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23)異空間同一体との遭遇

  

  

「亜空間ではすべてのものが止まるだと? 止まってねえじゃん。俺、動いてるし……それに……」

 連中の言うことを素直に受け入れることができなくて、何か覆す証拠はないかとしばし黙考。それはすぐに閃いた。

 俺たちの時代では唯一最先端だと言い切れるスマホだ。これが動いていればあいつらの言うことが嘘っぱちだと言い切れる。まだバッテリーはかろうじて残っていたはずだ。


 すぐにポケットから取り出して電源を入れる。俺が動けるのなら、こいつだって動くはずだ。


 それにしても何だかその動きが、やけにボケて見えていた。手をポケットに入れて取り出すだけの光景だが、焦点が合っていない映像を見るようでどうにもすっきりしない。だからと言って、今はそんなことを気にする必要はない。


「時間の流れを確認しようとしても無駄よ」

 スマホを覗き込もうとする俺に、ニーナが意地悪そうに宣告した。


 しかし、

「ほらみろ。午後11時34分だ。ちゃんと動いてんぜ」

 ゆっくりと視線をスマホからニーナに戻す。

 金髪の少女はニタニタ笑うだけで何も言わない。


「おい、何か言ってみろよ」


 説明を求める俺にイチが答えた。

「お前が知る物理法則が成り立たないのが亜空間だ。時間の概念が無い。だからその電子機器も動作していない」

 忍者が語る会話ではない気がするが……。それはこの際、目をつむるとして。


「ウソ吐け。画面に時間表示があるだろ。な。このスマホは動いてんだぜ。これは時計の絵じゃないからな」

 もう一度突き出してやる。


「その携帯も動いていないし、サクラどのも藤吉も動くことは無い。つまり二人とも意識は無い」

「無い無い尽くしかよ……。じゃサクラは気を失ったとでも言いたいのか?」

「簡単に言うと……。時間が流れない世界では、お前たちは異質な物だ。いや物質としてさえも認識されていない」


 ちょっと怖い質問をする。

「死んだのか?」

「生も死も実空間での概念だ。ここではそれすら意味を持たない」


 イライラしてきた。

「じゃ何だ。サクラは死んでも生きてもいないということなのか? ここに存在すらしていないのか? いるじゃないか。ばーか」

「お前には理解不能だ。それが亜空間なんだ」


 これが亜空間?

 うそつけ…………。


 さっきまでの慌て振りが急激に薄れ、俺の気分は平静を保ちだした。


「──納得いかんな」

 ニーナが肩に掛かった長い髪を後ろに払う姿を、ボケた視界で捉えながら問い続ける。

「おかしな話だな。じゃあ、なぜ俺だけこうやって動ける? 動くということは時間が流れるんじゃないか? こうやって右手を上へ持ち上げるだろ、」

 言葉を途中で区切って、わざと腕をゆっくりと上げてみせる。

「どうだ? これで5秒は経過しただろ?」


 ニーナがうふふと嘲笑めいた微笑みを浮かべ、忍者野郎がふっと鼻を鳴らした。

「お前が勝手にそう思うだけだ」

 地面を這う蟻んこを見るような目でイチは俺を見た。


「勝手に思うだけだぁ? なに言ってんだ。実際に動かしてんだろ。ほれ、どうだ」

 今度は派手に両手を振ってやった。

 俺の腕は風を切って宙を飛び交い、石像化したサクラの硬く固まったポニーテールのすぐ脇を通過するが、ニーナはそれを見ても平然と言う。

「思考の中で手を振る動作を想像しているだけ。アナタはサクラさんと同様、固まってるの」


「はぇぇぇ?」

 振り回す腕の力が自然と緩んだ。


「何を言ってんだ? 意味解らんぜ。俺の腕は動くし、お前らと会話もしてんだろ?」

「我々の放出する思考波の共鳴を脳内で展開し、その中で自分の空間を作って可視化するだけなんだ。実際の光が網膜に、音が鼓膜に届いてはいない」

 瞬きを繰り返す俺に向かって、言い放つイチの爽やかな口調が今はなんだか腹立たしい。


「バカこけ……」

 いくら秋空みたいに爽やかにな説明を垂れようとも、とても信じられるものではない。今だって忍者野郎

と対面して俺は頭から湯気を出さんばかりに立腹中だ。少しボケた感じではあるけれど。


「俺が見たり聞いたりするものは、俺の思考の中で作られた世界だと言うのかよ」

「そのとおりだ。ここは時間の概念が無い亜空間なのだ」

「これを見ろ。携帯は午後11時35分に変わってっぞ。あれから1分経ったんだぜ」

「それもそう思い込んでいるに過ぎん。お前の脳が作り出した虚像だ」

 冷たい口調で何度も言いやがって、それなら、こう即答してやるワ!


「お前ら間違ったことを言ってるぜ!」


 俺がそう断言できるのも、少しは自信のある知識があるからだ。動かない体の中で意識を可視化しようが、音と感じようが、どうでもいいことだ。すべてひっくるめて、それらは脳の活動だっていうことだ。そして神経に情報が伝わるのは化学反応で起きた電子の動きだ。これって物理法則だろ。


 どうまとめたらヤツらの主張をいっぺんにひっくり返せるか、思案に暮れる俺の顔をニーナの端正な面持ちが覗き込んできた。

「亜空間は実空間の物理法則が成り立たない。だけどまれにそれに対応する微弱な変化を認識する脳を持った人が存在するの。さっきのアナタみたいに順応するまで激しいめまいが起きるけどね。知らなかったでしょ。生物の脳ってどんな環境にも応じることができるんだよ。誰が作ったんだろ、すごいわね」


「さっきの……俺?」

 声にも出していない俺の質問にニーナが答えると言うことは、俺の思考が読み取られたのだ。

「亜空間には時間族も入れぬ。ニーナのシステムが有ってこそ、こうやって入ることができるようになるのだ」

「もうお前、忍者のコスプレやめろ。なんかこう、未来的な戦闘服でも着込んだほうが似合ってんぜ」


 そんなことより俺の疑問は一つしかない。

 サクラと藤吉は石になっちまったのに、なぜ俺には意識があるんだ?

「お前らが平気な理由は分かった。じゃあ、俺は何だ。なぜ俺だけ特別なんだよ?」

「それはテルさまがカロマーだからです」

 クルミの小さな口から漏れる言葉にしては異質に感じた。


「またそれか……役に立たない能力だろ?」

「そうね。現に何の役にも立ってないしね」

 ニーナの言い回しは、俺のナイーブな自尊心を平気で切り刻んでくる。腹が立って仕方がない。


「お前は歴史の当事者として我々をナビゲートする必要がある。それがカロマーの役目だ」

 イチは相変わらず説明無しで、ズカズカ土足で上がってくるし……。


「ワケ解からんぜ……」

 昨日からこのフレーズばっか。俺のキャッチーにするかな。


「さっ、姫様がお疲れだろうから、そろそろ亜空間から出すわ」

 ニーナがそう言ってから一呼吸後、間の抜けた懐かしい声がした。

「ねえねえ。何が起きるの。シャーロットちゃん?」

 一時停止が解かれた動画のように、突然サクラが動き出し元気な声を上げたのだ。


「へ?」

 俺たちがやけに強張っていたことに気付いたサクラがぽかんとした。

「どうしたの、テル……あー。またあんた困ったちゃんだったのね。もう、シャーロットちゃんのジャマしたらダメって言ったでしょ」


「………………………………………」

 全身から重々しい鎧を脱ぎ捨てるみたいに気が抜けて行く快感に浸った。

「サクラ……これからもその調子で頑張ってくれ。お前は俺の安らぎの友だ」

「へ?」

 またもや実の無い返事をして、人差し指で自分指し示し、黒い瞳を丸々とさせた。


 どちらにしても、血の気の戻ったサクラのほっぺたを見て、内心ほっとしたのはウソではなく。その向こうでは退屈そうに肩の上で首を回す生ちょんまげも健在で、

「どうした? まだ出立(しゅったつ)していないのか?」

 でかい声で訴えると、刀を腰に挿し直してニーナへ頑強な肩を旋回させた。


 さきほどまでの展開を知らずに動き出した奇妙な空気に俺は戸惑った。

 連中と議論していた時間は短かったが、それでもちゃんと時間が流れていたことは事実だが、この二人にはまったくその認識は無く、つなぎ目の無い時間が通常どおり刻まれていたかのようだった。


 そうすると、いま俺が記憶する時間は、サクラたちのいた空間での時間とは異なるものだ。もしこれが数時間、いや数日経過するようなことが起きれば、俺とサクラとのあいだに別の歴史が流れることになる。


「ワケ解からんぜ……」

 何回目だろう。この言葉をつぶやいたのは……。


「お前にはまだ理解できないだろう」

 冷然と言うイチの声に顔を上げる。

 お前は理解したのかよ、と言い返したかったが、クルミの声で中断した。

「千年後でございましゅ」

 袖の極端に短い上着から出した白い滑々の腕を下ろし、体の前で両手をそろえて腰を折った。

「エレベーターガールかよ」

 紳士服売り場に到着した、みたいに宣言し、アイドル並みのスマイルを俺へと向けるクルミ。


 続いて、さぁっと霧が晴れ、灰色の地面が広がる何もない景色。その中に数人の黒い人影が見えた。

「だめ! 次元フェーズのズレを感知した。姫様、シールド張って!」

 極端に緊迫した声を上げるニーナ。


「あっ!」

 一瞬だったが俺の視野に飛び込んできた人物。

「今の……」

 サクラの声もうわずるところを見ると、俺と同じものを見たのだ。


「早く隠して!」

 ニーナの叫び声にも近い指示でクルミがさっと手を上げる。

 次の刹那。瞬時に煙幕みたいな乳白色の霧が大量に降下して景色を覆い隠した。


「今のは誰じゃ?」

 刀に手を掛け藤吉が怪訝な顔をする。やはりこいつにも見えたんだ。目の錯覚や見間違いでもない。


 ギラギラした視線で俺たちの反応をうかがうように観察するニーナ。むき出しにしたその異様な緊迫感は、俺たちを大いに困惑させるものだった。


 イチは触れると切れそうな鋭い視線で外の乳白色の気体の向こうを睨みつけ、

「異空間同一体の妨害行動だ。しかし直接姿を現すとは……自殺行為だ」

 何が自殺行為なのかはよく理解できないが、切迫していたのはイチの慌てぶりと、俺の視角野に焼きついた映像がとんでもない物だったことで、それを証明できる。


 見えたのはほんの瞬間だったが、忘れようとしても忘れることはできない。


 ──なぜなら。

「ちょっと待て。今のは俺たちだったぞ」

 そう。瞬間だが目に飛び込んできた人物は、確かに俺たちだった。

「どういう理由か知らぬが、忍びと姫様もおった。なんじゃ今のは、あれも鏡像なのか?」

 正確に言うと、藤吉だけがいなかった。その理由など知る由もない。


「あれが異空間同一体だ」

 イチは仮面を剥ぐようにもとの表情に戻していたが、俺にはわかる。まだほんの少しだが焦りの色が残っていた。


「俺たちの鏡像が妨害工作をするのか? どういう意味だよ?」

 (にせ)の俺たちが現われて、ちょっかいをかけてくるということなんだろうな。

「迷惑な話だな……」

 と疑問を混ぜて語ろうとする俺の意見を大きく覆すイチ。


「偽物ではない。向こうも本物だ」

「なんっ!?」

「ニーナが説明しただろう。時間の分岐点で枝分かれした同一人物だ。ふつうは絶対に同じ空間に顔を現すことはできない」


「でも。向こうから現れた。つまり何かを企んでいたということよ」


 言葉が何も浮かんでこなかった。説明は受けたが、実際に体験すると鏡を見た、などという簡単な物理現象ではない。相手から何かの波動みたいな揺らぎを肌に感じたのは確かだった。

「あたしは何も感じなかったよ……」

「お前は鈍いからそれでいい。俺はデリケートだからわずかな変化でも敏感に感じ取るんだ」

「なんで?」

「カロマーだからさ。な、そうだろニーナ?」


「ちょっと静かにして!」

 ニーナの声は相も変わらず冷たかった。


「また怒らしたの、テル?」

 サクラの困惑に沈む視線が俺に説明を求めるが、俺も虚しく頭を振る。

「意味、ワカメだ……」

 二人揃って首をかしげた。



 腰に手を当てたニーナは、派手に長い金髪を風になびかせ、険しい表情でヤツラの消えた空間を睨んでいた。

 俺に対して偉そうな態度を貫き通していたが、あいつも部分的に困惑したのは確かだ。さっきからしきりに険しい顔をして黙考中だ。

「立派なこと言っておいて、お前だって今の出来事が腑に落ちないようだな?」

 ニーナはさっと表情を隠し、

「言ったでしょ。異空間同一体には敵もいれば味方もいるのよ。ワタシにはそれが瞬間に判断できる。そうでなくちゃレポジトリの番人なんか務まらないわ」

「でも。答えが出ないんだろ?」

 図星のようだった。珍しく素直に首肯した。



 その後ニーナは、何か言いたげに口を開くがすぐに閉じるという振る舞いを数度見せたが、何も言わず腕を組んで、また黙り込んでしまった。

「さっぱり、ワケ解らんぜ……なぁ?」

 ずっと答えを求めて俺に寄り添ったままのサクラに同意を求めるのがやっとだ。


「さ、サクラ!!」

 またもや俺にむしりついたままサクラが石化していた。だが俺のほうにはまったく変化がなかった。今度はめまいも無く、さらにボケた感じもしない。


 腕を解いたニーナが俺の前に立った。

「ふ~ん。頭の回転は悪いけど、身体能力だけは猿以上ね」

「何だよそれ」

 むっとして睨み返す。

「褒めてんのよ。連続転移で、それも2回目でもう順応するなんて……」

「な、何だよ」

 ニーナのセリフの先が怖くてちょっち狼狽(うろた)える。

「すごいわ」

「何だよ。ビビらすな! それより、また入ったんだな。例の空間に……」

 冷え冷えとしたイチの視線がそれを肯定していた。


「もしかして。寄り道するかもしれないわよ。テル?」

「俺に訊くな。もとからこっちには目的地など無い」


 石と化したサクラと刀を杖代わりにした野武士の石像を不安げに見つめる俺。

 それにしてもとんでもない夏休みになったもんだ。

  

  

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