42)道連れ
『反物質チャンバー準備できました』
「それじゃ行くか。湾曲シーケンス準備、浮上じゃ!」
シャトルクラフト(短距離用の小型宇宙船)と同化したサキの姿を眩しそうに見て、爺さんが大きな声で宣言し、それを合図に、船内の装置がほのかに騒がしくなる。この宇宙で最後の時空修正ミッションの開始だ。
音も無く砂の中から船が浮かび上がった。
前方カメラの前を乾燥した砂がなだれ落ちて行く。その映像を見ながら、俺の耳はパイロットモードの声に集中した。
『反物質反応率14パーセント。変換効率98パーセント。すべてを前方亜空間フィールドバッファーへ充填中、35パーセント完了。スターティングタイム残り23セック』
「あまり高度を上げたらいかんぞ。センサーに引っかかるからな」
『了解。現在高度12センチ』
「高度っていう程のものかぁ?」
俺の小声が伝わったのか、爺さんの鼻から笑みが漏れた。
「ふぉふぉ。静止状態でこれ以上浮かせるとグラビトンスキャンに検知されるんじゃ」
『バッファー充填率69パーセント』
「充填の影響で空間ドレインの先が光らんように頼むぞ。暗闇では目立つからな」
『了解。40ルーメン以内で抑えますが、それを越えるようでしたら、先端部を砂の中に潜らせます』
何のことを相談し合っているのか俺には理解できないが、ようは宇宙船の鼻面が光りだすから、そうなったら砂に突っ込むぞ、てなことでたぶん正しいだろう。
『スターティングタイム残り12セック。バッファー充填95パーセント完了』
「ヒーローくん掴まっとれよ。慣性ダンプナーとて万能ではない。爆縮が始まったら、ちと揺れるぞ」
『VR点けますか?』
爺さんとサキの視線が集まったが、俺は急いで座席にしがみつき、頭を振ってから正面のスクリーンを示す。
「あれはもう懲りた。そのでかいカメラ画面でいいよ。それよりシートベルトをつけて欲しいな」
俺が求めた後半の願いは無視された。そんなものは最初から無いようだ。
『スターティングタイム残り5セック。4、3、2、1。浮上します』
大型ディスプレイが映していた画面がふわりと揺れた。だが機内は静寂そのものだった。
「湾曲シーケンス開始じゃ。擬似空間の入り口が開いたら飛び込み、できるだけ早く閉めるんじゃぞ。空間のゆがみをヤツらにスキャンされるからな」
『了解。空間ソース開きます。進入開始』
画面になんとも不気味なものが映った。砂の海と黒々としたピラミッドの景色が歪み、渦を巻いていた。その中心から無彩色の穴が見える。漆黒の空間に光るでもなく、かといって闇に解けるでもない。くっきりとした灰色の穴がみる間に大きくなっていく。
「青年。あれが亜空間シンクホールじゃ」
「落ちんの?」
「いいや。21世紀の人間にはワープ空間の入り口とでも言うたほうが通じるかな」
映画やアニメで見るものとはまったく異なった地味な色合いで、何の動きも見られない。地面に置いた黒い板へ灰色のペンキを落して行く感じだ。じんわりと丸く広がって船を飲み込んでいった。
無音なのだが、微妙に細かい振動が伝わってくるのが不気味だ。
『計算されたアルゴリズムで侵入完了しました。現在加速中。速度230キロメートルパーセック(km/s)。振動係数は許容値です』
「よしサキ、入り口を閉めて後は湾曲シーケンスに沿って、」
館長の言葉を遮って、いきなり甲高い声が響いた。
『このーーぉ、待ちやがれクソジジイ! ワタシから逃げられると思うなよ!』
スクリーンの右端に別の映像が飛び込んだのだ。
「だ、だれじゃ! テル。悪いがVR点けるぞ。そのほうが対処しやすい」
言い訳みたいな説明の途中で、俺は不気味な灰色の空間に放り出された。
「うはっ! 怖ぇぇぇ」
辺りは全てが無彩色だった。明るめの灰色の世界。
真の暗闇が広がる亜空間と異なり、これはこれで奥行き間が無く、めまいがしそうな無限の広がりを感じる。その空間にぽっかり開いた黒い穴が、しゅんと閉まる寸前をすり抜けて、小型艇が飛び込んで来た。
それは俺たちの真後ろに張り付いて喚いた。
『はーーっ! 噛み付いたが最後、もう逃がさんぞ!』
見慣れたマークの小型艇。先端部がボコボコにへこみ、傷だらけの機体。間違いなくそれは小惑星帯へ置いてきぼりにした女性パイロットの操縦する船だった。
「サキ、閉まる寸前に飛び込んだぞ! 追い出せないか?」
『完全に閉まっていますので不可能です』
「ど、ど、どうしたんだ?」
突然のアクシデントで俺は灰色の空間に浮かんでオロオロし、そこに映し出された通信画像の向こうでは、目を吊り上げた女性の怖い顔。
『停船するんだジジイ! 止まらぬと撃ち落すぞ!』
「止まるわけにはいかんだろ。ここをどこだと思っとるんじゃ!」
と画面にはそう答え、館長は困惑した表情を俺たちに向けた。
「まずいことになったぞ。しつこい女狐じゃ」
「ということは……どうなんだよ?」
『武器の起動を検知しました。シールド張ります』
「こんなところでドンパチ始めたら、湾曲シーケンスどおりにいかん!」
「どうなるんだよぉ?」
さっきから、俺、こればっか。
「ワシにもわからんワ!」
出会ってから初めて慌てふためいた館長を見て、こっちは肝っ玉が凍りついた。
「速度を落とせば外に放り出されるし、攻撃のショックで元の地球には戻れんようになる。そうしたら計画はムチャクチャじゃ」
「なんちゅうことをしてくれたんだ、あのオバさん」
通信画像を睨んでも仕方が無いが、パイロットの女性は攻撃的な視線でこちらを睥睨したまま、『観念しやがれ!』と叫び、何かを起動させた。
『フォトンシード接近中。亜光子フレアー放出します』
俺の右前方と左後方で強烈な閃光が上がり、一時的に目がくらんだ。
同時に激しい振動が襲う。
「や、やめるんじゃ。ここがどこか知っておるのか。お前と心中などしたくないワ」
『亜空間レイヤーの中だというのは解っておる。人をおちょくるのもいい加減にしろ。ワタシはいま猛烈に怒っている』
「な、何をじゃ?」
『あんな小惑星帯に迷い込ませやがって、脱出するのに何時間掛かったと思ってるんだ』
「こいつだいぶずれたヤツだな」
機体がガタガタと揺れ続け、必死になって座席にすがりつく俺に爺さんも首肯する。
「怒りで前が見えなくなっておるな。都合がいいと言えばいいぞ。本部に連絡をする時間は無かったじゃろう。ヒステリック婆で助かったぞ」
粘っこい笑みをにやりと浮かべると、
「サキ。携帯武器を抹消して、この部屋に拘束して転送するんじゃ」
『了解』
すぐにVRディスプレイを振り払い、俺は船内に目を向けた。
俺のすぐ後部座席の背もたれの反対側で虹色に輝く光と共に、上半身をロープでぐるぐる巻きにされた女性パイロットが現われた。
同時に後部カメラが映していた小型機が砕け散って、細かい粒子となって飛散。突き上げるような振動に押された感はあったが、すぐに船内は静かになった。
「ば……バカヤロー。何をする。こら拘束を解くんだ。ジジイ」
「転送ガードも掛けとらんで、よくそれで軍人をやっとるのぉ」
「うるさぁい! 小惑星帯の手前で急制動したときに、大半のシステムがぶっ潰れたワ」
「ふぉふぉふぉ。それはお気の毒じゃったな。お気の毒ついでにこの後も付き合ってもらうぞ」
やっと女性は我に返ったようで、幾分落ち着きを取り戻し、
「オマエら何をたくらんでおるんだ?」
「何も……強いて言えばあんたらの尻拭いだ」
「何だと? ワタシは尻を拭いてもらうようなことをした覚えが無いぞ」
やっぱりこいつ、だいぶズレたヤツだ。なんだかサクラが懐かしい。
「当たり前じゃ。アンタとワシは初対面じゃ」
爺さんも半笑いで答える。
「じゃぁ、なぜ……ん? あっ」
何かに気づいたのか、ぎんっと俺を睨んだ。
「お、オマエ、指名手配中の男……ミネヤマ・テル、」
女性は縛られたまま立ち上がり俺へと迫る。咄嗟に避けた脇をすり抜け、正面の壁にぶち当たってから半身を翻した。
「い、生きていたのか!」
「生きていて悪かったな!」
「てっきり骨になっていると思っていた」
「生憎、俺は悪運が強えんだ。ほっとけ!」
腹立たしく声を荒げるが、女パイロットは怯むことも無く。
「そうか。実験の邪魔をしに来たというわけだな。このテロリストめ」
「テロはそっちじゃろ」
呆れ気味に脱力して溜め息をつく館長。
そこへトランスフォームを解いたサキが、迷彩色の袖をまくり上げながらやって来た。
「館長。こいつどうする?」
「操縦から離れて大丈夫なのか?」
「シーケンスは自動だから大丈夫。それよりこの女が乗り込んできたおかげで、出口までの距離が狂っちゃった。計算のやり直しだよぉ」
「計算とは何だ?」
拘束されているのに、女は攻撃的な態度を崩さず強気だった。
「とにかくそこに座れ。招かざる客じゃが、あんたも道連れじゃわい」
腹に力の入らない気分の館長だが、女は無視してサキを凝視した。
「オマエも……どこかで見たことがあるな……」
しばらく考え込んでいたが、何かを見つけたように顎をついと上げ、意外と艶やかなまつ毛を瞬かせた。
「指名手配中のGR3356ではないか……そうか。この機……なるほど。それであんな無茶なことができたのか」
「アタシはGR3356じゃないよ。峰山サキって言うのさ。覚えておいてくれよな」
いつもより得意げにミリタリーの胸を張った。
「ウソを吐け! 苗字のあるアンドロイドなどいない」
「悪かったな! 峰山サキは正真正銘の名前だ。俺の苗字を進呈したんだ。間違いない」
「本気なのか……?」
「そうだ。文句あっか」
「文句は無いが……プロパティが完成したのか……」
妬ましげに漏らしながら、顔だけをキョロキョロさせ、
「ジジイ、何だここは、犯罪者の隠れ家か?」
「おいおい。悪役はお前さんのほうじゃろ」
館長の言葉は耳に入らないようで、女は無視して尋ねる。
「オマエ……何者だ?」
「ワシか? ワシは博物館の館長じゃよ」
「そんなことは知っておるワ。オマエらどこへ行く気だ」
プライドが高いのか、傲慢な態度は一向に衰えない。
「どこも行かんぞ」
「ウソを吐け! 亜空間レイヤーに入ったんだ。どこへ跳躍する気だ? そうか研究所に破壊工作をして、これからイプシロンへ帰る気だな。くそっ、今すぐこの縄を解け。解くのだ!」
捕虜的な扱いを受けているのに、女王みたいな口調で女は憤然とした。
館長は平然と聞き流し、
「サキ、計算を早く済ませてくれ。時間が無くなるぞ」
「うん」
オモチャを見るような目で女パイロットを見ていたサキだったが、歯切れのいい返事を落としてエアロディスプレイに向い、爺さんはもう一度女に訊く。
「協力してくれるなら解いてやってもいいがな?」
「なぜ協力などしなければならん。ワタシが敵に手を貸すわけが無かろう」
「……そうか。なら仕方ない」
「あーそうしろ」
館長は溜め息混じりに立ち上がると船首に移動。
「サキ、どうじゃ? 急いでくれよ」
女は、エアロを操作している銀髪の少女に寄り添う爺さんの後ろ姿をじっと見据えたまま、きれいな唇を俺の耳元に寄せた。
「さっきからなぜ時間を気にする?」
「オバさん、俺たちはあんたらが犯す世紀の大失敗の後始末をしてやろうとしてんだ」
「オバさんではない!」
ガバっと体を反らし、
「ワタシの名前は、マリアだ! これからは名前で呼ぶんだ」
荒げた声で俺を一喝して、縛られているにもかかわらず見下ろすように言い捨てる。
「それから協力する気は……、ジジイの頭と同じだ。毛頭無いワ」
館長の背中を睨んで吠えて俺を呆れさせ、度胸があるのかこの女、さらに、
「なんとしてでも生きて帰って本部へ報告する」
天井を仰いで言い切った。
「報告する場所も跡形も無く消えるんじゃ。それでもいいのか?」
半身を振り返らせる館長に、流麗な眉を微秒にひそめる。
「地球が消えようが知ったことか、もうどうでもよいワ」
「イプシロンも消えるんだぜ」
「ふんっ、くだらん冗談につき合う気はない」
マリアは俺の言葉に薄ら笑いまでを浮かべた。
もう腹が立ったぞ。
「オバさん!」
「オバさんではない! そんな年ではないワ! マリアと呼べと言っとろうが」
身動き取れない状態だというのに態度はでかく、女は気勢を衰えさせることも無く、大声で喚き続けた。
「じゃあ。マリアさん、よく聞けよ。宇宙全体がリセットするんだ。あんたの星も星間物質に戻るんだよ」
館長が静かに首を振る。
「塵以前じゃ。形も何も残らんよ。物質になる前の状態に戻るんじゃ」
「物質になる前だと?」
ようやくこちらの話しを聞く気になったのか、マリアは館長のほうへ首をねじった。
「たぶん時間と空間、それからエネルギーが生まれた直後じゃろな」
「生まれたって……その前は何だったんだ?」
「無い。時間も空間もない。だから解からない。誰にも答えられん」
「次元の隙間にある亜空間と同じかな?」
つい俺も口を挟んだ。
「跳躍用の亜空間レイヤー以外にそんなものがあるのか?」
今度は俺の顔をマジマジと見つめてきた。
気は荒そうだが、整った顔立ちはディスプレイで見るよりきめが細かく、かなりの美形だった。
「あるぜ」
「この青年はカロマーじゃ。ワシらよりいろいろ知っておる」
「カロマー……じゃあ、あの噂は真実だったのか……」
「噂?」
「異空間同一体が時空修正をしようと次元を渡り歩いているという噂だ」
「どこまで正しく伝わっておるのか知らぬが、それは真実じゃ。なぜだか解かるか?」
黙って首を振るマリア。
「お前さんらの実験は次元に穴を空けるんじゃ。するとどうなると思う?」
怜悧な視線を館長から外さず、瞬きだけで応える。理解不能だと。
館長は、「教えてやろう……」と重々しく口を開き、
「……失敗した実験が引き金となって爆縮現象が起きる。すべての平行宇宙がそこへ落ち込むんじゃ。つまり宇宙の歴史がそこで閉じる。それを阻止するためニーナとその青年が動き回っているんじゃよ」
「それがテルさ。アタシのマスターだぜ」
自慢げに俺を見つめて立ち上がったサキへ、一同が視線を飛ばした。
俺はマスターになった気はないのだが……。




