マグタイトサーガについて。
マグタイトサーガを予約投稿していたら、2012年が終わっていました。この年に書いた総文字数は、連載作品だけに絞っても二十三万字を超えます。合計すれば単行本二冊分くらいは書いているのですから、十万字超の長編小説が書けないマイナー作者とはいえ、まだまだ捨てたものではありませんね。
しかし「マグタイトサーガ なんか異世界に召喚されたけどシリアス路線だった」を書いていてまず頂いた感想は、「主人公が少年とは思えない」「異世界なのにわくわく感が無い」という、幸先の悪いものでした。
これは確かに一つの反省点です。
読者は異世界トリップの結果が「いかに異世界的であるか」を求めているのであって、感情移入すべき主人公にわくわく感が無いというのは致命的。加えて描写が型にはまっていて、面白くない。コータの一人称のはずなのに、なぜか三人称っぽく、説明的すぎる。そんな指摘がありました。
事実、マグタイトサーガには、冒険者ギルドも、最強スキルも、分かりやすいステータスやレベルという概念も出てきません。それどころか、やられ役のザコも、守らなければならないか弱いヒロインも、打ち負かすべきライバルも、もふもふの耳を持つ獣人も、意地悪なとんちを仕掛けてくる王族も出てこない。
せいぜい貴族や魔法使いが申し訳なさそうに出てくる程度です。
加えて、話の分量自体が短い。二十二話もあるくせに五万字ぽっちしかない。一話二千字強です。作者にしてみればこれが精一杯なのですが、読者にしてみれば物足りないにもほどがあるといったところでしょう。仮にも長編を名乗るなら、もっとたくさん書け、続きを書けと催促されたこともあります。
とどのつまり、マグタイトサーガはなろう的ファンタジーの王道を期待させるようでいて、全く王道ではない。ものの見事に空振りしているというのが現状であるといえます。そこにマグタイトサーガの、なろう小説としての構造的欠陥があるということです。
しかし、言い訳をさせてもらうとすれば、まず第一の定義として、コータの身分は異邦人(のちに傭兵)であり、剣道を振りかざして世界を敵に回すような器ではないです。第二の定義として、コータはその誕生と共に母を亡くしており、男手だけによって育てられました。第三の定義として、コータは兄が勉学の道に進んだことによって、必然的に道場を継ぐ定めです。第四の定義として――これは最も重要なことですが――コータは物語の結末として家に帰らねばなりません。
そのために彼は自然と、大人ぶることを要求されました。「故郷に一生帰れない」という可能性を認めることは論外です。彼は「絶対にいつか帰れる」と信じることで、自らの立ち位置を求め、運命を切り開いていきます。
関口コータは、男はすべからく武士であるべきだと、剣に生きねばならぬと信じています。むやみに泣くことは男の恥であると信じています。まだ若いのにそんな古臭いステレオタイプな思想に沿って生きるコータは、ファンタジー小説を多少読み込んでいるとはいっても、やはりなろう主人公としては年を重ねすぎた風に見えたことでしょう。
ですが、作者はそういう主人公が書きたかった。
ただ目の前の敵しか見ていないが故の強さ。かざりけがなく、口数が少ない、少し達観しすぎている少年。神様や魔法にひどく憧れ、しかし異世界の現実に裏切られる少年。ただ己の戦いでの手柄のみによって勇者に、神話になる少年。
この物語は、そういう意味では、ファンタジーとは呼べないかもしれません。コータが居てもいなくても、アーランド王国、マグタイト文明は回っていく。貴族たちの計画には、勇者コータは存在しなかった。白い魔法使いもまた、勇者コータの出現を予想できなかった。この物語におけるコータは、徹底して異物です。
そもそも異世界召喚など絵空事、前代未聞のことなのです。信じるというほうがどうかしています。コータはかろうじて、その手に掴んだ伝説の剣と、持ち前の剣道の業によって生き延びたにすぎません。神無き国アーランド王国は、本来、お約束やフラグなどというものとは完全に無縁のシリアスな世界なのです。
その中にあっては、神の加護を受けたコータという存在それ自体が、奇妙奇天烈で、おかしすぎるわけです。作者はここにシリアスな笑いを求めていますが、読者の目にどう映ったのかは分かりません。単なるご都合主義に堕していると言われればそれまででしょう。
このエッセイを読んでくれている読者がもう御存知の通り、マグタイトサーガは完結を前提に書かれました。
いくつかの物語が直線で表されるとすれば、この物語は最初から閉じた円でした。登場する魔物はことごとく主人公に倒される定めであったし、貴族や白い魔法使いの存在を勘定に入れても、事前に決めたプロットを大きく逸脱することはありませんでした。全ては作中作として入念に準備されていました。
だから、それが物語としてつまらないという意見は、甘んじて受け入れましょう。円は閉じました。しかし事によっては、そこに新たな線が付け足されることも、またあるかもしれません。
2013/01/05