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45)交差する刻(とき)

  

  

 俺は息を呑み目の前に展開された光景に凝然としていた。

 はっきりと記憶に焼き付いたあの場所で、あの時だ。ただ違うのは今度は反対側からこの状況を観察している。


 妙な感じだった。

 あの時、俺はただ面食らっていただけなのだが、まさか向こうの俺の状況が、こんなにも切羽詰った状態だったとは、想像だにできなかった。未来から世界が消えて行く真っ只中で俺はここに立ち、目の前の俺に必死でこのことを精神波で伝えようとしていたなんて。


「あっ()ぅ」

 いきなり頭を打ちつけられたようなひどい痛みが走り、目まいと耳鳴りが一緒になって襲ってきた。

 俺の記憶と過去の俺の記憶、つまりどちらも同じものだが、それが共鳴し合って頭の中をガンガン響いて渡る。


「面と向かったので忘れていた記憶が蘇ってきたんじゃ。それが本物の感情サージじゃぞ。少々きついが辛抱しろよ、青年」


 思わずしゃがみそうになる俺の腕を、サクラの容姿をしたマリアが引っ張りあげて、怖い顔を耳元に近づけた。

「しゃんとして念じるんだ。でなきゃぶっ殺すぞ」

 そんな荒っぽい言葉遣いのサクラはいないわけで。あいつが荒っぽいのは、もっぱら腕っ節のほうだけだ。


 向こうにいたニーナが俺に向かってギラリとした視線を滑らせてきた。

「どうじゃ。スキャンしたと思うか?」

 と、小声でクルミのサキへ囁くイチの館長。

 あーややこしい。

「たぶんね。こっちの情報も受信されたとは思うけど、後はどう処理されるかだね」



 数秒経っても変化はない。相変わらず無彩色の砂漠と空が広がっていた。

「何も変わらんぞ」とサクラのマリア。


 ほどなくして連中は霧の中に消えて行き、

「ふぅぅ」同時に目まいと耳鳴りが消え、俺は砂の上に膝を落とした。


「時間切れだよ……」

 クルミにしてはボーイッシュなつぶやきで、それを合図に全員が元の姿にスキンを戻す。サキは銀髪に戻り、館長は長い白ヒゲにツルツル頭。マリアは黒髪を大人っぽく結い上げた美形の容姿に変身。再び俺たちは船に自動転送されて、サキはトランスフォームを完了させる。



『スリップストリームに戻りました速度維持。安定しています』


「何も変化しないということは、ニーナは関知しなかったんじゃ」

 気落ちした館長のセリフに続いて、

「まったくどうやったらニーナに知らせることができるんだ。頑固なヤツめ」

 不機嫌な口調で、マリアは込み上げてくる焦燥感を(あらわ)にしていた。


「もう一度、ニーナたちにドッキングを試みよう」

 決意の面持ちを上げて、爺さんが光り輝くケーブルで接続された銀髪の少女に命じる。

「サキ、時間が欲しい。速度を限界まで上げてくれ」


『了解』

 微妙な振動がわずかに増して、船全体が騒がしくなった。


『限界値に達しました』


「時間はどれぐらい残っておるんだ、GR3356」

『ワタシの名前は峰山サキです。固有名詞で呼ばれることを希望します』


「うるさい。ワタシもフルネームが欲しかったワ。さっさと答えろ、GR3356!」

 マリアのセリフがどこか(ねた)み気味に感じるのは、アンドロイドが自分の名前に異様なこだわりを持っているからで。でも互いにいがみ合う時間はもう無い。


『宇宙の収縮にどこまでこの船が耐えられるかは不明です。ただしビッグバン直後の状態になれば、どのような物質でも耐えることはできません。終着ポイントをそこに当てはめると、現在の速度で残り1時間25分33秒です』


 意外と時間があるんだ、という感想だけが思考を流れた。ただそれだけだ。何も考える気力は無かったが、

「爆縮は一瞬で終わるって言ってなかったか?」

 誰から聞いたのかは忘れたが、確かにそう言っていた。


「自分を基準に考えてはいかんぞ。相対的に考えてみろ。宇宙が百五十億年掛けて膨張した時間をたったの一時間半で遡るんじゃ。一瞬と思わんか?」


「150億年を1時間半で……」

 あんぐりと大口を開けた。想像を絶する時の流れだ。それをそんな時間で巡ってしまうのか……。



「同一体と出会った記憶は何度かあるのか?」

 意識が宇宙の彼方に飛んでしまった俺に難しい顔をしてマリアが尋ねるが、

「え? あ……無い。あの時一度きりだ」

 そう。そんなおかしな状況に遭っていれば記憶に焼きつくはずだ。


「つまり、そういうことだ。この作戦も失敗じゃ」

「手が尽きたのか……。しかし何かあるだろ。くそっ!」

 マリアは焦燥めいた口調で言葉を吐き捨て、館長は何かが腑に落ちないらしく、しきりに首をかしげ始める。

「ニーナはこのテルを異空間同一体だと本気で勘違いしたのじゃろうか。それともワザと目を逸らしておるのか?」

「互いに恣意的に動くから、噛み合わないとでも言うのか?」

 眉間にシワを寄せるマリア。端正な顔立ちに少しもったいない表情だ。


「ニーナが恣意的に動くことはありえない。レポジトリとアクセスができる時空間システムじゃからな」

「じゃぁなぜニーナは動いてくれないんだよ?」

「我々の意思が間違っておるとでも? ニーナは爆縮を止めたかったのではないのか?」

 どんな思惑でニーナが動いているのかさえ解かれば、対策は取れるのだが。一向に先が見えてこない。


 手詰まり感が濃くなると気分はどんどん暗い方向へ落ち込んで行く。リーダ的存在だった館長の声までも沈んできた。

「ワシらの意思は通じたはずなのに……何も変わらん。いったいどうしたらいいんじゃ」

 揺らぎ始めた決意を前にして、俺の気持ちはさらに強い焦燥感に襲われた。やがてそれはやけっぱちとでも言うしかない気分に変化する。


「ええい! こうなったらここで派手な花火でも打ち上げたらどうだ。それならニーナは気づくだろ?」

「くだらないことを言うな!」とマリアは俺を咎め、

「どういう意味じゃ?」

 館長は首をひねる。


「ニーナは俺のことを何でも知っていた。それなら俺がやらなさそうなことをやればビックリして近づくかも知れない」


「例えば?」

 首を傾けるマリア。


「この船の燃料タンクか何かを切り離して火を点けて派手に爆発させるってどうだ? 絶対に俺ならやらないだろ?」

 突拍子もない言葉が喉の奥から転がり出た。何を言ってんだ俺?

 神経質なほどに石橋を叩く俺がそんなことをするはずがない。


「ついに狂ったか。これだから人間の精神力はもろいと言われるんだ」

「うるさい、俺は正気だぜ。狼煙(のろし)を上げるんだ!」

 何でここでそんな言葉が口から出たのか、自分自身でも意味不明だったが、頭の中を藤吉の言葉が走り抜けたのは間違いない。


『素直に動け、結果を見てから新たに動くという手もある』


 俺は次々湧き上がる思いを言葉に変換していった。

「目立つことをすればいいのさ。何かを爆発させて遠くまで轟かす。これも一種の狼煙だろ?」

「ノロシとはなんだ?」

「原始時代の情報伝達手段じゃ。煙をあげて遠くの者に何かを知らせる通信方法じゃ」

 マリアは知らないようだが、爺さんは博物館の館長だ。ちゃんと理解していた。


「それならフォトンシードは積んでないのか? あれは派手に光るぞ」

 戦闘機のパイロットらしいことを言うが、

「何回言わせるんじゃ。この船は遺跡発掘用で戦艦ではない。武器など積んどらんワ」


「ふんっ。その割に高性能じゃないか」


 館長はスキンヘッドをぺしゃりと(はた)きつつ否定する。

「それにしても燃料タンクの爆破とはあまりに無茶じゃな。自滅行為じゃ。まだスピリチュアルモジュレーションを繰り返すほうが現実的じゃろ」


「違うって。狼煙はなぜ遠くの人に目立つかっていう話さ」

「そりゃ、空高く上げるからその分遠くから見えるんじゃ」

「そういうことだよ。あのさ、俺たちは光の速度近くで飛んでんだろ。そこからもっとすごい速度で打ち上げたら光を越えるだろ。そしたら未来に届くんじゃないの?」


 館長とマリアは互いに視線を交わしてから、マリアは朱唇の端を優雅に持ち上げ、館長は頭を振って否定した。

「いくら速度の加算をしても光の速度を超えることは無いんじゃ」

「しかも我々の後ろには未来は無い」

 館長とマリアに悟らされたら言葉が無い。


「ダメか……」

 俺の考え出した捨て身の作戦ですら無理となると。宇宙はこのまま消える運命なのだろうか。


「はぁぁ……」

 いままでに無い長い溜め息を吐いた。


 嘆声(たんせい)というのはアンドロイドにも伝染するようで、重苦しい空気が広がり、船内が静寂に沈んだ。異様にゆったりと揺れる船の動きが床から伝わって来る。たゆんだ海原で小船に乗るようだった。


「……その作戦、アタシは賛成だよ」

 忽然と俺の背後から賛同してきたのはサキだった。


「自動操縦にしてあるから船は安定してるぜ」

 先に俺の不安を払拭してから、

「この宇宙でやったって無理だよ。でもリアクターエンジンをオーバーロードさせて爆発させながら亜空間を横に突っ切るんだ。そうすりゃ並行宇宙の奥底までバートリウムが飛散するぜ。そしたらさ、どこかの次元にいるニーナが気付くさ。なにしろそんな派手な花火を打ち上げるヤツは大馬鹿か、よほど切羽詰っているかのどっちかだろうね。でも猛烈に目立つぜ。それにバートリウムは今通過中の時代にはありえない物質だものね」


「無茶な! あれは船のエンジンだぞ。そんなことをしたら一瞬で失速して爆流に呑まれる。結果もわからずに犬死する気なのか?」


 爺さんが再び強く首を振る。

「死ぬのではない。宇宙の歴史が未来から過去へと消されていくように、ワシらの歴史も無かったことになる。ただ消えるだけじゃ」

「それを死と言うのだ」


「お前さん怖いのか?」

「ああ。エモーションチップが搭載されておるからな。一人前に恐怖という感情も持ち合わせておるワ」

「ふぁふぁ。死だと思うから恐怖が湧いてくるんじゃ。死とは生まれてきたから迎えるもので、元から生まれてこなかった者に死はない……じゃろ?」


「う……。なんちゅう理屈だ。それは屁理屈というものだ」

「他にいい方法はあるの?」

 サキに言われて返す言葉がなかったのだろう。マリアは静かに否定する視線を振り、沈黙に落ちた。


「………………………………………………」


 誰も答えられないのは充分に承知していた。

「しかし今さら、なんだその、ノロ……シだったか?」

 マリアは一度否定したセリフを言いにくそうにして、

「エンジンを爆破しても、すでにだいぶ時間が経っている。もうニーナと出会う時代を遠く通り過ぎたかも知れない。今さら遅いだろ」


「別にテルとニーナが出会う時間を考える必要は無いんだ。ニーナは過去から未来全ての宇宙に存在する次元の番人さ。アタシらが今通過中の時間域にだっているんだ。それもほぼ無限にずらっと並んでんだぜ。でも宇宙が創世記まで戻ったら、そのニーナたちもいなくなる。そしたらおしまいだよ」


 爺さんはふぅっと鼻から息を吐いてから、自分の感想を述べるように言う。

「成功すれば、生存するニーナが一斉に行動を起こし、時空修正が連鎖して良い方向へ正されて行くかもしれん…………」


 不安げに船尾を漂う光の渦を見つめながら、みたび首を振る。

「……じゃが。それが正しいかどうかは判断つかん」


 俺の思いは、サキに後押しされたのが功を奏したのか、徐々に暴走へと加速して行く。

「これこそ本気のラストチャンスだ。派手に吹っ飛ばそうぜ」


「人間は突拍子も無いことを考え出す、と昔から言われておるが本当だったんだな」

 マリアが溜め息混じりに言いうので、

「こう言うのをな。『ヤケクソ』って言うんだ」

「どういう意味だ?」

 俺は爽やかな気分で返す。

「当たって砕けろさ」

「自暴自棄か……。頭の悪いヤツが考えそうなことだな」


 しばらく考え込んだマリアだった。腕を組み、ほっそりとした手で顎を支えて、船内を行ったり来たり繰り返した。その足音だけが響いていた。


「往々にして……」

 ようやく口を開き。

「土壇場では効果があるやも知れぬな。ワタシもしょっちゅう『ヤケクソ』になっている」

 と言って、にやりと口元をゆがめた。


 館長は、砂の中から縄文土器の欠片を見つけたみたいに、異様に輝く目で俺を見ながら、

「時空修正の時間項をワシらは見誤っておったな」

「どういうこと?」

 サキが不安げに覗き込む。


「テルが考え出した方法は突拍子が無いでは済まされんかもしれん。この人間が時間項だと判断したからこそ、ニーナは身を呈してその命を守ったんじゃないのか?」

 自問に対して解答を得たのか、爺さんは瞳の奥をさらに深々とさせ、

「よいか。ニーナは自分一人ではとても修正できない事態だと気付いたんじゃ。だから全次元のニーナを同時に行動へと移させるために、テルをここに導いたと考えると、この青年は時間項となる」

 館長はもう一度しっかりとうなずくと、

「そうじゃ。だからここに存在する。今気付いたぞ。この男が時間項で間違いない」


「俺が時間項だって?」


 またそのややこしい話か……。できたらお断りしたいぐらいだ。


「うむ。理屈が通ってる。こいつは最後の人類だ。時間項となって歴史を動かすのかも知れん」

「そうだろ。アタシはそうじゃないかって思っていたさ」


「勝手に俺を担ぎ上げるな。なんだか話が一方的過ぎる。なぜそうなるんだ」


「証拠ならあるぞ。まずお前はカロマーの素質があるとしてテツに選ばれた人間じゃ。オレンジストーンを貰い受けたんじゃろ?」

「あれはサクラが拾ったんだ。俺じゃない」


「拾ったんじゃないよ。テツに拾わされたんだ」


「お前らの言うことは難解だ。俺はただのサバイバル部の部長で何の能力も無いし、頭の働きだって人並み程度、いや回転は遅いほうだ」


「頭の良し悪しじゃなくて、空間認知能力なんだよ」

「ふっ。お前を動かそうとしているニーナの意思が時空を越えて伝わってくるな」


「俺には伝わってこねえよ」

 ぶしつけに答えるが、どうやら館長たちは結論に達したようだ。マリアも深々と首肯した。


「ニーナは過去から歴史をすべて塗り替えるつもりなのだ。正しい歴史を歩みながら爆縮をさせない未来へと一からやり直す気だ…………で、この判断力の無い、優柔不断な男を選んだ……グズグズ時間を引き伸ばす性格が買われたな」


 おいおい。ひでぇ言い方だな。


「ここはお前さんが決めろ。エンジンを吹き飛ばすのも一つの手だ。生まれてくる時代を飛び越えるまで、スピリチュアルモジュレーションを続けるのもいい。残り一時間ちょっとだが、頭を抱えて何もせんのもよい。時の流れはお前さんを離さないじゃろう」


「マジかよ。今さら三択かよ……」

 震え声で答えたが、その後、言い返すセリフが何も浮かばなくなった。


「……………………………………………」


 いざとなるとビビるのが俺の最も悪いところだ。向こうの腹が据わりだすと、なんだか取り返しのつかないことを言ったような気がしてきた。


 サキはエンジンを吹き飛ばす計算に入り、コンソールパネルの上で細かな作業を始めた。その後ろ姿を見つめながら考える。


 まずは一つ目。

 生まれてから一度も未来の俺から通告を受けたことは無い。ということはモジュレーションは選ばなかった──これが答えだろう。


 思案に暮れる俺の前では、マリアがサキの作業を横から覗き混んだ。

「汚いコードだな」

「何でだよー」

 ディプレイから目を離して怪訝な顔をするサキに、マリアは信じられないほどの柔らかげな笑顔を振りまき、

「リアクターに関してはワタシが適任だ。何しろオンボロエンジンをいつも整備して最高の状態にしているからな」

「あのねー。エンジンの効率を上げるスクリプトじゃないんだよぉ。オーバーロードさせるんだぜ」

「解っておるワ。最高の高効率でバートリウム粒子を遠くへ飛ばせるようにコーディングを見直してやる。ワタシを舐めるなよ」


 エアロディスプレイ内を高速にスクロールする文字列。マリアは何度か止めたり、さかのぼったり。そして息を吐く。


「汚いコードが並んでるな。処理が入り乱れて、こういうのをスパゲティコードと言うのだ。エレガンスさがまったく見受けられない。この辺りが特にひどい。見てろ、こうして、こうする。な。これで5ミリセックは速くなる。それだけでもかなりの遠方に粒子は飛散するだろう」

「ほんとだ。マリア、すごいな」

「すごかろう。どうだ。ワタシにも苗字をくれぬか?」

「だめだよ~。テルはアタシにってくれたんだ」


「ケチケチするな」

「だ~め」


 楽しげに会話する二人の声をぼんやり聞きながら、再び思案に暮れる。

 残りは二つだが──。

 頭を抱えて何もしないという結論は、宇宙で一人生き残った人間としてどうしたもんだろ──なら。


「三択でもなんでもねえな……」

 腹をくくるも何もない。なんだよ。道は最初から引かれていたんだ。


「館長。俺が時間項だって、やっと意味が解ったよ……」


 俺のセリフを聞いて、サキは花が咲いたように顔をほころばせた。

「準備はできてんぜ。これを押すのはテルが適任だよ。任せるよ。あんたが未来を(ひら)くんだ」

 彼女から手渡されたのは、俺のスマホ。いつからか無くなっていたやつだ。


「充電してあるし、リアクターをオーバーロードさせるアプリをマリアがインストールしてくれた」

「俺のスマホにそんな機能を入れるなよ」

 震える手で受け取った。サキはニコニコ顔。アリアの目はギラギラ。そして館長は柔和に微笑みかける。

「時間項の者が決めることじゃ。ワシは従う。どちらに転ぶのもお前さんの未来じゃ。好きにするがいい」


「でも。万に一つでも間違っていたら……」


「気にするな。どっちに転んでも文句を言うヤツはこの宇宙に居ないぞ」

 俺の肩をポンと叩くマリア。

「お前がやったことが間違っていたとか、正しいとかの判断をする者がおらん。気楽にやれ」


「ま、マジかよ……」

 ひどいめまいが襲ってきた。今からやろうとする事は半端の無い重圧をかけてくる。胆を鷲掴みにされた感じがして、冷や汗が噴き出し指先が震える。


 カチコチになった俺の肩を(ほぐ)すように、サキが細い指を添えてきた。

「なぁテル。この先もずっと「峰山サキ」って名乗っていいんだろ?」

「あ、ぁぁ……」

 上手く唇が開かなかった。喉がカラカラに渇き、舌が口の中で張り付いている。


「あぁ。その名前はサキ、お前のものだ。命名者が保証してんだから安心しろよ」


「よかったぁ~」

 喜色満面の笑顔を俺に注いだサキは、胸ポケットから鏡を取り出し、

「ねぇテル。この不思議な高揚感は何だろう? すごく満ち足りた気分なんだ」

 その中に向かって静かに囁いた。


「たぶん『幸せ』っていう感情だろうな」

「そっか……これが『幸せ』なのか……」


 ゆっくりと鏡から愛らしい面立ちを引き剥がし、

「ありがとう、テル。こんな気持ち生まれて初めてだよ」


 肩の力が一気に抜けた。ここから先の未来は、過去の俺にまかせよう。

「きっと上手くやってくれるよな……」

「だいじょうぶさ。ほら。アタシが鏡を覗いているあいだに押しちゃいなよ。未来なんてどーってことないよ。なるようになるのさ。ニーナがテルを見守って、テルはサクラさんを見守るんだよ」


 その瞬間、俺ははっきりと悟った。


 サクラ─────。

 ズボンのポケットに入れた漆塗りの櫛。それを力いっぱい握り締めた。


 そうだ。俺はあいつを無事に家に帰すために生き残ったんだ。それだけを忘れるな。過去の俺。


 これが最後の思いだった。

 ゆっくりと、かつ静かに、指先でスマホのディスプレイを触れた。


 軽いショックの後、後部カメラの前を光球が走る。反物質リアクターエンジンはその瞬間、光輝く星となった。その爆発は凄まじく、爆流の空間を巻き込んで、暴れる大蛇のような光彩が大空をのた打ち回ると、世界中に響き渡る雄叫びを上げて瞬時に消えた。


 船は瞬く間も無く虹色の光子に埋まり、それは意識の中にも侵入して来て身体の(うち)も光と化した。

 次に目の前が暗闇に襲われた。次元との狭間にある空間に閉じ込められたあのときを思い出させた。


 思い出すことができたと言うことはまだそこに何かの空間があって俺の意識が顕在だということなんだろうか。真っ暗闇で何だかよく解からない。


 だが─────────────。






 ────────────ゴンッ!



「痛ってぇな。頭を叩くな」


「いつまで寝てるのテル」

「えっ?」

「もう起きなよ。朝ごはんの準備しなきゃ。キャンプは協調性が大切なんでしょ」


「さ、サクラ……助かったのか!」

「こ、こら。なに寝ぼけてんのよ。あ、バカ抱きつくな。スケベ」


 殴られようと、蹴られようと、何でもいい。こいつさえ無事ならば。

 俺はサクラに力強く引き摺られてテントから放り出された。最後は背負い投げで草っ原目掛けて仰向けに吹っ飛ばされ、まるで雑巾みたいな扱いを受けて広場で伸びた。


 視界に広がる青空の端っこから、そっと覗きこんできたクルミに「元気か?」と返し、刀の鞘で俺の頭を突っついてきたイケメン野郎に問う。


「イチ……。ここはどこだよ?」


「紀元前400万年。原始時代だ」


「西暦6900万年じゃないのか? まさか夢オチってことはないだろな」


「その時間軸は消えた。お前のせいだ」

「なんか悪いことしたみたいに言わないでくれ」

「お前は宇宙を救ったんだ」


「時間軸が消えたのに俺にはこれまでの記憶があるぜ。これってどういうわけだ?」


「ニーナがいたら叱られるぞ。それはお前がカロマーだからだ」

「じゃあこの時代のサクラと藤吉には、あの未来を渡り歩いた記憶は無いのか?」

「記憶が無いのではない。歴史そのものが無かったことになる」


 その平然とした口調が懐かしいぜ。でもよ、イチ。すぐには納得できないな。

「サキや館長はどうなる?」

「二人とも遺跡の発掘で忙しい日々を送っている」

「ちゃんと『峰山』って名乗ってんのかな?」

「個人情報だ。そんなことまでそれがしは知らん」


「ちぇ。ちゃんと調べておけよな、時間族のくせに……」

 ガサガサと安っぽいジャンバーの音をあげながら半身を起こすが、なんとも平穏な世界を見てますます疑心暗鬼になる。というより、紀元前400万年という世界を見て、平穏だと思えるのは、それまでの凄絶な経験が色濃く焼き付いているからで、どう考えても夢だったとしか思えないのだ。


 ところが──、

「あ…………」

 夢なんかではなく現実だった、とズボンのポケットから伝える物が……。

「これ……」

 サクラがニーナから貰った漆塗りの櫛だった。聞いたことも無い材質で作られた櫛だ。

 それをちらりと見たイチ。

「ティラニウムの櫛か……。いい土産ができたな」

 何と受けていいのか、ヤツはそれだけをポツリと漏らした。


「じゃあさ……サクラに俺の活躍を伝えてもいいのかな?」

 イチは珍しく歯を見せて笑った。

「ふははは。お前が全宇宙を救ったなど、誰が信じるか」

「う……うははは。そりゃそうだな。無茶苦茶な話だもんな」

「焚き木でも拾ってこい。ヒーロー」

「あははは。ヒーローが焚き木拾いやらされてやんの。すっげぇ人使いの荒い忍者だな。お前……」


 素直に茂みを目指す俺の脇にサクラが駆け寄って来た。

「どうしたのさ。珍しくイチさんと笑い合って」

 風になびいてサクラの髪が俺の肩に優しく撫でてくる。

「サクラ、ヒーローと一緒に焚き木を拾いに行くか?」

「誰がヒーローなのよ?」

「俺さ」

「ばーか。あんたはサバイバル部の部長どまり。ヒーローには絶対になれない」

 このバカめ、言い切りやがったな。


 ま、いい。とにかく宇宙は元に戻ったんだ。

  

  

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