来られたんだろう?
強烈に射し込む日差しを手で遮って空を仰いでみた。青空に白い雲が浮ぶだけのありきたりの景色だが、あきらかに季節は秋ではない。
ぐるりと見渡したが、シダのジャングルに囲まれた山の中というぐらいで、ここがどこかという決め手になるモノは無かった。強いて言えば、太陽の光が力強くギラギラとパワフルな感じがする。行ったことは無いが、赤道直下の南の島ってこんな感じかと想起するほどだ。
「サクラ殿とオマエに忠告しておく」
こら忍者野郎!
「なんでサクラは敬称付きで、俺は雑なんだ」
「それがし……基本、男は嫌いだ」
「はっ、俺もそうだ」
イチはにやりとして見せて、
「意見が一致した」
そして黙り込み、
「……………………」
そのまま炎を見つめて沈黙を続けた。
「……それで? 時間規則って何だよ」
マジでこいつはサクラと同じ種類のバカだな。俺から話題を振らないと脱線して座礁するあたり、さすがあいつの潜在意識から生まれただけのことはある。サクラまんまのコピーだ。
──そのワリに難しそうな話を始める。
「過去を変えると未来が変化する、と言うのは理解できるか?」
いくらか声のトーンを上げたので、人形の修繕作業をしていたサクラの耳にも届いたのだろう。彼女もそれを中断してこちらへ丸い目を向けた。
「なんか人を小馬鹿にした物の言いだな。それぐらいSF系のアニメや映画を見ていりゃ常識だろ」
「なら話は簡単だ。その時代の重要な生命体を我々は消去してはならない」
「消去って?」とサクラ。
「殺めることだ。そなたはそれを実行しようとした」
サクラは少し考えたのち、照れくさそうに肩をすくめて修繕作業に戻った。
バカめ。人を傷つけたかもしれないのに、なんだその緩んだ顔は、自分がやったことがどれほど大変な結果を招いたかもしれないのに……。
その姿をぼんやり眺めていて、やっと気づいた。
「そうだよな。サクラがあのおっさんを挑発して、事がもっと大きくなっていたら、今ごろどうなっていたか……。考えれば恐ろしいことだな」
「そうだ。サクラ殿の腕を持ってすれば、あんな野武士など相手ではない。簡単に勝負はついていただろう。しかしそれは時の流れを乱すことになる。そうなると元の状態に修復できるかどうか、考えるだけでも恐ろしいことだ。だからそれを防ぐためにやむなく取った緊急的な処置だ」
「緊急処置に俺たちも付き合わされたのかよ」
「当たり前だ。この宇宙を守るためだ」
「おいおい。でかい話になってきたな」
「過去を変えるということは因果の逆転、あるいは混乱だ。ヘタをすると宇宙が爆縮を起こす」
馬鹿のサクラから生まれた忍者野郎のくせに、やたらと難しい話をしやがる。しかし言っているコトの意味は解る。
「もしあの野武士たちが死んじまったら……未来が変化しちまうよな。あれから先どんな人と影響しあって歴史が進むのか知らんが、それがすべて消えるんだ」
自分で口にした言葉の重要性に気づき、急激に寒気が背中を走った。
人間って、善人であろうが悪人であろうが、死ぬまでには、世間に多大な影響を与えながら、時を流れていく行くんだ。
例えば誰かにひとこと告げたことがきっかけで、相手が大きく変貌するようなことだってあるだろう。そのきっかけがなくなると、その人の人生まで変わってしまうのだ。となると、その人が別の人に与える影響も消え、連鎖的にそれは広がっていく。それが宇宙の果てまで広がっていく、とイチは言った……のか?
「ちょっと待て。あのおっさんはどうなるんだ。一緒に連れて来て……。未来が変わるじゃないか」
「………………………………」
出た──。都合悪くなると黙る作戦だ。
「なぜ連れて来たんだ。おっさんはあの時代で、何かやらかす人間だったのかもしれないだろ」
イチは目をつむりしばらく黙り込んでいたが、諦めたのか大きく息を吸い込み、
「連れてきたからには……何か意味がおありのことなんだ」
「お前がやったんじゃないのか?」
「それがしの力では大勢引き連れて時間を飛べぬし、時の理に触れることはできぬ」
「誰がやったんだ……まさかクルミか?」
俺の予想に反して、イチは首を振った。
「誰なんだよ?」
「……皇后様だ」
「わたしの、かぁさまです」
人形の修繕作業を中断して、サクラとクルミが顔を寄せ合い、こちらをうかがっていた。四つの丸い瞳が俺とイチを見つめている。
「お母さん?」
サクラは丸い目を隣に向けて、クルミはそれへと元気にうなずき、
「あの人を連れてきたのは、かぁさまの詔です」
時を操る少女の澄んだ黒い瞳は、俺たちの向こうで背を向けた男をちらりと見てから、再びサクラの手元へと戻った。
「なに言ってんのか、意味分からんぜ……」
「──そのうち解る」
イチもキザっぽく前髪を跳ね上げ、調理が終わった鶏肉に太い木の枝を突き刺し、焚き火の縁に立てた。
それにしてもこの肉は何の鳥なんだろう。昨日食べたキジではないのは解かる。カモだろうか。それは丸々と太っていて美味そうだった。
ヤツは懐から例の塩が入った紙包みをひらげてしばらく眺めていたが、ふっと白い顔を上げ、俺に向かって呆れたことを言った。
「今夜は照り焼きにしたいのだが、醤油と砂糖を持っていたら、それがしに少し分けてくれぬか?」
「………………………………」
忍者のクセに料理にバリエーションを加えたい、などと、非常識なことをほざかれて、ぽかんとした俺の向こうでは、仁王立ちのまま身動きひとつしない野武士の頑強な姿が見える。まさか時間族の緊急的処置で、俺たちと一緒に時間を飛ばされたとは、あのおっさんも思いつかないだろう。
それからしばらくシダのジャングルの奥を睨みつけていたが、ずかずかとこちらに歩み寄り、火を囲んで座っていた俺たちを見下ろすと、ぐぉぉんと怖い目を向けた。
「説明を求める。ワシの手下はどこへ行った? それに馬がみんな逃げてしまったぞ」
意外と冷静でしっかりした口調だった。
イチは俺に目配せをして説明しろと促した。
何で俺なんだ?
相変わらず上から目線の野郎だ。でも、なぜか従ってしまうのは、こいつのどこかにサクラの気配を感じるからだろうか。
「仲間の人らは無事だ。向こうの時間で今ごろあんたを探しているだろう」
「向こうの時間? いなくなったのはワシのほうだと言うのか?」
ガラガラと鎧の下半身をうるさく鳴らし、頭領が俺の対面に胡座をかいて腰を落とした。
「そうだ。俺たちと一緒に、タイム……」
途中で口ごもった。英語はまずいだろうな。
「え~と……ようするに、暦を移動したんだ」
「どれほどだ」
「それは……」
そうだな。どれぐらいの時間を飛んだんだ。それも未来へか、過去へか?
「 ……おい忍者。どうなんだ?」
イチの顔をうかがっていると、先に野武士が口走った。
「この雰囲気では、相当な未来か過去であろうな」
うーん。意外と理解力があるな、このおっさん。
そしてイチが感情の「か」の字も面に出さずにこう言った。
「約400万年前だ!」