29)1844京 6744兆 737億 955万 1616の宇宙
2億4千万の瞳じゃねえれけど、17年の人生で初めて耳にした超列な数値に、一瞬血の気が失せたが、気を取り直して声帯を震わせる。
「バカやろぉぉぉぉ──────」とな。
もう一回大きく息を吸い。
「地球にある砂粒より多いワ!」
「あんた数えたの?」とはサクラ。
おぁ?
なかなか返しが上手くなってきたなサクラ。二人で漫才コンビでも組むか?
「あのな。それだと宝くじを買ったほうがお得にならないか?」
みたび息を吸って、ニーナと向き合う。
「一つの世界だけだってさっき言ったじゃないか。どこだか分かってんだろ。そこへ行けばいいじゃないか」
「まだパスが繋がっていないもの。だから因果律が決定してない」
「だってよ。爆縮が起きるというお告げが出てんだろ?」
「バカにしないでよ。占いじゃないわ。時間項がそろわないうちは結果が不定なの。どこの次元だか分からないわ」
「そのとおり。時間項が変化すると結果が変わり、爆縮する世界は別の次元に転移する」
「時間項って何だよ?」
「原因から結果までを導く方程式だ。その中のひとつの項を示す」
「あー。それね。高一のとき数学で習ったワ。でもな風邪でちょうど休んでたなぁ。残念だね」
「話を茶化さないでよテル」
「方程式と言っても、高校で習う古代数学のように数字や文字、記号を使用するだけではない」
「俺たちの数学を古代エジプトと並べないでくれ」
イチは俺の吐いたクレームをひと睨みで打ち消し、
「時間項に組み込まれた人物の行動により、時の流れを求める関数の解、その羅列、連なりが変化する。つまり歴史が揺れ動くたびに新たな次元に遷移し時間軸が枝分かれしていく」
おいおい……。
高説を垂れ始めたイチの白い顔へ、急いで手のひらを向ける。これ以上聞いてられん。
「あーーー分かったよ。それ以上言うな。起きる起きる。爆縮は起きるんだ」
「バカにしてんでしょ。投げやりに言わないで!」
「仮に起きるとしての話に切り替えてやったんだ。よく聞けよ、どうでもいいが……お前らは最大の問題に目をつむってんぜ」
瞬きを繰り返すニーナに向かって、強気に出てやった。
「分岐した次元の数が2千京だぞ、京だ、ケイ、兆の1万倍だぞ。その膨大な数の中のひとつだぜ。どうやって探すんだ!」
「テルはカロマーなのよ。簡単にできるわ」
「ばっ、バッカやろーが。それが何だかよく分かっていない俺に、2千京分の1のものを探せってっか?」
しばらく口をばかっと開けていたら、藤吉が喉の奥を覗き込んできたので、慌てて閉めて、
「バカばっかり相手してっと疲れるぜ。なぁー頭領?」
同意を求めて視線を合わせるが、藤吉はさっぱり解からん、と肩をすくめて俺たちから離れた。
「やれやれ……」
急激に気持ちが色あせた。
「お前ら冗談で言ってんだろ?」
「ワタシは冗談とエラー報告が大嫌いなの」
話に飽きて、向こうで砂遊びを始めたクルミとサクラを脱力し切った視線で眺めながら、
「諦めてくれ。俺には無理だ。そんな天文学的な確率のものを探し当てることはできない」
話についてこれなくなった藤吉は、刀を抜いて素振りを始めるし。サクラは砂がサラサラで山が作れないと文句を垂れるし。ニーナは訳の解らない物をこの広大な砂漠の中から素手で探せと訴えるし……。
何やってんだろ俺…………。
激しい無力感に襲われた。
「お願い。手伝って!」
「い、や、だ!」
「わからずや!」
ムラムラと憤怒の情感が頭を出してきた。
「死ねっ!」
一刀で断じてやった。
「ほっときゃ死ぬわ」
「じゃあほっとけよ」
「お前も死ぬんだぞ」
時空理論の演説を俺に制されてから黙視していたイチが、おもむろに口を開いた。
こっちだって言いたいことがある。
「そんな話はイプシロンの役人にでも言ってくれ。そしたらお偉いさんが阻止してくれるぜ。そういうパスに繋ないじまえばいい。どう考えても俺は部外者だ」
「宇宙が消えるんだ。部外者などいない。すべてが関係者だ」
「こらこら、忍者くん。無茶を言うな」
「時間族も無関係では無い。マザーコスモに戻るということは、何もかもすべてが消えることだ」
くどいなーお前ら。
「100年も先の話だろ。それより俺たちを元の時代に帰してくれたら、6900万年も先の話になる……おっと、言うなよ。冷血だとか血も涙もないのかと、そんな人類の成れの果てのヤツらがしでかした不始末を拭ってやるほど、俺は心が広くないからな」
「宇宙がリセットした瞬間、未来も過去もない。すべての時間の流れが丸ごと消え去るのだ」
「何度も言わなくても理解したワ。悪いが俺だってだてにアニメ見て勉強してねえぜ。あ、それから、クルミの格好をしたアニメはマジで見てないからな。たまたまチャンネルが合っちまっただけのことだからな」
「何の話をしてるのよ」
「はは。お前らがあんまり幼稚なことを言うもんだから、脱線しちまったな」
すまんすまんと、半笑いで手を振って、ついでに胸も張る。
「きみらはわざと間違ったことを言っているのか、それともアホウなのか、どっちなんだよ?」
きょとんとするニーナを見据えながら、
「よく見ろ、俺がここでくだらない話をしてっだろ。ということは宇宙の爆縮は起きなかったんだ。な。見ろよこの平和な風景を……」
砂山工事を断念したサクラとクルミが、今度は穴を掘りだした。
その姿をイチは細めた目で見つめながら、
「まだパスが通っていないからだ」
「また出しやがったな。因果律の話か。それが何だって言うんだ。もう一度よく見ろ、何ともなってないだろ。宇宙は顕在だ」
俺の反論にイチは片眉をほんの少し吊り上げ、ニーナは頭を振って否定する。
「ワタシのデータも間違っていない。どこかで爆縮をしたの」
イチの野郎は、どこから持って来たのか、細い小枝の先っちょで俺の頭を指し示して言い続ける。
「爆縮を止めるべく修正をした。でもこの時間軸ではまだしていない。だからしなければいけない。簡単なことだ」
ふ…………。
よくあるパターンを持ち出しやがったな。
俺たちが行動を起こさないと宇宙は消える。でも消えていないということは俺たちがそれをやるからだとか、この後必ずほざくはずだ。先手を打っといてやる。
「俺が手を出せば時空修正されて、爆縮しねえとかいいたいんだろ?」
「しても……爆縮するわ」
「はあ? いったいどっちなんだ? 『頭痛』が痛いぜ」
今の重ね言葉みたいに恥ずいぜ。
「だったら放っておけよ。どうせ潰れる宇宙だ」
ニーナは長い時間、沈黙に落ちた。
ようやく、
「そこがタイムパラドックスになってるのよ。爆縮をするから修正したのか。修正に失敗したから爆縮するのか。爆縮したのならこの今の時間軸も消えるはずなの。でも存在する。だからといって何もしないわけにはいかない。爆縮しちゃうからね」
「お前、何言ってんの。ついにミラードールのシステムまで崩壊が始まったんじゃないのか?」
「だってレポジトリまで破壊されて、爆心に近づくほどデータが無いの。だから残るデータに従って修正を試みなければならないわ」
「でも最終的に宇宙は消えるんだろ?」
はっきりとニーナは首肯してから、
「あのね……。こんなのはありえないんだけど。分極しないタイムラインレベルでは真実は一つだけしか存在しない。なのに二つの結果があるの。その時何が起きるか……ワタシにも解らない」
やっと本音を出しやがったな。
「何だよ。最初からそう言え。何でも知る時間の番人だとか大げさなことを言いやがって、結局は何も知らないのと同じじゃないか」
「じゃあ。手伝ってくれるの?」
「いやだね。俺にとっては6900万年先の話だ。しかも爆縮する運命なのに修正しに行くって無駄なことに付き合う気はねえ」
「カロマーがいないとこの先は不可能なのよ」
「ほーー。何の役にも立たないとかボロンチョンに言っておきながら……今度は泣き脅しかよ。他のカロマー族に頼めよ。俺はここではっきり断る。やらねえ」
そりゃそうだろ。2千京以上の次元を調べるんだぜ。俺はレポジトリの番人、ミラードールの代わりはできない。
「番人さんよ。きっとどこか別次元のカロマーが手伝ったんだよ。殊勝なヤツもいたもんだぜ。すげえな。2千京だぜ。兆の上だぜ。はっ!」
だんだん声がでかくなってきたが、それは仕方が無いだろう。無限とも言えるタスクを背負えと言うのだ。いくら温厚な俺だってイラつくのだが、ここで腹を立ててヤケッパチになったら、あいつらの思うつぼだ。冷静を装い言い返す。
「どっちにしても俺には無理だワ……悪かったな、よそを当たってくれ」
「そんなこと言わないでよ。テル……」
「お前ら時間を飛べるんだ。いくらでも他のカロマーを探す時間はある。今からでも遅くない、俺以外のもっと優秀なヤツを探したほうが早いぜ。ごめんな。カレーライス美味かったぜ」
「テル…………………」
急激に弱気になったニーナの表情に俺の庇護欲がムクムクとしてきたので、慌てて自制する。
おい、俺。こんな奴らの口車に乗るんじゃない。宇宙を救えだと言ってんだ。頭がおかしくなったミラードールの言うことなんか信じるな。
「あのね…………」
面を上げたニーナの透き通った青い瞳が濡れていた。信じられんがミラードールが涙ぐんでいた。
「正直な話をするわ」
「最初からそう願いたいものですな」
「ワタシに残る最後のデータの話…………」
「はいはい」
真剣に聞く気が無さそうな俺に、イチも苛立ちを覚えたのだろう。幾分憤怒を混ぜた口調で言い放った。
「よく聞け、テル! ニーナの断片的なデータには修正を試みた部分が残っていた。この偉業をやり遂げたカロマーがいるのは確かだ」
「あーわかったよー! だからそいつに頼めって言ってんだ! 2千京分の1のお宝を見つけたそんな神がかりみたいなヤツにな!」
イチはついにブチ切れた俺にとてつもないことをほざきやがった。
「やったのは……この次元のお前だ。間違いない!」
「ほぉぉ。すげぇじゃないか」
──はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?
「釣られちまったぜ……。今なんつーた、こいつ?」
興奮が一気に冷めた。馬鹿げたことをこいつはぶっ放したぞ。
「お前は時間にこだわりすぎだ。亜空間では時は流れない。すべての次元に同時に現われ無限の処理が可能となる。2千京であっても一瞬で終わる」
「なに言ってんの? イチ、じゃない、サクラの分身野郎」
そうさ。忍者野郎はサクラの潜在意識から生まれたのだ。俺はクルミだぜ。
「なによぉ」
サクラが指の先で俺の横っ腹をつっ突いた。
「あんたがあたしのイチさんに楯突くなんて、100年早いわ。先にあたしと勝負しなさい」
「おっかねえな。何でお前はそう熱いんだ。100年がなんだ、俺たちは2千京分の1の因果律の話しをしてんだ。原因と結果が繋がることをパスが通ると言うんだ。解かるか? おバカなサクラちゃんよぉ。それともお前がこいつらとナシをつけるか?」
「…………………………………」
途端に黙り込み、どっかへ視線を飛ばしやがった。
「ほらみろ。ややこしい話になるといっつも俺に振ってきやがって、」
途中で言葉を区切り、気を取り直してイチに向き合う。
「はっきり断る。上手くやるも何もない。やらない。そんな無茶なこと嫌だ」
「この時間項のパスを繋いだのはお前だ。だからこの責務はお前が負わなければならない」
「そうよ。レポジトリに残ったソースコードに記録されていたのは間違いなくこの次元のアナタだったわ。つまりアナタが時間項なの」
「出たぁぁぁ。そうやってワケの解からんテクニカルタームを並べたくって俺を罠にはめる気だろ」
「よく考えるんだテル。この先、未来でお前はそのミッションを成功させる。その結果として今の我々が存在している。本気で断ればその瞬間、全銀河が消え去る。過去も未来もすべて引き摺って……消えるんだ。これが時間のパスを繋ぐ時間項の意味だ。それがお前なんだ」
「おいおいおい。でかい話しになってきやがったな。俺のひと言でこの地球だけでなく全宇宙のすべての歴史が消えるだと? はっ! うはははははは」
何だか無性に笑いが込み上げてきた。
「俺って神様だったのか。サクラ、よろこべ。俺はサバイバル部の部長じゃなくて全宇宙の神だったんだぜ……」
今度は急激に虚しくなった。
「ばぁか、イチ。んなわけないだろ。俺は中学の時、サクラを助けに行くだけでビビッてたんだ。そんときはたまたまサクラのほうが連中より強かったからよかったものの……怖くて怖くて……」
何だか悔しくなって泣けてきた。
「俺は根性無しの弱い人間だ。そんなのが全宇宙を救うことなんかできねえよ」
サクラが俺の腕を取り、力強く左右に振る。
「サバイバルの部長に怖いものは無いんでしょ。そうやっていつもあたしを元気付けてくれてんじゃん。今回もぱぱぁっとやっちゃってよ」
「バカは気楽でいいよな…………」
サクラは真剣な眼差しを俺に向けていた。おかげで、マジで数秒見つめ合ってしまった。
「どっちにしてもここで断れば宇宙は消えるのよ。気楽にやってくれていいわ。だってほら、ワタシたちこうやって存在してるでしょ。きっと成功したのよ」
「結果は解らないって、言ったばかりだろ……」
「時間項が見えないだけよ」
ニーナはそう言うけど……。いまいち納得いかない。さっきのイチの言い方では、時空修正までの時間のパスは繋がったと言ったが、その先はまだ繋がっていない。つまり──。時間項はまだ全部そろっていないと暗黙のうちに提示したと考えられる。
しかしクルミまで寄って来て熱い視線で見上げられたら……。
「で? 実際、どうやんだよ」
あぁぁ。バカは俺だ。こうやって、おだてられりゃ何でもやっちまうんだ。
「簡単よ。ワタシがアナタを連れて次元を移動するから、それを見つけてくれたらいいの」
「2千京の中から何を見つけろと?」
「正確には1844京よ。その中からビーコンを放出する時間軸がある次元を見つければいいだけ。どう簡単でしょ?」
「ビーコンって何? 美味しそう」と訊いたのはサクラ。
「そりゃ、ベーコンだろ」
「違うの?」
「違うワ。ビーコンてのはな。識別信号を出し続ける標識みたいなもんだ」
「そう。亜空間ビーコン。爆縮する宇宙を作り出した次元に付随する亜空間に置いたの」
「なんだよぉ。それを先に言えよ。簡単じゃないか。ちゃんとマーキングされてんじゃん」
「でも数が多いんでしょテル?」
そうか。サクラの意見ももっともだ。
「ひとつ調べるのに、1秒かかったとしても1900京秒ほどだぜ。これって何日かかるんだ?」
「213兆4259億2000万日だ」
「計算速いなイチ。電卓隠し持ってるのか?」
薄ら笑いを浮かべて、イチは首を振った。
「問題ありありだぜ。俺の末代まで掛かっても無理だ」
「亜空間では時間はほとんど流れないって言ってるでしょ」
とニーナは半笑で応え、珍しくイチが薄い唇の端を持ち上げた。
「安心しろ。それは実空間と比べての話だ」
「そこがいまいち解からん」
腕を組んで首を傾けるが、とにかく話を進めよう。
「それで──見つけたとする。それから先は?」
「その時間軸が分岐した原因にまでさかのぼって、そうならないようにするわ」
それが時空修正か…………。
北陸へ夏キャンプに来ただけなのに、宇宙の歴史を修正する……とんでもないタスクを背負い込んじまったけど、はたしてこれでいいのだろうか。
「薄ら寒いぜ……まったく」
唐突にイチが直立した。
「まずはこの建物の中を調査することから始める」
「リーダーが決めたんだから従うけどな。でも結局作業をするのはこっちなんだし。なんか損な役回りじゃないか?」
やっぱり、釈然としない俺だった。




