うつくしびの心と馬涙の縁(序)
うつくしびの心と馬涙の縁
序――Vorwort
庭を眺めながら考える。
人間を尊重しなさいと教わってきた。
他人の生き方を理解するのは難しい。自分にできることがなぜあなたにはできないのか。自分にできないことがなぜあなたにはできるのか。そんな積み重ねが言葉だけの理解を遠ざけ、実感を曇らせる。
たとえば私の屋敷にいる下男、私が毎朝読む新聞記事を書いた人間、私の商売の取引相手。
あなたはどうしてその生き方を選んだのか? 問われて明確に答えられる者は少ないはずだ。母体から生まれ落ちたときは遺伝や生育環境だけが違いを分けていたはずなのに、成長するにしたがってあまりにも多様な要素が複雑に絡みあい、それらをひとつひとつ解きほぐす作業は私たちの口を重くさせる。
かくいう私も答えられない。
どうして、いつから、なんのためにここにいるのだろうか。気がついたら、というのが最も正確な答えではないだろうか。
しかし、自分の人生を言葉に換えられないからといってその価値が減ずるわけではないように、理解できないからといって他人の人生を軽んじてよいわけではない。
むしろ、それは尊ばれるべき種類のものだ。
わからないまま、わからないなりに重んぜられるべきものだ。
私はあなたを尊重するから、あなたも私を尊重してほしい。そんな規則が目には見えずとも存在しているような気がする。そして、私はそれに諸手を挙げて賛成する。
その理由は一つ。この世でうつくしいのは、やはり人間と人間がつくったものであると堅く信じているからだ。
それに比べて――
窓から見える庭の中では、人間ではないものが蠢いている。草を食み、寝転び、殖えるだけのものが。
それは人間ではないから尊重するにはあたらない。
利用価値はあるので、せいぜい尽くしてもらうだけだ。それを非人道的だと非難する者がいるが、全く的外れだといわざるを得ない。
「……ああ、そうだ。新しい音盤が届いたのだった」
人間がつくった音楽を人間らしく味わうために、人間である私は窓辺を離れて、蓄音機のある書斎へと戻っていった。