43)改心したマリア様
「計算終わったよ。館長」
銀髪を手でかき上げて、サキは溌剌とした態度だった。
「よし。再起動じゃ」
「りょっ、かーい!」
サキはニコニコとトランスフォームを開始。俺はどうしていいか分からず、睨み合う爺さんとマリアを交互に観察。
『誰かストレインゲージ(ひずみ計)を注視してください。爆縮現象が発生すると歪み率が急上昇します』
と言う声に我に返る。
「どうしたらいいんだ?」
手伝おうと思ったが、複雑な計器類は意味不明のものばかりだ。どれが、その歪み計だかさっぱりだ。
「どれ、ワシがやろう」
爺さんはコントロールパネルの一角に並んだインジケーターへ視線を据え置いた。
「だから研究所を破壊するのか……」
ぽつりと独白のような言葉を漏らすマリア。
「研究所って、あのピラミッドのことか?」
「それ以外に何がある」
誰もマリアの相手をしなくなったので俺がするしかない。
「あのな。何度も言うけどな、俺たちは武器を持っていない。あんなでかいもの物理的に無理だろ。どうやって破壊すんだ」
「だが実際に別の研究所に忍び込んだではないか。破壊工作はいくらでもできたはずだ」
俺は、大仰に息を吐いて見せた。
「あんたはパイロットだから知らないだろうけどな、次元は二千、正確には一八四四京の数に枝分かれしてんだ。一つや二つの施設を破壊したところで何の影響も出ない。それよりお前らの幹部は、すべての次元で研究所を同じ場所に配置してんだとよ。実験はさらにその中の一点でやるらしい。お前の脳ミソが電子で動いているのか何だか知らないが、一八四四京っていう数がどれぐらいの数か分かるだろ」
「それで時空修正か……」
「それも難しくなった。ニーナがいなくなったんだ。俺にはこの船、」
光り輝き出したサキをちらりと見てから、
「もう仲間はサキと館長しか残っていない。お前らの汚い罠にはまっちまって、みんな……」
「はんっ! そんな100年も前の湿った話など知らぬワ。それよりノコノコ出かけて、ネズミトリに捕まった間抜けな連中の生き残りがまだいたとは、そっちのほうが驚きだぞ」
マリアが俺の言葉をかき消した。
「何とでも言え。俺だってよく分からないんだ。北陸でキャンプしていただけなのに、気付けば宇宙の終わりを阻止しようとする仲間に引き摺り込まれて、6900万年という時間を飛ばされたんだぞ」
「それは、お気の毒さまだな」
マリアはぷいと横を向いて黙ってしまった。
「何だよ。他人事みたいに……」
「他人だ!」
ヤツは側壁に向かって吐き捨てた。
「よく聞けよ。爆縮は必ず起きるとニーナが予知しているんだ」
「ニーナシステムはもうない。今となってはどこまでが本当だか分からん」
「そうか。それで破壊したんだな。自分たちの過ちを隠すためにニーナを」
「知らん!」
「お前らの尻拭いを俺たちがやろうとしてんだ。ちっとは協力的になれよ」
「知るか! だいたい次元に穴など空くわけがなかろう。オマエこそ間違ったことを教えられておるぞ。天文学的な数の平行宇宙の共通の一点とはどういう意味か理解しておるのか? ほぼ無限だと言うことだぞ」
「だから位置を合わせるまでに100年も掛かったんだろうな。しかもその場所までニーナは知っていた。さっきの実験施設にある共振エミッターとかいう装置の位置がアンカーポイントなんだ。一八四四京の次元でそろえられて、そのポイントで起こした実験が宇宙の底を抜いちまうんだ」
「……まさか。そんな愚かな過ちをわがグループの研究者がやるわけがなかろう」
「次元を貫通させるために無理したんじゃないのか?」
「さっきから言っておる宇宙の底を抜くとはどういう意味だ? 爆縮とはリセットとは、いったい何なんだ?」
「時間の流れが縮まるって話だ。空間も引き摺ってビッグバンの直前の状態に猛烈な勢いで縮むんだってよ。爆縮って言うぐらいだから、大きく広がる爆発じゃなく激しく縮むっていうことだろ。俺にはよく解からん……」
「新星爆発の爆縮現象と似ておるな。そんなことになったら、全宇宙、いやブランチした平行宇宙まですべてが消えるではないか」
「だから言ってるだろ、宇宙が消えるって。みんなこれに賭けてんだ。これがラストチャンスの時空修正なんだぜ」
「それをニーナが知っていただと……?」
マリアは急激に語気を落とし、
「やはりその話はおかしい。ニーナシステムが壊された後の歴史をなぜヤツが知っておる。もういないんだぞ。どこかおかしい」
「そこは俺にもよくわからない。でもニーナは知っていたんだ。俺はそこに賭ける。そしてサクラを助けて、あいつを家まで送り届ける。それが俺のミッションだ」
「ガキが……」
吐き捨てるマリアの口調に憤りを感じ、
「うるさい! 俺にとっては6900万年後の宇宙なんてどうでもいいんだ。俺の歴史ではサクラを……」
「サキ! 始まったぞ! ゲージが跳ね上がった!」
俺の怒りは館長の動揺した声で吹き飛んだ。
『了解。湾曲シーケンスは正しく処理されています。現在速度、光速の56パーセント』
「何が始まったんだ?」
マリアが首を伸ばした。それへと向かって俺は再燃した怒りにまかせて厳しく吠えた。
「さっきから言ってんだろ! たった今、宇宙の底が抜けたんだよ」
「ウソだろ……」
『光速の80パーセントを超えました。出口まで2秒』
たったの二秒なのに、気が遠くなるほど長かった。
目の前のディスプレイは無彩色のまま塗り潰され、灰色の空間に閉じ込められた、と信じ込みそうなほどに時間が経過して───。
『実空間に戻ります』
軽いショックの後、画面がホワイトアウトを起こした。
「うわっ!」
背後に不気味な気配を感じて凍りつく。船内の後部隔壁が歪んで見えた。
「な、なんだ。機体がねじれておるぞ!」
迫って来る空間の歪みから、マリアが飛び跳ねて逃げた。
「サキ、速度をもう少し上げろ。巻き込まれるぞ!」
船尾を睨みつけて爺さんが叫ぶ。
一瞬の間が空き、目覚めたように船体が揺れ出した。
想像を絶する振動と強烈な光に襲われ、全身が虹色の光子にまみれていく。
「あだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ」
ショックで座席から放り出され、マリアと一緒になって床を転げ回った。おそらく慣性ダンプナーでも抑えようが無い猛烈な重力の変化だったのだろう。次に俺たちを瞬時に包んだのは虹色の光の粒だ。ありとあらゆる色が混ざる光のパーティクルだった。
得体の知れない恐怖が滲み出る。虹色の粒は歪んだ船体を蝕み、万華鏡を内部から見たのと同じ光景が俺の網膜を焼き覆うった。
『速度が90パーセントに達しました。爆縮の進行速度が計算値よりわずかに遅いです』
「むぉぅ…………」
目を見開いたマリアの驚愕に震える表情がわずかに緩んだのは、ねじれた空間が後ろへと引き下がり始めたからだ。
「上手く乗るんじゃ。速すぎても、遅すぎてもいかんぞ」
『87パーセントに調整。安定しています』
安定したと言っても、揺れがひどく舌を噛みそうだ。
激しい振動で、いつのまにかマリアの拘束が解け、しかも俺にしがみついている。その量感のある胸元が押し付けられていた。
「か、か、館長。大丈夫なのか?」
問いかける俺の口の動きを、マリアが凝視するのを肌で感じつつ答えを待つが、館長はそれどころではないらしく、計器に視線を貼り付けて身動き一つしない。
「サキ、いいか。渦の後ろに入るぞ。準備はどうじゃ?」
『量子スリップストリームドライブ起動準備。速度コンマ3パーセント落とします』
「頼むぞ。スリップストリームに入れば安定する」
まるで拝むみたいにして館長が手のひらを握り合わせた。いや祈っていたのだろう。人工生命体だということを感じさせない立ち居振る舞いは、進化の最先端に達したと思われるが、その技術もこのミッションが失敗すればすべて水の泡と化するのだ。
『頂点に達しました。ドライブフルレンジ解放』
後ろから突き飛ばされたかのようなショックと、瞬間に広がる静寂──。
さっきの揺れがウソみたいに沈黙の深海へ沈んだ。
「ど……どうしたんだ?」
時間が止まったとも思える光景が数秒続いた。船内にいた全員が固まっており、亜空間で見たサクラや藤吉の姿を思い浮かべたが、
『爆縮が起こす螺旋流のスリップストリームに入りました。予定どおり時間を遡っています』
「ふぅう……」
やけに艶かしいマリアの息遣いで、やっと俺も弛緩できた。しかしすぐに身構える。戦闘服姿のマリアがガバッと立ち上がり、天井に向かって傲然と吠えたからだ。
「リンクが切れた! うぉぉ。どうしたんだ!」
「何だよ、やぶから棒に……」
「ワタシは空間ネットワークで母国とリンクされておる。それが今切れた。ネットワーク物理層に何も受信できん。人間! これがどういう意味か解かるか?」
「知るかよ!」
「母国が消えたということだ。あるいはネットワークが破壊されたかだ。どちらにしてもワタシは孤立したんだ」
「俺には理解できん!」
「アンドロイドからリンクが切れることなどあり得んのだ。何をしていいかわからない。不安だ!」
徐々にマリアの表情が変化を始めた。まるで怯えた少女のようだった。自分を抱きしめるように両手を回して震えだした。
「だ、誰れでもいい。何か答えろ。ワタシはどうしたらいいんだ」
「なんじゃ、お前さん。リンク切れは初めてか?」
「ど、どういう意味だ。リンクが切れたアンドロイドは殺処分される時だけだろう。ううう。静かだ。うぁぁ。気が狂いそうだ。何とかしろ!」
長い黒髪を鷲掴みにして取り乱す仕草は真剣だった。目の焦点が合っておらず、その瞳の奥は恐怖の色が濃く、パニック寸前だった。
船のシステムと一体になっているサキがボディを後ろに捻った。
キシキシと乾いた音を出して、擬神経プレートが体の動きに合わせて移動する。
『これを利用して自我のイメージを見せることを推奨します』
さっきまでエアロの画面をピアニストみたいな動きでタイピングしていた左手が俺の肩に添えられ、赤く燃える瞳がこっちを見ていた。
「何?」
胸ポケットから出された一欠けらのガラス片。そうサキが大切にしている鏡だった。
「どういうこと?」
『リンク切れを起こしたアンドロイドは、孤独に対する恐怖で感情を司るエモーションチップがオーバーロードになり、錯乱現象を引き起こします。そのような場合、鏡を見せることでイメージデバイスから受ける現実の映像と自我の意識とがフィードバックされ、過度の恐怖を抑えることが可能です』
「リンク切れの初期症状じゃ。ワシらも襲われたが、鏡を見ることで落ち着く」
「それでサキに与えたのか……」
普段からよく覗いていた理由もこれで理解できた。あれは意味も無く見ていたのではなくて、気を静めていたのだ。
「ほら。これ見て落ち着け、マリア」
「う、う、う。怖い。ここはどこだ。誰もいないのか?」
「お前。亜空間で幻覚に襲われた俺より狼狽してんぞ。どうしたんださっきの威勢は?」
「うぅぅ。こんなに恐怖を身近に感じたことは初めてだ。どういうことだ。あぁぁ。静か過ぎる」
「ほら。この鏡を覗いてみろよ。落ち着くらしいぞ」
最初は拒否をしていたマリアだったが、ガラスの中に動く自分の姿を見つけると、吸い込まれるように目線を固着させた。
「……禁じられている鏡では無いか……なぜこんなものを……貸せ! おぉぉ……なんと美しい」
「自分で言ってら……。ナルシストのガイノイドもいるんだ」
マリアは震える手で俺から鏡を奪い取ると、中の鏡像に視線を落とした。
「おぉ。ワタシはこんな表情もできるのか……」
時おり髪の毛を梳き上げたり、口元を持ち上げてみたり、女性らしい仕草を繰り返し。
「………………………」
黙り込んでから数分。
「オマエらもリンクが切れておるのか?」
凛々しい顔を上げた。
沈黙のまま首肯する館長。
「そうか、ホームレスか……」
「ホーム……レス?」
恥ずかしげに目尻を下げた爺さんが言い添える。
「マスターがいないアンドロイドのことを指してそう呼ぶんじゃ」
「ふははははは。あははは」
急激に笑いが込み上げてきた。
「何がおかしい?」
マリアは不思議そうな顔をするが、
「ホームレスとはよく言ったよな。……でもな、俺たちはそんなチンケなもんじゃないぜ。これから数瞬後、コスモレスになるんだ。ホームぐらいなんだよ」
「コスモレス?」
「自分が住む宇宙が消えるんだよ。その隔壁の向こうから順にな。さっきの歪みを見ただろう。ほんの数メートル向こうは無の世界だぜ」
「………………………………っ!」
マリアは瞬間に黙り込んだ。俺に鏡を返して、透き通った黒い瞳で壁の向こうに広がる光景へ思考を巡らせた。
「……その仕事、ワタシにも手伝わせろ。成功させてやる」
彼女の声に覇気が戻ってきた。




