36)悪 夢
「……あ、ほら見て。蘇生シーケンスが終わってるよ」
「じゃな。これでひと安心じゃわい」
…………………………………………。
眩しいライトが俺の額を照らしていた。
声は聞こえるが、逆光になって人物の顔がまるで見えない。
「体動くかな?」
「それより意識は戻っておるのか?」
「バイオモニターには元気だよーって出てるよ」
この人たちはいったい誰で、何の話しをしてるんだろう?
とりあえず起き上がってみる。
あ、痛っ──。
頭を締めつける激しい痛みが走った。
「痛ててて……ここどこっすか先生?」
声がしゃがれていた。
何だか久しぶりに口を開いたような気がするのは、俺の思い過ごしだろうな。
「ワシゃ医者ではないワ」
一人の人物が頓狂な声を上げた。声と口調からいってだいぶ年のようだ。
「バカなのかな?」
こっちは誰だ。失礼なヤツだな。声からすると女の子のようだが……。
眩しそうに瞬く俺の表情を察してかライトが消された。
「ほれワシの顔に見覚えは無いか?」
「白ヒゲでハゲ、いや、スキンヘッドの爺さん…………?」
「やっぱり記憶障害が出てるんだよ」
横から覗き込んできた銀髪の少女の面立ちは記憶にある。ニーナとよく似た北欧系の美少女だ。瞳の色が深海を思い出すほどの透き通った濃いブルーだった。
「ね? アタシたちを見てさ、何か憶えてないかい?」
ぼんやりとした頭で少女を眺める。
「きみによく似た人の記憶ならある」
「だれ?」
「ニーナって言って、銀髪ショートヘアでなく金髪のロングヘアーなんだ。その子とよく似ている」
「オーケー。いい感じだぁ。それで他に何か思い出さないかい? キミは何をしていたの?」
「え?」
何を聞きだそうとしているんだこの子は……。
この青い瞳にじっと見つめられると吸い込まれそうになる。
吸い込まれると言えば……クルミの瞳も透き通っていて……そうだクルミはどこだ?
だが思考は原点に戻る──。
「サクラ……」
自然とそれが言葉に乗った。次の瞬間、立ち込めていた煙りが風で吹き飛ばれたかのように意識が透き通った。
「あ? か、館長! 博物館の館長じゃないっすか」
どういうことだか、まったくもって理解不能だった。
「なぜここに? トオルを連れてイプシロンへ帰ったのでは?」
自分の居所よりも、なぜこの人がここにいるのか、そっちのほうが疑問だった。
「久しぶりじゃな、青年」
「どうしたんだ俺?」
何も理解できないまま上半身を起こした。
「痛てて」
コメカミの奥がまだ激しくズキズキする。
「記憶障害が無くてよかったぁ。でもまだ寝てたほうが断然いいぜ」
心配をしてか銀髪の少女が優しく俺の肩に手を添えた。
一見して軍服みたいにも見れる機能性重視の迷彩ぽい服装。背は俺よりだいぶ低いのだが、胸ポケットがやけに艶かしく膨らんで、銃弾がずらりと並んだ腰のベルトがきゅっと絞られたスリムなボディがスタイルのよさを強調している。
「見てよ。カッコいいだろこのミリタリー。24世紀のアマゾネスの制服なんだぜ」
口調が少しボーイッシュなのが、よけいに可愛らしい。
それより24世紀にアマゾネス軍が配備されたなんて、どこの国だよ?
「映画で見たんだぁ」
「な……」
くだらん。マジで考えちまったじゃないか。
呆れたふうに肩をすくめて、視線を爺さんに戻す。
「俺……どうしたんすか?」
「亜空間冬眠をしていたんだよぅ」
爺さんに訊いたのに、少女が答えた。
「冬眠?」
さらに記憶が鮮明になってきた。
「俺。ニーナとビーコンを探していたんだ。それで……」
「まぁ。慌てるな。それより青年。いよいよ地球の最期じゃぞ」
そう、そのセリフとこの口調。完全に目覚めた。目の前に立つのは、あのとき恐竜のトオルを引き取りに来た博物館の館長だ。
「地球の最期どころか、宇宙がたいへんなことになるんだぜ。知らないのか?」
起き上がって座席から下りた。
そこで気づいた。
「座席? なんだここ?」
俺が寝かされていたのはベッドではない。複雑そうな装置がずらりと取り囲み、中央に少し内側へ湾曲した大きなプレートがあるのは、おそらく何かのディスプレイだろう、今は何も映っていないが、つるつるした表面は液晶テレビのようだ。その前に背もたれの大きな座席がペアに並んでいた。
複雑な装置が天井にまで広がって大半を占めており、どう見てもこれは何かの乗り物の中だ。
「もしかして、ここって宇宙船?」
そう問うのはこの爺さんがイプシロンから来ることを聞いているからで。
「そうじゃ。今は地球の大気圏外を周回しておる」
と言っておきながら、にへらと笑い、
「ふぉふぉ。大気はもうないから大気圏と言うのは間違っとるがのぉ。習慣じゃ、習慣」
白ヒゲを擦り、ニタニタと笑った。
「この船内もミラードールだろ?」
ミラードール、つまりイミテーション。あるいは偽装とでも言ったほうがいいかな。
「お前さんらの時代になれば、もう隠す必要はない。スペースシャトルとはだいぶ違うが、正真正銘の恒星間飛行のできる小型船じゃ」
「じゃぁ俺をどこへ連れて、」と言いかけて、
「まさか標本に……」
途中で声を詰まらせる。
「ふぉふぉふぉ。バカな。宇宙が消えようとするのに、博物館などいらん。あそこはもう閉館する」
「じゃあ。なんで俺を?」
銀髪の少女が奥の扉へ移動するかたわら、俺へと手を差し伸べ、
「隣の部屋に来て。歩ける?」
「平気だぜ。歩けるさ」
数歩はふらついたものの、扉を押し開けて進む少女の後を追った。
凍りつきそうなほどの冷気を噴き出す部屋が俺を待っていた。そして透明のケースに覆われたベッドに横たわる物体を目にしてぶるっと震えた。
「サクラ!」
背筋が凍りついたのは部屋の冷気のせいではなく。白く氷結状態になったサクラが横たわっていたからだ。
状況を理解できず茫然とする。
亜空間で石化しているのとは、まったく異なる状態だった。
「……これは?」
「あのさ…………」
言いこもった少女の口から、非日常的な言葉がこぼれる。
「気を確かに持ちなよ」
そのフレーズがさらに気温を下げた。白い息を吐き出しながらもう一度叫ぶ。
「サクラ……。どうしたんだよ。おいサクラ!」
白くまとわりつく重々しい俺の息が、ケースの中で横たわるサクラの顔にかかった。
ひどく青ざめ、生気が消えている。
「おい、サクラ!」
「あっ。振動を与えたらダメだよ!」
透明ケースの表面を叩こうとする俺を少女が制し、さらに恐怖の色を濃くするような言葉を吐いた。
「もう結晶化してっからモロイんだ。崩したくないだろ?」
「なっ!」
何という恐ろしいことを言うんだ。結晶化してモロイだと? それは人に対して使う言葉じゃない。こいつは何をトチ狂ったことを言うんだ。可愛らしい顔をして、変な言葉を使いやがる。
「間違ったことを言った覚えはないさ。亜空間に長時間閉じ込められると、こうなんだぜ」
「お前こそおかしなことを言うじゃないか。亜空間では時間が流れないんだろ?」
少女はコクリとうなずいて、
「そうだね。でもそれはニーナが制御していたからだよ。いなくなるとじわりじわりと影響が出るのさ。ほんの少しずつだけどね」
「ニーナがいなくなった? あんたニーナを知ってるのか?」
「知ってるっさ。昔のファイルで見たもの」
「昔? ニーナがいなくなってどれぐらいが経つんだよ?」
白ヒゲを摩りつつ、じっと俺たちの会話に耳を傾けていた爺さんがぽつりとこぼした。
「100年じゃ」
「100年?」
俺が吐いた真っ白な息が白ヒゲにまで到達した。
「そうさ。100年だよ。長い年月が経ったんだ」
「あんたら呼吸してないのか?」
やっと気づいた。喋るたび、呼吸をするたび、俺は白い気体を吐き続けるのに、この二人からは何も出ていない。
「ふぁふぁふぁ」
おかしな笑い声を上げ、爺さんは元の部屋に戻るようにと促し、
「あまり長くこの部屋にいて風邪を引かれたまずい。ここには風邪薬などないからな」
「ウソだぜ。船内は無菌なんだ。風邪なんか引かないよ」
扉が閉められ気温が一気に上がる。指の先端がムズムズと痒くなってきた。
「あんたら何者だ? 人間じゃないな。それとあれから100年って、俺がビーコンを探していた時代から100年と言う意味か? サクラはなぜあんな風に? 藤吉や時間族の連中はどこ行った?」
「たくさんの質問を一気にするやつじゃな。三つしか答えんぞ。ふぁふぁふぁ。このセリフ懐かしいのぉ」
「いいから。早く答えろ」
「わかったわい。そのとおり、ニーナとお前さんがビーコンを探していたときから100年が経過した。お侍は行方不明のままじゃ」
「藤吉が……行方不明?」
まだピンとこない。
「あんた年いくつだ? 人間はそんなに長生きしないぜ」
「ほいほい。質問その三。ワシとこの子は人間じゃない。言うとおりじゃ」
「何なんだ?」
意外とさばさばしている自分に驚く。たぶん爺さんが気さくに淡々と答えるからだろう。
「ヒューマノイド型のアンドロイドじゃ。この子は女性を模っておるからガイノイドと呼ぶ。名前を……」
「アタシの名前は『サキ』だよ。でも苗字が無いんだぁ。アンタの名前くれるかい?」
横から爺さんの言葉を奪って、少女が元気に答えるが、俺の苗字をこの子に名乗らせるにはまだ信頼関係が未熟だろ。
期待に膨らむ青い瞳を無視して、爺さんに首をかしげる。
「サキとは、またベタな名前をつけたもんだな」
「イプシロンでは日本史がブームじゃ。なので古来の名前も流行っとる。それよりニーナの面影が残っておるじゃろ。真似て作られておるからな」
「人造人間というわけか。だからあんたは100年経っても何も変わらないのか……」
爺さんは小首をうなずかせ、
「そうじゃ。あれから100年。いよいよじゃぞ」
「爆縮か……」
腹の中が冷たくなった。鉛の玉を飲み込んだみたいに重く鈍い痛みを覚えた。
「俺たちビーコンを探していたんだ……結局見つからなかった。やっぱり宇宙は消えるんだな」
「お前さんらはようやった。もうよい。これが定めじゃ。宇宙は一度消える。そしてまたやり直すんじゃ。あんな時空ハブを連結するような代物を作った人類など一度消えたほうがいいんじゃ。そう神様が決めたんじゃろ」
「えらく進歩してんだな。イプシロンのアンドロイドは……」
「そうだよ。エモーションチップが開発されてからアタシたちにも感情っていうモノが理解できるのさ」
「どうだかな。ニーナだってホロ映像だとか言っていたけど、しょせんはコンピュータが作り出した映像なんだろ。途中で任務を放棄して俺たちをこんなところに放り出したまま逃げちまいやがって……」
「逃げたんじゃない!」
サキはビックリするほど激しい声で叫んだ。
「ニーナはみんなを助けようとしたんだよぅ。憶えてないの?」
「憶えてない……。何がなんだかよく解らない。あのときビーコンを探そうとニーナと亜空間を彷徨っていて……」
あっ!
急激に意識がしっかりしてきた。こんなところで悠長に喋っている場合ではない。
「俺たちはビーコンを探して次元を移動していたんだ。そしたらイプシロンの反政府派の連中が現れた……」
「知ってるっさ。来るはずのない亜空間に連中が現れたんだ。理由は簡単。あの共振エミッターはニーナたちを誘い込みマーカーを付けさせるために作られた偽物だったんだ。それに気づかずビーコンの捜索を開始しただろ。連中はマーカーをたどって居場所を特定し、その次元にいる連中がアンタをスピリチュアルモジュレーションで精神融合して拘束したんだ。そして全員が動けなくなったところを大勢で乗り込んで連れ去ったのさ。突然のことでニーナはアンタを連れて逃げるのが精一杯だった。テルさえ無事なら何とかできると思ったんだろうね」
「それで……ニーナは?」
「ニーナシステムは連中にレポジトリごと破壊された……」
サキは目を伏せて肩を落とした。銀色の毛先がわずかに揺れていた。
「ニーナってシステムだったのか……?」
「時間族もインスタンス化できないんだ。時空間ネットワークはニーナシステムと時間族の協力があって成り立っていたんだよ。その中枢だったレポジトリが無くなったんだもん。もう会えないよ」
ただならぬ事が起きたことだけは解かる。ようするに俺たちの計画は失敗に終わったんだ。




