8)野武士の頭領
晩御飯も済んで、焚き火を囲んでプラネタリウムで見たことのある夜空よりも澄み渡った星を眺めて、サクラと共に感嘆の息を吐いていた時だった。忽然と銀狼が頭をもたげ、闇の一点を睨んだ。
一拍空けたテツは、ぐいっと巨体を立ち上げ、クンクンと鼻を鳴らしてから唸りを上げた。
「どうしたんだ?」
「訪問者のようだ」
無表情な面持ちで、イチもスリムな体を立ち起こすと、テツと同じ、廃村となった集落のほうを睨みつけた。
「あっ」
すぐに妙な違和感を肌に覚えた。ぴりぴりとした空気が皮膚を撫でてくる。
しばらくして遠くから腹に響く低い音が伝わってきた。
「何だろ?」
「馬の蹄だ」
冷然と告げるイチの声に、ワケ分からず強張っていると、すぐに俺たちは馬に乗った集団に囲まれた。
馬の嘶きと、蹄が土を打ち鳴らす乾燥した低音の連打。そしてまだ興奮が冷めず、ぶるぶるという鼻を鳴らす巨体を制する掛け声。それに加えて怒声のような荒々しい声が響く。
「若頭の鼻は確かだぜ。こんなところで火を焚いてやがった!」
俺たちを取り囲んだのは馬にまたがった五人の男。一見して、ザ・荒くれ者。自己紹介なんて必要が無い。はっきりと言ってゴロツキだ。少し遅れてやって来たガタイの良い無頼漢へ向かって、
「若頭。やっぱり人ですぜ。ひゃはははー」
頭の悪そうな口調で馬から飛び降りると、若頭と呼ばれた男が乗る馬の轡を握り、それを静めさせた。
「どぉどぅ、どぉぉぉ」
体をしならせて手綱を引くと、そいつも馬から飛び降りる。ガチャガチャと体につけた鎧をうるさく鳴らして、焚き火の前で仁王立ちになった。
「ようこそいらっしゃいました」
ワイシャツ一丁の白い手を広げて、すべてを受け入れるような体勢で迎えるクルミ。不気味な空気を押し返す無邪気な仕草は、逆に連中を強張らせた。
遅れて来た男に手綱を返すと、無骨な態度で俺たちを一瞥した。
「なんだ、こいつら? 変なカッコしてやがんな」
刀を抜こうとする男の前に、テツが鼻にシワを寄せて激しく唸り寄る。
「うわっ! この連中、オオカミ連れてやがる。若頭っ! こいつらタダもんじゃねえですぜ!」
馬の上から半壊した鎧をガシャガシャ言わせて、一人の男がわめいた。連中の格好は完全な鎧姿ではなく、上半身だけを包んだ者や、手足だけに防具をつけた者もいた。
「おい、忍びもいるぜっ!」
その声を合図に、他の男たちも一斉に刀に手を掛けた。イチが対峙すべく、背中の日本刀へ手を出そうとした、寸前。
「抜くな!」
ひと際、頑強そうな体を直立させて片手を水平に上げた人物。それは若頭と呼ばれていた男だった。
「へ、へい」
五人のゴロツキはその命に従い、素直に刀から手を離すとそれぞれに馬から下りた。
見るからに時代めいた格好の連中だが、近くで映画の撮影をしていて、俺たちが誤ってそこへ紛れ込んだのだと説明されてもまだ納得できた。だが次の刹那、誰かが放した言葉が俺の脳髄を激しく揺さぶることになる。
「うひょ~。女が二人だ。こりゃ高く売れますぜ」
眉をひそめたくなるような二十一世紀ではあり得ない言葉だ。それを聞いた途端、ここが戦国時代だと言っていたイチのセリフが、いきなり現実味を帯びてきて、俺の意識に警鐘を鳴らした。
ところが──。
「誰だ今言ったヤツ!」
耳に沁みる聞きやすいバリトンの声、若頭だ。
声はいいが、滲み出す雰囲気は辺りを凍らせる。
男は抑圧する眼光を伴った、とてつもなく恐ろしい視線で声のしたほうを射すくめた。
瞬時に静まり返った草原を圧し潰すように数歩進むと、男は野太い声で言う。
「ワシらは武士だ! 山賊でも盗賊でもない。義を忘れ元の流浪の身に戻りたい奴はさっさと去れ! そしてワシの前に二度と現れるな。それを破ったヤツは、」
ギラリと一同を剣呑な視線で睨みつけ、一拍切って短い言葉を投げつけた。
「その場で、たたっ切る!」
それはもの凄まじいまでの威圧感。サクラのそれどころではない。圧倒的な強さを内面から噴き出している。
大勢の男が群れて騒然とした空気にもかかわらず、抜けて通る風に踊らされた枯れ草の乾いた音と、焚き火の爆ぜる音しか耳に入ってこなかった。
ここで謀反を起こそうなどと思うヤツはまずいないだろう。それほどにこの男が持つ眼光には驚愕に匹敵するまでの自信に満ちた光があふれていた。恐怖や脅しという力で群れを束ねるのではない、ある意味、そうそれは不思議な魅力だった。
「そ……そんなつもりは毛頭ねえぜ。すんません」
刀だけは立派だが、ボロギレのような衣服とガラクタのような鎧を纏ったゴロツキたちは、圧せられ、おとなしく数歩下がった。
男は組んでいた太い腕をほどき、風を巻き起こすような勢いで俺たちへ体を旋回させると、
「お前らはここで何をしておるのだ?」
この男がこの団体のリーダーだというのは、その堂々とした態度と、みなぎるオーラに包まれた自信あふれる行動を見れば一目瞭然だ。この時代なら頭領と呼ぶんだろうな。
そいつが研ぎ澄まされた日本刀のような鋭い眼光を放ち、さらに俺たちに一歩迫った。
間髪を入れずこっちのリーダー、イチが前に出る。って、いつからこいつがリーダーになったんだ?
「気に入らぬのならオマエへ譲るが?」
「いえ、けっこうでございます」
さっさと引き下がる俺。
向こうの頭領とイチが対峙し、その背後に荒くれ者五人が控えていた。それに対してこっちは女子二名と、男子高校生一名、そして犬が一匹。
……なんだこの取り合わせ?
頭領はヒゲ面をゴシゴシ擦り、興味深そうに俺たちを観察していた。
焚き火の明かりに揺らされて、その面立ちがよく見える。若頭と呼ばれるだけに、ヒゲがなければ意外と若々しい張りのある肌をしていた。その野生的で精悍な顔が焚き火の炎で赤く照らされていた。
細面のイケメン顔を自慢げに……かどうかは知らないが、イチは相手に負けない鋭利な視線で、ぐいっと睨みつけ、
「我々は旅の者だ。今日はここで野宿をしている」
おいおい。忍者姿で旅の者はおかしいだろ。
我慢できず、胸中で突っ込む。
「幼女と女を連れて忍びの者が……どこかの姫君でも逃そうってのじゃないのか」
思ったとおり、対峙していた男が片眉をひそめた。
後ろで控えた連中が一斉に顔を見合わせる。鎧の硬い音が草原を響き渡った。
「あなたたち野武士ね! 覚悟しなさい。成敗してあげるわ」
バ、バカか! 藪から棒にいきなり喧嘩売るヤツがあるか!
「なんだと、この女!」
ほらみろ~~。
中で最も馬鹿っぽい男が刀を抜いてサクラに飛び掛かってきた。──が、彼女の敵ではなかった。振りかぶる刀を紙一重でしゅらりとかわして、男の腕を引っつかむと、ぐにゅーんとひねった。俺がよく掛けられる技だ。相手の力を利用してひねり回すヤツだ。
女だと思って舐めていたのか、本気でマヌケなのかは知らないが。そいつは濡れたボロタオルを回転させたように空中で舞うと、どしんと背中から落下。サクラの手の中には、相手から奪い取った日本刀が握られていた。
あぁ。このまま意識を失くして、何もかも忘れたい。そしたらどれだけ楽だろう……。
サクラは奪い取った刀を、今まさに上段に構えようとしていた。
過去の光景が目の前によみがえった。この後サクラは風みたいに舞ったのだ。中学生といっても、校内一でかい連中を何人も相手にして全員をボコッったんだ。
「ば、ば、ば…………」
セリフは最後まで言葉にならず、呼吸音に変わっていた。あの時と状況が非常に似ている。
「女では無理だ!」
イチも手を出して止めるが、
「村人の仇っ!」
構えやがった。
馬鹿サクラ……。
事が大きくなるだけじゃないか。バ……カ……ヤロめ……。
俺はサクラのブレーキ係りとしてひどく焦った。ここは本気の戦国時代。学生どうしの喧嘩とはワケが違う。女相手に怯むヤツなど誰一人としていない。
俺の懸念は現実のものとなり、機敏な動きでゴロツキ連中が俺たちを取り囲み、金属音を連発させた。
「ほ、ほら見ろ! やべぇぜ」
全員が刀を抜いたのだ。
それを受けてテツが唸りを上げ姿勢を低くし、イチが肩越しに刀の柄に手を掛け強張った。その後ろで俺、超ビビりまくる。
だが恐怖心を出してはいけない。クルミが消えちまう。そうするとこの連中をもっと緊迫させてしまう。この時代に、いやどの時代であっても、人間が消失するなどあり得ない現象だ。
ここはひとつ冷静になって深呼吸だ──。
「さ、サクラ。刀を戻せ。俺たち子供に適う相手じゃない」
ヤツはぎんっと怖い顔をして、
「なによ。いつもは大人だとか言っておきながら、こういうときは子供になるの?」
「違う。子供の喧嘩では済まされないという意味だ」
「子供の喧嘩かどうか、試してみないと分からないわよ」
「バカヤロ。相手は刃物持ってんだ。意味わかるだろ? それともお前はそんなにバカなのかよ」
「うるさーい!」
俺たちの痴話喧嘩的な言い争いが連中の緊張を緩めたのか、角ばった顔の男が構えを解くと、刀を肩に乗せて笑い出した。
「がっはははは。女に刀持たせて、なんか童がほざいていやがるぜ」
「俺は何を言われてもいい、ここは引けってんだサクラ」
「むぅー」
不服そうに唇を噛んでいたが、ひとまずサクラは切っ先を地面に向けた。
頭領の視線がイチの頭越しにサクラへ注がれ、
「確かにワシらは野武士だが、それがなんだと言う?」
「この村をこんな有様にした張本人のくせに」
男は大きく溜め息を吐いた。
「ワシらには知らぬことだ。今日この土地に入ったばかりだからな」
「ウソおっしゃい!」
もう一度、男は片眉をゆがめ、視線をイチに戻す。
「忍びの。何だこいつは、女のクセに偉そうなヤツだな」
「サクラ殿は少々おてんばなだけだ。口の利き方を知らぬ」
「ふん。サクラっていうのか、いい女じゃないかよ。いひひひひ」
鎧で覆われた男の手が伸びる。
「汚い手で触らないで!」
サクラは目を吊り上げそれを払いのけた。
「ひょぉぉぉっ。怖ぇぇぜ。この口調、こいつぜってぇどこかの姫だぜ」
そこへ、とことこ、とクルミが出てきて、
「姫はわたしです。あなたたちはどこの人?」
こいつが出てくると、もっと話がややこしくなる……。
「あんたが姫さんか?」
腰を屈めて、骸骨と言ってもいいほど痩せた男が顔を近づけた。
「姫のワリには粗末な人形を持ってるんだな?」
きょとんとして見つめいたクルミの手から人形を取り上げると、高々と挙げて焚き火に照らした。
「返してくださぁい。大切なお人形さんなんです。お願い返して……」
「こんなゴミみたいな人形が大切なのか?」
すがりつくクルミをゆらり、ぬらりと避けながら男はそれを弄んだ。
「野武士のクソ野郎……!」
こういう言葉だけはよく聞こえるんだ。
「なんだと、こらぁ」
サクラのうめき声が相手に伝わった。
「女っ! もう一度言ってみろ!」
その言葉が禁忌に触れたのか、いきなり怒り出した男は人形を地面に叩き付け、さらに踏みにじった。
その足に絡みつくクルミ。
「お人形……やめて……お願い返して」
「やめろ! 頭の言葉を解さぬのか! 女、子供を相手にするんじゃないと言っておる!」
一歩控えていた、ひと際ガタイの大きな男が大音声で怒鳴り上げた。
「姫様──っ!」
男の足元で転んだクルミに飛びつくと、優しく抱き上げ、代わりに槍のようなきつい視線でイチは相手を睨み返した。
「ぬしら…………」
「ほぉぉ。そっちのガキが姫か。忍びの、お前の主君は誰だ。まさか石田家ではあるまいな!」
「こらガキ。もっと顔を見せてみろ。なんだか変な着物を着てやがるな。白装束か?」
取り返した人形が再び地面に落ち、その上を重い甲冑を身につけた男が歩いた。
「お人形が……」
悲痛な声を上げたクルミに迫る甲冑の男。
「こんガキっ! 石田家の姫か! 我ら越前松平家に仕える者と知ってのことだろうな」
「その時々で西についたり、東についたり。糞みたいな輩が何を偉そうに……」
い、イチ。あんまり火に油を注ぐような言葉を吐かないでくれ。
「な、なにをっ!」
重そうな甲冑をいとも簡単に翻して、男が刀を抜きクルミに向かって振り下ろした。
ギャンッ!
金属と金属の弾ける音がして、その動きが止まった。
──出たぁ。サクラだ。
イチが強張り目を見開く。サクラの刀と男の刀が宙でクロスしたまま停止していた。
「なんだ、女! 邪魔立てするか!!」
両者一度刃を引き、男は目もくらむ速度で上段から切りつけた。しかしサクラは振り下ろされた白刃を自分が握る刀で、肩すれすれの神業の距離で払い、流れるように背後に回った。
「サクラやめろ! 俺たちの時代ではそれは人殺しだ!」
「そうだ! そなたは人を殺めてはいけない!」
イチも同時に叫んだ。いままでに無く緊迫していた。
敵の頭領も間に割り込んで刀を抜いた男を蹴り倒し、
「女、相手に本気になるバカがいるか! くだらぬものに命を賭けるな!」
眉を吊り上げ、肝に響く低音で猛然と怒鳴りあげた。
男は甲冑ごと向こうへ飛んでいき、ひっくり返ってもまだ怒りの視線を突き刺してくる。
頭領は片手のひらを甲冑男に向けて制止させ、残りの片方をサクラの刀の先にあてがい、ゆっくりと下ろさせた。
そのまま男はガシャリと鎧の音を鳴らし、大きな体を屈ませる。太いその腕には似合わない小さな人形を拾い上げ、クルミに渡した。
「あっ」
その手から布で拵えた人形の片腕がポロリと落ちた。
「あぁぁ。サクラさん。お人形さんが……。ごめんなさい。ごめんなさい」
腕の千切れた人形を抱きしめ、むせび泣く背中が小さく震えている。
野武士の頭領はサクラが握り締めた刀を受け取り、代わりに千切れた人形の片腕を渡し、俺たちに背を向けた。
男はゆるゆると視線を這わせると、ゴロツキたちの中から一人を睨め上げ、
「女に奪い取られるとは、情けないやつだ」
ぽいっ、と刀を投げ返した。
「いひひひ、ありがてぇ」
馬鹿っぽい笑い声を上げて、男は刀を拾い自分の鞘へと戻す。
サクラは拳を握り締め、それから地面を蹴り上げることで悔しさを紛らわそうとした。
「なんだ?」
周囲の異変に気づいた。上からだ。
空を見上げ、その光景に凝然とした。
上空から舞い降りて来る冷たいミルク色の大気。ギラギラと輝いていた満天の星がみるみる消えていく。
「き、霧だ!」
さらに奇妙な光景に体が凍りつく。野武士の連中が固まっていた。
それは蝋人形館にありそうな展示物、戦国武将コーナーの一角とまさに同じ光景だった。男たちは霧に驚いて凝然としたのではなく、動いていた状態のまま固まっていた。まるで3Dの静止画を見る光景だった。
乳白色の気体は、重々しく幕を降ろすように下り続けた。
辺りは完全に無音だった。いや正確には、
「どういうことだよ?」
不思議な現象だった。クルミを中心に俺たちは自由に動ける。サクラのジャンバーがガサガサと耳障りな摩擦音を出し、目の前では焚き火が爆ぜた乾いた音も上がる。
異常に気づいた頭領が、体をこちらへひねってイチと睨み合い、そいつはむふっと鼻息を浴びせて、太い腕を仁王立ちの腰に当てていた。
そしてつぶやく。
「面妖な……」
男も静かに白く染まっていく頭上を見上げた。黒目の奥で焚き火の炎が揺らいでいる。
さらに霧が濃くなり、泣き続けるクルミの肩を優しく抱き寄せたサクラの姿まで、薄っすらと消えそうだ。
「だいじょうぶ。お人形さんは、あたしが直してあげるから……泣かないで」
霧はますます密度を上げ、地面へ折り重なっていく。それは降り積もる雪を見るようで、俺たちの動きをも鈍ませるかのような濃さだった。
俺は慌ててサクラに駆け寄る。イチもテツも、そして、敵の頭領も自然と寄り添ってきて、
「……何だこの霧。こんな濃いのは経験がない」
低い声を漏らしながら空を仰いでいた。
「昨日の晩と同じだ……」
つぶやく俺をじろりと睨む野武士の足元へと白い気体が折り重なっていく。やがて俺たちはその中に冷たく沈んでいった。