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戦国小姓!弥三郎!(応募編)2

作者: 平蜘蛛

 秋の道の木の枝を飛び移りながら、黒い影が桜山城へ向かって走っていた。その服には、ちらほらと赤いまだら模様のようなシミがついている。

「……さて、後わずかで城です」

 女のような高い声でそう言った影は、足を止めることなく桜山城へ向かって言った。そんな日も沈みかけ、天が地を紅色に染めだした頃、半ば追い出されるように、杏二郎に部屋から出てきた弥三郎は、天明の所へ向かおうとしていた。腐っても天明の小姓である。身の回りの世話をすることも弥三郎の務めだ。しかし、先ほど天明に「邪魔をするな」と言われていたことを思い出し、ふと、自分の生き場を失ってしまったことに気付いた。それに天明は今頃、あの長ったらしい祈りをささげている。

「うーん、これからどうすればいいんだろう……。とりあえず、蒼風さんの所へ行きますか!」

 天明に「つきまとうな」という類いの命令を受けた時は大体、馬小屋へいる。蒼風と話すのが、弥三郎の日々の楽しみでもあった。しかし、弥三郎が馬小屋へ行くと、蒼風の前に誰か立っている。弥三郎と掃除番以外の人が馬小屋の前にたたずむのも珍しく思い良く見ると、桜吹雪の着物を着たお絹だった。紅葉の美しい季節で、しかも辺り一面紅に染まっているため、その桜模様が返って美しいのか、浮いているのか、分からない。お絹は、蒼風の頭を撫でながら、何か話しているようだ。秋風がかすかにお絹の柔らかな声を弥三郎の耳まで運んだ。「まさか、お絹姉さんまで動物と話す術を手に入れたのでは」という状況が頭に浮かび、弥三郎の背に悪寒が走った。そうなってしまえば自分はお払い箱同然だ。弥三郎は馬小屋の裏に隠れ、こそっと一人と一匹の様子をうかがっていた。

「はあ……。杏二郎さんったら、何も分かってないんだから……」

「乙女心は複雑だからねぇ。ましてや、鈍感な杏二郎だ。仕方ねえさ」

 やはり、お絹は蒼風と話しているようだ。いよいよ弥三郎の心臓が破裂しそうなほど動き始めた。

「私の代わりに囮なんかやって、杏二郎さんが死んだら私はどうすればいいのよ……」

「まぁ、気にするこたぁねぇ。お前ら相思相愛なんだからよぉ」

「いい加減私の気持ちも気付いてほしいわよ。……あの鈍感男」

「お前も対外だけどねえ」

「ま、馬に言ってもしょうがないわよね……」

「弥三郎でも呼ぶか?」

「……さっきから天明様の馬、ずっと鳴いてるわね。……なんだか気味が悪いわ」

「頭、蹴り上げてやろうかてめえ」

 どうやら、お絹に特殊な能力は無かったようだ。安心した顔で、馬小屋の陰から弥三郎が顔を出す。途端に、お絹は取り繕うようにニコリと笑い「あら、弥三郎ちゃん」と声を掛ける。弱い自分を見せたくないのだろう。いくら鈍感で野暮な弥三郎でも、こればかりは何も見ていないことにした。

「……お絹姉さん。何か、悩みごとですか?」

「いいえ、何でもないのよ」

 お絹はそう言って、そそくさと城へ戻って行ってしまった。あっけなくその場に残された弥三郎の寂しさを引き立てるように、冷たい秋風が数枚の枯葉を飛ばした。

「……女は分からんねぇ」

 餌の藁を食べながら、蒼風は小さく呟いた。杏二郎や弥三郎に比べれば聡い蒼風だが、やはり動物にも乙女心は乙女にしかわからぬらしい。

「ヒヒン。蒼風さんでもわからんかえ。なら、おら達もわからんなぁ」

 隣に並んだ馬達はそう言って長い顔で笑っている。

「お前らはもう少し頭を使えってんだ、何を言っても理解できねえんだからよ。……これが本当の「馬に念仏」だな」

「まぁまぁ蒼風さん。馬同士で喧嘩しても、しょうがないでしょう」

 弥三郎の言葉に馬らしくもない舌打ちしながら蒼風は藁を頬張った。弥三郎は蒼風が藁を食い始めたのに安堵して、再び竹ぼうきを動かしながらふと「誰かに愚痴でもこぼせば、楽なんでしょうがねぇ」と誰に言うわけでもなくお絹の顔を浮かべた。

「いつもその役の杏二郎が事の発端だから無理だろ。他の女衆にはああいうの見せられねえだろうしよ……」

 女で軍に入ったのは無論、お絹だけでは無い。生活の苦しい今の火島ではどうしようもないことだ。女衆は、女であるというのに精鋭揃いの九尾之衆にまで上り詰めたお絹を心から尊敬し、慕っている。それゆえお絹は、誰にも弱い自分を見せられなくなってしまっている。

「お絹姉さん、僕への性格を皆にも出せばいいのに」

「お前なぁ……。……あのなぁ、もし天明様が「我は実は昼寝が大好きだー」とか言い出したら、どう思うかね」

「一緒にお昼寝します」

 蒼風は「そうじゃねぇよ」と弥三郎の顔面に頭突きする。

「見損なうとか、そういうことになるだろ、普通はよ」

 そう聞いた途端、弥三郎は箒を槍のように持って「えへん」とふんぞり返るように蒼風に向かって腰を手にやった。

「そのくらいで見損なうのなら、はなからテン様の小姓なんてしていません!!」

「なんでこんなときだけ忠臣っぽいんだよお前は……」

 蒼風の言いたいことが分からずにキョトンとする弥三郎の頭上に木の葉が舞い落ち、それを振り払うと同時にどこかでマツムシが鳴いている。季の流れを感じるとともに、戦の刻が近づいてくるのを感じさせた。

「……まぁ、杏二郎が野暮ったかったんだろうな。女心がわかってねえんだよ、アイツ」

「ふーむ……。じゃあ、杏二郎さんが女の人の気持ちが分かるようになれば、皆幸せになるんですか?」

「そんな奇跡みたいなこと、あるわけねえだろ……。どうしてお前はそう楽観的なんだよ」

 蒼風がそう言った途端、突如マツムシが鳴くのをやめ、どこかへ行ってしまった。そしてそれが合図であるかのように、馬小屋に覆いかぶさるように山吹色の葉を実らせる銀杏の木から、音を立てて大きなものが落ちてきた。それは、黒い忍装束をまとった忍だった。その忍を見るなり、弥三郎はうれしそうに飛び跳ねるが、蒼風はそっぽを向いてしまった。忍は、弥三郎を見ると覆面を外し、その黒くて長い髪が風に少し揺れ、女のような色白の顔を見せたそして、弥三郎の顔を見て、お絹にも劣らぬ美しい顔で笑いかけた。

「これは小姓殿。元気にしておられましたか?」

「見ての通りですよ! 霰さんも、任務はどうでした?」

「ええ、見ての通りです。……やはり、武邑の主力は天明様の読み通り、松羽城で違いありませんね」

 小糠雨霰。天明が最も合戦において多用する忍衆の一人だ。天明は、どの戦においても「情報を宝」とし、さらにその情報を集める忍を重宝していた。情報は、天明が策を構築する際に欠かすことのできない存在であり、実質天明は九尾之衆よりも忍を使う方が多い。故に周囲からは「西日によりそう明星」ともてはやされているのがその忍衆だ。しかし、霰は見た目はあの杏二郎よりも華奢で女のようであり、年も十六と、弥三郎より少し大きいほどだ。しかし、霰は見かけによらず、忍衆の長の右腕として申し分ない実力を持っている。今回も、数人殺めてきたのか、色白の頬に血が付いている。

「あー……。俺、こいつ嫌いなんだよなぁ……。血って臭くて嫌だね」

 ジトリとした目で霰を睨む蒼風をよそに、弥三郎は霰に懐いているようだ。仁の装束の裾を持ち、少し興奮気味に話している。

「霰さん! 今日こそは忍術の修行をしてくださいっ!」

 弥三郎が霰の事を知ってから、毎日のように「忍者になってみたい」と言っている。どうやら書物の影響で、忍者は全員怪しげな術が使えると思っているのだ。 霰のやることは、自分の存在に気付いた敵国の輩を全員殺し、天明の命であれば親玉を切り刻むのが仕事だ。正直、自分と年が二つ程しか違わない弥三郎にこんなことを教えたくはないし、また教えたからと言ってできるとも思わない。だが、霰はそんなことをきっぱりと言える性格ではなかった。

「い、いえ。小姓殿は天明様の左腕ですし、忍になる必要はないとあれほど……」

「でも、カッコいいじゃないですか! 僕も火を出したり、大きな蛙を出したりしてみたいです!!」

「そんなこと私にだって無理ですよ……。では、これにて御免!」

 仁は馬小屋の屋根にとび乗ると、そのまま小屋の後ろの城壁の上を、逃げるように走って行った。

「あーあ、あんなに綺麗な人なのに、口から火とか出すんですから、驚きですね」

「お前ねぇ……。何処でそんなの覚えてくるんだい。普通、人間が火なんて出せるわけ無いだろ

 弥三郎は「馬のくせにそんなこと言わないでください」と思ったが、口に出せばたちまちその足で顔をけり上げられそうなので黙っておいた。

「でも、今は霰さんの事よりも杏二郎さんとお絹姉さんの事ですからね!」

 蒼風は「それをお前が言うかよ」と首を落とし、藁をむさぼった。しかし、何かを思いついたようにその口を止め、いつの間にか掃除をやめて、箒で遊んでいる弥三郎に声をかけた。

「妙案を思いついたぜ、弥三郎。霰にも協力してもらって、あの二人のよりをもどそうじゃねぇかい」

 天守閣の屋根に トン と舞い降り、天明に偵察の報告をしようと思っていた仁の背中を、秋風とは違う。謎の寒気が ぞぞ と襲う。

「な、何でしょう……。敵の間者に見つかった時と似たような悪寒が……」

 敵の間者に見つかった後の拷問よりも恐ろしい事をされるとは、この時の霰は知らなかった。しかし、そんなことはつゆ知らず、霰は夕闇の中天明の部屋に入り込み、そのまま霰に背を向けて黙々と仕事をこなす天明にひざまずいた。

「……御苦労であった。武邑は、やはり松羽が主力か」

「ええ、間違いありません。……それと、天津は別の城を攻めるのに忙しく、この戦場は我らの独壇場となるかと」

 天明は「いつものことだな」と小さく呟いた。天津に下っているものの、古平は天津にとっては邪魔な存在だ。いつ謀反を起こされてもおかしくはないような逸材が揃っており、さらには天明の頭脳もある。今回も、古平を敵の主力とぶつけることで兵力を削る気でいるのだろう。

「して、天明様。私の任務はもう良いのでしょうか?」

「よい。むしろあまり動かせて敵に捕縛などされては痛手ぞ。しばらくはおとなしくしておれ」

 霰は「御意」とだけ天明に告げると、そのまま素早く消えるようにその部屋を去った。

「……我の野望まではまだ障害が多きことよ」

 部屋の中でつぶやいた天明の言葉は虚空に消え、霰は流石に布を口周りに巻いているのが苦しくなったのか、少しそれを緩めて息をつく。すると突然、背後から「霰さん」と呼びとめられた。あわてて布を乱暴に巻き振り返ると、そこにいたのは弥三郎だった。

「……なんだ、小姓殿でしたか。驚かせないでくださいよ」

「ちょっと来てください! お手伝いしてもらいたいんです!」

「は、はあ……。小姓殿の頼みですから、もちろん断りませんけれど……」

 一方、霰が天明へ報告を終えたすぐ後、杏二郎の部屋に弥三郎がドタドタと入ってきた。そのせいで驚いた杏二郎は、誤って書の字を間違えてしまい、苦虫を噛み潰したような顔で誤字を修正する。

「杏二郎さん! 会っていただきたいお人がいるんです!」」

「……とりあえず、僕の邪魔をした事を謝ってくれないかな」

 当然弥三郎は謝ろうとするわけでもなく、「いいから来て下さいませ!」と杏二郎の袖を引っ張り部屋から連れ出した。杏二郎は「服が伸びるよ……」と眉間にしわをよせたが、聞こえないのか弥三郎は廊下を走る。杏二郎からすれば、ただでさえ幼馴染のお絹の機嫌を損ねてしまいばつの悪い気分だったため、なおさら弥三郎の遊びに付き合える気分ではなかった。

 そのまま二人は、倉庫へと入って行った。

 倉庫の中は暗くて埃っぽく、夕闇がその場に舞う誇りを照らしている。すると、どこからともなくか細い声で「杏二郎さん」という声が聞こえた。どことなく、お絹に似た声だ。杏二郎が声のする方へ行くと、見たことのない、花柄の黒い着物を着た美しい女が、顔を赤らめてうつむき、杏二郎を見つめていた。

「ど、どど、どちら様ですか……?」

「叢雲様、私です……。霰でございます……」

 その言葉にギョッとして赤くなっていた顔を元に戻し、杏二郎はもう一度よく目の前の女を見た。たしかに、そこには初対面の女ではなく、化粧をされた霰が立っていた。

「あ、霰……こんなところでなにしてるんだよ。いつもお嬢さんの付き人をやってるってのに」

「小姓殿に呼び出されたのです……。わけもわからず来てみれば、この有様でして……」

 杏二郎は先ほど少し見とれてしまった自分を殴りたくなった半面、弥三郎を説教してやろうという気になった。ふと霰の後ろを見れば、弥三郎が「よくやっただろう」とでも言いたいような視線を向けていた。

「どうですか? 霰さんなら、杏二郎さんも恥ずかしくないですよね!」

「あのねえ弥三郎君……。駄目じゃないか、霰は忙しいんだよ。うちの中でも、天明様からとくに信頼を寄せてもらってるんだから、仕事の途中かもしれないじゃないか」

「でも、そのテン様は「軍内の雰囲気が悪くなるから、あの二人の仲をさっさと直しておけ」とも言っておりました! なのでそっちを優先したんです!」

「それがどうして、霰にこんな恰好させることにつながるんだよ……」

 弥三郎との会話は、いつも杏二郎の頭を痛くさせる。霰が小さく咳払いして、弥三郎に代わってこの状況の説明を試みた。

「叢雲様が「女が苦手」と申しておりましたので、おそらく良く顔を合わせる私で慣れさせようとしたのだと思います……」

 杏二郎は頭痛に額を押さえ「変にお節介だなぁ」と溜息をついた。しかし弥三郎は褒め言葉を待つようにニコニコと笑ってその場に立っていた。

「……とりあえず、もう日も暮れるし、僕は城に戻るからね」

 これ以上、弥三郎に関わられ、事態がさらにややこしくなったら元も子もない。杏二郎からしては、早く寝てしまいたい気分であった。しかし、弥三郎は「いえいえ!」と首を振る。

「テン様の命ですから、それを成すのが僕の義務です!」

 こうなると、天明が来なければ弥三郎は意地でもいうことを聞こうとしない。「その小姓、忠義と食欲火島一」と呼ばれる弥三郎だ。天明の言った命令には、全てに忠実に従い、一度弥三郎が「テン様の命ですから!」と言ったことは、こちらが折れてやらぬまで貫き通す。それをよく知る杏二郎からは、再び溜息が出た。さっさとこの寸劇を終わらせた方が早いと踏んだのだ。杏二郎と霰は、揃って倉庫にぺたりと座りこむ。どうにも秋の倉庫は冷たく、着物を通り抜けてひんやりとした地面が触れた。

「ささ、お二人。適当に話してください!」

「投げやりだなぁ……。……そういえば霰、偵察はどうだったのさ」

「天明様の読み通り、松羽城が主力となるのは間違いありませぬ。……ただ、やはり天津は手を出さぬつもりかと」

「面倒だね……。さらに今の兵力じゃ、奇襲するしかないか……」

 二人が腕を組んで唸った途端、頭に弥三郎の手のひらが振り落とされた。

「もお、そんな辛気臭い話しないでくださいよッ 杏二郎さんの為にならないじゃないですかッ!」

「あのねえ……僕らはこれが仕事なんだから仕方ないだろう」

「僕だってこれが仕事ですから、お二人にはちゃんとしてもらわないと困るんです」

 その弥三郎の威圧に負け、杏二郎は咳払いして今までの話を元に戻し、世間話に勤しむことにした。

「……さ、最近どうだい。お嬢さんの付き人なんて、気苦労が絶えないだろう?」

「そんな。絹様は視察先でも女衆の皆に土産を買って帰ろうとする方ですし、むしろ世話になっていると言った方でして。そちらも、小姓殿の教育役は大変ではないですか?」

 弥三郎がふと倉庫の矢尻をいじったのを見計らい、霰はボソリと杏二郎に告げた。

「まあ、ね。でも、初めて弟子を持つって言うのは中々楽しいよ。……一度も「お師様」なんて呼ばれたことないけどさ」

「良いことです。周りの兵も、お二人が仲良しでこちらもなんだか楽しくなると言っておりますよ」

「ほら、やっぱり僕がいてよかったでしょう杏二郎さん!」

 弥三郎の自慢げな顔は弟子としてはかわいらしくもあるが、状況が状況だけに疲労感が増し、もう一々そこを指摘するのも億劫になってしまった。

「……そうだ、弥三郎君。こないだ僕に嫌というほど自慢してたあの掃除、どうやら天明様の采配を使ったそうじゃないか……?」

「い、今さらですよそんなの……。や、やだなあ杏二郎さんったら……あはは」

「はて、そういうことでしたら私たちからも何か言うべきでしょうかな」

「だ、大丈夫ですよ!! て、テン様に叱られて二人分以上に堪えましたから!!」

 二人は苦笑して黙り、弥三郎は小さくなって二人と三角形を作るように座った。

「……それにしても、古平の重役が三人で夜中の倉庫にこもるなんて、不思議なこともあったもんですね」

「君が言いだしたんじゃないか!!」

「それもこれも、杏二郎さんが女の人に慣れるためなんですよ! ……で、どうですか? 慣れましたか?」

 杏二郎は「ここぞ」とばかりにうなずき、それを見て霰も思わず息を漏らした。弥三郎はそれを見て、安堵の表情で正座からぺたりと尻を床につけた。

「良かったです! これで次の戦の被害も減るというものですね!」

「……そうだね」

 三人が帰ろうと立ち上がったとたん、突然武器庫の扉が開いた。ギョッとした三人がそこを見ると、月光に照らされたお絹の顔があるだけだった。

「あら、なにしてるの杏二郎さん。それに弥三郎ちゃんと……」

「はい! 杏二郎さんが女に弱いので、慣れさせてあげようと思いまして! 上手くいきました!」

 霰は小さく杏二郎に「よろしいのですか?」と耳打ちし、杏二郎はそれに力を抜くようにうなづいた。

「もう夜なんだから、眠いしさ……。付き合いきれないよ……」

「私も、そろそろ戻らねば頭領がうるさいです……。お嬢さんも、こんな季節に外に出ると風邪をひきますから……」

 杏二郎がそう言いかけた途端、お絹は突然杏二郎の腹にこぶしを食らわせた。

「もういいわよ!! その女の人と仲良くしてればいいじゃない!!」

 お絹はそういうと、目に涙を浮かべて走り去ってしまった。霰は一瞬キョトンとしたが、すぐにギョッとして目にもとまらぬ速さで女物の着物を脱ぎ、忍び装束となり、風のような速さで倉庫から出て行った。その場には、ぽかんと口を開けた弥三郎と、腹を押さえてうずくまる杏二郎だけが残された。霰は急いでお絹を追っていた。明らかにお絹は勘違いしているに違いない。いち早く誤解を解かねば、二人の今後の関係に関わる。

「き、絹様ッ お待ちください!」

「……どうした、霰」

 お絹は相変わらず、強がって涙を見せぬようにしていたが、向こうを向いている顔は真っ赤だった。

「あ、あの。先程の倉庫の話ですが……。その、本当に申し訳ありませんでした……」

「霰が謝ることはないだろ? あんな不埒者の杏二郎のやつが悪いんだからな!!」

「で、ですが、私のせいで、叢雲様がその……少々変わった趣味の方と思われると私も心が痛いですし」

「杏二郎さんがあの娘を選んだんだから、別に霰が悪いんじゃないわ。気にすることは無い」

 霰はふと、お絹との会話がかみ合っていないことに気付く。まるで先ほどお絹が見たのが霰ではなく、全くの別人であったようだ。

「……あの、先ほどの倉庫の娘は……」

「あぁ、美人だったな……」

 お絹の声は、強がっていながらも震えていた。だが、それ以上に震えていたのは霰だ。「……こ、これが「美しいって罪ね」という奴なのでしょうか……!?」なんてくだらないことを本気で考えている自分がいる。

「お、お絹様ッ じ、実は先ほどの方は、杏二郎殿の親戚の方でして、決してその……」

「気を使わなくてもいい。アイツは孤児だからな」

 そういえばお絹と杏二郎は、お互いに孤児で、陰海の寺で育った、と聞いたことがある。霰はますます、お絹から誤解を招くような事を言ってしまったようだ。お絹の顔は、笑ってこそいるが、目はいつもより潤んでいた。沈んでしまった日のように二人の気持ちも沈みっぱなしでは、下手をすれば軍全体の士気が落ちかねない。二人はお互いに”武”と”智”で釣り合いをとっているし、更に軍の中心を任されることもしばしばある。そんな二人が険悪な雰囲気では、下手をすれば小さな古平家はつぶれてしまうと言っても過言ではない。そう思うと、霰は自分のした事が如何に”まずいこと”だったのか理解し、美しい顔が、周りの紅葉とは反対に青くなった。自室に戻ってもその心は落ち着かず、このままではいかぬと自分に言い聞かせて「天明と並ぶ知将」と名高い陰海に相談に行った。

「失礼」

 そういって、霰は天井裏から音も立てずに飛び下りた。別に普通にはいればよいのだが、職業ゆえに、あまり人目に映りたくない。飛び下りた霰に向かい、待っていたかのような声で「おお、来たか」と、陰海は笑って見せる。

「……お気づきでしたか。これが敵地ならば死んでいたでしょうね」

「否、我が鼻を持っておるからこそよ。盲人は鼻と耳がよくてのぉ……ヒヒヒ。……して、何用だ。主がわしの部屋に来るとは、有り難いこともあったものじゃ」

「えぇ。実は、弥三郎殿の妙策に付き添ったのですが、叢雲様と絹様の仲がますます険悪に……」

「ほうほう。……あの小僧のことよ「杏二郎に女慣れさせる」とでも言って、杏二郎の知り合いに化粧でも盛ったか」

 霰の心臓がピクリと跳ねあがる。まさか「それは自分だ」などとは口が裂けても言えない。

「そ、そうみたいなんですが……。このままでは、軍の雰囲気としても良くありませんし、策を考えて頂こうと思いまして」

「ううむ、成程。成程なぁ」

 そう言って陰海は数回うなずく。真剣に考えているのか、はたまた投げやりに考えているのかすら分からぬ陰海の表情に、霰は思わず唾を飲み込んだ。

「……霰、では主に儂流の策を講ずるぞ」

「……は、はいッ」

 聞き洩らさぬよう、必死に陰海の鼻先を凝視していた霰だったが、陰海は次の瞬間にへらと笑った。

「知らぬ」

 これには、霰も思わず前のめりになった体が床に転がりそうになった。「自分の聞き違いではないか」と陰海に再び訪ねたが、返ってくる言葉は皆同じだ。

「な、ならば天明様に策を講じてもらうしか……」

「ヒャッヒャッヒャ、これはあの天神様でも無理じゃよ、無理。……あやつらは儂らがこそこそと操作できるような仲ではない。策を講じたところで無駄というものじゃ、ヒヒヒ」

「そんな……。し、しかしこのままでは、次の戦にまで響きかねませんし……」

 そういった霰の言葉に、陰海はさらに吹き出した。

「主がそうまで義理固いとは思わなんだわ、やれ愉快、愉快」

「陰海様ッ 真面目に考えてくださいませッ!! ……折角、二人をよく知る陰海様だからこうして話を聞きに来たというのに……!!」

 すると陰海は笑うのをやめ、不気味な笑みを浮かべて霰に向かって座りなおした。

「……そうじゃ、だからこそ「無理だ」といったのよ。あやつらは昔から喧嘩こそ多かったが、その日の暮れには手をつないで帰ってきておった。今回も、そんな類じゃろう」

「そう言い切れるのですか……? 私は不安で仕方がありません」

「ヒヒ、忍は嫌じゃのぅ、”情”というものを忘れてしまうらしい」

 陰海の言葉を霰が聞き返すと、陰海は笑みを深め、目の前で揺れるろうそくの火に語りかけるように顔をずいと霰の方へ寄せた。

「”我が子を信じる”それが世の理というものよ。言ってしまえば、天神様が主に危険な任務を任せるのも、我らに賭けのような策を講じるのもそうなのじゃ。「こやつらならば、やり遂げる」と、信じておるからじゃ。……儂は、あの二人が仲直りをすると信じておる。昔からお絹のやつは早とちりでのぉ、杏二郎のやつが近所の女子と話していれば、自分以上の友ができたのだと思って泣いておったわ。じゃが、最後には、泣いたお絹を杏二郎が慰め、全部忘れて仲良くなっている」

「……陰海様があの二人にそのような思いを寄せていたことに、正直驚いております」

 口からこぼれたような霰の言い草に陰海は苦笑したが、すぐにいつもの不気味な笑みになる。

「ヒヒヒ、孤児を愛さずして、何が”僧”と呼べようか。……ほれ、夜分遅い、主も寝た寝た」

 霰はあわてて陰海に礼をして、すぐにその部屋を出て行き、陰海は「ふぅ」と息をついた。

「……生まれつき目の見えぬ儂じゃが、あの二人の声でなにをしているのかすぐにわかる。親ばかもここまでくれば、ただのバカよな、ヒヒヒ」

 陰海の言葉を聞いて共に笑ったのは、目の前で吹き消される直前の小さな火だけだった。しかし、その時刻にまで起きていたのは陰海と霰だけではない。天守閣の最上階で、天明と菊之介もまた、目を光らせていた。天明は戦の際の図を作りなおし、それを書き上げたところだった。

「……盲点であったわ。杏二郎を囮にするなど、愚策の極みよ。やはりあ奴でなければ囮は務まらぬ」

「て、天明様……。しかし、お絹を囮にするというのはどうにも……」

 菊之介の言葉に、天明は眉間にしわを寄せ、珍しく小さな疑問符が飛び出した。

「何を言うておる。誰がお絹を囮にすると言った」

「で、ですから、天明様が「杏二郎を囮にするなど愚策」ということは、お絹なのでしょう?」

「違うわ、馬鹿め。……そして、相手方の行動は全て読み取ったも同然。忍衆の者共の情報と、相手が読めることのできぬ策。……定められた天道を進むが如く、よ」

 天明はそう呟くと、何も分かっていない菊之介に図を手渡した。それを見た菊之介はギョッとした顔になる。囮として抜擢されたのは、弥三郎であった。

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