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悪食令嬢は好みの味を模索する

作者: みゐえな

主人公が物語について話していることは、あくまで主人公の一個人としての意見だと思って下さい。作者の意見ではありません。作者は恋愛系大好きですから!!!

巷では最近、お姫さまが主役の王道ストーリーが流行っているらしい。

それは気高く美しい姫が王子さまと相思相愛になって悪役令嬢の立ちはだかる壁を乗り越える話だったり、お転婆姫が市井に紛れて遊んでいるときに同じくお忍びで来ていた隣国の王子さまと運命の出会いをする話だったり。

とにかくそういう恋愛ストーリーが特に高貴なご令嬢に人気なのだとか。


だが私にはどうにも退屈でならない。

なぜそう都合よく王子と相思相愛になれるのか。なぜそれほど分かりやすい悪役が用意されているのか。あからさまな作者の影が物語の中に見え透いていて、物語が作り物めいてしまう。いや、確かに物語は作り物で、それを分かっていて読むのだけど、けれど物語を読むときに大事なのは”どれだけストーリーに入り込めるか”だと思うのだ。ただのフィクションだと感じてしまうことが、既に”物語を別の世界から俯瞰して見ている自分”を認識してしまって、ストーリーに入り込めない。これは書き手が意図した展開なんだな、と思うとその話の先すら予想できてしまう。


と、そんなふうなことを王道恋愛ストーリーが主食と言って差し支えない母に話してみると、


「まあ!いいじゃないフィクションで!むしろ夢物語だからこそ女の子は憧れるのよ」


と言っていたので、まあ単に私には王道恋愛ストーリーは向かないというだけなのだろう。


余談だが、帰り際に母の部屋に頼まれていた父の手紙を置いてきた。王子さまからではないのは残念だが、手近な幼馴染みくらいで手を打っとくのが幸せの秘訣だそうだ。


それから、今度はそういう王道ストーリーとは全く逆の、邪道系を読み始めた。断罪もの、裏切りもの、復讐もの、とにかく罪とか罰とか悪意だとかがテーマの話をよく読んだ。単純に王道とは逆のもの、と考えていたから、恋だとか正義だとか覇道だとかそういうものと対極に置かれる話を選んだだけであって、特に邪道を意識していたわけではない。もしかしたら邪道系とは少し違うのかもしれないが、とにかく私なりに悪役物語を読み漁った。


結果として、ここにもピンと来るものはなかった。

まあ、王道恋愛ストーリーよりは幾分か近づいた。人の諸悪こそ人生の本質、と断言する程ではないが、でも人間、潔白だけではやっていられない。悪いことだって考えもするし実際にしてしまうことだってあるはずだ。美しいものや正しいことしか認めない王道ストーリーには無理がある。

けれどいくら悪いこと”も”すると言ったって、やはり”それまで”なのだ。悪いこともする、だけれども良いことだって当然する。正だけを完全に抽出された人間などいないように、悪だけを完全に抽出された人間もいない。と私は思う。邪道ストーリーは、王道ストーリーの真逆だけあって、まさに”悪”が強調されすぎていた。それが不自然に感じられたのだろう。


と、そんなことを邪道ストーリーが好物な兄に話してみると、


「分かってないなあ。人間、悪に走ることにどこか憧れるもんなんだよ。それを究極に追い求められるなんて、かっこいいじゃないか!」


と語っていたので、これも私の好みの問題なのだろう。


どうでもいいが、兄の好みに胸が痛くなる思いがしたのでそれとなく伝えてみると「う、うるさい!どうせ俺は中二……」とか何とか呟いてどこか行ってしまった。邪道好きがかかる病でもあるのだろうか。


さて、ここまで読んできて、今度は成長系、冒険系などを読んでみることにした。これはどちらかというと王道ストーリーにカテゴライズされるだろう。恋愛系と違って男が主人公の話が多かったが、主人公が異性に好かれやすいという点では恋愛と似ていたか。むしろ恋愛系よりもあからさまな傾向があるかもしれない。一度にたくさんの異性(美)に言い寄られたり、目の前で取り合いをされたり、世の男の願望が詰まっているのかと思うくらいの非現実がそこにいた。ありえない。女子の立場から言わせてもらおう、ありえない。だって書いてあるではないか。主人公の男は”ごく平凡”だと。ごく平凡の男に、そんな春が一挙に舞い込んできたりはしない。それほどモテるなら平凡なわけがない。というか、それほど多くの異性(美)にモテる時点でもう既に平凡から脱却している。”ごく平凡”な男が異性(美)に好かれるという状況をそのまま考えると、男がカモられているかはたまた結婚詐欺かというひどく可哀想な光景に思えるのだが、そういうことではないらしい。不思議だ。不思議すぎて納得がいかない。


と、そういうことを最近育成(植物)にハマっている姉に話してみると、


「いやね、バカな子ほどかわいいというじゃないの。男が平凡だから、それをかわいいと言える上物の女が気に入るのよ。……マジあの虫なんなの私のかわいいまーくんに手を出すとか全身の毛を抜」


と返されたので、結局これも私の偏食なのだろう。


ちなみに途中から愚痴に変わっているが、まーくん(植物)は無事なようなので、檻に囚われている件の虫(本物)が肌つるつるとならないよう毛ぬきピンセットを持って姉の部屋をそっと出た。


そんなこんなで、次は日常系に手を出してみることにした。今までの反省点として、私はどうやらありえない非現実的なことが好きじゃないようだと悟ったからだ。日常系、と言うからには現実の日常に即したものを描いているのだろうと読み始めた次第である。

予想通りあからさまな恋愛や過激な感情とは遠のいた。やはり恋愛がテーマの話が多いとはいえ、平和的で牧歌的、日々のささいな事柄に揺れ動く人間関係や繊細な感情を描くのが中心である。うん、いいかもしれない。

だが、ここにも欠点はあった。何というか、作品のテーマが恋愛に偏る部分が大きい上、日常系ゆえの”あまりに大きすぎる事件は起こせない”という暗黙のルールのせいか、だいたいの話の流れが決まってしまっているのだ。(”日常”なのに必ず何かが起こるのはこの際突っ込まないでおく。)何かささいなことが起こる、もしくは意図的に起こされる。二人の絆に疑いがかかり、悪い雰囲気が立ち込める。が、先ほどのものよりもっと大きな事件発生。それを乗り越え和解、絆はもっと強固となる。という、循環ルートが数回繰り返され、最後はもちろんハッピーエンド。お約束で予定調和。もしかすると王道恋愛ストーリーよりも先の展開が読みやすいかもしれない。最後は必ず上手くいくご都合主義もいただけない。


と、そんな感じのことを平和主義(事なかれ主義とも言う)の弟に話してみると、


「いーじゃんお約束に予定調和。僕は大好きだよ?だって楽だし、結果が分かっていると余計な争いはなさそうだしね」


との回答だったので、これも同じく私の好き嫌いなのだろう。


もちろん、姉さん二人ももう少し分かりやすい行動をしてくれるとその後片付けをする僕も楽でいいんだけどなあ、という弟の姉への冷たい視線はいつものことなので軽く受け流した。派手で目立つ姉はともかく、私もどうやら少し変わっているらしく、私たちの突飛な言動の尻ぬぐいを我が弟が担っているらしい。弟が事なかれ主義なのは私たちのせいかもしれないな、とふと思うが、文句を言われるのも難なので黙っておいた。


こうして私は種々様々な本を読み、その度誰かに意見を求めていたけれど、結局お気に召す物語はなかった。なぜどの本も誇張が過ぎるのか。

だからとうとう私が父の元へたどり着いたのは至極当然のことだった。まあ別用で父に会ったり、普通にご飯を一緒に食べたりはしていたけれど、この際それは置いておく。


私の父は、いわゆる作家だ。物語を作る側の人。娯楽を提供する方の人。仕掛け人。

だからこそこの家には多くの本があふれ、私もそれを読むことが出来ようというものだ。紙がそれほど高いものではないにせよ、まだ成人前の子どもではとうてい買えないほどの量を読んでこれたのは父のおかげだった。

そして、私よりももっとたくさんの物語に触れ、実際に書き綴っている父は、つまりは私にとって最終兵器的存在だった。これはもう父に聞いてみるしかない、と。そう思い父の書斎へと足を向けたのである。


扉をノックして入る旨を伝えると、少し戸惑ったような許しの声が聞こえる。それに従い扉を静かに開けて、そして父の書斎へと足を踏み入れた。


「どうしたんだい?ここへ来るなんて珍しいね」


優しそうな、おっとりとした雰囲気の父が少しやつれた顔でそう聞いた。よく見なくても見える目の下のクマ。また徹夜しているらしい。


「お仕事お疲れ様です。手紙の返事を持ってまいりました」


この前母へと頼まれた手紙の返事を父に渡す。父は思い出したように頷いてそれを受け取った。


「少し休んではどうですか。また目の下にクマができていますよ」


お茶菓子も持ってきたんです、と片手で持つお盆を見せる。父は少し苦笑いをすると、ではいただこうかとペンを置いた。


「それで、何か聞きたいことがあるんだろう?」


穏やかな目でそう問われると少し居心地が悪くなった。どうやらお茶菓子で釣って話をする作戦はバレているらしい。そうでもしないと父はいつも一人でこもっていて会えもしないのだから、と心の中で言い訳をする。


「実は、私は随分と悪食のようなのです」


忙しい父のために手短かにしようとまず結論部分から話し始めると、父はより一層分からないと眉をひそめる。その難しい顔が普段の穏やかな父に似合わなくてなんだか少し笑えた。


今までのことを話し終え、お茶を一口含む。ふむむと唸る父が、本当に分かっているのか少し気になった。父は少し抜けてるところがある。まあ、頭の悪い人ではないから多分大丈夫だろう。目を瞑っているけど、このまま寝てしまわないだろうか。

どうやらそういった不安は杞憂だったらしい。少し待っていればすぐ答えが返ってきた。


「では、日記を付けてみたらどうかな」と。


物語の多くは確かに少し大げさに書いている。物語を読む人が物語に”憧れ”を持てるように。思わず登場人物に自分を重ねたいと思えるように。現実ではままならない自分の”夢”を、せめて物語の中では叶えられるように。

そういう”夢”や”希望”を売るのが物書きの役割なんだ、と父は言う。現実が好きな人には確かに需要はないだろう。けれどどんな人だって現実だけではやってられない時があるから、物語を読んで夢に浸る。現実で負った傷を物語で癒す。だから物語は現実離れしているんだよ、と。

そして、それは別に既製品である必要はない。誰も現実を描いていないなら、それでも現実でしか満たされないものがあるなら、毎日を生きる現実を自分で書き綴ればいい、と。


確かに、言われてみればそうである。なければ自分で作ればいいのだ。夢物語が嫌なら現実を。(フィクション)が嫌なら本当(ノンフィクション)を。私の毎日をそのまま描けばいいのだ。私のだけでは足りないなら、他人の人生を少し覗けばいい。もちろんそれを自分のことのようにしてしまうと嘘だけど、ちゃんとその断りを入れれば嘘にはならない。全て真実だ。


そうか、そうすればいいのか。そうなのか。そうしよう。

私はこの時柄にもなく感動していたらしい。益体もないことをぶつぶつと呟いて書斎から出て行ったことをあとで父に心配されたのだった。その時既に父のようなクマ姿になっていた私は余計に父に心配され、一騒動を起こすのはまた別の話とさせてもらう。



そうして、私がこの業界の新たなジャンルを切り開くのはもう少し先の話。


そのネタ作りだと、あちこち顔を突っ込んでは起こす騒ぎの後始末に弟が奔走したことを付け加えておこう。







〜リュシフ・ルリテシー著

「《作家の私》が生まれた日」より抜粋〜

ジャンルが開かれた歴史を作者は知らないで書いているので、矛盾等あるかもしれませんが、まあそこはフィクションということで、そういう世界だと思って下さい。

主人公が「このジャンルはこういう話ばっかりだ!」と言ってるのも、その世界ではそうなんだとお考え下さい。


作者は必殺技を繰り出した!

「この作品はフィクションです。実際の世界とは関係ありません。」



〜〜ちなみに

《裏設定》

・父と母は幼馴染みで、本好きの母に振り向いて欲しくて父は作家を目指した。プロポーズの言葉は

「君の(こころ)に私の名前(サイン)を記させてくれ」


・兄の前世は現代日本人。前世では中二病の末に高二病をこじらせ、大二病に足をかけたところで転生したため、そっち系が好きだけど恥ずかしいという小心者に。


・姉は言動が突飛だが容姿は割と良い。残念美女。まーくん(植物)の育成にハマる前はゆーくん(手巾)の育成(縫製)に夢中だった。現在ゆーくんは父の元へ家出中。


・弟は苦労人。個性的な姉と自分色の強い主人公が荒らした後をせっせと整えるのが仕事。兄は痛いだけで無害だから放置。ただでさえ面倒な姉たちを抱えているので、その他の面倒ごとは極力避けたい。でも結局巻き込まれる。最近嬉しかったことは、姉がまーくん(植物)育成に集中して外に出かけることが少なくなったために、面倒ごとが減ったこと。


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