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15)明るい未来……って、電気屋の回し者じゃねえし

  

  

 全員の呼吸が整うのを待ってからイチが発したセリフに、俺の片眉がピクリと反応した。

「姫様。跳躍の時です」

 もうじゅうぶん理解していたつもりだったが、目の当たりにするのは初めてだ。そりゃ引き攣りもするさ。


「今から時間を飛ぶのか!」

 恭しくクルミの前で片膝を落とすイチに、疑問をぶつけるというよりも、悲鳴じみた声になっちまった。

 イチは当たり前のように言う。

「そうだが?」

 ──って、ハンサム顔で首をかしげるな。


 いきなりストレートに言われて、こっちは肝を冷やすのに、サクラの声はどこか明るい。

「ねぇねぇ。今度はどこ連れてってくれるの?」

「遊園地かよ……」

 トンボ女はいかなる時でもトンボなのだ。


 お前はこの空で舞ってろ……ほれ、仲間が大勢飛んでるぜ。


 紀元前400万年の夕暮れは、見たことも無い澄み切った濃いオレンジ色の天空に入れ換わっており、そこにはビニール傘をはためかせたような安っぽい音を上げて、巨大赤トンボが舞っていた。


 襲われたら絶対にどこかへ連れ去られるだろうな、と不安になるほどの巨大さだ。でも連中はその気が無いようで、夕空を優雅に群れていた。


「あの口で一噛みされたら、腕なんかちょん切れるぜ」

 怯えた眼差しで赤トンボを仰いでいると、その姿がみるまに減っていくのに気づいた。


「あ…………」

 乳白色の幕がゆっくりと下りてくる。それが夕陽に染まり、オレンジ色に輝く白色の重々しい気体となって、俺たちの肩に掛かった。

「あの霧だ……」

 どの霧よ?

 と問うヤツはいない。あの霧なのだ。時間跳躍をするときに限って発生する濃厚な空気の淀みである。

「また飛ぶのだな」

 藤吉は太い首をもたげてそうつぶやくと、シャープな金属音を上げて日本刀を鞘に戻した。

 戦国時代の人間にしては理解力の恐ろしくいい男である。ヤツは(かたな)の手入れを中断して、身繕いをし正座をすると目を閉じた。まるで死に装束を身に纏って覚悟を決めた侍のようだ。ある意味、決意の現れかもしれない。

 こっちは決意など丸でない。サクラと揃って目を剥き口をあんぐりと開ける。


 白色の気体はさらに濃くなり、足元から徐々に上へと埋めていく。

「あ………………?」

 夕暮れの明るい陽光を遮蔽したのだろうか、一瞬で周囲が白濁した。外の景色が完全に閉ざされて、何が起きてもまったく情報が入ってこない混沌とした白色(はくしょく)の世界に切り替わった。


 少ししてサクラの息づかいに気づく。俺の腕にしがみ付いていた。その気持ちはよくわかる。この謎の気体に包み込まれると、怖いまでに強い孤立感が襲ってくるのだ。自分以外の存在がこの世からすべて消えてしまうような気持ちになり、誰かに触れて孤立していないことを確認したくなる。


「奇怪な……」

 頑強な肩が白色の気体の中で動いていた。立ち上がって腕を組み天蓋の一点を睨みつける野武士の姿が俺のすぐ横にあった。

 こいつも自然と寄り添ってきていた。抱きつかれたくない気分だが──相手もその気は無い様子に安堵の息を吐き、苦笑いを浮かべながら空へ視線を戻した。


 上空から降り注ぐ霧は、クルミが招き寄せているのがはっきり見て取れた。濡れた黒い硬質ガラスのような大きな瞳を見開き、空に向かって手を広げ、すべてを受け入れる女神みたいな仕草を見せる少女を中心に、白い気体が渦を巻き降下してくる。それは地面でやんわりぶつかり、じわじわと深みを増していく。その中に沈むほどに情緒不安定な気分になるのだ。


 やがてクルミが闇色の瞳を空から地面に戻すころ、不安な気持ちの揺らぎが収まっており、ひとまず胸を撫で下ろした。


 そして変化は緩やかに現れる──。

「見て、晴れるわ」

 サクラが空に向かって語り、ゆっくりと俺から手を離した。


 さーっと幕が引き上げられるように乳白色の気体が消えて行く。同時に薄ぼんやりとする景色が広がった。

「終わりましたぁ」

 クルミの可愛らしい声。広げていた両腕をゆっくり下ろし、そう宣言した。


「寒ぃぃぃ。何だこの寒さ!」

「し、信じられん」

 頑強な野武士であっても寒さには弱いようだ。自分の胸を抱きこむようにして両肩をゴシゴシ擦って背中を丸めていた。

 ほんの数分前は熱帯雨林の気温だった。呼吸をするのも苦しい感じの熱気に包まれていたのが、瞬間にして冷気と変わったのだ。


「何にも見えないぞ」

 クルミが発生させた神がかり的な霧とは異なる、もっと薄い、煙みたいなモヤが漂っており、周囲の景色をぼかしている。


「うぅ。寒いわぁ」

 リュックから緑のジャージを取り出し、急いでTシャツの上から羽織るサクラ。俺も防寒具を引っ張り出して着こみ、藤吉が寒そうにしていたので、ビニール製の安物のレインコートがあったので渡すが、

「透けた着物など要らぬ。不気味な物を着ると魂を吸い取られるぞ」

 ヤツは気持ちの悪いものを見るような目で一瞥して、すぐにそれを突っ返してきた。


 16世紀の人なんだから。透明ビニールのレインコートなんて理解できないのだろう。まぁ。反応としてはそんなもんだ……。


 藤吉の言動は予想していたので、特別騒ぎ立てる気も起きず、再びリュックに仕舞い込み、この寒さにも平然として俺たちの行動を窺っていたイチに訊ねた。


「こんどはいつの時代だよ?」

「到着したのは未来だ」


 イチは次の停車駅に着いた、みたいに言った後、付け足した。

「それから季節は夏だ」

「なぬ? なしてこんなに寒いんだ?」

「しかたがないだろう。そういう時代なんだ」

 イチは不機嫌な態度剥き出しで突っ返してくるが、俺の疑問は底を尽くことが無い。


「未来って言ってっけど、誰に対しての未来なんだよ?」


 そうだよな。この恐竜に対してならまだ原始の時代だろうし、藤吉にとっての未来なら20世紀でも超未来だろうが、俺たちにはそれでも過去になる。


「ここがどこの山奥か知らないが。この分だとあまりたいして変わらないな」

 白く濁る景色を一巡りしてみるが、場所を特定できるものは何も無かった。

「時間は飛んだが、位置的には一ミリも動いていない」

 ポツリと追加情報を足されても、何の役にも立たない。薄く漂うモヤで周りがよく見えないのだ。


 答えを求めて忍者野郎の顔を覗く。クルミもニコニコして一緒に覗き込んだ。それは課題を達成したことに対する、自分の評価をうかがうかのような表情でもあった。


 イチは腕を組んだまま、腰を後ろにねじって、優しげな面持ちで見下ろす。

「姫様……ほんの少しずれましたね」

「あぅん。残念……」

 わずかに落胆した少女は、気をとり直すように小さな朱唇をきゅっと結んで、

「こんどはきっとうまくいきます。だいぶコツがつかめてきました」

 澄んだ瞳の奥に広がる小宇宙を輝かせた。


「計画通りにいかなくてよかったのかよ? 予定より時間がずれたんだろう?」

「問題ない。これぐらい想定内」

 冷たい視線で俺を見るイチ。

 じゃぁ何で俺たち急がされたのだろう。


 再度周りを見渡してみる。

 400万年前の眩しく光る色とりどりの夕暮れから、いきなり無彩色の世界に飛び込んだのだ。活気が抜けた灰色の空は明るいんだか暗いんだかよく分からない。それだから周りもよく見えない。


 でも目が慣れるにつれて、視界が広がリだした。

 樹木が一本も生えていない荒涼とした景色が広がっており、それは緩やかな上り勾配が続き、頂上で空と一緒に溶け込んでいる。


「えらく殺風景な場所だな……」

 それが第一印象をだった。


 空と同じ色彩の無い景色で囲まれた広い窪地の中心に立っており、わずかに色付いていたのは足元の草の生えた地面だけだ。

 だけどここは最初から何も変わっていない。この周囲50メートルほどは、たぶん地面ごと引き連れて時間を飛び越えるのだと思われた。


「元からあった地面はどこいっちまってんだ?」

 そんな疑問も湧き出るのだが、それはサクラに肩を引かれた反動で払拭されてしまった。


「海だよテル……」

 サクラは俺の肩に掴まり、背後に視線を振っていた。


「今は(なぎ)のようだな」

 衣服の音をガサガサさせて振り向く藤吉の後から、波の音が渡って来る。それは大波が押し寄せる荒々しい海の音でもなければ、山から流れ落ちる川の音でもない。静かに引いては寄せる、水のたゆむ音。砂をほんの少し引き摺って、押しと戻しを静かに繰り返す音だった。


「確かに海だな……」


 イチはテツに晩飯の食材を命じ、テツはまたもやどこかへ消えた。今日はどこの食品倉庫を襲って来るつもりなんだろう。薄ぼんやりとそんなことを考える俺の前では、藤吉がトオルに最後の肉塊を与えて、トオルは嬉しそうな雄叫びと共にかぶりつくと、一飲みにした。


 クルミとサクラがその大胆な食事風景を見て歓声を上げてた。極楽トンボたちの世界は平穏だ。俺の抱いた不安を顧みることもなく、羨ましい限りだ。


 イチは未来だと言ったが……いったいどういう理由でこんなところに連れてこられたのか。しかも俺たちには、まったく共通性が無い。


 俺とサクラは21世紀、藤吉は16世紀、トオルは400万年前の時代からここに集められている。クルミの社会勉強のお供にしては、おかしな話ではないか?

 かといって、獲って食おうってのなら、こうやってまわりくどいことなんかせずに、即効で収監するなり拘束すればいい。


 トオルだってどこかへ送り届けるとか、ワケの解からないことを言うくせに、未来っておかしいだろ。送り届けるなら元の原始時代だ。いったい何が目的なんだ?


 イチたちの不審な行動はまったく理解不能で、ただただ空虚な気分と疲労感が込み上げるばかりだった。


「やれやれ。家に帰れるのはいつになるんだろうな」

「大丈夫よ。クルミちゃんもコツがつかめてきたって言ってるもん。すぐに帰れるよ」

「お前は気楽でいいよ」


 俺は空気の抜けた風船みたいに脱力した。

「あのな。リュックにはもう食料も無いし、水も無い。完全にアウトだ。おしまいだ」

「いまテツが探してくれてるよ」

「俺たちゃ動物園の動物でもペットでもねえ」


 その言葉にイチが反応する。

「お前は常にそんな考え方をしているのか?」

 無表情な白い顔に、薄く嘲笑めいた含みを唇の端に作って、冷然と俺を見つめてきた。


「まったく悲観的なヤツだな」とイチは冷たく言い。

「そうでしょ。テルはいっつもそうなの」

 サクラも同調するから、つい熱くなる。


「それはこっちのセリフだ。人の話を最後まで聞かないのはそっちだろ」

「なによぉ。あんたが悲観的過ぎんのよ」

 口の先をアヒルみたいに平たくするサクラに、噛み付く。

「悲観じゃない。俺のは現実的と言うんだ」

 サクラはまだむぅとか言って、口の先を俺へと突き出し、

「波の音がしてるから水があるのよ。そしたら魚だって獲れるし……」


「人の話を聞けって言ってんだろバァカ。ま、短絡的なお前ならそんなもんだ。その場しのぎのことしか考えていないだろ。波があるって言っても海だったらどうすんだ。塩水を飲む気か? それに釣竿一本も持っていないで、どうやって魚を獲るつもりなんだ」


「そっかー」


 尖らせた朱唇をもとのキュートな形状に戻し、

「じゃあさ。あんたはどう思うのさ?」

 うなじの綺麗な小首を傾けて見せた。


「俺の意見はお前とはまったく観点が異なってんだ。現実的な俺がこの状況を分析してやるからよく聞け。グローバルな視点とはこういうことを言うんだぞ」

「すごい、さすがテルね」


 サクラは栗色のポニテを背中でユラユラ揺らせ、両手のひらで口を囲んで楽しそうに声を上げた。

「いよっサバイバル部の部長さぁん」

「いいかよく聞け。今日一日歩いた方向はほぼ南西から西だ……」

 クルミの澄んだ瞳がこちらに向き、イチは黙って白い顔に意味不明の薄い笑みを浮かべたまま俺を凝視。藤吉は無関心を貫き通し、トオルの背中をさすっている。


 俺は聴衆に向かって語ってやった。

「ということから分析すると……。元いた場所が北陸の今庄周辺だったとしたらここは湖北辺りだろう。聞こえてくるのが波の音だとしたら琵琶湖だ」

「ほらぁ淡水じゃない。飲めるよ」

「それが短絡的だと言うんだ。読みが浅い。わかるか? おバカなサクラちゃんよ」

 柔らかい栗色の髪の毛に手を突っ込んでガシガシとしてやる。


「ちょっとぉ。ヘアブラシが無いんだからやめてよ。梳かすのたいへんなんだからね」

 サクラは迷惑そうな顔をして俺の手を払いのけた。


 俺は無視をかまして続ける。

「あのな。さっきイチは未来へ来たと言ってんだ。未来の琵琶湖北側周辺に俺たちは、まぁ、たどり着いたんだ。そういうことだな?」

 イチをちらりと見て、かすかにうなずく顎を見届けてから、さらに続ける。

「どれだけ未来へ来たのか知らないが、琵琶湖の海岸周辺には人が大勢住むはずだ。つまりこんなところを恐竜だの野武士なんかを引き連れて歩いてみろ、大騒ぎになるだろ。朝になる前にもうちょい山の奥へ引っ込んだほうがいい。ただその前に俺とサクラは、コンビニへ寄って買い出しをしてくる。ふたりの所持金を合わせれば、数日の食料などを手に入れることができるだろう」


「すごいよテル」

「へへへ」

 尊敬の眼差しを向けるサクラに胸を張る俺。鼻の下をスリスリ。


「誰が琵琶湖の海岸に着いたと言った?」

 俺に注がれたイチの声はとんでもなく冷たかった。


「さっきうなずいたじゃないか」

「あれはお前が、周辺と言ったからだ」

「だってよ。ここらの海岸て言えば湖北だせ。木之本町だろ、余呉の町もあるぜ。ぜってぇここは琵琶湖の北岸だ」

 まだサクラの眼差しが熱く射してくるが、イチは、それを瞬間冷凍するような、とんでもないセリフで俺の主張を覆した。


「西暦2010年、それらの町は長浜市へ編入された……だが今や何も存在しない。琵琶湖も含めて、とっくの大昔に消滅したのだ」


「なっ! あ?」


 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。


 すげえ勢いで、藤吉に吹っ飛ばされた。

「なんとっ! 琵琶湖が消えるとはいかなる理由だ」

 俺を投げ飛ばした野武士は、イチを食い殺しそうな勢いで迫った。


 吹っ飛ばされた向こうから、ぴゅーと飛んで戻る俺。まるで漫画だ。


「──どういうことだ。じゃあこの波の音は何だ?」

「日本海だ」

「んなわけないだろ。ここは琵琶湖の湖畔だ。俺の方向感覚は人より優れてんだ。紀元前400万年の位置から動いていないんだろ。なら、間違いなくここは琵琶湖だ」


 イチはゆっくりと俺に向き直り、落ち着いた声に戻した。

「お前の方向感覚は正しい。それがしも一目置いている。テツがお前を選んだ理由のひとつでもある」

「そうでぇぇす。テツの人選は完璧なのでぇす」


「へへへ~だろ。子供の頃から山ん中歩いてるからな……山で迷うことなんてねえし」


「今日迷子になりかけたのを忘れたのか」

 俺より頭一つ高い身長差を活かし、イチが上から睨みを利かした。

「あれは女の子に騙されたんだ!」

 こっちも体を反らして言い返す。


「女の子って誰よ? 聞いてないよ」

「うっ。な。あ。い。くっ、む、昔の話だ。大昔の……」

 こいつのヘッドロックは強烈だ。言い訳考えてオロオロ。


「イチさんが今日って言った」

「ばかやろ。こいつの言うことなんか信じるな。俺の方向感覚はテツお墨付きなんだ。だからここは琵琶湖だ。日本海がこんなところにあるワケねえ」

 何だか分からないが、ここでたじろいだら俺の負けだ。サクラに押しつぶされそうだ。


 だが、イチの口からはさらなる恐ろしいセリフが。まるで悪魔の呪文みたいに聞こえた。

「琵琶湖は1千年も前に消滅した。今では日本海がここまで侵食しているのだ」


「1千年?」

 やっと事の重大さに気づいた。

「うぇ? ちょっ、未来へやって来てるって言ったよな。どれぐらい先なんだよ」


「………………………………」


 すげぇ怖かった。イチの沈黙が本気で怖かった。だからクルミの瞳を覗き込んだ。この子なら可愛らしく言ってくれるだろう。

「ここはでぇすねぇ。西暦五二〇八、」

「姫様……」

 イチが遮った。


「な、なんで黙らせるんだ。いま『ごせんにひゃくはち』って言ったよな。……5208年。ご、53世紀か……」

 さっきの恐怖感が吹き飛んだ。

「すげぇ未来じゃん。へぇ~、そうか53世紀ってどんな世界だろう。ロボットなんか人間そっくりになっていて、美少女アンドロイドとか歩いてんだろうなぁ……」


 鼻の下をちょっと伸ばし気味に、サクラへ視線を戻した途端、仰天。


「ぬあぁ! 怖ぇぇ!」


 さっき俺がぐしゃぐしゃにしたポニテが解け、風に吹かれて顔を半分隠した栗色のセミロング。その隙間からギラリと睨んだ目と俺の目が合った。


「恐ろしい顔するなサクラ。お前はサダコかよ。落ち着け、イケメンのアンドロイドもいるぜ、きっとな。何しろ53世紀だもんな。すげぇぜきっと」


 なぜだか俺はやたらと興奮していた。


「そっかぁ。3200年も未来へきたのか。火星とかも直行便が出てんだろうな」

 イチが静かにうなずいた。

「おほぉぉ。火星行きてぇ。サクラ。未来は希望に満ちてるぜ。なぁ?」

 俺の問い掛けにイチはまたもや薄気味悪い笑みを口元に浮かべて、

「それも過去の話だテル。姫様は最後まで答えておらぬ」

 16世紀のおっさんにとって53世紀は、想像すら不可能な『ぶっ飛び未来』なのだろう。興味が失せてしまいトオルの相手に戻っていた。


 でも俺は違う。53世紀だ。明るい未来だ。光る未来だぜ。

 どこかの電気屋のコマーシャルみたいな言葉に浮き足立ってしまい、俺はろくすっぽイチの話を聞いていなかった。


「テルさま。ここは西暦5208万年でぇぇす」


「だろ。すげぇよな。さっそく53世紀の長浜市へ行こうぜ。いや滋賀県はもう統合されてんだろうな。どうなってんだ? すげぇぇな5208万年だぜ…………はえ?」


 何か桁がおかしいんですけど?


「──5千万年って?」

 いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……片手で足りる?


 おぉ、何とか足りるか……。


「げぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」


 俺の絶叫に驚いたトオルの厳つい顔が、こちらに、むにょーん、と向いた。

「待て、待て、待ってくれクルミ。西暦5208万年って何世紀なんだ?」

 またもや指を折り出す俺にイチが淡々と答える。


「52万800世紀だ」

 と言ってから、

「もはや世紀という言葉に意味はない」


「うがぁぁぁぁぁ。琵琶湖も無ぇ。コンビニも無ぇ。電車も無ぇ。あるのは日本海ぴっちゃっぴちゃ?」


 相の手を入れるみたいにしてイチが言う。

「ついでに日本も無い」

「なんにも無いんでぇぇす」

 クルミが可愛らしく歌い上げて、俺はがっくりと膝を地面に落として突っ伏した。

 向こうでポカンとする藤吉が羨ましかった。真実は時にして知らされないほうが幸せなのかも知れない。


「テル。でも未来は明るいんでしょ?」

 サクラの質問には答えることができなかった。頭の中が真っ白けだった。


 暗やみが迫る夕暮れに俺の黒い影が伸びていた。西暦5200万年の空は青空でもなく澄んでもいない。かといって雲が広がる曇天でもない。どんよりと濁った灰色の空が薄暗くなっていく。無味無臭の乾燥した夕刻だった。

  

  

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