好きすぎて
小説になろう、というサイトがある。
そこでは数々の素晴らしい小説、度肝を抜くような小説が読める。
何しろ、あまりにも小説が好きすぎて、自分が小説になってしまった人たちのコミュニティサイトなのである。
ミウは毎日、そのサイトで小説を読むのを楽しみにしていた。
単に自分の体験をエッセイのように書き連ねている人もいれば、立派な本の着ぐるみを着た写真をアップしている人もいるし、耳なし芳一のように体中に筆で小説を書いて公開している人もいる。
中には、自分の体を切り刻み、皮をなめして縫い合わせ、製本してしまう強者もいた。
その朝もミウは、起きて一番にパソコンを立ち上げた。
小説になろう、と書かれたサイトのトップページを開くと、早くもたくさんの新着作品がラインナップされていた。タイトルやサムネイルに惹かれて読み、それが運命の出会いになることもある。三日三晩うなされ、見なければ良かったと思うこともある。
「今日はどれにしようかな」
かわいい絵本型の帽子をかぶった人の写真や、本の背と自分の背を合わせて羽のように広げた人の写真に混じって、妙なものが目についた。
それは、赤いジャージを着た少年が、何もせずにうずくまっている画像だった。
「何これ。落丁本?」
ミウは思わずクリックした。
すると、少年ががばりと起き上がり、ものすごい勢いで画面に向かって走ってきた。黒い髪と眉に、くっきりした目鼻立ち。どこかで見たような、どこにでもいるような、そんな顔だ。
画面の枠いっぱいに顔が映るところまで来ると、少年は止まった。液晶があって良かった、とミウは胸をなで下ろす。なかったらきっと、大変なことになっていた。
「あの、おはようございます」
ミウは言った。
少年ははっとしたように、画面から少し離れた。難しい表情で、小さくおじぎを返す。そのまま動かず、何も始まらない。
ミウは迷ったが、もう一度話しかけてみた。
「あなたは動画? お話を読んでくれるの?」
確か、そういう作品を投稿している人もいた。
内容自体は何てことのない、昔話のようなものだったが、そこに人の姿があり、声で語ってもらうのは楽しかった。小さい頃から、親に本を読んでもらったり、図書館のおはなし会に通っていたミウには、懐かしい体験だったのかもしれない。
少年は答えず、何かに取りつかれたような目でミウを見た。
「振込と振替の違いはわかるか」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
次に、銀行のATMが頭をよぎる。振込。振替。タッチ画面の中に、そんな項目があった。
振込。振替。
しばらく考えて、ミウは首を横に振った。
そうか、と少年は言った。ほっとしたような、がっかりしたような声だった。
「俺もわからない。わからないから、まだ辞書にはなれない」
少年はそう言って、画面の奥に戻っていった。赤いジャージの体を折りたたむように、再び座ってうずくまる。
なるほど、『ふ』のところで行き詰まり、エタッてしまった作品なのか、とミウは納得しかける。
いや、やっぱりおかしい。
「ちょっと」
ミウは画面に向かって呼びかける。
「あなた、投稿する場所間違えてる。ウェブ辞書のサイトは右下のリンクから……」
話しかけても、クリックしても、少年はもう起きなかった。
本棚の隅でほこりをかぶっている辞書のように、全身を閉じてうずくまっていた。