24)カロマーとしての能力
「寄り道をする前にやることがあるわ」
「何だよ?」
「亜空間に順応する能力がどれほどか、調べる必要があるの」
「調べてどうする。それよりちゃんとした説明をして欲しい。何がなんだかさっぱりのまま、引っ張り回されるのは気分が悪い」
固まったサクラの顔色を窺う。まるで上手く作られた蝋人形だ。最初はピンボケの白黒画像みたいな世界だったのが、今はフルカラーに切り替わった。だが動いていない。3Dの静止画を見るのとなんら変わらない。
薄い桃色をした健康的な頬に、そっと手の甲を当ててみるが、何の感触も伝わってこなかった。実際に目で見るのではないとニーナは言っていた。それで感触が伝わって来ないのか……。本当にこれは俺の脳内で作られた映像なのか?
「…………………………」
考え込む俺の肩に誰かの手が添えられた。それがやけに優しげに感じ、振り返るとイチだった。
「どうだ、それがしの声が聞こえるか?」
昭和のブロマイドみたいな白い顔を不審そうに覗かせ…………あー鬱陶しい。
「何なんだ、お前ら。何が言いたい?」
「お前の目の前に広がる光景を説明してみろ」
「えらく上から目線の野郎だな。何の実験だよ?」
さらに不信感が募ってくるが、クルミもそろって真剣な表情を寄せるので、その雰囲気に少し圧倒される。
「わかったよ。見たままを報告すればいいんだろ。えーとだな。イチの鬱陶しい白い顔も、ニーナの整ってるくせに生意気そうなツンデレ顔も、クルミの紅白の可愛い衣装も、それと……」
ちょっと身体を捻り背後に視線を旋回して、
「それとテツの銀のたてがみや、おっかない牙も全部何も変わってない」
とりあえず素直に報告する。
イチは澄んだイケメン顔を輝かせた。
「すばらしい。色彩も備わっている」
「すごい。合格だわ」
ニーナが流麗な眉を持ち上げ、
「やっぱりテツの目は確かですぅ」
クルミも暖かそうな息を吐いた。
「────────────」
黙って見つめてくるのはテツだけだ。
三者三様に絶賛するが、俺は何も解らず固唾を飲み込み、身を引いた。
「……お前らの言う意味がさっぱり理解できんワ」
小さな声で文句を垂れる俺に、イチが重要なことを通告する教師みたいに言う。
「よいか。今は同じ時間軸内の亜空間に入るため、我々時間族も実体化していられるが、別次元へ転移する間は、時間族であっても実体化不可能だ。そうなるとお前とニーナだけが頼りになる」
「俺とニーナだけ……?」
「そうだ。お前のその視力に頼ることになる」
「視力? あぁ。いいぜ」
深く理解していない俺の回答は完全に安請け合いだった。それよりもこのツアーの先には別の宇宙へ寄り道をするオプションまで付いていたことに、新たな疑問。いや疑惑だな。それを持った。
今、イチは別次元へ転移する間、と言った。
過去から未来へ飛ぶだけでなく、異次元へ飛ぶってのか?
だったら念のため釘を刺す。
「命にかかわることならお断りだ」
「イチは視力って言ったけど、テルの空間認知力のことよ」
隣から爽やかな顔で口を挟んでくるニーナ。
「何だよそれ?」
「平面に書かれた絵を見て脳の中で立体視できる力、それが空間認知能力よ。アナタの場合は平面じゃないけど……」
ニーナは途中で不自然に言葉を濁した。
「宇宙飛行士に必要な能力みたいだな」
ちゅうか。おかしなことを言う連中だ。
「ちょっと待て、俺が見る光景は俺の意識内で作られた映像だと言ってなかったか。そんな不確かな映像をお前らが頼るのか?」
「物理法則の成り立たない亜空間でものを見ることは不可能だ。だからお前のように脳細胞の特別な部分で視る力が必要なんだ。わかるか? 『視る』だぞ」
イチは国語の授業みたいなことを言った。『見る』も、『視る』もひらがなで書きゃ同じだけど、ちょっとニュアンスが違う。
「まどろっこしいなぁ。言いたいことはなんだよ……」
判断つかん。頭が痛い。ますます懐疑的になりそうだ。
「そっか。猿には言葉での理解は難しいだろうね……」
落胆気味につぶやくニーナ。
「くそっ、人を褒めたりけなしたり、何が言いたい!」
「簡単に言えば、方向感覚もその一つですぅ」
ずっと手を伸ばし続けて、だるくないのだろうか。白く華奢な腕を上げたまま、首を俺にねじってクルミがそう言った。
「ああ、それか……。方向感覚なら自慢できるぜ。俺は山で一度も迷ったことはねえ……。昨日はちょっとやばかったけどな」
「うふふ」
「な、なに笑ってんだよ?」
ニーナの意味深な笑いはイチの申告で明らかになった。
「アレはニーナがお前を試したのだ」
「なっ、何だよ。くそぉ、まーた俺を弄んだのか」
おかげでかなり恥ずい行動をとっちまってるし。どうしてくれようか。
「恥じることはない。お前の空間認知能力が試されたのだ」
「あの時、アナタだけを疑似空間に入れたのよ。というよりワザと迷い込ませたの」
「疑似?」
「亜空間のシミュレーションみたいなものよ。でもパニックも起こさず、すぐに姫様のお人形の役割に気付いた。そこだけは褒める価値があるわ」
そこだけかよ……。もっと探してくれ。
しかし抜き打ちテストとは卑怯な……。
「それで……どうなんだ俺は? この空間でお喋りだけしていたらいいのか?」
「周りが視えて口が利ければ合格だ」
「何に合格したんだ?」
こいつらほんとに何者なんだ?
俺に何を求める?
「先へ行けばわかるって。とにかく、この空間ではテツに代わって、アナタがみんなを誘導するのよ」
「お前の言うことがよく解らんが、ようは道案内をすればいいのか?」
「そういうことだ」
「だけど地図も無ければ、行ったことも無い場所なんだろ?」
「それは大丈夫。視えたものを的確にワタシに伝えればいいだけ」
イチはニーナの言葉に目を細めて首肯し、どういうわけかソワソワしだした。
「そろそろ出ないと……。人間が亜空間に長居すると体に悪い」
まるで年寄りの長湯みたいなことを言い、うなずいたニーナがクルミに恭しく進言する。
「姫様、予定を変更して、もう少し先へ移動できますでしょうか?」
クルミは瞬きで承諾の意を告げ、挙げていた手を使って頭上でくるりと輪を描いた。
わずかに緊張した空気が流れていたが、
「はぁい。着きました。さっきの場所から1万年先でぇす」
ふうと芳しい息を吐き、腕を下ろした。
「………………………………………」
これじゃあ、漫画だろ。
手で輪っかを拵えたら、未来へ時間旅行ってか?
驚愕を通り越して呆れの境地だな。
脱力めいた吐息を落し、
「それにしても安易な設定だな。おい……」
またもや俺だけ蚊帳の外だ。皆に無視された。
「──姫様。もうすっかり慣れましたね」
「はい」
こくんと顎を落としたクルミは、ニーナの優しい声に応える。
「到着直前に現れる時空の変動さえうまく抑え込んだら、それほど難しくありませぇん」
「そうですか。じゃあ、とにかく後は繰り返し練習をしましよう」
赤と白の派手な格好をした少女が、純白のワンピースを着た映像少女におっとりとした返事をする光景を垣間見て、俺は肩をすくめた。
「お習字の稽古と一緒にするんじゃねえ───」




