31)次元転移
「別次元のお前が段取りをつけるって、どういう意味だよ。次元を移動するってことか?」
ニーナは俺の質問に答えず、鋭い声で銀狼に命じた。
「次元の転移を始めます。テツ、用意はいい?」
なぜに、テツ?
不審に思って、銀狼へ視線を向けるのと同時にクルミとイチの姿が消えた。
「ど、どうしたんだよ?」
見ると、喋りかけようと半開きになった唇を俺に突き出す格好でサクラが石化している。その姿がやけに艶っぽく、生唾を飲み込んで見入ってしまった。
「ワタシの前で変な気を起こさないでよ」
「ば、ばかやろ。おれは硬派なんだ。そんなこと……」
戒めみたいな忠告に、苦々しい顔をしてニーナに振り向いた。が、誰もいない。いや、固まった藤吉がいた。ヤツは刀の柄に手を乗せて力を抜いた格好で凝固していたが、テツもいなければ、ニーナもいない。
「え?」
さらに照明が切れたように、突然辺りが暗闇に包まれた。石化したサクラと藤吉が暗やみの向こうへと消えていった。
「な、なんだ! 何も見えないぞ! おいニーナ。どこ行った。こりゃ何だ、なんかおかしいぞ!」
正直言って慌てふためいた。騒がしかったニーナだけでなく、イチやクルミ、そして寡黙ではあるが、その存在感がこの中では抜きん出るテツまでもいないからだ。
「おい。何も見えないぞ! ニーナ? お、おーい。ニーーーナぁーーーー」
「うるさいなぁ。聞こえてるよー」
「に、ニーナ……」
「袋を被せられたネコみたいに慌てないの」
「よかった。いるのか……。時間族の連中も消えて、いきなり暗闇になったから驚いちまって……」
「この前、言ったじゃない。次元を超えるときは時間族のみんなは実体化できないって」
「そ、そうか言ってたな……。でもこの暗闇は何とかならないのか、お前の姿も見えないぞ」
「いいこと。間もなく転移が始まる。そうなるとアナタは完全に孤立するからね。ワタシも遮断されて一度消えるから、あとはアナタが誘導するのよ。言ったでしょ、それがカロマーの役目だって」
「いきなりムチャ言うな。どうやったらいいのかも知らないし、お前まで消えたら、あ……」
ニーナの気配が消えた。
「あ、おい! こら俺を放って行くな!」
思考の中で自分の叫び声だけが響いていた。辺りは完全な暗闇だった。ニーナの息づかいも消え、完全無音の世界が浸透する。地獄があるとしたら、たぶんこんな感じなんだろう。まったく光の無い真の暗やみと、耳の奥に痛みが走るほどの無音の世界だった。
「誘導するって、どうすんだよぉ~!」
もう一度叫んでみた。もしかしたら、『うるさい』っとか言ってくれるのを期待して。
何分経っても無反応だった。亜空間で時間を単位で切る行為は無駄だろうが、実空間での癖はそう簡単に直るものではない。
「ニーナの野郎。説明不足だぜ……何をどうしたらいいんだ…………ん?」
石化したサクラの輪郭が薄ぼんやりと見える。淡い色だ。水に溶いた絵の具が水面をたゆむかのような薄い光がどこからか漏れている。
「何だろ?」
意識を集中させるほどに光がはっきりしてくる。それは大気の流れを遮った部屋に漂う紫煙だと言ってもいい。静かに広がり、俺の周りで揺らいでいた。
「あなたがテル?」
「うぉ!」
いきなり耳元で声が聞こえた。
「ふんっ。パッとしない顔立ちだこと」
どわぁ! だ、誰だ?
「何を動転しているのです? 間抜け面して……」
暗やみでいきなりそう言われたら、誰だってドギドキするって。
「ほら、とっとと誘導なさい」
「どなたっすか?」
姿は見えない声だけの存在に尋ねる。
「あなたバカですか。次元移動中の亜空間の中で会話ができるのは、わたくしぐらいなものでしょ。何度言わせるのですか」
「い、いや。俺、いや、僕はきみとは初めてだと思うんすけど……」
「カロマーのクセに頭の回転が悪い人ですね。小猿と大差ないわ」
「きみ……誰さ?」
「本気ですの? ニーナ・シャーロットです。いいかげん覚えて欲しいものですわね」
「い、いや。僕の知るニーナはそんな口調ではなかったし……」
「さっきから……その背筋が凍る妙な口調はよしてください。それよりも誘導はどうしたのです。さっさとやりなさい」
なんかむかつくなぁ、こいつ。
「うっせぇな。誘導誘導って、」
腹が立ったら地に戻る。これって人間の証さ。
「お前がニーナだと? 何だその口調は、また俺をだまくらかそうとしてんだろう」
「何をおっしゃるのです。わたしくは最初から何も変わっていません……」
居丈高に喋り続ける自称ニーナは、一拍開けて説明した。
「次元が移ったのです。バイロケーションされるとは言っても、ニーナ・シャーロットが少し変るのは致し方ありません。そちらとは環境が異なるからです」
「あ……なるほど。そっちの次元のニーナが登場したというワケか……」
「早く誘導なさい。あなたカロマーでしょ。うかうかしていると、とんでもない場所に移動してしまいます」
こっちのニーナは茫然と固まる俺を叱責するが、姿はいっこうに見えない。
俺は声が渡って来るほうに向かい、
「誘導の仕方を教わっていないんだ。俺の次元にいたニーナは何も伝えてくれていない」
嫌味も少し混ぜて尋ねた。
「致し方がありません。ではわたくしが指南いたしますのでよくお聞きください」
「はいはい」
「ハイは1回!」
なんか厳しそうだな、こっちのニーナは……。
「まず光を探しなさい」
というので、さっきから感じる、燻らした紫煙みたいな光を探ってみる。
集中するほどに焦点が合う。薄ぼんやり広がっていた光が1本の光線となった。
「光線になったぜ」
「ふんっ。意外に上達が早いですわね。報告どおり、もしかしてこっちのバカより能力高いかも」
高慢そうな口調と少し甲高い声音は前のニーナとはだいぶ違う。困惑するのが当たり前なんだが。
──もともと金髪のニーナも素性も何も分からない存在なのに、俺はとても親しみを持っていた。この声の主もそうだ。なぜだか知らないが、すんなり受け入れてしまう。
「別に問題ありませんわ。ニーナ・シャーロットとはそういう存在です」
彼女は艶かしい息づかいと供に、
「それよりわたくしはまだ実体化されておりません。早く誘導なさい。光が見えたらその方向へ体の向きを合わせるのです。あとはそれから外れないように集中すればいい。お解り?」
「いつもお前そうやって威張ってんの? なんかおっかねぇんすけど。俺たちのニーナは口が悪かったけど温厚だったぜ」
「なんですって!!」
「うぁあ。分かったよ。集中するから黙っててくれ」
俺はおっかなそうなニーナから言われたとおりに光線の向きに体を合わせた。ちょうど光源の焦点が俺の眉間に入るので、とても集中しやすい。そのまま吸い込まれるように光源を見つめ続けた。
「ふーん。報告のとおり素晴らしいレベルですわね」
忽然と俺の前に声の主が現れた。金髪ではなく、黒髪ロングへヤーを頭の後ろで結った長いポニーテールの和風美少女だった。レザースーツではなく、赤をベースに白のストライプ柄のネクタイで首元を印象付けたブラウスに、金のエンブレムを左胸に貼り付けた紺色のブレザーを羽織り、膝頭まである同じ色のチェック柄スカートだった。
彼女は丁寧に頭を下げて自己紹介をした。
「初めまして、335A6FDC・FE05456Aのニーナ・シャーロットです」
「長げぇな…………」
額の位置で前髪を切り揃えた、日本人形のような落ち着いた感じの少女なのだが、頭を上げるやいなや、俺をきつい視線で睨め上げ、
「別に長くはありません。64ビット幅の呼称ですわ。報告は行ってませんの?」
高圧的かつ尊大に接してくる圧力にビビった。
さっきから報告、報告と繰り返すけど、こいつら連絡を取り合っているのか?
「なぁ。ちょっと聞いていい?」
「なんですか? あまり時間はありませんことよ」
「何でよ、亜空間には時間が流れないんだろ」
「……でしたわね」
ニーナは恥じるように視線を落とし、
「ではご質問をどうぞ」
小いさな声でつぶやいた。
「ニーナは何? アンドロイド? 映像ってどういうこと?」
「何ですか? そんな初歩的なことを伝えていないのですか?」
「聞いてない……」
「簡単に言うとホロ映像です」
「ぼろ映像……?」
俺の返しに、キッと眉を吊り上げ、
「くだらない冗談はおやめなさい! わたくしはホログラム。量子物理学を応用した最先端技術。光子と重力子の混合エネルギーで作られた立体映像です」
「………………………………」
「どうしたのです?」
「もっと解からなくなった」
ニーナは大仰に溜め息を吐き、青いブレザーの肩を落とした。
「もうどうでもいいです──光でできた人工生命体とでも考えてください」
「なるほど、そりゃすげぇな。さすが6900万年の進化だな」
「そ、そうですか……それはよかった」
幾分、気が晴れたのか、瞳の奥をキラリとさせて背筋を伸ばし、
「他にご質問は?」
「報告ということは連絡も取り合っているのかな?」
ニーナは肩に掛かった長い黒髪を払いながら胸を張る。
「わたくしどもは時空間ネットワークで繋がっていますからね」
「時空間ネットワーク?」
「それも聞いていないのですか? 何をしていたんです。宇宙が消えるというのに、えー、いったい!」
「そんなに目くじらを立てなくてもいいだろ。美人が台無しだぜ」
「た……立てていません! 失礼な!」
再び憤然とするものの、しゃしゃっとコメカミ辺りを指で揉み解し、すました顔で俺に黒い瞳を向けるニーナ。けっこう感情の起伏がはっきりしている。
「わたくしどもは亜空間と時空間を繋ぐネットワークで接続されていますの。すべてのバイロケーションされたニーナ・シャーロットに情報が流れます。つまり重力子と情報とでできた光子、すなわち唯一光の速度に達することのできる存在です。憶えておいてください。最先端技術の結晶なのですよ!」
「左様ですか……」
しーませんね。前のニーナは詳しいこと何も言わなかったものでね……。
興奮しきった感情を和らげるためか、ニーナはブレザーの裾を手でピンピンと引っ張ると、赤いタイをきゅっと絞った。
「ではこれより、こちらの次元に乗せさせていただきます。いいですかあなたは慣れていないでしょうから、少し目まいを感じますよ」
その言葉が終わるが早いか──。
うぉっぷ。身構える余裕も無く、腹の中から苦いものが込み上げてきた。
「だ、出さないでください。醜いモノを記憶デバイスには収めたくありません」
「そ、そんなこと言ったって……」
ニーナの顔つきが怖いので、とりあえず必死で堪えた。
さいわい嘔吐感はすぐに薄れてくれた。そしてあたりが賑やかになる。
「──はさ、あたしも好きでけっこう見てたんだ」
会話の途中から動き出したサクラに戸惑う。何の話の続きをしていたのか、これだけ間が空くと、さっぱり意味が通じない。
「ワシの活躍の場はあるのか?」
「何度も言うが、刀で解決できる相手ではない」
藤吉とイチの会話が始まり、その合間にのそりと尻を上げるテツ。
クルミはテントのポールがたいそう気に入ったみたいで、先端をぐるぐると頭上で回していた。
「どうしたのテル?」
顔色を覗き込んでくるサクラに息を飲みつつ頭を振る。
「な、何でもない」
さっきまでの静寂とこのギャップに、俺、ついていけるだろうか。
「それじゃ姫様。実空間に戻っていただけます?」
「はぁい」
クルミは黒髪のニーナに、にっこりと微笑みかけると、回していたポールをゆっくりと地面に下ろした。
霧が晴れ、周辺の様子が次第に鮮明になる……お馴染みの光景だ。
「ここどこ。シャーロットちゃん?」
砂漠の景色が一変していた。たくさんのパイプが壁を無秩序に走り、複雑に絡まって、いくつもの機械的な装置に差し込まれていた。
「何だぁ、ここ?」
俺の問いに、ニーナは、
「時空震実験施設に運び込まれるブースの内部です」
ひどく味気の薄い無機質な声で答えた。
「へぇ。ぶーすってなんだろね、クルミちゃん」
ちょ、ちょっと待てサクラ。
「お前、変だと思わないのか?」
「何が? ぶーすのこと?」
「ぶーすじゃない。ブースだ。じゃない、ちがう違う。この子だ、このニーナ・シャーロットだ。黒髪だし服装だって変わっただろ?」
「何を言ってるのテル。ずっとこうだったじゃない」
「サクラこそ何言ってんだ。ぜんぜん違うじゃないか。前はこう金髪で、もう少し優しくて、」
「わたしくが怖いみたいに言うのはおやめなさい。それと言っても無駄です。記憶の遷移が済んでいます」
「遷移……?」
「こちらの次元に合った記憶になるのです」
「俺は変化してないぜ」
「あなたはカロマーだからでしょ。バカみたいな質問はおやめなさい」
溜め息混じりで、さも当たり前のようなことを言うが、俺には理解に苦しむことだった。




