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ボレロ

作者: おだアール

   ボレロ

              おだアール


 駅を出たとき、広場の噴水はすでに止められていた。

「へえっ、あんなのまで、止まっちゃうんだあ」とミカが驚いた顔で言う。

「水がかかったって苦情があったんだってさ」

「かかるのいやなら近くに寄らなきゃいいじゃん」

 時計を見るとちょうど正午、いまからちょうど一時間で地震が発生する。

「急ごう。運休タイムに入っちゃうから」

 おれはミカの手を引いて、バス停まで走っていった。


 地震が観測されはじめたのは、およそ百年前。東部州の縁辺地区でマグニチュード3程度の地震が発生したのが最初とされている。中心地区では、からだにも感じないほどの小さな地震だったという。

 以来、地震は一定の周期で発生するようになった。震源は徐々に中心地区に移り、規模は少しずつ大きくなってきているという。きょうの震度は5強と予想されていた。

 地震の発生日時は、いま分単位まで予測できる。正確に十日あるいは三十日の間隔で発生することがわかっているからだ。発生間隔の組み合わせで、六十日をひとつのくくりにした三つのパターンがあることもわかっている。三十日の間隔をおいて一回その後十日ごとに三回続くパターンがA、三十日間隔で二回続くのがB、そして十日間隔で六回続くパターンをCと呼んでいる。三つのパターンを六つ組み合わせた「AABAAC」という並びで繰り返されていることも解明された。つまりこの群発地震は、三百六十日、約一年をひとつの大きな周期として発生し続けているのだ。まるで時を刻むかのように。


 バスの車窓から、人々があわただしく動いているのが見える。電柱から下りてくる人、商品を陳列棚からおろしている人、シャッターを閉める人、避難広場に向かう人……。めぼしい交差点には、万一に備えてパトカーと消防車が配置されていた。いま乗っているバスも、終点に着くと運休タイムに入ることになる。

 空に、V字型の雲が浮かんでいる。昔から「ステキ雲」と呼ばれている雲。語源には諸説あるが、スティックがなまってステキになったというのが有力とされる。

「ステキ雲、かなり低くなってきたわ」

「あと三十分ちょっとか……」

 群発地震は、雲の先端が地面に接触したときに発生する。雲は地面についたあと、ふたたび空に舞い上がるということもわかっている。平面の世界で、どうしてあんな雲が宙を浮かんでいるかは、科学者の間でも、最大の謎とされている。


 世界は円形の平面大地の周囲に一万メートルを超えるリム山脈が取り巻いていることは、いま、幼稚園児でも知っていることだ。

 だが、このことがわかったのは、わずか三百年前のこと。神の住むリム山脈こそ地平線、すなわち地球はその名のとおり球体だと信じられていた当時、「平面世界説」を唱えたガレライは異端者として科学者仲間から排除されていたという。

 最近の研究では、平面大地の地下深くに巨大な空洞があるということもわかっている。われわれの住む大地は、言わば一枚の皮のようなものでできているというのだ。その根拠として、群発地震は縦揺れしか発生していない、ということがあげられている。


 バスを降りたあと、地震が過ぎ去るまで広場で時間をつぶすことにした。ベンチに座ってシートベルトをしめる。縦揺れで飛び上がってしまわないためだ。

 公園には大きなトランポリンが置かれていた。そのまわりにおおぜいの高校生がたむろしている。そういや、最近、若者の間で、ジャンポリンという遊びが流行っているらしい。地震の縦揺れを利用して、トランポリンでどこまで跳び上がれるかを競うという。いずれオリンピックの公式競技になるかも、とも言われていた。

「ねえ、ケンもやってみたら」

「おいおいやめてくれよ。おれには、無理に決まってるだろ」

 地震発生の時刻になった。何十人もの高校生がつぎつぎと跳び上がっていく。数十メートル上空まで跳び上がる者もいた。羽を広げ滑空するように地面に下りてくる。たしかに迫力のあるゲームだ。

 地震がおさまって、おれたちはコンサート会場に歩いていった。気のせいかステキ雲が離れていくように見えた。


 ミカをクラシックコンサートに連れてきたのは、きょうがはじめてだ。ポップスが好きだというミカは、はじめ気乗りしなかったようだが、おれの趣味につきあってくれている。きょうのメインの曲はラベルの「ボレロ」だ。

「ボレロってさあ。ドラムがずっとおんなじリズム刻んでんだよね。タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ、って」

「へえ」とミカ。興味がなさそう。

「で、このリズム、何回繰り返されるか知ってる?」

「そんなの、知ってるわけないじゃん」

「驚くなかれ、なんと、百六十九回もあるんだ」

「あっそう」とミカが応える。

 つれない返事におれは気づいた。どうでもいい知識をひけらかす、おれの悪いくせだ。まあいい、音楽を楽しむことにしよう。


 演奏がはじまった。フルート、クラリネット、ファゴット、トランペット……。徐々に高まってくるボレロの行列。メロディーの奥でドラムがリズムを刻み続けている。

 タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ……。

 二小節のリズムパターン、八分音符では十二個、三連符にすると三十六個、三十六をひとつの単位にして、一定のリズムが刻まれる。

 タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ……。

 はじめは聞こえるか聞こえないかほどの小さい音――、行列が近づくにつれドラムの音は徐々に大きくなっていく。

 タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ……。

 このパターン、どこかで聞いたことが……。そういえば地震の周期はAABAAC。十日あるいは三十日の間隔で発生する、三百六十日を周期とした群発地震……。

 タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ……。

 世界は平面で地下は空洞だという。まわりにリム山脈がそびえ立ち、V字型のステキ雲が地面についたとき地震が発生する。ステキの語源はスティック棒……。

 タッタカタ、タッタカタ、タッタッ、タッタカタ、タッタカタ、タカタタカタ……。

 地震が始まったのは、百年前。いま、バイオリンもメロディーに加わっている。行列はすぐ近くまで来ている。このあと、音量はピークに向かってますます大きくなる。いまの震度は5強、つぎは6弱。

 すべての楽器がフォルテッシモで奏でられる。震度はますます大きくなる。6強、7……。スティックは世界を思い切りたたき、ドラムの膜は激しく振動する。膜にしがみついている粉じんは、その振動ではるか上空に放り出されることになる。

 シンバルが激しい音をたてる。大鐘が鳴り響く。大太鼓が響き渡る。

 ドラムの表面から、ほこりがふわっと舞い上がるのを、おれは見た。あれは高校生のジャンポリンだろうか。小太鼓の膜にはじき出され宇宙空間に飛び出していった。

 おそらく高校生は、そこで聞くことになる。宇宙のはてで鳴り響く、観客の歓声と拍手の嵐を……。

 ああ、ボレロ……。音楽は終演を迎え、そして人類の歴史も終焉を迎える。


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