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17)西暦5208万年

  

  

 陽がとっぷりと暮れた。

 晴れていたら星空が広がるところだろうが、澱んだ空は白っぽくぼんやりとあたり照らすだけ。赤く色付いているのは焚き火に照らされた地面と俺たちの顔だけだった。


「いま何時頃だろ?」

 陽が落ちてからの経過時間を考えると、午後7時を過ぎたぐらいだと思われる。


 時間を気にする必要はないが、習慣だな。ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認して溜め息を落とす。


「だめだこりゃ……」


 午前8時30分ちょうどだった。

 もう時計としても使えない。


「それはお守りなんだろ? なぜ見たら肩を落とす?」

 不思議そうに覗き込む藤吉に見られないよう、急いで電源を切った。スマホの説明を求められたら困難を極めるからだ。


 そもそも戦国時代に携帯できる時計ってあったのだろうか。武将たちは(いくさ)の最中に時間を気にすることはなかったのか?

 藤吉がいた時代なら水時計か、よくて振り子時計までだろう?


(とき)は星や御日様を見て決めるが、ここではそれができぬ。そんなときは勘だ」

「勘?」

「そうだ。この感じだと甲夜だな」

「コウヤ?」首を捻る俺。

(いぬ)の刻ではないか。知らないのか?」

「イヌ?」

 今度はサクラ。息を止めて思案顔。でもやっぱり聞いたことが無いのだろう、俺に助けを求めて視線を振ってきた。だけど俺だって知らない。二人そろってイチの顔を窺う。


「午後7時から9時だ」

 面倒臭そうにイチ。


 でもスマホより藤吉のほうが正しい時刻を言っていた……。


 大昔の人は人間が持つ五感を利用するので、時計を携帯する必要は無いのだ。

 天体の位置と体内時計で時を計るだなんて、これってある意味素晴らしいよな。何時何分何秒まで細かく刻む必要はない。この人は地球と一緒に暮らしているんだ。


 キャンパーとしてはスマホの正確無比のデジタル時計よりも、研ぎ澄まされた感覚だけで時刻を得るほうがすてきだと思う。


 それにしても──。

 やっぱりそんな人にスマホの説明は不可能だ。電話とかワンセグとか、ネットや写真に動画、その他各種アプリ……どれ一つとっても16世紀の人にまともに説明できる自信が無い。だいたい21世紀のお年寄りに説明するのも困難なものばかりだ。


「で、なぜ肩を落としたんだ?」

 しつこく聞いてくる藤吉に、こっちも感覚で気持ちを伝える。

「そうだな。こいつはお守りだけど、おみくじも付いてんだ。それを引いたら凶が出た。あっ、戦国時代にはおみくじがまだないか」

「あるワ。ミクジであろう。あんなくだらん物を信じておるとは嘆かわしい。お主はほんとうに未来人なのか? 愚か者め」


 そんなケチョンケチョンに言わなくても……。

 今度は頭が痛くなった。



 丸々と太った七面鳥は、イチが味付けをしたタレが塗られ、それが焚き火で焼かれて香ばしい匂いを辺りに撒き散らし始めた。

 マジで美味そうだ。隣でサクラの腹も鳴いている。

 俺の視線に気づいて慌てて手で隠すが……。気にするな。こっちも同じ心境だ。


 トオルは満腹なんだろう、こんなに美味(うま)そうな匂いが漂うにもかかわらず、でかい体を地面の上で丸めて寝ている。食う寝る歩くが、これまでのこいつの役割だったけど、この先は、どこか遠くの動物園みたいなところで生き続ける運命が待つのだ。


 あ……。ま、まさか。

 急に、胃の辺りが重苦しくなった。

 俺たちも絶滅種の標本として、その動物園に引き取られるんじゃないだろうな。それでここに連れてこられた……とか。


 マジかよ……。やだぜ見世物なんて。

 そっとイチの白い顔を窺う。

 ヤツの細い目は焼鳥に注がれており、クルミも同じものを眺めてうっとり顔。混じり気の無い純真無垢な瞳を焚き火の炎で煌かせていた。


 クルミはさておき、イチにこのことを尋ねても真実を語るとは到底思えない。謀反を起こすことになった場合、野武士をこっちの味方にしておけばかなりの戦力にはなるが、説得が困難だろう。ここはとりあえず21世紀の人間どうしで早急に作戦会議を執り行う必要がある。


「イチ。水がいるだろう? 汲んでくるぜ。サクラ一番大きなアルミ鍋持って一緒に行こう」

「うん、いいよ」

 鍋をカンカン言わせて立ち上がるサクラ。


「待てっ!」

 イチが鶏肉から視線を外した。やはり阻止する気だ。


「なんだよ。俺たちがここを離れたら都合でも悪いのかよ」

 むっとして言い返す俺に、イチはもうひと回り小さい鍋をぽいっと放ってよこした。そして平然と、

「今日は鶏スープも作るからこいつにも頼む」

「に……忍者のクセに料理のバリエーションが豊富だな」

「イチはいろんな時代を生きてきましたから」とクルミ。そればっか。


「いろんな時代じゃなくて、いろんな焼鳥屋を渡り歩いていたんだろ」

 ヤツは切れ長の目を無理やり見開いて、

「半分は当たりだ。なかなかの読みをしているな」

「当たり前だ。そう毎回手際よく鶏肉を調理されたら、誰だって思うぜ」

 今度は唇の片方をニヒルに持ち上げて、懐中電灯を投げて寄こした。


「これが無いと困るだろ」

「あっ、これも俺の……」

 イチは鼻息混じりで応える。

「そっちの丘を越えたら海が見える。その辺りに行けば真水が手に入るだろう」


 アバウトな説明に、小さな怒りを憶える。交番で道を訊いたら、無愛想な警官に告げられたような気分だった。





 焚き火から離れると、急激に気温が下がった。

「寒ぶぃぃよぉ」

 俺たちは背筋をすくめ、防寒具の襟を立てる。何月かは知らないが、これが夏だとはとても思えない寒風が時おり吹き(すさ)んできた。


「雪でも降りそうね……」

 添い歩いて来るサクラの言葉が凍てつく感じだ。

 懐中電灯の明かりを頼りに歩く俺に追従するには、足元が覚束ないのだろう、何度か足を取られていた。


「ほれ」

 手を差し伸べてやる。

「何よ?」

「暗くて歩きにくいだろ。アシストしてやるぜ」

 ちょっと間を空けたが、嬉しそうに首肯すると、サクラは素直に俺の腕にしがみ付き、指を絡めてきた。

「…………………………」

 合わせた手のひらから伝わる温もりが心地よい──でも勘違いするな。これは寒さのせいだ。




 焚き火の爆ぜる音が遠ざかり、辺りが暗闇に沈み込む頃、不気味さがいっそう深まりだす。その間、俺は終止無言だった。

 それはサクラの温もりを手のひらに受けて、感慨に浸っているのではない。もっと別に深刻な問題があるのだ。


 今のイチの態度だと、俺たちの動物園行きは無さそうにも思える。もし俺たちが生きた標本だとしたら、こうやって逃げ出せるチャンスを与えるだろうか。

 それとも、どこかに見えないロープでも括りつけていて、逃走できないように細工があるとか。


「どうしたのテル? ずっと黙ったままじゃない」

 血の気が引いた俺の顔色を見てサクラが声を強張らせた。

 もし、これが真実だったら血の気が引くだけでは済まない。


「サクラ。これまでクルミと会話していて、何か怪しいことはなかったか?」

「怪しいって?」

 草の生えた元の時代の地面から、5208万年後の地面に足を踏み入れる。そこからは砂が広がるゆるい登り勾配だ。その先に砂丘が待ち構えていた。


「例えば俺たちの将来とか……いやそんな先ではなく今後の行く末とか……」

 二人のスニーカーが砂を噛むジャリついた音だけが響いている。まるで海岸を散策するカップルにも見えなくはないが、

「これから俺たちをどうするかを……ほのめかすような会話だよ」

「別に……」


「お前ら今日一日何に喋っていたんだ?」

「そうねえ。食べ物ことか。服装とか……」

「女子高生かっ」

「そうだよ。あたし高二だもん」

「そうじゃなくて、もっと身になる話をしろってんだ」

「身になる話って?」


 砂丘に入ると意外と急峻で、柔らかい砂粒に足が埋まって歩きづらい。いつの間にかサクラが先頭に立ち、俺を引っ張り上げていた。


 切れ切れになる呼吸の合間を見て一気に喋る。

「俺たちは言わば拉致られたんだ。解かるか? 簡単に言えば誘拐だ」

 サクラは俺の前で栗色の髪の毛を翻してこっちを見た。

「テル、ほら見て。海だよ」

 懐中電灯で砂丘の向こうを指し、ぐるぐる回した。


「こいつ、俺の話し聞いてねえし……」


 頂上を越え、向こう側へ数歩下りると、膝から下が暗闇に埋もれた。焚き火の光りが遮断された暗黒の空間と入れ替わるのだ。

 その中へ身を沈めて行くと、すぐに暗幕に包まれ、懐中電灯の光だけが頼りの完全な闇となった。

 今度は下り坂だ。登りと違ってこっちは楽だ。二人して駆け()り、勢い余って海岸の手前まで走った。


 波打ち際まで駆け寄って、俺たちは膝を掴んで腰を屈める。

 二人の荒い呼吸音しか聞こえない。そこは無音の世界だった。


 乱れた息を整えてから、辺りを見渡した。

「これって本当に海か?」

 目が慣れてくると、薄ぼんやりとした空は意外と明るく、懐中電灯の明かりが無くても水面(みなも)の輝きがよく見える。しかしそれは俺の知っていた海とは程遠い姿をしていた。


 無彩色の世界にサクラの朱色の声が落ちた。

「コーラみたい」

 ヤツの感想がそうなるのもうなずける。黒褐色の水面が波も立てずに、ゆっくりと押し引きを繰り返していたのだ。


「静かだ…………」


 耳を凝らすとわずかに聞こえてくる波打ち際の囁き。それは無音で押し寄せた海水が、不気味な生き物のヒダのように砂を巻き込み、静寂な音を奏でる微細な音色だ。


 視線を空へと上げる──。

 星の輝きがまったく無い黒灰色の空間。はるか遠方で水平線と交わる。そこを満たすのは粘り気のある液体みたいな漆黒の海。波の煌きも無い、ぺたんとしたモノクロの世界が広がっていた。


「超未来の海はこんなふうになっちゃうんだぁ。なんか寂しいねぇ」

 常に悲観的なことばかりを言う俺だが、今のは俺じゃない、トンボ女の感想だ。こいつが見たって未来は明るくなさそうだと感じたらしい。


「おい。あまり近づくなよ。それより飲み水を探そうぜ」

 俺はイチのアバウトなアドバイスを頼りに周りを探ることにした。おそらく湧き水でもあるのだろう。


 それはすぐそばにあった。

 懇々と染み出した水は適度な深みを持った溜まり場を作って海へと注いでいた。でもやっぱり薄いコーラ色だった。


 懐中電灯で照らしてみる。溜まり場の底は茶色だが透明度は高く、濁りはまったくないが、生き物の姿は気配すら無い。水際にわずかに見えるこげ茶色の(こけ)みたいなモノ。それがここで初めて見つけた植物だった。


 水を汲もうとしゃがむが、鍋を突っ込む気になれなかった。

「こんな水。飲めんのか?」

 サクラへとつぶやいたのだが──。


「死ぬ気ならどうぞ。止めないわ」


「うあぉぉぉぉっと!」

 忽然と、そして突然と、俺の肩口からサクラとはまったく異質な波長の音波が耳に飛び込んで来て飛び上がった。


 聞き覚えがある、その可愛らしい声。

 俺は鼓動を跳ね上げて立ち上がり、サクラはぎょっとして振り返った。


「誰なの!」


 二人そろって声の主から半歩退いた。

  

  

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