14.イオンの実験
14.イオンの実験
イオンは床に寝かされ、チェリツカヤ一家に看病されていた。
ノエルの父親もまだ咳き込んではいたが、症状はだいぶ軽くなったらしく、今は暖炉の前で藁を編んでいる。母親はきびきびと部屋を行き来し、なにやら忙しそうだった。
ノエルは気がつけば側でこそこそと作業していたが、イオンが目を向けると咄嗟に立ち上がって離れていくのを繰り返していた。
「イオンさん。具合はいかがですか」
「うん。だいぶ良くなった。ありがとう。君が手慣れているお陰で助かった」
「毎年同じように色んな人がぶっ倒れるので。いつもやってますから。というか、イオンさんも免疫ない人だったんですね」
ノエルは水を張った桶にタオルを突っ込みつつそう言った。
「人がぶっ倒れる程の影響力なのに、翌日とか数日後にはあっさり回復する人がほとんど。でも、そのままこじらせて死んじゃう人もいます。どんな薬も効かないし、面倒な流行病ですよ、まったく」
「死人が出るのか?」
「はい。しかも、決まって溺れ死んだかのような形相で。あれは流石に気味悪いですよ」
溺れ死ぬ?
その一言でイオンは閃いた。ようやく、この一件の原因が理解できたような気がした。
「ノエル、溺れ死ぬっていうのは、例えば唇が真っ青だったとか、顔面蒼白だったとか、そういう意味か?」
「はい、そうですが」
「ありがとう。お陰で雪が降り続ける理由がわかったかもしれない」
「関係あるんですかそれ。もしかしてぶっ倒れた時に頭でも打ちましたか」
「そうじゃないよ。ちょっと試したいことができた」
イオンは掛けられていた毛布を脇に寄せると、側に置いてあった自分の肩掛け鞄に手を伸ばした。
しかし、掴むことは叶わなかった。イオンはノエルに鞄を横取りされた挙句、床に再び寝かしつけられてしまった。
「お、おい。何するんだ」
「病人なんですから、大人しく寝ててくださいよ」
「もう平気だ。ほら、視界もぼやけてないし…」
「父さんと同じこと言わないで下さいよ気持ち悪い。二晩はちゃんと静かにしていて下さい。そうすれば些細な症状も残りませんから」
ノエルはイオンの額に濡れたタオルを押し付けつつ、ため息を吐いた。
「こんなことでイオンさんに死なれたら、パラケルスス先生に怒られてしまいます。私はあの人に怒られるのだけは嫌なんです。知ってますか?あの人怒るとかなり鬼畜なんですよ」
「嫌という程知ってるよ…」
「なら私の言うこと聞いて下さい」
「それとこれとは話が違うだろ」
「違いません。それもこれも同じです」
イオンはため息をついた。ノエルはてこでも動かないらしい。大砲あたりで吹っ飛ばさない限りは動かないだろう。
「なあノエル。すぐにでも調査に向かいたいんだ。行かせてくれれば、精霊との契約をいくつか譲ってもいい」
「それは魅力的ですね。ですが嘘をつくならもっとましな嘘ついてください。何ですか。召喚士になり損ねた私へのあてつけかなにかですか」
大砲もだめだった。
※
翌日、約束通りノエルはイオンを半ば放り出すように送り出した。外は相変わらず雪が降り続いており、息も凍えて白い煙となって宙へ浮かんでいく。
「ウラニル山へ向かう時は、またここへ寄ってください。準備もせずに山に登るのは自殺行為ですから」
「わかってるよ」
「釘刺しましたからね。もし勝手に雪山に行って勝手に死んでも、先生には私を使って言い訳できませんよ」
「死んだら言い訳もなにも言えないだろ」
「わかりません。イオンさんなら幽霊にでも化けて先生にチクリかねません」
「俺を何だと思ってるんだお前は」
「使えない召喚士です。それはともかく、この外套を着て行って下さい。イオンさんの格好は見てるこっちが寒くなりますので。必ず返して下さいね。質屋に出したりとかしたら先生にチクリますから」
そう言うと、ノエルは大きめな外套をイオンに投げつけ、ドアを閉めた。殺伐とした出立だった。
イオンは凍った川にかかる大きな橋を渡り、再びノザントーレの町中へと入っていった。チェリツカヤ家で二晩ぐっすりと寝たお陰で、体がだいぶ軽く動くように感じる。こればかりは、ああいえばこういう言葉のサボテン少女に、感謝しなければならないのかもしれない。
イオンはジンを呼び出すために液体入りの瓶の蓋を開けた。
「おう。どうした坊主」
「この辺の建物でドアの開いてるところを探すのを手伝ってくれないか。手がかじかんでもげそうだ」
「液体の俺がドアを開けられると思うか。アホかお前は」
「そうだけど、そろそろしんどくて」
「珍しく愚痴垂らしだな、イオン。そういや、この前道を尋ねた精霊はここの町も護ってんのか? もし守護域に入ってるなら、町で年中開きっぱなしの家ぐらい知ってるかもしれねえぞ」
「珍しく冴えてるな」
「だろ。なんならもっといい媒体に移してくれりゃ、もっといい働きするんだがなぁ」
「そうだな。ちょうど近くにあるし、後で新鮮な海水を瓶に汲んでおくよ」
「てめぇ…、変える気ないな?」
精霊が空き家の場所を把握しているとは全く思わないが、今のイオンは少しでも楽ができる可能性に賭ける方が得だと考えていた。
イオンは肩がけの鞄に手を突っ込み、中から乳白色の石を取り出した。
「ポルカ。話があるんだが」
石にそう話しかけると、瞬く間に石が鈍く輝き、霧が噴き出した。
「うわ!?」
予想外だったのか、ジンが慌ててイオンから距離を取った。
霧はしばらく雪の上でもやもやと漂っていたが、次第に晴れ、中から体を震わせながらポルカが現れた。
「さ…寒い…。…くちゅん!」
可愛らしいくしゃみとともに鼻水が飛び出す。ジンがその周りを虫のように飛び回り始めた。
「なんだなんだ? やけに人間くさい精霊だなぁ。麦とか果実の精霊か何かか?」
「ふぇ…なに…? くしゅん!」
「くしゃみなんて一丁前に人間ぽいことしやがって。何の精霊だ?」
「あたしは…ふぇの…ふぇくちっ! …火の精霊、らしいです」
「らしいって何だよ、らしいって」
「その…まだ何ができるか、分からないんです…」
「何だそりゃ? お前さんほんとに精霊か?」
「ひぃ…」
「その辺にしとけ、ジン。とりあえずどこかの建物の中に入ろう。ポルカ、いきなり変な場所に喚び出して済まなかった」
「ううん…イオンなら、いつどこで喚ばれても、私、いいよ?」
「変なこと言ってないで行くぞ」
イオン達は広場に繋がるいくつかの小さな路地を回り、ようやく取っ手が回る扉に行き着いた。
そして運良く鍵の空いていることが確認できた扉が見つかった。
イオンは早速雪を退かして、中に入った。
薄暗い部屋の奥に、横長のテーブルと幾つかの椅子が並んでいた。
その奥には酒瓶が陳列された棚が壁にびっしりと設えられているのが見える。どうやら酒場のようだ。
しかし、高価な酒を扱っていたらこんな不用心を働きはしない。たぶん漁っても良い酒はないだろうな。
「で、精霊に寒いかどうか聞くのは野暮なんだっけ?」
「少なくとも俺は何も感じねぇよ。その小娘の感性が豊かなんだろ」
「お前に精霊の常識を聞くのはこれからやめることにするよ」
「馬鹿にするなよ。今回のは本当にその小娘が変なだけだ」
「どういうことだ?」
「精霊に熱い寒いの感覚は無ぇ。これは本当だ。そんなのが人間と同じようにあったら、火の精霊や氷の精霊は自分の温度で参っちまうだろうが。そいつが何の精霊なのかは知らねぇが、寒いって文句言う精霊は初めて見たぜ」
ジンは困ったふうでもなく、そう言った。
ジンがもたらしてくれる精霊についての情報はかなりアテになる。ジンのお陰で召喚士として振る舞えている、ということもあり、それなりに信用は置いている。
そのジンが見たことないと断言するからには、ポルカは特殊な体質の持ち主だというように捉える他ないのだろう。
「ポルカ、大丈夫か」
「うん、平気…。ごめんね、迷惑かけて。何かポルカに用事?」
「ノザントーレの町について知ってることを聞きたいんだ」
「いいけど、たぶん私よりお姉ちゃんの方が詳しいよ?」
「そういや、そんなこと言ってたな」
「お姉ちゃんに会うの久しぶりだから緊張するけど、もしお姉ちゃんとお話したいのなら、私手伝うよ!」
「緊張? 普段から会ってるわけじゃないのか」
「上手くは言えないんだけど、お姉ちゃん、ずっと人間に喚ばれたままみたいで、帰ってきてないみたいなの」
「喚ばれたままだって?」
「まさか、ノザントーレの雪はそれが原因か?」
「でもお姉ちゃんは近くにいるよ? 姿は見えないけど、わかるの」
「召喚術で喚ばれてはいるが、守護域を離れてはいない、ということか」
「まあ、それなら別に喚ばれたままでも問題ないわな。アテが外れたな、イオン」
「いや、そうでもない。少なくとも、精霊絡みの問題には違いない」
「そうなのか?」
「試したいことがある」
イオンはそう言うと、酒場の奥に入り込んで行った。そして数分も経たないうちに帰ってくると、小さな鍋とワイン立てを手に持っていた。イオンはワイン立てを縦に起き、三本の支柱が立っているような形にすると、その上に鍋をそっと置いた。
「なんだ。本当に湯を沸かすつもりか」
「そうだよ」
「俺に暑い寒いは感じねぇって、さっき言ったろうが」
「それとは別だよ。いいから見てなって」
イオンはおもむろにポルカの手を握った。
「ほぇ!? な、何!?」
「polca ignata」
イオンが呟くと、ポルカの手に触れていない、イオンのもう片方の手から小さな炎が生まれた。イオンは手頃な枝切れをどこからともなく取り出し、三本の支柱の間にそっと広げると、そこに炎を投じた。
「わぁ、すごい」
「道すがら棒切れ拾ってやがったのはそういうことか。マメだな、お前」
イオンは小瓶の中に詰めた水を鍋の中に満たし、炎がそれを温めた。
「さて。時間を測ろう」
イオンは鞄の中から砂時計を取り出した。
「なにそれなにそれ! かわいい!」
「砂時計だ。砂が落ちきった時のタイミングで区切って時間を測るんだよ」
「ずいぶん小さいな。大した時間測れないだろ、それじゃ」
「それがいいんだよ」
逆さにされた砂時計だったが、あっという間に中身の砂は下のボトルに落ちた。イオンはそれを再び逆さにし、流れ落ちる砂を眺めた。三回ほど砂時計を逆さにした時、鍋の中がぐらぐらと煮え出した。
「沸騰したな」
「熱そうだな。人間にとっちゃ、の話だがな」
「温かそう~」
イオンは小瓶を手に立ち上がった。
「次は町の外で同じことをやる」
「は?」
「ほぇ?」
ジンとポルカは揃ってぽかんと口を開けた。イオンは二人の意に介さず、再び酒場の奥へと消えていった。
※
イオンたちは一旦町を出ると、風が吹きすさぶ崖の上を森の方へ向かい、風の影響を受けない崖の小さな窪みにいた。そして、先程と同じように鍋を使って、湯を沸かし始めた。
「村の外って、ノザントーレの村から離れたところってことか」
「ああ」
「んで、イオン。これ、何をしてるんだ」
「何って。湯を沸かしてるんだ」
「それは見りゃ分かるよ。その理由を聞いてんだよ」
「見てれば分かるよ」
「分かんねぇから聞いてんだよ!」
ジンは沸騰した水のようにぶくぶくと泡を撒き散らした。
「イオン、砂時計の砂ぜんぶ落ちたよ! 反対にしていい?」
「いいよ」
「わーい!」
ポルカが楽しそうに砂時計をひっくり返す。
「何回目だ?」
「三回目! ちゃんと数えてるよ!」
「ありがとうポルカ」
「えへへ~」
「…」
ジンがぶんぶんと鍋の周りを飛び回り始めた。
「嬢ちゃんはポルカって名前なのか」
「うん! そうだよ!」
「どっかで聞いたことあるんだよな。しかもつい最近。でも、なにしてる時だったかなぁ」
「おじさんはジンっていうんだよね?」
「おじっ…!?」
ジンは吹き出した泡にまみれながら、ポルカの目の前で急停止した。
「言っとくけどな、俺はそこまで年季の入った精霊じゃねえよ。魔術の衰退も始まってない、むしろこれからのイケイケ精霊だ馬鹿野郎」
「そうなの? いろいろ詳しそうだし、イオンがすごく頼りにしてるみたいだから、てっきり年配の精霊さんかと…」
「は? こいつが俺を頼りにだって? 出鱈目言うなよ」
「だって、イオンの聞こえない声がそう言ってるんだもん」
「聞こえない声? …ああ、なるほどな。だから火の精霊か」
ジンは合点が言ったように呟いた。そして今度はイオンの目の前でふよふよと漂い始めた。
「このいけ好かない野郎の心を読めるなんて、憎い能力持ってるな、嬢ちゃん。どうだ。ここはいっちょ手を組んで、こいつの考えてること洗いざらい吐かせるってのはどうだ?」
「ええっ、ダメだよそんなこと」
「ジン。お前がそのつもりなら、俺はお前を煮沸して雲散霧消させてやってもいいんだぞ」
「はいはい、分かった分かった。冗談だよ。それよかよ嬢ちゃん、砂落ちたぞ」
「おっと! いけないいけない! 四回目!」
ポルカが砂時計をひっくり返す。
精霊には生まれてからの時間の感覚はあれど、そこに人間で言う年齢という概念を当てはめるのは適当ではない。
何せ、生まれてから数時間ほどで一生を終える精霊もいれば、何世紀にも渡って存在する精霊もいるのだから。
あくまで、ジン達が使う年齢を表す言葉は、人間の言葉を借りて彼ら自身が生まれてからの経過時間を表現しているに過ぎない。
しかし、それを抜きにしても、ジンとポルカはとても幼げで、砕けた喋り方をする精霊のようだ。
「嬢ちゃん。その、お姉ちゃんてのはどんな精霊なんだ?」
「すごく綺麗で、偉いんだよ!」
「ほうほう。それで?」
「確かね、えーっと…。山から流れる川とか、森に降る雨とか、そういうの全部護ってるの!」
「そいつはすごいな。で、どんな形するんだ?」
「カタチ? ええとね、何にでもなる、のかな? ジーズ様に会うときは、私はウサギになるけど、お姉ちゃんはシカになるよ!」
「シカか! そりゃあいい!」
「なんでシカだといいの?」
「女の嬢ちゃんには分かんねぇよ。…なあイオン?」
「いや、俺もわからん」
「そうだな。お前人間だもんな。はぁ…、つまんねぇな」
「イオン! 五回目!」
ポルカが嬉しそうにまた砂時計をひっくり返した。
「あん? 五回目? 鍋の水、もうとっくに沸騰してんじゃねえのか」
ジンが慌てて鍋の元へ飛んで行く。
「ん、何ともなってないみたいだが…。さっきは三回ぐらい砂時計ひっくり返したぐらいで沸いてなかったか?」
「つまりは、そういうことだよ。これで納得した」
「そういうことってどういうことだよ」
イオンは小瓶を取り出し、中の水を眺めた。
「町の中では水が早く沸騰する、ということだ」
「はあ? 単純に、その時は火が強かったんじゃねぇの」
「いや、そうならないように、火の魔術と燃やすための木はしっかり選別した。火の強さや水の量、水の温度が同じ、気温の差もほとんど変わらないものだと仮定すると、沸騰に要する時間が変わったということになる。つまり、水の沸点が変わったんだ」
「水の沸騰する温度が変わったってことか? なんだか変な魔術がかかってやがるな、この町は」
「魔術じゃないよ。自然が元来持っている法則さ。この町は、町の外と中で気圧が違うんだ」
「気圧? なんだそりゃ」
「人間が使っている概念としてはまだ新しい方だろう。簡単に言えば、空気が持っている物を押す力のことだ」
「どんだけ小さな話だよそりゃ…」
「空気や水蒸気にとっては、とても大きな話だ。気圧は空気中の水の元素の量でも変わってくる。周りと違って街中だけ気圧が低い、言い換えれば水の元素が街中だけ少ないと言えば、何が思いつく?」
「…例の水の精霊ってことか?」
「そう。精霊は言い変えれば、元素の集まりを自由自在に操る存在だ。水の精霊なら水の元素、火の精霊なら火の元素といったようにな。これで、ウラニル山に住む水の大精霊と、この雪が降り続ける異常が結びついた。調べる口実ができたよ」
ジンはイオンの頭上をぐるぐると回っていたが、しばらくしてイオンの目の前に下りてきた。
「ここまでしゃべってもらって悪いけどよ、いまいち腑に落ちねぇな。何のために雪をこんなに降らせる必要があるんだ?」
「さあな。だから、聞きに行く」
「なるほどな」