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40)手のひらに乗る宇宙

  

  

「サキのヤツまた見ているのか……」

 憂いを含んだ表情で割れた鏡を覗き込み、自分の瞳の奥に思いを馳せる少女(ガイノイド)


 何度目かの吐息を再び漏らし、

「青い海ってこんな色なのかぁー」

 それにしてもだ。こんな小さな少女がこの立派な宇宙船を操っていたとは……。


 あのアクロバティックな操縦が人間業(にんげんわざ)でないのは、この子がガイノイドであることで理解できるが、船のシステムから切り離されたときとのギャップがあまりに大きい。


「なぁ。お前は今が普通なのか、それともこの船と同化した時が普通なのか?」

「んー? どっちもどっちだよなぁ。考えたことも無いや」


 どちらにしてもこいつの性能はたいしたもんだが、それよりいつまで鏡を見続ける気だろう。まるで宝石でも扱うかのような振る舞いに、ちょっと引いてしまいそうだ。

「そんな破片を何で大切にしてんだ?」

 という俺の質問に、サキは不思議そうに小首を傾けた。


「女子は鏡を大事にするもんだろ? 違うの?」


「う~ん。一概になんとも言えないな。でもあのサクラでさえ、俺のキャンプ用の手鏡を取り上げて、暇さえあれば見ていたからな」

 ガラス製ではなく、アウトドア用の軽くて割れないやつだ。


「──それよりイプシロンでは鏡が無いのか?」

「あるけど……。アンドロイドは使っちゃいけないんだ」

 なぜに? 腑に落ちんぞ。なんちゅう世界だ──と憤慨しても、6900万年前の古代人にはどもならん。


「だからそんな破片で我慢してんのか……」


「我慢なんかしてるもんか。この破片は特別なんだ。館長がスクラップ工場に並んでいたアタシを拾ってくれたときに、お前に似合うものをやるって言ってこれをくれたんだ」


 サキは青い瞳を鏡から離すと、キラキラの笑みを俺へと注ぎ、

「大昔の女性がこれを大切にしたのがわかる気がする。だってこれはウソを映さないだろ?」

「ま。そうだけどよぉ……」

 それは見るからにガラスの裏に反射メッキが施された、当たり前の鏡の破片だった。


 横から摘まみ上げ、裏表を繰り返し観察してみる。楕円形をした手鏡のガラス部分だけで、割れて全体の四分の一ほどしか残っていない。


 取り上げられたと思ったのか、傷だらけのガラス片を不安げに見つめるので、

「もっとまともな物は無かったのかよ?」

 と言いいながらサキの手のひらに戻してやると、そそくさと赤い布で巻いて胸ポケットへそっと戻した。

「何言ってんだい。これはものすごく貴重なんだよ。なにしろ6900万年前の化石と一緒に発掘されたんだぜ」

 俺にとっては珍しくもなんとも無いのだが……。


「ねえ。また話し聞かせてくれよ。あの何とかっていうお侍さんの腕はすごかったのかい?」

 時間ができるとサキは俺に武勇伝を聞かせろとせがんだ。それがこいつにはすごいことらしく、目を輝かせて聞き入ってくるから、少しむず痒い気持ちになる。なにしろ俺はビビっちまって、やけっぱちで暴れただけなんだ。


「おいサキ。暇だったら操縦を代わってくれんか? ワシゃどうもこういうのが苦手でな」

 サキが操縦しなくても速度は遅いがマニュアルモードというのもあるらしく、今は館長がコントロールしている。でもどうも覚束ないらしい。


 爺さんへと向かって、サキが黄色い声をあげる。

「ちょっと待って、今いいとこなの」



 火星の先にある小惑星帯にまで敵機を誘い出し、その中にほっ放り出してUターンしようとした館長に、せっかくここまで来たのだし木星が見たい、と俺が言ったところ、今は地球ともっとも近くなる時期なのでいいよと、気軽に寄り道をしてくれて、光速の85パーセントという信じられない速度で四十数分後、俺たちはこっそり地球に戻って来ていた。


 近所の商店街を案内される感覚で木星まで行ってきたのだから、学校のクラスメートに、どんなに懇切丁寧に説明しても、百パーセント信じてもらえないだろう。


 ただしここからが少々やっかいだ。地球の周囲には反政府の監視衛星がいくつも回っているらしく、うかつに近づくとまた連中のパトロール隊に見つかる。そのため今は無くなってしまったが、月の軌道から館長の操縦で、様子を見ながら静かに地球へ戻るところだ。


 ついでに補足をすると、帰り道、小惑星帯の中で、もがき苦しむ偵察機を見つけたが、俺たちは見て見ぬ振りをしたのは、別に問題にならないだろう。美人さんが操縦すると言っても、相手はガイノイドだしな……。



「でさ。そのお侍さんの腕はすごいの?」

 興味津々で、サキは俺に食いついてきた。

「藤吉か? 確かにあの居合はすごかったな」

「居合って?」

 丸い目に向かって言う。

「刀を抜きざまに素早く切りつける技さ。コンマゼロ何秒で相手を切り裂くんだ」

「なんだぁ。ミリセックかぁ~。遅ぉぉい」


 なぜそこでがっかりするかなぁ?

「だってアタシにしたら、ナノセックの世界でもまだ遅いもん。ピコセックはないとだめだな」

「何だよそのピコセックって?」

「一兆分の一秒だよ」

「バッカ野郎。こっちは人間だぞ。アンドロイドの感覚で物を言うなよ」


 黙って操縦桿を握っていた爺さんが口を挟んできた。

「そうでもないぞぉ。ワシも人間と同じ感覚じゃ。アンドロイドだから反応がいいというのは昔の話じゃ。今じゃ、いっそう人間的になっておる。だが、サキは別じゃ。何しろ、」

「光速船だもんな」

「そうじゃ」


 二人の会話を愉快そうに聞きながら、青いガラスのような瞳を躍らせるサキに言ってやる。

「でもなサキ。藤吉はあの硬い蜘蛛ロボット二体を一瞬で真っ二つにしたんだぜ」

「マジかよぉぉ。スパイダーはカーボンナノチューブ製だよぉ」

 サキは目を見開き、大げさに声を跳ね上げた。


「スパイダーって言うのか。意外とベタな名前なんだな。その割に動きが遅かったぜ」

「動きは遅いけど全指向性の空間センサー持ってんだよ。ホロ映像だって時間族のインスタンスだって見抜かれちゃうんだ」


「確かにそんなことを連中も言ってたな……」



 再び操縦席から声がする。

「おーい、サキ。もう腰が痛くなってきたぞ。早く代わってくれ」

 と館長がおかしなことを言うので、

「腰が痛いって、あんたアンドロイドじゃないのかよ?」と訊くと、

 出来のいいアンドロイドは腰痛持ちになる、と馬鹿げた答えが返ってきた。


「もう~。わかったよぉ~」

 サキは渋々立ち上がり、たたたと走り寄る先頭座席のコントロールパネル。そこで彼女は変身する。そう機械音とエアー音、そして光に包まれ、この船の中枢と化するのだ。つまり超人的操縦感覚を持った女神様へとな。


 彼女が操縦を始めると、船は眠りから覚めたハヤブサのような振る舞いに変化する。

 爺さんがイオンエンジンとやらでトロトロ航行させるのと違って、サキは亜光速で地球までを駆け抜ける。その速度で地球に突っ込む物体は隕石でもありえず、監視装置は深宇宙から降り注ぐ高エネルギーの放射線の(たぐい)だと誤認識するらしい。



『イオンエンジン停止。ディフェンスフィールドおよび反物質反応炉起動。光速の10パーセントで航行します』

 と告げたあと、ふた呼吸ほどゆったりした(とき)の後、

『まもなく到着します』

 と、冗談みたいなことを言うが、これは冗談でもなんでもなく、爺さんが八時間は掛かると言っていた距離を、サキは十数秒で終わらし、制動用バーニアを全開にして隕石の速度にまで落とし、そのまま砂漠のど真ん中に突っ込んだ。



 ──説明しよう。

《月から地球までは光の速度で1秒ちょっと。それに近い速度で地面に突っ込めば、どんなに頑強な宇宙船でも木っ端微塵になる。光速の10パーセントに達した物体、ここでは宇宙船であるが、小型艇と言うことなので軽いと想定しても十数トンはあると思われる。それが秒速3万キロで地球と衝突した場合、その運動エネルギーは膨大なものになる。


 余計なお世話かもしれないが、計算してみた。

 質量10トン、光速の10パーセントだと、


 4兆5千億メガジュール、107万5526キロトンとなった。これってすごくない?

 広島の原爆が15キロトンだと聞くので、そのすごさが理解できる。こりゃ大惨事である。


 そこで地球間近で急ブレーキを掛けるという設定だが、今度はそれだけのものを停止させるために作用させる逆向きの力は如何ほどのものなのであろうか。そんな高出力の制動用バーニアやスラスターが存在するのだろうか。存在したとして、それに圧し掛かって来る力は、とてつもないものになる。玉子を高いところから落としたようなもので、やはり木っ端微塵になる。

 しかたがないので、その慣性力を打ち消すことができる慣性ダンプナーなどいうモノを考えたが、それでもまだまだ悩みは尽きないのであーる。


 まず──。

 光の速度に近づくと船内の時間が遅くなるという事実。これは本当らしく、自ら体験することはできないが、地球を周回する人工衛星では、光の速度とは程遠い低速度なのだが、それでも実際に計算されたとおりに時計が遅れて行くため、常に補正するという話である。


 なのでこのままでストーリーを進めていくと時間の流れに齟齬(そご)を生じる。今回は木星から帰還するまでに、光速の85パーセント、四十数分で帰ったと記序したが、これは地球上から見た計算値である。となると船内はもっと短くなる。たぶん二十数分に。逆に船内での時間だと想定すると、地球上ではだいたい一時間半経過する計算になる。

 とりあえずその差が小さいので、この場合は問題は大きくならないが、数光年単位の話になると途端に怪しくなる。


 例えばある帝国のお姫様が60光年離れた対立国に連れ去られたとしよう。亜光速で救助隊が駆けつけたときには、敵全員がヨボヨボの爺さんだったなんてことになる。捕らえられた悲劇のヒロインが老衰で死んでいたのでは、だーれも感動しないのである。

 もっとも、ヒロインが拉致られたと言う情報が本国に届くあいだに、今度は救助隊側が爺さんになってるじゃんか、って考えてしまい、結局そのストーリーのプロットは崩壊するのである。


 次に──。

 亜光速で移動するものが、宇宙空間に漂うデブリにぶち当たった場合、それは移動する側から見ると、光の速度でぶつかってくることになるのである。塵のような微細なものでも相当なダメージを喰らうのは必然。それを防ぐためにディフェンスフィールドというワケの分からないもので煙に巻こうとしているのだが……。それにしてもこんなムチャクチャな話……まだ続けるの……であろーか?》



「続けるさ。その理由は実に簡単。6900万年の進化のなせる業なんだ」(そこに落とすか)

 いったい誰に向かって言い訳をするのか知らないが、この辺りのところはそっとしておいてほしい。それがSF通というものである。



 つまり、パイロットモードのサキは、隕石を装うってそれが落ちたように見せかけた。

 もちろん砂に突っ込む前に猛烈な逆噴射で制動を掛け、運動エネルギーをゼロにする。そのパワーは絶大で砂漠に大きなクレーターができるほどだが、それはそれで隕石らしくてちょうどいいらしい……。(おいおい)


 それほどのショックなのだが、未来の科学技術はそれをも凌駕する。

 慣性ダンプナーという慣性力を消し去る装置のおかげで、船内は静寂そのものだった。(好きにして…… )



 その間、俺は落下する隕石と同じ目線で地球の姿を眺めていた。引力圏から数秒のことだがその光景は強く印象付いた。


 俺の知る青い地球はそこにはあらず、灰褐色の絨毯(じゅうたん)と黒い筋が縦横に走り、大陸らしい陸地の影がかろうじて残っているだけの、ひどく殺風景な惑星が眼下にあった。何百億、何千億といたあらゆる生命体、植物も含めると天文学的な数値にもなるであろう生物が、完全に枯竭した灰色の世界に変わり果てていた。


「すげぇもん見せてもらったな。何だか宇宙が身近に感じるよな」

「ふぁふぁふぁ。青年。今ごろ何を言っておる。もともと宇宙は身近なもんじゃろ」

「俺の時代はまだまだ宇宙開発が始まったばかりでさ。無人探査機を火星に送るのが精一杯なんだ」


「だからいいんじゃ。幾多の困難を自らの手で切り開き、一歩先へ、さらに遠くへ、と延ばして行くからこそロマンがあるんじゃ。ワシらのように散歩に行くみたいに気軽になると、面白味も何も無い」

「そうかな……。もし俺だったら宇宙の果てを見に行きたいな」


「……それがな、」

 館長は船と同化するサキの姿をチラリと見つめて、

「どんなに速度を上げても光の速度には達せんのじゃ。質量が無限大になるからな」

「だったら、イプシロンから半日って計算が合わないだろ?」


 爺さんは楽しそうに笑いって手を振り、

「サキは光より先に目的地へ行ける反物質リアクターエンジンを積んどる。と言っても光より速く移動できるのではないぞ。リアクターで共有空間とよく似た亜空間レイヤーを人工的に作って進む方向へ次々と広げて、その中を飛んでいくんじゃ」


「また出やがったな、共有空間……」

 あの中ではあまりいい思い出が無い。


「物体の共有空間とは異なり擬似空間なので、作った端から消えていくし、時間の流れもあるんじゃが、空間メッシュが荒い。同じ速度でも実空間より遠くまで行ける。簡単に言うと石鹸水を進む方向に撒いて滑っていくようなモンじゃ。じゃから大幅な時間短縮ができる」


「俺たちの時代で言うところのワープみたいなものかな?」


「さぁ? お前さんらの言うワープがどんなものか知らんからなんとも言えん。とにかく擬似空間レイヤーを作り続ける限りどこまでも高速移動ができる。ただし一歩でもつまずいてみろ」

 言葉を区切って、俺の顔を見た。


「ど、どうなんの?」


「そこから放り出されて、木っ端微塵じゃ」

 と声を凄めた。

「……………………」

「ふはははは。大丈夫。サキがうまくコントロールしてくれる。じゃがな青年。宇宙は広いぞ。それを使っても天の川銀河から隣の銀河へ行くだけでも苦労するんじゃ。宇宙の果てなんて無理、無理。たどり着かんワ。宇宙を手にする日はまだまだ先じゃな。ふぁふぁふぁ」


 爺さんはいつまでもおかしな笑いを続けて俺を呆れさせ、そしてパイロットモードのサキが、退屈したように静かな甘い声を奏でる。

『船長。あまり時間がありません。次の計画に移るべきだと思います』

 何度聞いても、サキとは程遠い口調と声色だ。


「おぅそうじゃ。こんなところで空間理論の授業をしておる場合ではなかったワ。その宇宙をワシらが守るんじゃったな」

 と言っておいて、

「ふふぉ~青年。そうか。この広い宇宙がついにワシらの手の内に収まったじゃないか。ふぉふぉぉ」

 何を感心しているのか、爺さんは高揚して赤らめたスキンヘッドをぺしゃぺしゃ平手打ちして喜び出した。

「この宇宙はワシらの意思しだいなんじゃ。うほほほほほ」


 何言ってんだ、このジジイ…………。

  

  

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