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6)消えた村人

  

  

「それ以上深入りするな!」

 俺の襟首をつかんで、大声を上げるイチ。無表情で白い顔には似合わない真剣な声だった。


「ば、バカヤロ。脅かすなイチ!」

 イチは振り返って(あらが)う俺に、より険しい口調で命じる。

「こっちへ来い!」

 いたずら猫みたいに首根っこを引っぱられて、外に引き摺り出された。

「お、おい。ちょっと痛ぇだろ」

 瞬時に俺の自由を奪う突発的でかつ強引な行為に、ちょっとビビるのは仕方が無い。ヤツは今までにないほど厳しい視線で睨みつけてくる。それはマジで冷や汗が滴るほど鋭く尖っていた。


「テル。お前は恐怖の感情を漏らし過ぎだ。見てみろ」

 クルミが悲しそうな顔をして、しょぼんと道端にしゃがみこんでいた。


「な、なに? クルミちゃんどうしたの?」

 サクラが駆け寄り、抱き上げようとして腕を回すが、それが空しく宙を切った。

「えっ!」

 慌てて引っ込めた手を震わせて、助けを求めるような顔を俺によこし、

「ちょっと、透き通ってるよ! なんとかしてよ。消えていくよ、テルぅー」

 ヤツにしては珍しく情けない声だった。


「あり得ん!」


 幽霊だ──。

 なんてことは思わない。今どきの高校生にもなると、アニメや関連映画から膨大な情報を得ているもんだ。不思議な現象を目の当たりにして、即行で幽霊や宇宙人に決め付けるほど単純な考え方をするヤツは稀な存在だし、見つけるほうが難しい。もしもいたら、そんなヤツは『ガラケー(パカパカ携帯)』扱いにしてやる。


「幽霊よぉ……」

「あ……………」

 こ、こんな身近にいたとは……。


 ガラケー野郎は放っておくとして───。



 人が半透明になる、という不可思議な状態は絶対にあり得ないことで。

 と言うことは……。


「お前らの話、マジか!」


「それがしはウソを言ったことはない」

「今朝、『道に迷った』って言ってたじゃないか」

 イチはじろりとこっちを睨んで黙りこくりやがった。こいつ都合悪くなると黙るタイプなんだ。サクラと同じじゃないか──


「そうか……。なるほど、納得がいったぜ……」

 イチはサクラのインスタンスだとか言っていた。つまりサクラに生き写しだということだ。

 じゃあ。こいつもバカだな。


「よかったですぅぅぅぅ」

 突然クルミが飛びついてきた。実体感バリバリで、力いっぱいぶつかるその柔らかい感触に感激する。そのままぐっと抱き寄せたい衝動は、サクラの怖い目で吹き飛ばされたが、この状況に度肝を抜かれつつ困惑し首をひねる。


「どういうことだ? 元に戻ってるぞ」

「さっき、テルさまが恐怖的感情波を放出しそうになったのでぇ、わたしの存在が薄れかかったのでぇぇーす。でももうだいじょうぶでぇぇす。きれーに消えてまぁぁーす」


 俺の腰に抱きついてぶら下がるクルミを引き離しながら、サクラも尋ねる。

「もし、あのまま消えたらどうなるの?」


 クルミの代わりにイチが説明した。

「どうもならんが、何度も繰り返すとスーパークラスにふさわしくないと判断され、オレンジストーンが没収される」

「オレンジストーン?」

「そなたが持っておるオレンジ色の石のことだ」

 イチは何の感情も浮かべない白い顔で俺のリュックを顎で示した。

「オレンジストーンって、そのまんまじゃないか。もっと凝った名前にしろよ」

「そんなこと、それがしに言うな」

 サクラは珍しい石だから持ち帰る、と言ってリュックに入れていたことを忍者野郎はきっちり知っていたんだ。


「じゃぁ。マジでここは戦国時代?」

 語尾がひどく疑わしげな感じに吊り上がる。まだ俺は信用していない。


 眉毛にかかった前髪をキザったらしく掻き上げ、イケ面野郎は堂々と言う。

「それがしはウソを吐かん」

「ウソをー、吐け──っ!」


 タイムスリップはSFでの定番だが──百歩譲って、時間の移動が起きたとしよう。では、いつそれが起きたんだ?

 かっちょいいマシンも見ていないし。それらしい現象も起きていない。どうしてもこれだけは信じることができなかった。


「タイムスリップする時は、こう、空間が『うにゃぁーん』って歪むもんだろう?」

「オマエはテレビの見すぎだ」

「………………………………」

 家庭教師のお兄さんに叱られたような気分だった。


「あんたも忍者のクセに、なんでテレビなんか知ってるんだ?」

「イチはいろんな時代を巡り歩いてるからでぇぇーす。わたしは初めてなのでドキドキしてるのぉ」

 その口調を聞くとこっちがドキドキするんだ。別の意味だけどな──。


 とにかくここでウダウダ言っていても仕方が無い。こいつらが不思議な存在ということは認めざるを得ない。だいたいミミズを食うだけでも、不思議を通り越して、奇態(きたい)の域に達するからな。


「とりあえずだ……。今が戦国時代だとしよう。じゃぁ、あの家は……」

 と言いかけてクルミをうかがった。また、さっきの恐怖的な妄想がよみがえりそうになったからだ。


 イチもそれをすばやく感じ取ったようで、クルミの目線までさっと身を屈め、

「姫さま……?」

「……はい?」

 透き通った瞳を向ける少女に、もの柔らかな声音を落とす。

「お休みのお時間です」

「えぇぇ? まだ眠たくありません」

 クルミは可愛らしい目を見開いて少し口を尖らせ、イチはそれに応えるように、吊り上がった切れ長の目をさらに細くして、柔和に微笑んだ。


「では、ほんの少し目をおつむりください」

「うん」

 コクリとうなずき、素直に目をつむった。


「テツ。ハルト(停止)だ!」

 瞬時にクルミの姿が消えた。


「く……クルミちゃん!」

 サクラが一瞬動揺したのだろう。接触の悪くなったビデオ映像と同じだ。イチの忍者姿の輪郭がぼやけ、数瞬、チラチラと点滅を繰り返した。

 しかし、すぐにしっかりとした姿に戻ったイチが瞳の色を濃くする。

「サクラどの。そなたかなりの修行を積んでおるな。少しぐらいのことでは心が乱れぬようだな」

「まぁね……」

 修行の成果なんかじゃねえ。ただたんにバカなだけだ。

 それより悪かったな俺は乱れまくりで──クルミの白くて綺麗な足を見るたびに鼓動が跳ねるし、今なんか瞬時に消えたのを見て、心臓が止まりそうになったぜ。


「クルミちゃんはどこ行ったの?」

「インスタンス化を一時的に解除しただけだ」

 イチが俺のせいみたいにこっちを睨み、

「何度も姫様の実体を不安定にさせたくないからな。オマエのせいで……」

 腹立つヤツだ。しっかり言い切りやがったぜ。


「とりあえず。一度現実を見てもらう。それからこれを肝に据えて二度と動揺するな。驚く程度は問題ないが、恐怖心が最も影響が出る。何が起きても怯えてはいけない。我を忘れてパニックに陥ったりすると確実に姫様に影響が出る。いいな、テル!」

「なんで俺ひとりが責められてんだよ。つまり俺は怖がりだというのか! バカにすんな。こう見えてもサバイバル部の部長だ。何があったって怯むわけが無いだろう」


「ではこちらに参れ」

 イチに誘われて、もう一度家の中へ。


「いいか。よく目を開けて、現実を見つめろ!」

 イチはボロボロになった障子を勢いよく開けた。


「な────っ!」


 凄惨な光景が視界に飛び込んできた。

 あまりの生臭さに手で口と鼻を押さえ、胃の内から込み上げてくるモノを堪えた。腰が砕けそうになり、足がぶるぶる震えている。

 立っていられないかも……。


 部屋の中は血の海だった。だけどだいぶ時が経ったのだろう。血液は黒々と変化しており、粘り気のある液体を白い畳の上にバケツでぶちまけたような光景だった。

 見た瞬間にはっきりと認識できた。何かで斬りつけられ、致命傷にまで達したコトを。


 苦しみ悶えた犠牲者は暴れ回り、何本もの赤黒い平行な筋を障子から畳にかけて走らせ、激しくのた打ち回った後が、影みたいにくっきりと残っていた。


「……野武士の仕業だ」



 ──説明しよう。

《テルたちが飛ばされたのは1596年である。つまり歴史の上では、8年も前の1588年、天正16年に豊臣秀吉が刀狩令を出しており、農民は武装などせず農業に専念せよ、としたのである。だがこの物語では、まだ荒々しい戦国の時代が続くことになっている。これはこの先の伏線であるので、悪しからずであ~る》



 この凄惨な状況を見ても、イチはまったくの無感情だった。

 俺は込み上げてくる苦い唾液を必死で堪え、

「これは映画だ……」

 そう、こんな現実はあり得ない。昨日までは……映像の向こうでの出来事だ。


「その目でよく見るんだ。これが現実だ……」

 細く尖った鋭利な視線でイチから射すくめられて、幕が下りるように目の前が暗くなった。

 足が勝手に震えだし、背筋が粟立ち、意識が遠のく。

「気を失うな! この時代ではこれが日常なのだ。しっかりしろ!」

 パンッ、とイチに背中を平手打ちされて、失いかけていた意識が戻った。


 サクラが気がかりになったが、この忍者野郎が何事も無く動き回っていると言うことは……。

 案の定、歯を食いしばってしっかりとこの光景を睨みつけていた。


 マジでこいつ女か?

 肝が据わるどころか、さらに磨きがかかってんじゃんかよー。驚愕を通り越して、一周して戻ってくるぜ。このブーメラン女め。


 ナイーブな俺はそうは行かない。

「おぇぇぇ」

 立ち込める不気味な臭気に、突然と嗚咽が込み上げてきた。


 くそっ!

 せっかく食った昼飯が……もったいねえってんだ。


 もう何考えてんだか、支離滅裂のくちゃくちゃだった。頭の中は恐怖と驚きと戸惑い。腹からは押し寄せる嘔吐感。味わったことのない不快と悪寒の混沌としたスープに満たされ、それを吸った脳髄が延びきったラーメンみたいに、ぐだぐだになってきた。


 なのに──、

 肉体的にも精神的にも、身体が限界だとわめいているというのに、イチはとんでもないことを言い出して追い討ちを掛ける。

「それがしはこの時代が好きで、この村で何度も暮らしていた。初めは野良犬として住み付き。その後は、(にわとり)として飼われていたこともある。この家の幼女にもよく追いかけられたものだ。あの頃が懐かしい。可愛らしい子供だったな」


「ニワトリっ!?」

 なんちゅうことをのたまうんだ、この忍者野郎。

 お前は支離滅裂、インチキ野郎だ。

 と、文句のひとつでも言ってやりたいところだが、クルミが消えるシーンを見せ付けられていては、声にも出せなかった。

 もしそれが真実だとすると……イチは気になる言葉を残していた。


「この家の幼女って……ここか?」


「これよ、テル……」

 マジ顔のサクラが部屋の隅を指で示した。

 久しぶりに見る険しい顔つきに驚きを感じつつも、そっちへ視線を振る。


 かろうじて血の海に触れることなく、そこには余った布切れで作ったと思われる稚拙な人形がひとつ。それと同じ着切れで拵えられた蒲団が掛けられ、寝かされていた。大切にされていたのだろう。ちゃんと小さな枕まで準備されていた。


「可愛いまくら……」

 サクラはそっと蒲団をめくると、人形を抱きしめて声を震わせた。

「こんな小さな子がいたのに…………なんてことを……野武士…………絶対に許さない……」

 桃○郎侍みたいなセリフを吐き、険しい目付きで俺を睨んだ。その目の奥に光る覚悟を見つけてたじろいだ。


「お前、マジで怒ってるのか?」

 抜けそうになる腰を無理やり引っ張り上げ、半分、這うようにして外に逃げ出した。


 サクラはぐっと奥歯を噛み締め。握りこぶしを震わせて土間から出て来ると、じっと地面を睨みつけていた。それは何かの決意と何かを耐え忍ぶ不気味なオーラが発散するようにさえ見える。


「お、おい。サクラ……」

 こいつが今ここで放つ研ぎ澄まされた刃物にも似た威圧感──これが初めてではない。


 中三の時、学校一の(わる)グループから、体育館の裏へ一人呼び出されたサクラ。その時、放った威圧感もこれと同じだった。

 俺も掩護すべく、震えながら付いて行ったんだが──結局、その必要はなかった。こいつの武道歴は嘘ではなく、マジで強かった。ま、女だてらに強いという噂が相手のプライドを傷付けたらしく。なら本当かどうか見極めてやろうと、最初は脅し半分、おちょくり半分で呼び出したようだ。サクラにはそれが逆に気に入らなかったらしい。


 ヤツは本気で怒った。相手のボスが持っていた木刀を格闘家のような動きで奪い取り、それで全員をめった打ち。逆に俺が止めに入ったぐらいだ。それ以降、連中は全員サクラの家来となって中学を卒業した。その噂が今の高校のうざい連中にも浸透しており、入学当時から姉御と付き纏われた。


 それを嫌った彼女は、わざと俺を慕う弱々しい女子を演じて、事情を知らない一般生徒の前で仮面を被っている。おそらく仮面を脱いだ本当のサクラを知るのは、俺とその悪連中だけだろう。



 俺たちの後を追ってくるイチの輪郭がボケて、時々チラついていたが、

「そなた、やはり精神力の強いオンナだな。あの状況を見て、この程度で済むとは」

 腕を広げて自分の存在状況を俺たちに見せつけた。


 イチの不安定さはすぐに解消し、それへとサクラが尋ねる。

「あの家の人たち、どうしたの?」

 こいつ、声も震えていない。本当にイチの言うとおり、すげぇ精神力をしてんだ。

 こっちは息をするのがやっとだ。まだ腰に力が入らなくて歩くのもままならない。家から少し離れた場所まで移動して地面の上に座り込むのが精一杯だった。


「警察に知らせたほうがいいんじゃないか?」

 震え声で見上げる俺をイチは鋭い視線で睥睨して、今の言葉を無視した。


「この時代は強いものが生き残る世界だ。野武士が暴徒化しているのが日常的なんだ。だから農民も身を守るために武装化した。だが戦う必要の無いものが手を出すと、あの家のように悲惨なことになる。かといって、手をこまねくと、すべてのものを力ずくで奪われる」


 サクラ、お前は信じるのか──ここが戦国時代だということを……。


「村人は皆殺しに遭ったの?」

「四十人の村人は覚悟を決めて戦ったが、男や老人は全員切り殺された。女は(はずかし)めを受けて、生き残った子供もどこかへ売られた」


 俺は信じないぜ……。

「なぁ。応援を呼んだほうがよくないか?」


「死体が無いじゃない」

「この家は野犬が綺麗に掃除したようだ」


 うぉぉっぷ。

 またまた何かが込み上げてきた──早く自分ちへ帰りたい。


「……他の家は見ないほうが身のためだ」

「そうね……」


 ──誰も聞いちゃくれない。俺ひとり草の生えた道端で放置プレイ。イチとサクラが向き合って会話をしていた。

「かわいそう……」

 小さな声で、ぽつりとサクラ。

 俺だって同情してるぜ。その連れ去られた女の人たちを……。



「どうだテル。少しは落ち着いたか?」

 イチは幾分優しい表情に戻っていた。

「まだ信じられないようだが、ここは間違いなく戦国時代だ」


 座り込んだまま地面の上からイチの白い顔を窺う。

「現代に生まれてよかった……」

「正直だな」

 イチに言われてもなんだか嬉しくないし、まだ少し釈然としなかった。


「あたしはここでもいい……」

「何だよ、唐突に?」

「いちど本物の刀を振ってみたかったんだ」

 俺は長い溜め息を吐いた。

「あの光景を見た後に、女が言い出すセリフじゃねえな」


「ふっ……」

 イチは忍者衣装のスカーフを草風になびかせ、口元を持ち上げてテツへ命じた。

「姫様の再生を再開して、オマエは夕食の準備と武器を見つけて来い」

 はふっと、息を吐いたテツは一目散に村の奥へと走って消えた。

 と同時に、堅く目をつむったクルミが現れる。きゅっと閉じた小さな唇がほどけ、

「……ねえ? もういいの?」

 可愛らしい声が漏れた。


 イチはちらりと俺の様子をうかがってから、

「結構ですよ、姫様」

 瞬きをしてから目を開ける愛くるしいまでのクルミに向けられたその声は、とても優しかった。


 武器って……マジかよ……。

 イケ面忍者の言葉が、俺の鼓膜の奥で何度も木霊していた。


「とにかく野営地に戻ろう」

 どう見ても現代風の家屋ではない家を後にして、俺とサクラはトボトボとイチとクルミの後を付いて歩いた。

 行き先は山から出てきたところに広がっていた村外れの広場だ。やはり今日はそこで野宿をすることになるのだろう──あんなに好きだったキャンプが、今はとても重たく負担に感じる。


「なぁサクラ……。どう思う?」

 隣で胸を張って歩くサクラへ、溜め息混じりで問いかける。

「うん。村の人たち可哀想。何とかしてあげたい」

「んなこといってもだな……」


「半年も前のことで、もう手遅れだ」

 クルミの手を引いて先頭を歩むイチから伝わる声が痛い。

 サクラは、キッと険しい視線に切り替えるとその背中を睨んだ。

「じゃぁ。野武士の連中をぶっ殺す」

 びっくりしたような表情を浮かべて、歩きながら後ろへ顔をひねるクルミ。


「姫……さま」

 前を向くようにとイチに頭をねじられて、少女はその無表情でつかみどころの無い顔へ大きな瞳を上げた。

 邪気などをまったく感じさせず、着用した純白のワイシャツよりも濁りの無い面差しで、まっすぐイチを見上げていた少女は、朗らかに微笑むと、長い黒髪を風にはらませて前を向いた。

 見ていてとても眩しいクルミとは対照的に、俺の気分はこれから起こり得る状況を想像して暗く沈んでいた。


 …………憂鬱だ。


 サクラは決心したらしく、毅然とした態度で歩みだしたというのに、俺はまだ怯えていた……。こいつはどこまで強い精神をしているんだろう。なぜ動じないんだ?

「あたしは、悔いが残らない生き方をしたいの。人生は一度きり。学校でも家でも。どこにいても何をしても、やり直しはできないでしょ。だから、あたしは正直に生きるの、まっすぐに突っ切るの」

「正直すぎるのも良し悪しだろう。最悪すべてを失うぞ。そいうのは暴走人生っていうんだ」

「失ってもいいの……。ひとつだけ残っていればいい、」

 サクラは意味深に言葉を区切って立ち止まり、

「──ね。憶えてる?」

 柔らかそうなポニーテールを揺らして、こっちに顔を向けた。


「ん?」

「中三の時、あたし番長グループをぶっ潰したことあったでしょ」

「おいおい。女の吐く言葉じゃねえぞ……」

「あたしが怒りに暴走した時、テルが止めてくれたの……憶えてる? あれ、嬉しかったよ」

「そ、そうなのか? よかったな」


 あの時、不良グループを相手に暴れるサクラはとてつもなく強かった。逆に臆病な俺は怖くて震えていた。今とまったく同じだ。

 女を守るのは男のほうなのに、手を出せない自分が無性に腹立たしくて、でも体はすくんで動かなかった。恐怖に目をつむってしまい、気づくとサクラは暴走していた。だから無我夢中で止めただけなんだ。許しを乞うのは俺のほうだ。それが嬉しかった、と言われて、今、とっても困っている。


「あたしのことを見守ってくれる人がいるって、思ったの……」

 そんな恥ずい言葉を平気で並べやがって……。俺はお前の暴走にビックリして止めただけだ。

 こういう場合、女が止める側だろ?

 つうことは、こいつより強くならなければ、いつまで経っても俺はサクラのブレーキ係ということか……。


「頼むから無茶はやめてくれよな。俺は臆病なんだから」

「ううん」

 なぜかサクラは、伏し目がちに頭を振る。

「臆病じゃないよ。怖いってことが分かるから……それだけ大人なのよ。あたしはダメ。バカだから熱くなると周りが見えなくなるの」

「でもやっぱ男は強くなきゃダメだろ? 俺も修行積むから剣道教えてくれっか?」

 サクラは嬉しそうに顔を上げ、目元を桃色に染めた。

「無理しなくていいの。テルは今のままでいいよ。スケベでアホで、それでも元気で、あたしのことを忘れないでいてくれたらそれでいいの」


 淡く色づいた頬をぷるんとさせて、サクラは足早にクルミとイチを追いかけた。

「歯が浮くような言葉を並べんじゃねえ……バカ」

 その背に向かって小声でつぶやく。枯れ草がサラサラと乾いた音を奏でて通った。


 しかしまぁなんだ。お前ほどのじゃじゃ馬をコントロールできるヤツは、そういないだろうからな。それを俺がやるってのも……いいかもな。


 イチとクルミも数メートル先で立ち止まり、半身をこちらに向けて待っていた。

 クルミの優しげな瞳にサクラが声を掛ける。

「さぁ。広場いこ……」

「はいぃ……」

 二人は手を繋いで先へと急ぎ、その後ろをイチ、だいぶ離れて長い影を引き摺った俺が追従する。


 雑草が茂る広場へ戻ると、俺たちはテントを張った。今さらジタバタしても自宅へ帰る道は途絶えている。だけど、まだ淡い期待を持っていた。明日の朝、目覚めたら自宅だった、という、ほんとうに薄っぺらな望み……夢オチでもなんでもいい。そうだこれは夢だ。きっともうすぐ目覚めるはずだ。

  

  

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