39)追いかけっこ
『船長。後方3000メートル離れて先ほどの偵察機が追跡してきます』
「船長ぉ?」
爺さんは、声が裏返えしになった俺を変な目で見ながら、
「サキがパイロットモードに切り替わると成り切るからな。船長でよいんじゃ」
「ほへぇ~」
あまりに激しい変化が伴うと、声がおかしくなると言う実体験をしていた。絶賛裏声発声中だ。
「サキ。まだついて来るかのぉ?」
『はい。向こうの射程距離を維持しています。おそらくこちらの動きを見て攻撃してくる様子です』
「女狐め……」
「こ、こぉげきぃぃ?」
まだ声が上ずるのは仕方が無い。
「まぁ。脅し程度じゃろうけど……どうじゃサキ、お前のヒーローにいい所を見せてやるか?」
『宇宙船の航行は見世物ではありませんが、船長の意思を尊重して実行します』
「ふははは。張り切りすぎるんじゃないぞ。手加減してくれよ。ぶふぁははは」
な、なに笑ってんだ?
満足そうに笑い続ける爺さんの脇で、機械と同化したサキの体が光り始めた。それはボディが光るのではなく、接続部分から船体へ伸びるたくさんの引き込みケーブルやチューブが激しく光を放出するのだ。眩しくて見ていられない。
やがて電飾照明に飾られたサキがこう言った。
『インパルスエンジン始動します。何かに掴まってください』
何かって……なん、
「ぐばぁはっ!」
まだ俺が喋っていると言うのに、肺から一気に空気が押し出され、舌を噛むようなショックがして座席に張り付けられた。
「げへぇぇぇ────!」
猛烈な加速だった。まったく身動きが取れない。ハエタタキきで叩き落された上に、ロードローラーで踏んづけられたのかと思った。
『インパルスエンジン負荷13パーセント。秒速12.5キロメートル。徐行中』
「う、うそつけ~~。どこが徐行だ!」
「光よりずぶん遅いぞ。そんなもんじゃろ」
説明しよう。
《スペースシャトルは秒速7~8キロメートルほどで地球を周回していたらしい。ちなみに探査機はやぶさが秒速30キロメートル、惑星探査のガリレオが木星に突っ込んだときは秒速47キロメートルに達したそうである。ついでだが光の速度は秒速30万キロメートルというのはご存知のとおりだが、朝陽が地球に届くのに約8分も掛かるのであーる》
そ、そんなこと、今はどうでもいい。
「あ……あのさ。これなんだよ?」
「何とは?」
俺が問題にしている部分が理解できないのか、ワザとシカとする気なのか、この爺さん。
「これだよ、これ」
さっきから俺の前に現れた目の前に浮かぶ30センチ四方の四角いエアロ画面だ。今は何も映っておらず灰色半透明で向こうが透けて見えるが、顔を左右に振ろうが上下に揺らそうが、離れず追従して来る。
「鬱陶しいんだけどさ。これ何だよ?」
「VRエアロディスプレイじゃ。サキが出してくれたんじゃろ。宇宙船航行時には必要なもんでな。なんならアクティブに切り替えてやろうか?」
「アクティブ? VRエアロ?」
「お前さんの時代ではまだなかったのか? 全方位ディスプレイとか言うの聞いたこと無いか?」
「スマホ版なら知ってるけど、悪いが俺はゲームとかしないんだ」
「遅れたヤツだな。まあいい。サキ、アクティブにしてやってくれ」
館長は、船と一体になった少女に顎をしゃくった。
「な────っ!」
瞬間に宇宙空間に放り出された。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。空気がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「慌てるな、青年。それがVRディスプレイじゃ。三六〇度、上下左右全ての方向が見渡せる」
「だだだだ、だだ、だだ、だだだだだだ!」
「落ち着け、『だ』しか喋っとらん。ネコでもそんなに驚きゃせんぞ」
続けて三回は深呼吸したな。マジで外に放り出されたのかと思ったぜ。
落ち着いてみると───。
「すげぇ…………」のひと言だ。
進行方向から後方までぐるっと見渡して、驚嘆の声が自然と漏れた。
俺を取り囲むのは満天の星空。足下にまで星が散らばるもの凄まじいまでの瞬かない星の数。
色鮮やかな光の海が無限に広がる空間に総毛立った。
その中でもひときわ目立つのはミルキーウエイ。まさに光りの川。天の川だ。それに俺が包まれている。生まれて初めての経験だった。
頭の後ろに何かを感じて振り返る。
「まぶしい……」
後方から圧して来るのはギラギラと輝く太陽だ。その熱量を感じるほどにリアルだ。地球人たちに半分近くエネルギーを吸い取られ弱々しくなったとニーナが言っていたが、そんな気配は微塵も感じられなかった。
「録画した宇宙の映像ではないからな、青年。リアル宇宙じゃ」
隣から語り掛けてきた館長の声で我に返り、
「すげぇぇ……」
俺は二度目の感嘆の声を漏らし、爺さんは「ふぉふぉ」と笑った。
慣れて来るととても気分が良い。貸し切りのプラネタリウムのど真ん中でふんぞり返った客の気分だ。
そう感じたのは、ちゃんと俺の横で爺さんが座り、前にはサキがいて、両手を小さく広げて立っている。接続されたケーブルは消されており、軍服スタイルのまま映し出されていたからさ。まるで二人だけの客に星の説明をするプラネタリウムの係員みたいだった。
「どうじゃ。リアルじゃろ……。おほぉ。あれを見れ」
俺に首をねじった爺さんは、ついと腕を上げた。
「ほれ。ありゃ金星じゃ。お前さんの左肩の向こうに光る銀色の惑星じゃよ」
指の先を追って視線を滑らせる。
米粒みたいな白金色の光が浮かんでいた。手に触れそうな距離感だった。
「あの星も資源を取り尽くされて枯渇しとる。人類は容赦なく荒らして行ったからな、ひどいもんじゃろ」
自分たちが住む地球でさえあの様さ───ちょうど俺の右手の先にある灰褐色の惑星さ。野球のボールほどに見える。
「…………………………」
息をするのも忘れて俺は見惚れていた。そして思った。宇宙はちっとも暗くないし、何も変化がない。これがしばらくしてからの俺の感想だった。
「なあ、館長。元の状態にするにはどうしたらいいんだ?」
「なんじゃ。もう飽きたのか。サル並みじゃな」
いちいちうっせーな。
「ふぉふぉ。観たくないときは鼻先辺りを手で振り払えばよい。観たい時はその逆をすればよい」
一拍おいて、爺さんは気になる言葉を付け足した。
「サキ。お客さんがやって来たぞ」
顎で示した空間に銀の流星が見えた。
『インパルスエンジン全開にします』
どん、と腹を突き破るようなショックと共に体を襲う加速はさらに強さを増し、骨がギシギシ鳴る。だがVRディスプレイに散らばる星々はじっとしたままだ。だが俺のほうに大きな変化が始まった。意識が遠のき、視界が狭まって行く。
「く、くるしぃ」
視界の隅っこに急激に近寄ってくる銀色の物体が入った──がもうだめ。さらに増してきた加速に顔の筋肉が勝てず、後ろへ引っ張られ見えなくなった。なのにお構いなしで、サキ、いやパイロットモードの声が落ちる。
『エンジン負荷50パーセント。秒速147キロメートル』
「ば、ばっでくだざい。ぐるじいぃでず~」(待ってください。くるしいです)
肺の中が空っぽになり、たぶん俺の顔は紫色だったと思う。前に立つサキへ腕を伸ばし助けを求めた。
「おお。そうじゃ。忘れておったわ。慣性ダンプナーを作動しなきゃいかんだろ。人間は極度に大きな加速には耐えられんのじゃ」
爺さんは半笑いで俺を横目で見て、サキに命じた。
『了解しました』
瞬間に体を圧迫していた重力から開放された。
「ぶふぁぁぁぁぁーーー」
と息を思いっきり吸って、
「ば、バカヤロぉぉー。俺を殺す気かぁ!」
顔色を青から赤に変えて、怒鳴り上げた。
「まぁ怒るな。この船に人間はめったに乗らんから、つい忘れたんじゃ、すまんすまん。でもほれ、見てみい」
後方から追って来る銀の船が、今はどんどん引き離されて行く。
「女狐じゃ。見とれ追い上げてくるぞ」
言ったとおり、一時は離れた銀色の機体がすぐに近づいてきた。
『エンジン負荷95パーセント。秒速2877キロメートル』
すごい速度だというのは分かるが、いまいちピンとこない。ギラギラした星は相変わらず微動だにせず。後方から追尾してくる船もぴたりと距離を合わせて、やはり静止して見えている。
「これで加速してんの?」
『慣性ダンプナーは、慣性力を打ち消す能力を持っています。現在光速の1パーセント。さらに上昇中。秒速3098キロメートル」
「まだ女狐はついて来ておるのぉ」
チラりと右へ視線を振る。銀色の船はさらに近づき、流線型の先端に描かれたデザイン文字がしっかりと見える距離にまで迫った。
『反物質リアクターの点火許可を求めます。敵船のエンジンだと追いついて来ると予測します』
「お前に任す。好きにせい」
「え?」
『反物質リアクター反応レベル、コンマゼロ1』
俺が何を訊こうとしたのか、館長は分かっていたようで、
「亜光速飛行を可能にするエンジンじゃ。な。これで爆縮の波に乗ろうというんじゃ。どんなものか披露するから、よーく見ておくんじゃぞ」
『光速の7パーセントに達しましたが、敵艦も同じ速度に上げてきます』
「な……なぁ。追いかけっこやめないか。もう遊びの範疇を超えてるだろ?」
と訴えるものの、やっぱり無視されて、
『ただ今、火星軌道を通過しました』
マジかよ…………。
俺の左肩辺りを流れ去る赤茶けた星。遠い昔、子供の頃に読んでいた絵本で見た、そのままの色をした星が、手に取れる距離にあった。
景色の端っこで、いきなり女性の顔が映った。窓が開いて覗かれたのかと思った。そう、まるで窓だ。宇宙を描いた黒い壁に取りつけられた窓が開き、外光が射し込んだのかと錯覚したほどだ。
『はんっ、速いと聞いてきたがそれほどでもないな』
外部映像の中からこちらをじろりと見て鼻を鳴らす女性。その人に向かって爺さんが笑いかける。
「こんな狭い惑星系の中じゃこんなもんじゃろ。これ以上速度を上げたら星系を飛び出しちまうワ。どうじゃ、もうちょっとマニアックな遊びをせんか?」
『ふんっ。なんでもやってみろ。どこまでもついて行ってやるワ!』
大きな鼻息と一緒に元の景色に戻った。
さっきまで微動だにしなかった景色に変化が現れた。太陽が目に見えて小さくなり、灰色の地球が吸い込まれるように点に凝縮されて行く。
やがて進行方向の星々が、虹色の筋を引き出した頃。
『光速の10パーセントに達した時点で、制動バーニアを全開にします』
その言葉から数秒後、かすかに機体がピシピシと軋んだ音を上げた。
「な、なに?」
不安げに辺りを見渡す俺へ、
「亜光速から一気に通常速度に落としたんじゃ。見てみい、」
後方にぴたりと張り付いていた偵察機の姿が消えていた。
と同時に、
「うわっ!」
俺の真横を前方にふっ飛んでいく後ろ姿が。
『秒速57キロメートルに速度を落としました』
「慣性ダンプナーがあるから、船体は何ともないが、秒速3万キロから一気に57キロまで落としたんじゃぞ。本来ならペチャンコじゃ。女狐はそれができんから前方にふっ飛んだということだ。どうじゃ、こんな急制動ができるのはサキぐらいのもんじゃぞ」
向こうにもプライドがあるんだろう。すぐに舞い戻って来て、真後ろについた。
『なんだ、そのダンプナーと制動バーニアは!』
またもや窓が開いて、綺麗に梳かして結い上げられていた髪の毛が見るも無残に崩れ落ち、乱雑に顔を覆った女性が登場。
「うふぁふぁふぁ。最新ファッションになっとるぞ」
『うるさい! 遺跡の発掘にそんなシステムは必要無いだろ!』
「船を買うときにサービスでつけてもろたんじゃ」
女性に向かって平然と言う館長。偵察機の船内は見るからにシッチャカメッチャカになっていた。かなりの衝撃があったようだ。
「それにしても、お主も結構やるな。首が千切れなくてよかったのぉ。でもな勝負はこれからじゃ」
爺さんもけっこうノリノリだし──俺はあらためて座席に尻を据わり直し、シートベルの類は無いかと探るが、何も無い。仕方が無いので背もたれにしがみついた。
『まもなくアステロイドベルト(小惑星帯)ですが、このまま通り抜けます』
前方に広がっていたたゴツゴツした岩の集合帯が、みるみる迫った。
「え゛ーーーーーーーーーっ! しょ、衝突するって!」
言葉を発するよりも早く、俺の正面に巨大な岩石が超アップに。同時に暗闇が覆ったかと思うと、ぐぃーんと旋回。黒々とした岩の亀裂が鮮明に見えた。
「ぬぁぁぁぁぁ!!」
瞬きする間もなく、別の岩に異常接近。激突寸前、その瞬間、強く引き千切ったように視界からぶっ飛んで消えた。
「ぅわぁぁ──っ! ま、眩しい」
サキの体は光に包まれ、目を覆おう光量を発していた。
追尾してきた偵察機は見る間に後方へ下がったが、サキは砕けた星の破片が雑然と浮かんでいる空間を、一切速度を落とすこともなく、回転と急減速、急加速を混ぜた左旋回に右旋回、そして上昇と下降を立て続けに繰り返した。
まるで大空を自由に舞う鳥の背に乗ったようで、サキは密集した惑星の破片や巨岩の隙間を平然とすり抜けて行くが、こっちは生身の人間だ。グルングルン景色が回転して、あっという間に目が回った。
上下も左右も認識できない、非常識なアクロバット飛行が数分過ぎた。
「…………………………」
極限の恐怖に直面すると、人間の筋肉はすべて弛みきるという現象を起こすらしく、俺は座席の上で陸地に打ち上げられたナマコみたいにヘロヘロだった。
こっちはそんな状況なのに、船は岩の欠片に一つも触れること無く、向こう側へ突き抜けて静止していた。
爺さんは白ヒゲをしごきつつ、座席の上で半身をサキに向けると、こともなげに訊く。
「どうじゃ? 女狐のようすは?」
後方には左右に大きく広がる、瓦礫のような岩石の集合帯があるが、そこから出てくるものは何も無かった。
館長の質問にパイロットモードの声が静かに落ちる。
『小惑星帯の中で立ち往生しています。おそらく出口を探し出すのに苦労すると思います』
「ふははは。お前に喧嘩を売ろうなんぞ、百年早いんじゃ。ぶはははは」
楽しそうに笑った後、
「どうした青年? 大丈夫か? まさかこんなことで腰を抜かしたんじゃあるまいな」
「あ……あ……あの。大丈夫です……たぶん」
俺の腰はとっくに砕け散っており、立ち上がることは不可能。とりあえず腕だけは動いたので、右手でVRエアロを振り払った。
さっと船内の光景に戻ったが──。
しばらく外は見たくありましぇん。




