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リタの話──
後悔しかなかった。
一歳半の親友の子供を手に抱き、アヴェニュー・オウシャン魔法学院の理事長室に佇み、腕の中ですやすや眠るティリアを見つめる。
この部屋にはリタの他に、二人いる。
「……リタ、その子を渡しなさい」
「嫌です」
校長先生が渡すようにと両手を差し伸べるが、リタは一歩下がる。この子は私が育てるって決めたもの。
「その子はハマンの所へ、預けねばなりません」
「嫌……ハマンは今、この世界にはいません。この子も魔法の資質がある。なら、この魔法世界で育てた方が幸せではないのですか? 校長先生、理事長!」
「リタ、貴女の言うことは最もです。しかし、血の繋がりは大切です」
「二人はハマンの性格は知らないから、そう言えるんです! 彼は魔法族を恨んでいる!」
校長も理事長も、ティリアをハマンの所へ預けようとしている。どうすれば納得してもらえるのだろう。
どうすれば……
「リタよ……二人の死は自分のせいだと思っているのかね」
「!」
「その子を育てる。つまり二人への罪滅ぼしのために、おまえはおまえの人生を無駄にしようとしている」
「そんな、つもりじゃあ……」
気が付けば、お爺ちゃ……理事長が目の前にいた。優しく微笑んで、幼いティリアの頭を撫でる。
「鼻は父親にそっくりじゃ。瞳は母親似かの?」
「……」
「リタよ。結果は誰にもわからぬ。ただ、不幸だった。おまえにとっても、この子にとっても」
「……理事長」
「この子が成長するにつれ、周りの者たちが言うじゃろう。この惨劇について……幼いティリアには聞かせたくなかろう。可哀想な子供だと。親のいない可哀想な子供だと」
もっともだ。でも、それでも私は……
「周囲の柵に気にすることなく育ってほしいのじゃ。わかるだろう?」
「……はい」
ティリアの成長を考えれば、その方が良かったのか悪かったのか。その時はまだわからなかった。
ああ、メルディ、デセル。
私はどうしたらいいの?
結局、ライオットを止められなかった私は。
四人で過ごした、あの楽しかった学生時代はもう戻らない。
それから、五年後。六歳になったティリアと再会した。一緒に暮らせないなら、他に方法はあるのだから。
成長した彼女を初めて見たとき、二人のどちらとも性格は似てなく一言でいうと、どこかのお嬢様ではないだろうかという印象を受けた。
ごく一般家庭で育ったにしては、そのダークレッドの瞳が同世代の子供よりもどこか大人びていた気がした。
本を好み、学校の成績は常に優秀。
そこは二人の子供だなと感心した。
密かに、ティリアの学校生活を視ていた。
特にこれといった友人はおらず、常に一人。
周囲との歩調を合わせるが、それは最低限度に止めている。
だからせめて、夏休みに通っている図書館で接触し、私はティリアの友となった。
随分、歳上ということもあり最初は固かったティリアの対応も数年で柔らかくなったと思う。
十一歳にして早々に高校生が習う範囲を勉強しているなんて、二人が生きていたなら驚くだろうな。
かくいう私も、「天才がいる!」と声に出してしまったけれど。
そして、一通の手紙を手に私はロッサム家を訪れた。
久しぶりに会ったハマンは、私を見て吃驚し睨み付けた。
学生時代にメルディの家に遊びに行ったときに数回会った記憶が甦る。話したことは一度もなかったけれど、彼が十五歳で出家した時は、あぁそうなってしまったかと、メルディは泣いていた気がする。
「……メティシュさん、何用でしょうか」
とても、冷たい声でハマンは言った。
「ティリアに会わせてください」
「……どうぞ」
ここで、追い返されなかったのは、二人の遺産の中から養育費を送付していたからだと思う。
渋々と、玄関の戸を開け入れと促されリビングにティリアを見つけた。
男の子を尻に敷いて……
……。あれ、ティリアはこういう性格だっただろうか。
幻?
「あら、リタじゃない。初めてね、家に訪ねてくるの 」
ぷるぷる震える男の子の上で、ティリアはニッコリと微笑んでいた。
平静を保ちつつ、ティリアに校長からの手紙を渡す。それを見たハマンが今にも飛びかかりそうな顔をして睨むほどに。
暫く読み終えてからティリアは手紙から視線をこちらへ向ける。
「ティリア、一年ぶりだね。その、なんというか、図書館で会う君と今の君が違いすぎて、ずいぶん逞しいことを喜べばいいのか、逞しく成長し過ぎたことを悲しめばいいのか……」
顔も声もティリアなのに、何故だろう。女王気質が漂っているのは。
「喜ぶべきではなくて?」
困った。
「リタ、その魔法学院……私、入れますの?」
「もちろん! 君の本当の両親から遺産を預かっている」
「まぁ……」
どこか嬉しそうにしているティリアに、私も嬉しくなる。
以前、魔法について話し込んだことがある。ファンタジー小説やアニメが好きで、こっそり観ているんだと話してくれた。家ではハマンおじさまが煩いからとも言っていた。
「小娘! 絶対にそんな野蛮なところ行かせんからな!だいいち、ハイスクールに行かせてやる手筈だぞ!?」
「まだ、手続きしていません。おじさま」
ハイスクール!
聞いていたけれど、本当なんだ。
「デビーちゃんから退きなさい!」
ロッサム夫人が、おっかなびっくりとティリアを怒鳴る。
けれど、ティリアはどこ吹く風と反応は薄い。ほんと、勇ましい。
「座り心地がよくて」
なんて宣うものだから、盛大に笑ってしまった。
メルディ、デセル。君たちの娘は将来大物になるよ。
◇◆◇
新学期を前日に控え、準備も終わらせた夜。
ルゥナ国港町ルペルモンドの外れ、そこにある小さな墓地。
最奥にある茨の庭。
双像の天使像の足元にある一つの墓石。
刻まれた文字はエスカフォーネ家の墓。
ここには、エスカフォーネ姓の名を持つ者が眠っている。
メルディとデセル。エスカフォーネの血を引くものたちとその伴侶の名前が刻まれている。
今はエスカフォーネの血を引く者は、たった一人。
シオンの花束を台座の前に置く。
「間に合ってよかった……二人の命日に」
三月三十一日、二人が消えた日。
この墓の中には二人の遺骨はない。
もしかしたら、なんて保証もない。ずっと、そう思っていた。
すべてを無に帰す闇の業火に包まれて二人は消えたのだから。死んだのだから。
「明日、ティリアが入学するよ。二人に似て、とても優秀なんだよ。性格は似ていないけどね」
今も思う。彼を止められたら、ティリアは二人の愛情を受けて、幸せに暮らせていたはずだと。
私が選択を間違えさえしなければ、二人は生きていたはずなのに。
「ごめん……ごめんなさい。メルディ、デセル……ティリア」
繰り返した懺悔の言葉は数えきれない。