46)母上様と野武士
納得のいかない答えを出され、宇宙の崩壊を阻止したわりに、しょぼい役割が再び回ってきた。サバイバル部の部長という役が……。部員はサクラ一人。同好会にも達しないレベルだけど、でも宇宙を救ったんだぜ。
そんなヒーロー様に対して、ひどい仕打ちだな──。
焚き火の前で美味そうな脂を滴らせる黒猪の肉塊。モクモクと煙を立ち昇らせ、めまいしそうなほどに良い匂いを振り撒いた巨大な焼肉がじゅうじゅうと音を奏でる光景。
それに小刀をすべり込ませる藤吉の手元を見て、自然と声が漏れた。
「あー腹が減ったな」
みごとな切れ味に驚くよりも先に腹の虫が鳴く。今なら宇宙より食欲を取るかも知れん……。
「食うか?」
「食う食う。サンキュー」
小刀の先に乗せられた肉片に、ほいほいと飛びついた。
しょうがないだろ。ヒーローもひもじいとこうなるんだ。
ところで、16世紀の人間に平気で英語を使うのは、前回の時空修正で藤吉はこれぐらいの英語なら理解していたからで、今きょとんされても俺は気づきもしない。
──説明しよう。
《時空修正とはこういうものであ~る。歴史が根底から変わるのですべてが何事も無かったように、新たに始まるのである。
『てめぇ。誤魔化しやがって! ここまで来てこの展開はないだろう。別の話をくっつけやがったな、作者出て来い!』と憤慨されてもあとの祭りであ~る。作者はとっくに遁走したのであ~る》
じゃこの話、誰が書いてんだよ?
という突っ込みも無く……話は続くのである。
茂みの向こうから耳をピンと伸ばし、銀色に光るタテガミを風になびかせた狼の顔がぬんと出た。太い脚で草原の中に立ち上がる威風堂々とした懐かしい姿。
それを見つけたイチが、小走りでテツの前まで進んで片膝を落とした。
銀狼はその姿に射すくめるような鋭い視線で睥睨する。
「──────────」
何らかの意思表示。俺には未だにさっぱりだが、それにイチが答える。
「そうか……お見えになられたか」
何事なんだろ。丁寧な口調と冷然とした態度の割にイチの顔は緊張の度合いを高めている。
似非忍者野郎は、ふありと長い前髪を翻して俺に言う。
「テル、ご苦労だが、もう一件寄るぞ」
お前は営業部長か!
「どいうことだよ?」
イチは声を潜めた。
「後一件片付けなければ、再び爆縮する危険性が残っているらしい」
「えーーーーーーーマジかよーー」
もうウンザリだ。
「何で俺なんだよぉ」
不満率100パーセントだぜ。
「お前の重要性はあらためて認識している。ここは堪えろ」
「そんな上から言われて、ハイ、とはぜってぇ言いたくない」
「テルさまぁ……」
「ハイハイ?」
可愛らしい声には素直なのさ。悪いかよ!
サクラと藤吉を焚き火の前に残して、クルミまでやって来た。
「あなたはテツが選んで来ただけのことはあります。あの難しい時空修正を立派にやりこなしました。感謝しております。ですのであと一件お引き受けくださいまし」
いやさー。さくらネーちゃんと同じ格好して、時間族のお姫様にそうやって言われると断るわけにはいかないだろうけど、宇宙規模の話は遠慮したいのが本音だ。
「その件はもうよろしいです。あとはわたくしがやります」
「え゛っ!」
忽然と耳に届いたのは上品な女性の声。
「かあさま!!」
突然背後から声をかけられて、仰天したのはクルミだけではない。俺だって飛び上がらんばかりだ。
「かあさまぁぁ?」
ついでに変な声も出た。
俺の頓狂な声は焚き火のところまで聞こえたようで、
「クルミちゃんのお母さん?」
サクラも丸っこい目を見開いてこっちを見た。
俺たちと焚き火の中間地点に忽然と現れた女性。明らかに21世紀の人物ではなかった。
優艶な姿を披露した女性はクルミと同じ長い黒髪を頭の真ん中で左右に垂らし、その先は純白の布で緩やかにまとめて背中でたゆませている。そして頬から下がった髪はその胸元へ流され、艶やかに揺れていた。
地面に大きく広がる豪奢な布地で織られた赤い着物を引き摺りながら、ゆっくりと焚火に向かって歩み寄って行く。
土埃と雑草の覆い茂った地面は、女性が召される装いから滲み出る煌びやかさと比べると、とてもアンバランスな舞台なのだが、それをも打ち消す威厳を放っていた。
「テツ急いでお茶の準備をなさい。かぁさまに粗相があってはなりませんよ」
クルミはテツに指差し、バタバタと慌てて火のそばに舞い戻り、
「イチ! 座席を用意なさい」
今度はイチに命じ、俺も焚き火の脇へ飛んで戻り、サクラと顔を見合わせて声を揃える。
「「マジでおかあさん?」」
藤吉は肉の塊にかぶりついたまま、ぽかんと見つめて固まっていた。
威厳ビカビカの女性は静かに語る。
「──すぐ帰りますからお茶は結構ですよ」
「で、でも……」
クルミは言葉を詰まらせ、藤吉は魂が抜き取られたようなアホ面を肉塊から引きはがした。
「どちらの奥方様だ……う、美しい……」
「テレビの時代劇見てるみたい」
サクラも大きな目を丸くさせ、ぽぉーっとし、俺は思わず唸った。
「なるほどな」とな。
超納得だった。納得率100パーセントだ。
クルミの母親なんだから、また誰かの潜在意識から情報を抜き取って実体化したのだ。でも俺たちから生まれたのではないことは直感で感じ取れる。じゃぁ誰の頭脳からって話だろ?
この女性の容姿から考えれば、おのずと解るというものだ。
俺とサクラは同時に藤吉を見た。
「ど、どうしたんだお主ら。ワシの顔に何か付いておるのか?」
美しい女性はクルミの前に寄ると、甘い声音を落とし、
「クルミ。よく難関を乗り越えました。もう一人前ですね」
「はい。かあさま……」
リクルートスーツ姿の少女が恭しく頭を下げる───って、時代設定はどうなってんだよ。
クルミが頭を下げる相手は十二単みたいな着物を着た女性だし、こっちは会社訪問の女子大生だ。何だこれ? 時代がムチャクチャじゃないか。
「あとひとつの案件を残すだけとなりました」
深々と頭を下げるクルミを優しく見つめていた女性は、視線をテツへ移した。
「────────────」
確かに銀狼は今うなずいた。
「そぅ。それはよかった。では最後の件は、かぁさまに任せなさい。あなたは自分の義務を果たすのです」
「義務って?」
ついサクラが口を出した。
女性は将軍家の妻のような威厳を浮かべた面立ちで、静かにサクラへ体を向けた。
「あなたがエグゼ(テツのこと)に選ばれたメスのサクラさんですね。……そして」
何だか気になる言い方をするな、と思いながらもそんな風に俺に向かって嫣然と微笑まれたら、血圧と体温は急上昇だ。息も詰まり、喉が渇くっちゅうもんだ。
「そして、オマエがその片割れですね?」
「はぁ?」
一気に氷点下。
バーロー。犯罪者みたいに言うんじゃねえ──どいつもこいつも時間族の連中は、口の利き方を知らないヤツラばかりだ。
誰も何も言っていないのに、頭領が飛び込んできた。
「拙者。藤吉と申す野武士でござる。奥方様は……もしや松平家の……」
ずさっと、埃を上げてひざまずき、深々と頭を下げた。
「藤吉とやら。わたくしは織田家の者です。それとその忍びと狼は、わが姫のお命を守る衛兵。ささ、頭をお上げなさい」
ウソこけ─────っ!
よくそれだけ口からでまかせを言えたもんだ。あんたは時間族という未知の生命体で、クルミのかあちゃんだって、さっき言ってたじゃないか。
しかし藤吉の頭の中から抜き出した情報で展開されて行くのだ。ちゃんと二人の会話は成立していた。
「信長様の亡き世になり。どれほど拙者悔やんでおったことか。今でこそ松平家に仕える身ではありますが、時代が時代ならば、信長様にお仕えしたく、未だに志は薄れておりませぬ」
「その言葉しかと聞きました。殿もお喜びでございましよう。帰ったら伝えておきます」
「それは否ことを奥方様……。殿は14年前に……」
──説明しよう。
《恥ずかしげもなく、また戻って来た『説明しよう』おじさんである。やはり物語の最後まで付き合うのが節度ある人間の責務というもので──、当たり前やろ! と怒るのは心が狭い証拠……そんなに目くじらを立てるものではないのであ~る。
で、話を物語に戻して、
もう忘れたかとは思うが、藤吉は1596年の時代から連れて来られたのである。その時代だと信長没後14年が経過しているのであ~る》
「藤吉…………」
クルミの母親が着物の袖をしゅらりと擦って手を差し伸べた。
「あ……ぅ」
優美な微笑みに釣られて見上げてしまった視線を慌てて伏せる野武士。
「ごもったいない……」
黒猪を一刀両断した剛健な肩がすくみ、小さく丸まった。
それへと向かって落ちる、女神のような優しげな声音。
「イチから聞いておるでしょう。ここは紀元前。まだ信長様はお生まれになっておりませんよ」
藤吉は力強く半身を起こし、片膝を立てて仰ぎ見る。
「ならば拙者。信長様のご活躍する時代へお連れくださらぬか。決して後悔はさせませぬ。ぜひ奉公を……」
「殿が小者を探しておられる時代へ向かいましよう。そこでお頼み申せばよかろうかと」
「奥方様。ありがたき幸せでございます」
───ふあぁぁ。つまらん時代劇だこと。
でたらめな話を真剣にやられてもこっちは白けるばかりだぜ。
だいたいお前ら時間規則がどうとか言ってなかったか?
このおっさんを元の時代に帰さず、過去の織田家に奉公なんてさせたら、歴史がムチャクチャになっちまうだろ。俺には修正をさせておきながら、陰ではそうやって歴史をいじって遊んでじゃねえだろうな?
それとも今度は藤吉に何か修正させようとしているのか?
戦国時代の人間が理解して正しい行動をとれるはずねえだろ。そんなもん俺だからできたようなもんだ───あ、正確にはニーナがいたからか……。
ふんっ。自分のことは棚に上げたっていいんだぜ。




