15.召喚士と銀髪の少女
15.召喚士と銀髪の少女
イオンは再びノザントーレの街を横断し、農村部へ続く橋を渡っていた。少し前につけた筈の自分の足跡はきれいに雪でふさがり、消えていた。
この様子だと、人の往来があるかどうかを足跡で判断するのはあまりよろしくないのかもしれない。
ノエルの話によれば、村人たちはみな町から遠く離れた場所に散り散りになっているというが、それを狙った手癖の悪い連中が来ている可能性はある。
それ以外は自分のような、興味だけで足を運んできた人ぐらいか。
ともかく、ノエルの父のように体調を崩し倒れる人が町の中にいないことを祈った。
ノザントーレは交易の町だ。
もともと寒い地域であり、かつ水不足に悩まされているだけに、農作で収益を上げることは得意としていない。
畜産は農作物が豊かに取れればその余剰分で飼料をまかなえるが、そもそも飼料のための作物を育てることから始めなくてはならないこともあり、手間とコストが膨らみやすく利益を上げにくいという欠点がある。
そういうわけで、ノザントーレの農業は町中での食事を賄う程度の規模しかなかった。
その代わりに、この町は海を隔てた東の大陸や、巨大な規模の船団として存在する海上国家などを相手に貿易を行い、その商品を帝都に出荷するという方法で成り立っていた。
町の南北それぞれの入り口から伸びる石畳の街道は、帝都とノザントーレを結ぶ道であり、大陸の物流の要である。
改修された回数は数知れないほど、ここは馬車や人の往来が絶えない大陸有数の街道だった。
しかし、それも一度冬期間に入ってしまえばこの通り。閑散とした一面の雪景色がただ広がるのみの光景となる。
世界の端まで続いていそうな広大な雪原を眺めながら、イオンは橋を渡りきった。
そして真っ直ぐにチェリツカヤ家を目指す。
遠くに見えるチェリツカヤ家の屋根からは暖炉の煙突が突き出ており、そこから白い雲が立ち上っている。
曇空と相まって寒々しい色合いなのに、不思議とその光景は何故か暖かく、そして懐かしく感じる。
故郷のコレットも寒さの厳しい季節があり、どの家にも暖を取るための道具があった。暖かさと一緒に懐かしさも感じるのは、それを連想してしまったからかもしれない。
雪の丘を越えて、チェリツカヤ家に到着した。イオンがドアノブに手をかけるより前にドアが勝手に開き、中からノエルが顔を出した。
「町中でぶっ倒れてる人はいませんでしか」
「少なくとも通ってきた道には一人も居なかった。町中をくまなく歩いた訳じゃないから、その他は分からない」
「そうですか。それでも、よかったです」
ノエルはイオンに貸していた外套を彼から剥ぎ取った。
「その外套、すごく暖かくて助かった。ありがとう」
「そうですか。それは父さんが聞いたら喜びますね」
「え? それノエルの物じゃないのか」
「はい。父のです。北の地域の出身なのに寒いのが嫌いらしくて、外套はいつも良いものを持つようにしていると言うのがもっぱらの口癖です」
「なんでそんな良い物を俺なんかに貸したんだよ。よくないだろ」
「物の良し悪しは父の価値観です。私にとっては着て暖かい外套であれば、値打ちが安かろうが高かろうが関係ありません」
「いや、そうじゃなくて…」
「なんですか。イオンさんは私の兄か何かなんですか。説教なら死んだ後にでも聞きますので今は止めて下さい」
部屋の中はとても暖かく、心の中はともかく、冷え切った体は徐々に暖まっていった。
「ところでイオンさん。試したいことは済んだんですか」
「済んだ。雲が出来て雪が降る理由も、みんなが一斉に病気に罹る理由もわかった」
「それはおめでとうございます。で、結局なんだったんですか」
イオンは鍋で湯を沸かしたことや、気圧のことについて話した。ノエルは終始眉ひとつ動かさずに話を聞いていたが、イオンが話し終わるや否やため息をついた。
「イオンさんて、ほんとうに魔導士らしかぬ排神的な人ですよね」
「よく言われる」
「神が町に与えた試練、悪しき精霊による呪い、とでも言えば解決じゃないですか」
「災害や気象なんてのは、自然が持っている法則にしたがって起こっているだけだ。何かが意思を持って起こせるものじゃない」
「いつかほんとうに教会の人たちに首を取られますよ。くれぐれも私を巻き込まないで下さいね。それで、みんなが病気になる理由が結局分からず終いなんですが」
ノエルも反教会側だろうに、というのはおくびにも出さず、イオンは話し始めた。
「正確に言うと、一般に言う病原菌による流行り病とは違うものだ。高い山に慣れない人が登ると、空気の薄さから気分を害して、嘔吐や発熱、悪化すると呼吸困難になったりする病気があるんだ。登山家達はこれを高山病と呼んでいる」
「高山? この辺は海からほど遠くない平野ですが」
「今の時期のこの町とその周辺は、気圧が低くて、かつ空気も薄くなってるんだ。逆に、空気が薄くなってるから気圧が低くなってるとも言える。そしてそれはノエルの言う通り、標高の低いところで自然に起こる現象じゃない」
「空気…。大気の精霊ですか」
「可能性は高い。ウラニル山には水の大精霊が住むとは言われているけれど、他の精霊も間違いなくいる筈だ。そして異常気象はウラニル山を中心とした同心円上の地域で報告がある。何かある筈だ」
「ということは、結局登るんですね。あそこ」
ノエルが睨みつけるようにイオンを覗き込んだ。しかしイオンには、それは警告を促すものというより、子どものやんちゃを諌めるようなものとして映った。
「登るよ。大丈夫だ。ウラニル山より高い山をいくつか知ってるし、あそこに登ったことも、山頂まで行ってないにしろ何度かある」
「登ったことがあるならわかる筈です。あそこは越えて行くべき山じゃなく、迂回して越えるべき山だってことを」
「この町の調査に決着をつけられて、尚且つ大精霊にも会えるかもしれないんだ。身体を張って登るだけの価値はあるよ」
「身体を張るだけじゃ足りません。命を賭けるぐらいじゃないと」
「死ぬつもりはないからなぁ。そこまではできないかな」
「はぁ。全く、ほんとうに手の掛かる人ですね」
ノエルは席を立つと部屋の隅にたてかけられている細身の魔法杖を手に取った。それをしばらく見つめた後、ノエルはイオンを一瞥した。
「どうせ、力を貸してくれって言うんでしょ」
「話が分かる友達で助かるよ」
ノエルは片眉を吊り上げて嫌そうな顔をした。
「誰が、あなたのような風来坊でインチキな魔導士の友達になんかになりますか。あくまで、パラケルスス先生の助手としてあなたの手伝いをしているまでです」
「インチキじゃない。ちゃんと使えるよ、ほら」
イオンは手のひらに小さな炎を灯して見せた。
「では、その火を水に変えて下さい」
「えーっと…」
苦笑いを浮かべるイオンを見て、ノエルは何度目かのため息をついた。
「できないじゃないですか。魔法で作った炎を水に変えるなんてことは、魔術を覚えたての子どもでもできることですよ? いくら召喚士だからとはいえ、基本の魔術ができないのは魔導士くずれ…、インチキ魔導士と言われても文句は言えないと思いますが」
「ノエルも方陣術以外はからきしだろ。お互い様だ」
ノエルは杖の先端に冠した紫水晶のような魔法石をイオンに突きつけた。
「私の方陣術をナメないで下さい。殺さない程度に炙り焼きにされてから海水ぶっかけられたいですか」
「…先生よりも、ノエルの方がやることえげつなそうだな」
「今のは実際に私が先生から受けた仕打ちですよ」
「ええっ!?」
「冗談です」
「…それならよかった」
「実際はそんな比じゃないくらい鬼畜ですよ」
「冗談だろ?」
「ほんとうのことですが?」
「…」
ノエルに突きつけられている杖はすらりと細く、勢いをつければ人の体くらいはやすやすと貫けそうな鋭さをしている。イオンはそれが自分の身体で試されることのないように祈りつつ、ノエルと共にウラニル山へ登るための手段を考え始めた。