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2)消えた帰り道(イケメンに、サクラ胸キュン)

    

    

「テル、テル、ちょっと来て!」

 うるせえな。俺はテルテル坊主じゃねえってんだ。気安く連呼するな。

 しかしサクラの緊迫した声にただならぬ気配を感じた俺は、急いでテントから顔を出した。

 ──朝もや漂う清澄(せいちょう)な大気の中にスリムな体型をした背の高い男が立っていた。


「どうしたんだ?」

 とりあえずサクラに尋ねる。

「うん。さっきからそこに人がいるんだけど、動こうとしないの」


 朝陽を背にしてシルエットになった人影は腕を組んで直立しているのだが、どっちを向いているのか、よく分からない。

 目を凝らす俺の横で唐突に茂みが動いた。同時にサクラがキャンと叫んで、テントに飛び込んで来た。


「狼よぉぉ!」

「バカ、日本の狼は絶滅してんだ」

 野犬だとまずいと思って、ひとまずテントの外へ出ると、落ちていた太い木の棒を握り締める。こんなもので役に立つかどうかは分からないが、とりあえず何か武器が要るだろうと思って。


「──でかっ!」

 その姿を視界に捉えて縮み上がった。そいつは頑強そうな身体と、ぶっ太い前肢から()き出したナイフみたいな(つめ)で地面を掴んでいた。


「こ、こら、来るな……来るなよ……」

 完全にビビッた。確かに狼のような鋭い目をしていた。身の丈一メートル半はあろうかという、シェパード、いやシベリアンハスキーといった感じだった。


 犬は険しく威圧的な視線で俺を睨みながら悠々と斜めに横切ろうとしていた。

「お、おい。アンタこの犬……。アンタのか?」

 俺の声にやっとその男はこちらへ半身をひねった。


「へひゃぁ」

 テントの中から顔だけを覗かせていたサクラが艶かしい吐息を漏らし、盛んに瞬きを繰り返した。

 なるほど──イケ面だった。


 長い前髪を風になびかせ、吊り上がった切れ長の目で俺たちを(しゃ)に構える姿は、確かに男の俺から見てもドキッとするほどの美青年だった。


 ハスキー犬は鼻をくんくんと鳴らし俺に近づくものの、その威厳をも感じさせる堂々とした姿からは、いきなり襲ってくる安っぽい野犬の持つガサツな気配は一切漂うこともなく落ち着いた目をしている。しかしその太い前肢でひと払いされるだけで致命傷を負うのは間違いない。


「ワンちゃん、落ち着けよ。俺は何もしねえからな……頼むから飛びつくんじゃねえぞ」

「てる、脅かすな……」

「は?」


 そのひと言で犬の目から威圧感が消え、凶器みたいな爪を瞬時に引っ込めた。しかし気になるぞ。

「すまぬ。てるは好奇心旺盛なんだ。怖がらなくてもいい。それがしが命じぬ限り、襲うことはない」

「は?」

 さっきから、ハ行ア段しか出てこない。


「ねぇねぇ。誰なの?」

 俺の袖を引いて、サクラがテントから這い出てきた。

「俺に聞くな。それより、さっきからメチャメチャ気になる言葉が連発してんだが……」

「ねぇ。この犬、あなたのペット? 大きくてカッコいいわね」

 こいつ、イケ面だと分かった瞬間、態度を変えやがったな。


「ほらほら。おいで……」

 白い手のひらを狼のような巨大犬に平気で差し出すサクラ。

 朝陽に照らされ、よく手入れされた銀の毛並みが眩しいぐらいに輝いていた。


「ねぇ? この犬、なんて名前?」

 それだ。俺がどうしても気になる最大の案件だ。

「イヌ? イヌとはなんだ?」

「は?」

 ──またハ行の一文字目。

 いいかげん飽きたので、ちゃんと尋ねる。

「いやいや。この賢そうな四つ足の生き物だよ」


「てる……だ」

「だから、それが気になるんだ」

「なに?」

 イケ面野郎は五体全部を旋回させて、無表情に白く輝く顔を俺へと向けた。


「そのイヌの名前が気になんだよ……」

 俺の肩越しにサクラが失笑する。

「あはははは。テルだって。あんたと同じ。ほら、テル……おいで、テル」

 って、犬に手のひら舐められてんじゃねぇ。なんちゅう名前をつけたんだ。あんた。


 ちょっと不機嫌そうな視線をイケ面野郎へぶっ放すと、

「オマエも『テル』というのか?」

 無感情な平たい声が返ってきた。


「あぁぁそうだ。俺は『峰山耀(みねやま・てる)』って言うんだ。あんたは?」

「……テツだ」

「テツさんか……あんたこの辺に住んでんの?」

 見た感じ同年齢そうだし、タメ口でいいだろう。


「テツはイヌの名前だ」

「は?」

 またハ行に戻っちまったよ~。


「犬はテルって言うんだろ?」

「たった今から『テツ』に変える」

「は?」

 同時にサクラの指をぺろぺろと舐めていたハスキー犬がピクリと耳を立て、首をひねると、イケ面の顔を不思議そうな目で見上げた。


「同じ名前が二つあっては混乱を招く。今日からお前は『テツ』だ」

 俺は驚愕した。その言葉に従うようにうなずいたハスキー犬はおとなしく男の後ろへ引き下がったからだ。


「すごいね。この犬賢いんだね」

 妙に嬉しそうなサクラ。お前、惚れたな。このイケ面野郎に──。ケツの軽い女だ。


「オマエらは……何……している?」

 言葉数の少ない上から目線の野郎だな。


 俺は極度にイラついていたが、ここで気まずい関係になるのはやばいと感じた。どう見てもイケ面野郎は犬の散歩の途中みたいな雰囲気だ。となると地元の人だということだ。あまり悪い印象を与えると、これからこの山に入れなくなる。現地の人とは仲良くやる、これもキャンパーの宿命でもある。


「俺たちは神戸から来たサバイバル部のメンバーなんだ。この山が気にいって、昨日からサバイバル訓練をしようと、やって来てんだ」

「さばいばる?」

 ──だろうな。田舎の人に横文字はまずかったな……。


「野宿よ。昨日からあたしらここで寝泊まりしてんの」

 横からサクラが口を出すが、その言い方だとまるで浮浪者みたいに聞こえないか?


「そうか。野宿か……」

 通じたようだ。それよりも、俺はその身なりが気になった。頭巾こそしていないが、風になびかせた長いマフラー? いやスカーフ──夏だぜ──を首に巻き、まるでアニメに登場する忍者みたいな格好だ。忍者コスプレか? 都会ならもうそんなブームはとっくに去ったはずだ。せめて戦隊シリーズだろ。しかし山の中で見ると、意外と違和感を覚えないのが不思議だ。


「あんた変わってるな。名前は?」

「イチだ」

 それを聞いてサクラが息を飲む──。って、さっきからお前、忙しいヤツだな。


「あたし、この人知ってるよ、テル」

「なんだお前の知り合いか……どうりで変なヤツだと思ったぜ。……で、誰?」

「昔読んでたマンガの主人公。忍者のイチさん」

「は?」

 お前まで脳ミソ溶けてんのか?


「何言ってんの? お馬鹿のサクラちゃんよぉ」

「どこかで見たイケ面だと思ったら……。そっかこの人を真似て、あのマンガが描かれたのよ。作家さんがこの辺の出身だったのね」

 こいつはバカだと思っていたが、やっぱりバカ爆走中なんだ。


「お前、そのマンガ、いつ読んだんだ? 忍者って、えらい古そうなジャンルだけど……」

「小学校二年生ぐらいかな?」

 俺は迷走中のバカに鼻息を吹っかけてやる。

「今から九年も前なら、この人だってそのころは子供だろ」

「あっ」

 迫真のバカだなこいつ。今頃気づきやがった。


 俺たちのくだらない会話をイチとかいうイケ面とでっかいハスキー犬は、退屈そうに聞いていた。それにしても何なんだこいつら?

「で、イチさんとやら。この辺に住んでるの? 散歩か何かでこんな山奥まで入って来たんだ。でもいいよな。毎日こんな新鮮な空気を吸えて……」

 イチは前髪を指で弾きながら、

「道に迷った」

「は?」

 また戻っちまったよ。またハ行だよ。


 やばいな……。

 こんな危なそうなヤツに深入りするのはやめよう。(つら)がいいヤツは頭が足りないのが多いんだ。

 とんでもない偏見、プラス、もてない男の差別的見解で結論を出した俺は、

「わりいな。これから朝飯なんだ。じゃまたな……」

 完全に無視をかまして、俺はイチへ背を向けた。


「ちょっとぉ……」

 サクラは眉をひそめて俺に従うものの、半身だけをひねって、ヤツに愛想笑いのようなものを浮かべた。

「イチさんは、朝ごはん食べたの?」

 いらないことを訊くな、という俺からの無言の圧力をサクラは平然と跳ね飛ばして、

「どう? 一緒にいかが?」

 嫣然と微笑んだ。


 バカぁ、余計なこと言うんじゃねえ。

 小声のような、唸り声のような怒声を浴びせる俺をサクラは睨め上げ、続ける。

「焼き鳥のおかゆなんだけど、食べていけば……」


 みんな……。よく憶えておいてくれよ。バカはひとつ覚えなんだ。


 しかしイチは意外な返事をした。

「それがしが馳走を致そう」


 う~む。時代感覚ズレまくりの口調だが何んだか魅惑的なお言葉が……。焼き鳥おかゆは二日続けて食うものではない。


 イチは平然とした態度で、さっき『テツ』と改名されたハスキー犬へ命じた。

「朝食の準備を致せ。ワタシに恥をかかせるようなモノは出すな。よいな?」

 ハスキー犬はうなずいたみたいな仕草をすると、ぱぁっと、茂みの中へ駆け込んで消えた。


「今、うなずいちゃいないよな」

「うん。犬だもん。そんなマンガみたいなこと……」

 サクラは言葉途中にして、イチの後ろ姿へ視線を遣った。釣られて俺もそちらへ注視する。


「なにやってんのかな?」

 イチは、テツが飛び込んだ方向とは反対の茂みにガサガサと入って行くと、屈んで土を掘り返し始めた。

 こんもりと盛り上がったその部分は腐葉土が重なり柔らかそうな状態で、そこをゴソゴソ掘り返している。


「モグラみたいなやつだな……」

 と、イチをすがめた後、俺はサクラに命じる。

「さ、俺たちも準備だ。まず焚き木を拾う。燃えやすそうな乾いた小枝を持てる限り集めるんだ。俺はもう少し太めの木を集める」

「アイアイさぁ~」

 サクラは直立して楽しそうに敬礼をすると、たたたと山の中へ消えて行く。その後ろ姿に大声で叫ぶ。

「お~い。あんまり無茶するなよ。ここは公園じゃないんだ。危険な山奥だということを忘れるなぁー」

 遠くから、「わかったよぉ、テル~」という木霊(こだま)混じりの声が返ってきた。

「もう、あんな遠くまで行ってる……元気なヤツだ」



 小一時間後──。

 木の枝をいっぱい抱えて、サクラが山の中から出てきた。ポニーテールに葉っぱをいっぱい絡ませて俺の元へと緩い下り坂を駆けて来る。

 律儀にかなり奥の茂みにまで入っていったのだろう、緑のジャージのファスナーがへそ辺りまで下がって、内に着た白のTシャツの中で柔らかそうなものが、ぽよんぽよんと揺れていた。


 つまり、「の、ノーブラだ!」



 ──説明しよう。

《寝る時は外すのが常識である》



 じゃテントのどこかに置いてあるのか……早速ブラジャー捜索隊を派遣させたいところだが、先に飯だ。

「お前な、そんなふわふわしたジャージで山ん中入るな。草だらけになってるだろ。そういうときは黄色のビニール製のジャンバーがあっただろ。あれを着て入るんだ」

 と告げた瞬間、閃いた。ブラジャーの在りかが。あの下に隠してやがるな──。

 い、いやそんなことはどうでもいい。話を元に戻そう。


 ──ちょうど俺も太めの枝を背負って帰ってきたばかりで、今からカマドを拵えようと適度な大きさの岩を集めているところだった。

 帰って来たサクラは息も乱れていない。やっぱ元気なヤツだ。


「テル、これぐらいで足りる?」

 戦利品を差し出す海賊のような目をして、焚き木の束を地面に放り出した。


「まぁ朝飯だけだから、ギリギリってとこかな」

「えぇぇー? けっこうな量をかき集めたのに、これでギリギリなの?」

「お前、焚き火で飯炊いたことないだろ?」

「ないよ。テル」

「安定した火を維持させるには、俺の拾ってきたぐらいの木が熾らないとだめなんだ。そのためには小枝がすげぇ必要なんだ」


「ふ~ん。そうなのか……」

「まっいいや。とにかく火を点けよう。まずできるだけ細い小枝や枯れ草をぎっしりと丸めて芯を作る」

「ふんふん」

「それからその周りに俺の拾ってきた太目の木を井桁に組む……そう。縦、横に積み上げていくんだ」

「なんか積み木みたいだね、テル」

 サクラは初めての焚き火にご満悦な様子だった。


「これで終わりじゃないぜ。中ぐらいの小枝をこの井桁の隙間から詰め込むんだ。そう、なるべくクロスさせて空気の流れが途絶えないように隙間を残しつつ、中型の枝をどんどん詰め込むんだ」

 サクラはへぇーとか、ほぉーとか感心しながらも手を出し続ける。まぁ、いつもこれぐらい従順でおとなしくしていてくれば文句はないのだが。


「よし。じゃ小枝が燃え尽きる前に追加の枝を突っ込むので、その準備をしてくれ。適度な長さに揃えてくれよ。俺は水を汲んでくる」


 焚き火の準備をサクラに任せて、俺は特大のアルミ製の鍋型コッヘルを持って川原へ下りようと林道を歩き出した。しかし数歩進んで、どきり、と心拍を強めた。目の前ででっかい樹木が二本、俺の進行を阻もうとしていたのだ。


 林道は下り傾斜に沿って広野ダムまで続いている。そしてその道をここから十数メートル下ったあたりに川原へ下りる枝道があったのにそれが見当たらない。


 昨日、ここへ到着したと同時に水を汲みに下りたのではっきりと覚えている。川原といっても、湧き水が流れ出した源流のような水溜りだが、それはそれは澄み切った水が流れていたのに……何かおかしい。傾斜に沿った広場はすぐに下草に覆われて閉じていて、分かれ道どころかメインの林道すら見当たらず、でかい樹木が二本そこを遮っていた。


「ひと晩で草が生えたのか?」

 そんなことはないだろう。まぁ百歩譲って、そんなこともあったとしても、林道のど真ん中に大木がひと晩で生えるなんてあり得ない。


 何かの勘違いだと思い、ゆっくりと身体を旋回させる。三百六十度回転して明るい陽射しの中、じっくりと観察した。


 傾斜は昨日と同じで、テントを張ったあたりを基点として、北へと向かって下っている。昨日は夕方に到着したので、下り方向、つまり北に向いて左コメカミあたりに夕日を感じていた。今は右コメカミあたりに朝陽を感じるので、昨日と同じで間違っちゃいない。だから右手が東で左手が西だ。ガサゴソとイチが土を掘る、そっちが西になる。


 ──なら、林道はこのまま下りへ向かって真っ直ぐ伸びるはずだ。しかし、

「道がない……」

 声を出すつもりはなかったが、自然と出た。


 これはまずい……。


 完全に見失っていたとしたら広野ダムへ戻れなくなる。あの場所が文明社会へ戻るエントランスなんだ。

 怖い文字『遭難』という二文字が頭を過ぎるが、冷静になれば大した問題ではなかった。まんがいち知らぬまに奥へ入り込んでいたとしても、川原を見つけてそれに沿って下ればいい。


 水の流れは広野ダムへ注ぐからだ。それに携帯のGPSを頼りに動けば問題なかろう、とポケットから携帯を取り出してみて、唖然とする。


「圏外だ!」

 おかしい。昨夜はサクラがGPSを利用して俺を追ってきたと言っていた。なぜ今日は圏外なんだろう──。


「──どうした?」

「うぉぉっと」

 前髪をカッコよく風になびかせている──何だか腹立つ野郎だ。

 いつのまにかイチが俺の隣に立っていた。


 移動して来た気配がまったく感じられなかった。ほんとに忍者みたいなやつだ。

 ちょっと引き気味になってしまったが、俺は今の不安な気持ちを打ち明けた。

「いや。林道が見当たらなくて……。あんた、どこから来たんだ?」

「それがしはこのへんだ」

 イチは右の茂みをあやふやに指差した。


 不審げにヤツを見遣るものの、とにかくもう一度尋ね直す。

「そっちに林道があるんか?」

「りんどぉ?」

 こいつは日本人なのか?


 イケ面、イコール日本人とは限らないな。今流行の韓流系なのか? なら日本語が通じなくて当然だろう。

「林道って言ったら、道路だ。山から木材を運び出したりする、森林作業のために作られた道だ」

「街道なら、ここから二日ほど行けばあるが……」

 土で真っ黒になった手、何かを握っているらしく指で差せないが、パラパラ土を落としながら俺の思ったのとは、逆の方向を顎でしゃくった。


「いやいや。そっちは山の奥だ。そりゃムリヤリ越えたら行けるだろうが……。そうじゃなくて俺は昨日、こっちの道を通って広野ダムから二時間ほど掛けて上がって来たんだぜ」

「だむ?」


 あぁぁぁ。もう、うぜぇぇ。


 韓流系の兄ちゃんでもダムぐらいは知ってんだろ。韓国語でダムって、なんて言うんだ?


 『だぁむ』とか、『どぅあむ』とか、『あなた日本語解かる? ふんふ~ん?』とか、似非韓国語(──じゃねえし)を語る俺の顔を不思議そうな表情でイチは見つめていたが、ついと視線を外すと手の中の物を広げて見せた。


「三人分だ。これだけあれば朝飯になるだろ」

「ぎょぉっ、ほっ~~~~~~~~~~~」

 大きな音を上げてアルミ製の鍋が地面に落ちた。俺の背後からサクラの声が響く。

「どうしたの~。テルぅー」

 落とした鍋を拾ったイチはその中に握っていたものをぶちまけた。


 にょろにょろ、しにょろ。むにょろにょろ。ななにょろやにょろ──ひしめき合って蠢きあって、

「ぎょぇぇぇぇぇぇぇぇ~」


 もう一回叫ぶと、イチを背に一目散にサクラの元へ。漫画の絵のように両手を挙げて走り込んだ。


「なによ……テル?」

 きょとんとしているサクラの腕にしがみつき、アワアワと唇を振るわせた。そしてゆっくりと歩み寄ってくるイチを指さし、「み、み、ミミズだ」とひと言。

「何が?」

「あいつ大量のミミズを獲っていやがった」

 震える人差し指を数メートルまで迫ったイチへ向けた。ヤツはキラキラした瞳を鍋に据えて、

「この入れ物は軽くていいな。なかなかの逸品だ」

「ほんとだぁ。ミミズだ」

 サクラも中を覗き込むが、平気の平左。


 おぉぉーい。変な声を出しちまった部長の威厳が丸潰れじゃないか。

「お前が驚くんじゃないかと心配してだな。先に俺が驚いた……『真似』をしてやったんだ」

「ふぅん。そうなんだ。さすが部長だね」

 気の抜けた口調で淡々と。

 お前俺の話聞いてないだろう。

 そう、サクラの意識はミミズに固着していた。


「そのミミズどうすんの? それで魚でも釣ろうってのなら許すよ。でもその入れ物、あたしたちの食事に使う入れ物なの。あんまり汚いもの入れないでね」

 無邪気に微笑みつつ、ちょっと厳しい視線をイチに返した。


「そ、そうだ。俺は水を汲みに行こうとしたんだ、それに入れようと……」

「そうか、それはすまぬ事をした。どれ、もうひとつ鍋は無いか? 水も汲んできてやろう」

 と泥だらけの手を差し出す忍者のコスプレ野郎。


 訝しげな表情丸出し、あんど震えた手で別の鍋を渡す俺。

 イチは「かたじけない」と言い残し、まさに忍者の如く草の中に消えた。


 取り残された俺とサクラはなんとも言えない表情を向け合い固まっていた。

「なぁ。サクラ……あのミミズどうすんだろな?」

「うん…………」

「もし、まんがいち……いやあり得んと思うがここらの人はあれ……まさか……な?」


 繰り返される俺の問い掛けに、サクラが黙って俺の目を見つめる。ヤツの澄んだ黒い瞳の中は好奇な光で満ちていた。



「おいおい……」

  

  

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