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44)爆縮スリップストリーム

  

  

「オマエらはいったい何をしようとしておるんだ? ワタシにも手伝わせてくれ」

「悪いが今は説明している時間が無い。歴史のジャンクションが近いんじゃ。しばらく邪魔だけをせんでくれればそれでよい」


「うむ……」

 意外にもマリアはおとなしく引き下がった。

 爺さんは安堵の微笑みを彼女に返して、視線はこちらに移した。

「テル、準備はいいか?」


「お、おぅ」


 説明を求める眼差しで、マリアが俺の袖を引くので、

「時空修正さ。過去のニーナにこれまでの経緯を知らせるんだ」

 と、簡単に説明をするが、マリアは何かに突き動かされたように目を見開き、

「そうか。オマエら過去に飛んだのか……それでニーナは宇宙の終焉を知った……」

 腕を組み、幾度か瞬くと、

「いや、待てよ……。それならなぜこいつらはニーナから聞いたと言っているんだ……。ニーナはこいつらから、こいつらはニーナから……。むぅぅー。これは完全なるタイムパラドックスだ」

 難解な事を言って、目を閉じてしまった。


「どういう意味だよ?」

 訊き返そうとする俺の行為をサキの声が遮った。

『一つ目のジャンクションまであと18秒です。スピリチュアルモジュレーション準備』

 パイロットモードの声と共に頭上から薄っぺらなヘッドフォン風の物が下りてきた。


「モジュレーションの送信ポッドじゃ。アンテナみたいなものだと思えばよい」


『第1ジャンクション通過中。強く念じてください』

「念じるって言ってもよー」

 ひどく戸惑う。何を考えればいいのだろうか。

 ひとまず時間が無いので、四の五の言わずに思考の中で自分を呼んでみる。


(俺! いや過去の俺、聞こえるか? 未来の俺だ)


「────────────────」


 無反応だった。深々(しんしん)と染入ってくるような耳鳴りの感触だけ。そこから湧き出てくるのは自分の思考だけだった。


 何も聞こえねえぞ───。

 何だか無駄なことしてるんじゃね?


『第2ジャンクションに達しました。続けてください』


(おーい。未来からの通告だ! 日本のピラミッドは偽物だ。ほ、ん、も、のはー。オーストラリア南東1400キロだぁぁぁぁぁぁ)



 ───────────────────────────



 ん?

「ニーナ? 何か言ったか?」

「何も……」

「誰かに語りかけられたような気がするんだけど……」

「また幻覚ね。まだ懲りないの? だいたいねぇ。カロマーともあろう人が、」

「あ~~~わかったって、うるさいからそれ以上言うな」


 ビーコン捜索中に、孤独に耐え切れず幻覚を見た俺が、恥ずい行動を取ってしまったことを、ニーナはここで蒸し返そうとしている。

「でもよ~。幻なんてもんは理由さえわかったらどーってことないもんだぜ」

「なに言ってんの。さっきはあーんなに狼狽していたくせに」

「おい。それは言わない約束だろ」

 急いでニーナの声を遮ったが、遅かった。


「どんな幻覚見たの?」

 サクラが口を挟んだ。


「あのね……」

「ぬぅっ!」

 眉の端を吊り上げて、声にならない唸りをニーナに向ける。こいつサクラの前で言ってはいけないことをポロポロ漏らしそうだ。


「あはは。テルが怖いわ……サクラさん、また今度ね」

「今度も明日も無い。絶対に言うな!」



 この空間で、ビーコンを探すことは自分との戦いだった。意識を集中させてオレンジストーンの変化と暗闇とを交互に見る作業は気がおかしくなってくるのだ。


 あんな幻覚を見たことがサクラにバレたら、生涯重荷を背負ってい生きていかねばならんワ。なにしろオレンジストーンをじっと睨んでいたら、突然サクラの悲鳴交じりの声が聞こえたんだ。

 で、振り向いたら、俺たちは野武士に囲まれていた。しかもその先陣を切っていたのが藤吉だ。その形相がマジ怖くて、助けを求めるサクラよりも先に逃げ出しちまって、逃げ遅れたあいつは連中にばっさり切られたんだ。そりゃすげぇビビッて、狼狽した姿を曝け出してしまった、というわけさ。


 すぐに俺の意識にニーナが入ってきて、これは幻覚だと喝を入れてくれたので意識がしっかりしたが、あのときのサクラの悲鳴はまだ耳に焼きついて消えずにある。


 孤立した状態が続くと誰でもそうなる、とニーナは言うけれど、あの光景はマジで肝を冷やした。だけど今回のは幻覚でも幻聴でもない気がする。妙な胸騒ぎが起きて、さっきから落ち着かない。それは緊迫した状況とまったく異なる光景が、今俺の目の前で繰り広げられている──からではないだろうか。


 何なんだこいつら……。


 目の前ではサクラとクルミが赤く瑞々しいスイカを頬張って、その向こうでは怪訝な顔つきで八分の一にカットされたスイカを睨んで固まる藤吉がいる。


 俺には宇宙規模的な責務を背負わせておいて、こいつらは優雅に時間旅行のつもりなのだから、どうしても割が合わない。


 だいたい丸のスイカを日本刀で八分の一に切り分けるなんて非常識すぎるだろう。しかも計算されたように均等に切りやがって、神業だぜ。まさに忍者だな──ちゅうか。日本刀でスイカなんか切るなって言いたいぜ。


「刃が長いから、日本刀が便利なのよ」

 くだらんことを言いやがってニーナめ。マグロの解体ショーじゃねえってんだ。


「なるほど……意外と美味な物だな」

 俺たちの真似をして、ひと口かぶりついてから、ようやく頭領の目尻が下がった。

「このような大きな果物があるのか。世の中変わったのだな」

 吊り上げていた眉毛を逆に下げ、舌鼓を打ち出した。


「頭領の時代にもあっただろ?」

「戦国時代に果物など……、女の食うものだ。軟弱な!」

 あーさいですか。悪かったね、スイカは俺の大好物なんだよ。


「そんなこと言ってると──お前、時代が違ったら叩きのめされるんだぞ」

 念のために釘を刺しておく。


 サクラは目に笑みを浮かべて、

「これ、テルの大好物なんだよー」

 くだらんことを暴露し、藤吉はチラリと俺を見て、ひとこと「軟弱め」と言い返してきた。

 お前だって美味そうに食いやがって──と胸中で文句を垂れつつ、赤い瑞々しい果肉にかぶりつく。


 しかしまぁ何とものんびりしたもんだ。宇宙規模のミッション随行中だというのに俺たちは昼メシの真っ最中なのさ。ニーナがまたどこかのコンビニへ飛んでオニギリとサンドイッチ、ついでに丸ごとのスイカを一個買って来た。砂場もあるし、これで照り返すような太陽があれば、まるっきし夏のビーチだぜ。


 ま、水分補給にはスイカもいいけどな……もうひと口、かぶりつく。


「あ~~うめえ」


「ね。ね」

 サクラがスイカを持ったまま小指を立てて、俺の肩を突っついた。

「ねぇ。今度さ、あれでスイカ割りしようよ」

 イチの刀を指の先で示して、とんでもなく恐ろしいことを提案し、クルミは不思議そうに澄んだ瞳を忍者野郎の肩先に向けた。


「ば、バカ。一歩間違えれば死人が出るワ」

 マジでやろうもんなら、そこは猟奇的殺人現場と化するわけで──。ついでに言うと、もはや『割り』とは言わんな。


「ん?」

 また誰かに呼びかけられた───気がする。


「ニーナ。やっぱ何か変だぞ」

「またなの?」

 怪訝な表情で眉間にしわを寄せ、整った面立ちを俺へと近づけるニーナ。

 俺の額に手を当てようとして、サクラの咳払いに、ビクッと引っ込めながら、

「連中の妨害かもしれないわね。環境シールドのパワーを高めてみるわ」

 と言い、数回、長いまつ毛瞬かせた。


 それは生きたフランス人形、いやこいつは人工生命体みたいなもんだから、生きたではなく、よくできた動くフランス人形だな……で、俺は何が言いたいんだ?


 意味不明の思考で支離滅裂の展開をした俺はその場で放置されて、ニーナはイチと向き合って議論を始めた。

「普段恐怖に思っていることが、潜在意識の奥底に溜まった混沌とした記憶と入り混じって、表に出て来たと思うの。意識に映るものを亜空間内で具現化するんだもの、それがごちゃ混ぜになるのは仕方が無いわ」


「たしかにこいつの意思はとても弱い。すぐに逃げ腰になる悪い癖がある。その灰汁(あく)のようなものが滲み出てきているのかも知れぬ」

 えらい言われようだな。馬鹿にしやがって。何だかしゃくに障るヤツだぜ。


 その時、忽然と頭の中で言葉が湧いた。マジで突然だった。青天の霹靂とも言える。何も無い空虚な状態から衝撃的にふありと浮かんできたのだ。


「ここは反政府グループの実験施設じゃない! 俺たちを誘い込む罠だ!」

「テル。なに言ってんの?」

 尖らせた口からスイカの種をぷっぷと吹きながら、サクラが小首を捻る。


 思わず俺も首をかしげる。

「さぁねぇ?」

 何だぁ……?

 自分で言っておいて、それはないだろう、てな顔でサクラがおかしな風に目尻を歪めて、

「あんた寝てるの?」

「ばかやろー」

 寝ちゃいないが、何だろう今の……誰かのメッセージかな?


「なぁイチ。ここのピラミッドが反政府派の実験施設じゃないってことはあるか?」

「そんなことは無い。ここがそうだ」

「だってよー。反政府派は時空ハブを利用して次元に穴を開けようとしてんだろ。もっと広い場所が必要なはずだぜ」


 ハンサム面したイチの顔色がさっと色を失い、鋭い目つきで俺を一刺しにした。

「なぜ時空ハブのことをお前が知っているんだ? 理解するには難解なので、それがしはひと言も説明していないぞ」

 驚愕に震えるヤツの声で、俺まで息を飲んだ。


「し……知らん。さっきから俺の知らない言葉が口から自然と出るんだ」

「知らないコトバ?」

 瞬時に笑みを消したニーナが、緊張した表情で俺を覗き込んだ。


 それに向かって、

「爆縮のスリップストリームに張り付いて逃げてんだよ!」

 またもや俺の喉を意味不明のフレーズがすり抜けた。


「何それ。滑ってんの?」

 サクラはポカンとし、俺も首を捻る。


「知らん。なんのことだかさっぱり解からん」


「テルさまが言うことが正しければ、何だかとても怖いことが起きそうな気がしますぅ」

 不安げに視線を彷徨わせるクルミと、怖い顔で睨みを利かせるサクラ。

「ウソを言ってクルミちゃんを怖がらそうとしるんなら、首絞めるよテル」

「ウソじゃない。俺の頭の中に浮かんでくるんだ」


「こいつはバカだが正直者だ。だとしたら、それがしの知る未来ではない」

「何だこいつ。褒めてんのか? けなしてるのか?」

「だったら見過ごせないわ。別次元からの連絡かも」

「しかし、ニーナのネットワークから何も伝わって来ないのが腑に落ちんのだ」

 イチは大袈裟に腕を組んで首をかしげた。



 ───────────────────────────



『スピリチュアルモジュレーションが同期し始めています』


「うぁぁぁぁ。何だこれ、頭の中でエコーが掛かってっぞ! グワングワン声が響くんだけど……」

「それが感情サージじゃ。お前さんの訴えた言葉が過去のお前さんに届き、それが記憶となって跳ね返ってきておる。気をつけろ。意識をしっかり持つんじゃぞ」

「そ、そうなのか。気分のいいもんじゃが無いが、とにかく頑張るよ」


 初めはどこかの鍾乳洞で大声を出して叫びまくるような音響だったのだが、必死になって唱えるにつれてそれも慣れてきた。ただ、未だに向こうからの返答はない。


「これって一方通行なのか。過去の俺からの反応が無いと、通じているのかどうだかよく分からない」

 爺さんは俺に首を振って、船首に向かって尋ねた。

「サキ、インターフェースの出力をもう少し上げてくれんか?」

『すでに限界値です。これ以上高めることは推奨されません』


「なんだか頼りないんだよな……あ?」

 いきなり頭の中がすっきりした。朝まで一度も目覚めず、ぱちりと目を明けたその瞬間みたいに爽やかな気分が広がった。


『スピリチュアルモジュレーションが途切れました。シールドが強化された模様です』

「まずいな。ニーナが警戒し始めたかもしれんな」

 困惑する館長の表情を覗き込みながら、俺はモジュレーションポッドを頭から外した。



「なぜこんな回りくどいことをするんだ? 直接向き合って伝えたらいいではないか?」

 マリアが首を捻るのもあながち間違ってはいない。俺もそう思った。


「ワシらはニーナの存在が消えてからの時間域に存在するタイムラインレベルなんじゃ。直接出会うのは余計な警戒心を目覚めさせてしまうじゃろ。彼女は数々の次元に存在する敵対者から妨害を受けておるんじゃ。なにしろニーナをコントロールすれば時空修正も可能じゃからな」


「そうか。ニーナの知らない俺たちは、敵かもしれないと踏んでくるんだ……」

 おかしな気分だった。俺はちっとも変っていないつもりなのに、時間が異なると変化するのだろうか。


「でもあの時間の俺は同じ時間軸の延長線にいる俺だろ? 俺だけは認識できるんじゃ無いのか?」

 俺、俺って何だかややこしいが、どの時間であってもニーナは俺を見失うことはないはずだ。

「そうじゃが。過去のお前さんと今のお前さんが向き会うと、スピリチュアルモジュレーションの比ではない猛烈な感情サージが起きるぞ。あまり奨められん」


『まもなく第3ジャンクションです』

 ほれ、と爺さんがポッドを放って寄こし、受け損なったポッドがマリアの手に落ちた。


「じれったいやり方はやめろ!」

 彼女はそれを船首に向かって力強く投げつけた。


「あっ!」

 数回バウンドしてから、ポッドは軽い金属音を上げて床を滑り、側壁に当たって止まった。


「バカもん! 無茶をするな壊れたらどうするんじゃ!」

「この野郎。気を許していたのに……寝返りやがったな」

「違う! こんなオモチャでチンタラしていたら間に合わないぞ。ほら見てみろ!」

 マリアが指差す先、船尾から空間のゆがみと一緒に虹色の光子が迫って来ていた。


「他に方法は無いのじゃ。邪魔をするなと言うておるじゃろ」

 だがマリアは堂々とした態度でかぶりを振る。

「落ち着つくんだ! ジジイ」

「何をじゃ!」


「感情サージ云々(うんぬん)と甘えたことを言うな。ラストチャンスなら直接向き合って念じるんだ。そのほうがより強い精神波が届くだろ。ワタシも手伝う。オマエらもアンドロイドなら奥の手を使え。今がその時だ。強行突破するんだ」


「何だよ、奥の手って……」


 マリアは前線基地に集まった部下を相手に説明するような口調で、

「いいか、よく聞け。確かにこの姿のままでニーナの前に出るとヤツは警戒する。だが、完全な同一体を装うって近づけば、ヤツは我々の時間軸を調べるためにフェーズ周波をスキャンをしてくるはずだ。その時に情報を一緒に流せばいい」


「完全な同一体ってどういう意味だよ?」

「向こうと同じ姿に変身して近づくという意味じゃ……そうじゃろ?」

 訝しげな表情だが、館長はしっかりとマリアの顔を見る。そしてそれにうなずく黒髪の美女。


「そのとおりだ。我々はスキンを変更すればそれで済む。それにこの男に関しては問題なく異時間同一体だ。感情サージ覚悟で近づく物好きな異時間同一体はまずいない。ニーナは必ずスキャンをする」


 スキンってなんだろ?

 俺を無視してこいつらだけで話しを進めやがるのが、少し腹立たしい。


 ──あれ?

 こんな気分、過去にもあったな。ニーナとイチに同じように馬鹿にされたような……。

 こういうのをデジャブと言うのだろか?


 いや明白に否定できる。これはデジャブではない。マジで馬鹿にされた記憶がたった今湧き出てきた。しゃくに障った気分まで同じだ。さっきまではそんな記憶は無かったのだが……はっきりと覚えている。



「しかし、向き会うといっても、どの瞬間が最適なんじゃ? タイムラインは無限に広がっておる。せめて年代だけでも絞らんといかんぞ」

「うむ。歴史を遡って調べる時間はないだろな……」


「あぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 いきなり放った俺の雄叫びに協議が中断。一斉に視線が集まった。


「どうしたんじゃ、いきなり……」

「俺、過去に自分の同一体と出会っていたんだ。いま思い出した」


「なんじゃと! なぜそれを早く言わん」

「だ、だってよ。あの時、ニーナもイチもタイムラインレベルはあり得ないから異空間の妨害だろうって言ってたから……」


 マリアも喰らいつきそうな形相で迫った。

「もっと詳しく思い出してみろ人間! 見たのはオマエだけか? 他には誰もいなかったのか?」

「おいおい、おっかねえ顔で喰いついてくるなよ」

「うるさい! これで歴史が好転するかも知れぬのだぞ。落ち着いてられるか! 早く思い出せ!」


 おしとやかにすれば美人間違いなしの整った顔が無残だ。


 俺はマリアに睨みつけられつつ、本のページをめくるように順繰りに過去の記憶を遡った。

「えっと……。サクラとイチとクルミもいた。そうだ藤吉だけがいなかった」

「ここの人数と一致するな。もしかするとその時見たのは我々かも知れんぞ」


「ど、どうしてそうなる? お前らなんか居なかったぞ。イチとクルミと、」

「あーうるさい。時間が無いんだ喋るな! オマエ以外はスキンを変えれば同じ姿になれる」


「何だよそのスキンってぇ?」

「説明は後じゃ。それはいつのことなんじゃ?」


「えー? 初めてピラミッドを見た……その前だったかな」

「ビーコンを探し始める前じゃな。となるといつの時代だ? お前さんらは何度か時間を飛んでおるぞはずじゃ。ワシと最初に会ってから何度目の跳躍じゃった?」


「え? そう言われると自信が無いけど……。一回目の跳躍だったと思う」


「ワシと出会ったときは西暦5208万年じゃから、今より1700万年前じゃ」

「あっあっ、ちょっと待って、最初はだけは千年飛んだから、5208万と1千年だ」


「爆縮の大津波がその時代を越えてしまっていたら、もう引き返せないぞ!」

 猛然と顔を上げるマリアと館長。


「サキ! 間に合うか?」


『あと12秒で通過します。急いでください』


「よし、速度アップしてスリップストリームの前に出るぞ。どれぐらい時間を稼げる?」

『爆流より53秒間だけ前に出ることが可能です』


「よし、タイムアウトを50秒に設定じゃ」

 爺さんはバタバタとコントロールパネルに飛びつき、いくつかのクリック音を奏でると、トランスフォームして船の一部と化している銀髪の少女へ向かって叫んだ。


「サキ、渦の前に出たら自動操縦に切り替えて、みんなでその時間軸に降りるんじゃ。お前も一緒に来い。それからイチらの外的プロパティのデータをワシらにアップロードしてくれんか」


『了解。速度14パーセントアップ。爆流の前に出ます』

 不気味な振動が再び起き、船が軋みを上げて上下に揺れ出した。


『スリップストリームの前に出ました。スキンリストのアップロード完了。トランスフォーム解除します』


 パイロットモードのサキが次々と報告する意味はさっぱりだが、やがて俺は目を疑うことになる。


「く、クルミ……」

 船と同化していたのは確かにサキだった。だが俺の目の前で背筋を伸ばしたのはクルミだ。艶々とした長い黒髪は忘れもしないクルミの髪の毛だ。


「さぁ。急ぐぞ」

 と肩口から声をかけて来たのは、

「い、イチ!」

 さらに振り返って息が詰まる。


「さ、サクラ!」

 だがありえない口調に、肝をつぶす。


「いちいち驚くな、このバカ者め。時間が無いんだぞ!」

「お、お前はサクラじゃない」

「当たり前だ。ワタシはマリアだ。これはサクラとか言う女のデータをもとにスキンを変えただけだ」


「ワシも容姿が忍者装束のイチに見えるだけで、中身は博物館の館長じゃわい」

「驚くほどのものではない。一流のアンドロイドになればスキンの変更ができるようになっておるんだ」

「自分で一流って言ってるよー。こいつ」とクルミ風のサキ。口調が何も変わっていない。


「スキンってお前らの外観のことか……」

「そうだ。ルックアンドフィールじゃ。見た目を変えることだ」


「すげぇなぁ未来のアンドロイドは……」


「感心している時間は無いぞ。サキ急げ。転送じゃ」

「へへへ。おっけー。なんだか面白くなってきたなぁ」

 クルミの姿でサキの声。信じられない状況に戸惑う間もなく、目の前が一瞬暗くなり、気づくと霧に包まれた砂漠の上だった。



 そして霧が晴れ───、

 

 俺は、俺と対面した。

  

  

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