-51- 変態現る
視界から姿が完全に消え去っても警戒を解かなかったが、キューが警戒を解いたのを見て、漸く霧裂も身体から力を抜いた。
霧裂は息を整えるように肺の空気を大きく吐き出す。
『むぅ、主よ。確かにあ奴はやばそうであったが、セレーネとかいう娘より頭一つ分ほど強い程度ではないか? 主がそこまで警戒し恐怖する理由が我には理解できんのじゃが』
「あー、そうだよなぁ。俺もまぁソレぐらいだと思ったんだけどよ、何かこう、理由は無いんだけど『死ぬ』って直感したっていうか……」
『……なんじゃと?』
昔、力及ばず主を失ったエーテルにとって禁句に近い言葉を、霧裂自ら口にした。何気なく、特に気にした様子もなく思わずといった調子で言った言葉は、しかしそれゆえに本心だという事を証明していた。
あの時、ほんの僅かな時間の邂逅。
実力的に人族最高峰の実力を持つセレーネより頭一つぶん強いとなれば相当の実力を持っているのは確かだが、霧裂が全力で戦えば勝利は確実といって良い相手には間違いなく、同時に当然の事ながら死の恐怖を抱く相手としてはあまりに役不足。
だが。
事実、霧裂王間という生命体は、本能に近い感覚で理解した。
今、戦えば間違いなく死ぬ。それは紛れも無く霧裂が感じたことである。
又、本能によって導き出されたその答えを、理由は存在しないが、頭のどこかでは真実だと確信していた。
つまり、それらが全て真実だとするならば。
安澄義明と名乗ったあの男は、人族最強と畏怖されるSS級冒険者や災害と恐れられる神獣さえも届かぬ力を持つ霧裂が、一方的に殺される程の得体の知れない力を持っていると言う事。
理由も根拠も存在しない。しかしそれでも、霧裂はそう感じたのだ。
有得ない事だ。エーテルは自らの主の事を、事実無敵に近いと確信していた。
多種多様な魔道具はそのままあらゆる生物に通用する桁外れな殺傷能力。
心臓と呼ばれる別の空間に守られた急所を破壊されない限り、頭部を貫かれようが死ぬ事がない常識破りな不死性。
上記二つに加え、エーテルとステラだけが知る【――――】の種族特性。
さらには、神が創造した武器であるエーテル。
それらを併せ持つ霧裂王間の生命を脅かす存在ともなれば、それこそ神ぐらいしかエーテルは知らない。
『……考えすぎじゃ主よ。どう見積もってもアレの実力は主の生命を脅かすほど高くはない。それに例え――まず有得ぬ事じゃが――アレが主を超える力を持っていたとして、もしもの時は逃げればいいじゃろ。だから安心するといいぞ主』
「うん、全く安心できねーな」
くく、と喉の奥で笑う。
霧裂は考える。もしアイツに敵と認定されたなら、俺は逃げることすら許されないだろうな。
「しかしまぁ、打つ手が無いわけでもない」
『?』
そう、エーテルの言うとおり、安澄が霧裂を超える力を持っているというのは有得ない事なのだ。
それならば、霧裂が感じた恐怖にはなにか力以外のモノが関係している筈である。なにか、『力』というモノを完全に度外視した強制即死技とか。
(ふむ、やっぱチートかなぁ。安澄ってモロ日本人だし、転生者で間違いない。どんなチート持ってるか分かれば、俺がビビッた理由も分かるだろうし、なにより対策できる筈。情報が必要だ)
だからといって聞き込みの様な感づかれそうな事はしたくない。
霧裂は無造作にコートのポケットに手を突っ込んだ。
「ホントはベルタに使おうかと思ったけど、優先順位変わっちゃたしま、いっか」
取り出したのは手の平サイズの魔道具。真っ黒な縦に伸びた球体の形をしたソレの背には、小さなキーボードと長細いディスプレイのようなモノが取り付けられてある。人差し指を伸ばし、他のキーを押さない様気を付けつつ、ポチポチとキーボードを叩き文字を入力する。入力された『アスミ ヨシアキ』の文字がディスプレイに浮かび上がった。
「おーし、入力完了。行け、【ひっつき虫《ストーカー》】」
ピー、と機械音が鳴り、先端の左右に赤いランプが点滅する。球体の身体に収納していた三対の足を伸ばし、壁に引っ付いた。黒いボディにカサカサとした素早い動きで迷い無く進んでいく。Gの名で知られるアレを連想してしまい、顔が引き攣る。霧裂はGが苦手だった。
『なんじゃそれ』
「入力された名前の奴を追跡して情報を集める魔道具。ま、同姓同名の奴とかざらに居るんでお蔵入りした一つだな。今回は転生者だし、流石に同姓同名の転生者は居ないだろ」
『ほほぅ、なるほどの。今度我に対して使ってくれ、あーんなあられもない姿やこーんな姿まで見せて――』
「よし、帰るか」
『せめて最後まで言わせてっ!』
今打てる最善の策は打ったと考え、一先ずここは安澄のことは忘れる事にする。なにせ現状では安澄が敵かどうかも分からないのだ。もしかしたら味方かも、などと楽観的に考えながら霧裂は瞬谷が待っているであろうギルドへと足を進めた。
◆ ◆ ◆
マーレにある最も規模の大きな宿屋。そこは現在、一つの団体によって全部屋が埋まっていた。ある者は久々の大仕事に興奮し酒を煽り、ある者は武器のチェックに余念が無く、またある者は仕事が成功するようにと神へ祈りを捧げている。欠片も統一感の無い空間。皆が一様にして自分のやりたい事をやっていたその空間に、扉を開け踏み込んでくる者が一人。
酒を胃に収めていた者も、刃を研いでいた者も、瞑目していた者も、顔を上げ、手を止めて入室してきた青年の顔を確認した。
大広間の空気が激変する。既に自分のやりたいことをやっている者は居ない。それどころか、中には恰も王や皇帝の御前であるかのように頭を垂れる者もいる。頭は下げないにしろ、敬意や畏怖に近い感情をこの場に居る全ての者が持っていた。
入室してきた長髪の男性の名は、安澄義明。SS級冒険者にして二つ名を――――【聖騎士】という。
「やぁやぁ、お帰りぃ。一体なんのようだったのかぼかぁ知りたいなぁ」
一見屈託のない笑みのようなものを作る猫目の青年に、安澄は笑みを返しながら、
「すまない【閃影】。教えるわけには行かないのです」
「ふーん、そうかぁ。ただその様子だと失敗したようだけどぉ? ぼかぁ心配だなぁ」
「……ふ、いえ、気にする事もない、取るに足らないことですよ。準備を進めましょう。私たちの計画にはなんら支障はありません」
「そうかぁ、それならぼかぁ安心だぁ」
へらへらとお茶らけた様子で笑う【閃影】の目は、しかし欠片も笑っては居ない。得物を狙う肉食獣のように鋭い眼光を灯す【閃影】の視線を一身に受け、その上で安澄は笑みを浮かべる。その笑みは【閃影】の裏のある笑みとは違い、心の底から『心配ない』と信じきっているが為に作ることの出来る種類の笑み。それを見て【閃影】も一先ずは疑うのを止め撤退する。今回の仕事はそれこそ成功すれば歴史に名を残す事となるだろう。だが、だからこそ【閃影】や他の冒険者はピリピリとした雰囲気を纏っていた。
成功すれば一生遊んで暮らせる金が手に入り、尚且つ名誉すらも手に入る。
しかし失敗すれば待っているのは死のみと言う事は疑いようも無い事実。
「ほら、皆さん肩の力を抜いて」
その雰囲気を敏感に感じ取ったのだろう。
安澄はにこやかな笑みを崩さず、二度手を叩き乾いた音を出す。
「大丈夫ですよ、正義は必ず勝つ、シンプルなこの世の真理。私たちの勝利は揺るぎません」
大抵の人が同じ言葉を吐いても失笑を買うか、はたまた夢見がちな餓鬼だと相手にされないか。
しかし今、その言葉を口にした者には確かな実績が存在する。
事実幾度と無く今回の敵と戦い、その度に勝利を収め、無敗を誇る【聖騎士】が言っているのだ。
自ずと冒険者達の緊張は解けていき、代わりに熱気が篭っていく。
そんな中、一人の冒険者がおずおずと安澄にだけ聞こえるように、
「で、ですが、【魔王】の噂なんてものもありますし。ほ、ホントにだぃじょぶなんでしょうか?」
「君は確か……」
「け、ケートゥです。ぇ、S級冒険者ですぅ」
「そうか、ケートゥ、もう一度言うようだが大丈夫ですよ。必ず勝ちます」
「そ、それは【魔王】が、こ、今回の……【魔女】に味方してぃても、って事ですか?」
「ええ、その通りです。例え【魔王】が【魔女】や亜人たちの味方をしていようと――」
す……、と安澄の視線が鋭くなりある一点を睨み付けた。
視線の先にあるのは木で出来た宿屋の壁……だけではなく、今まさにこの部屋に居る全ての冒険者の意識を掻い潜って安澄を追跡していた一つの魔道具。蟲のような形をした魔道具に気付くものは誰一人としていない。
――唯一、【聖騎士】を除いて。
「――私たちの勝利は揺るぎません。もし【魔王】が私の前に現れたなら――――その魂ごと跡形も無く消滅させて見せましょう」
不敵に微笑む【聖騎士】安澄義明はケートゥの目を見て微笑んだ。
その背後で一つの魔道具が、この世から欠片も残さず完全に消滅した。
◆ ◆ ◆
海に四方を囲まれた島。青々と覆い茂る密林を抜け、『コ』の字をした崖の下に巨大な白亜の城は存在する。
その城の一室で、激務を漸く終えた一人の少年が疲れきった顔で机に突っ伏していた。耳に当てているのは通信魔道具。
「で……ボクに何させようって腹ですか」
『……迎え来て。場所はマーレ、人数は多分十人前後』
「はぁ!? なんでそんな多いんですか?」
『それは兄貴に言ってよ! それより、意中の相手に一年ぶりに再会したと思ったらなんかハーレム作ってたんだけど、清楚で純真無垢なアタシはどうすればいいと思う?』
「取りあえず爆破すれば良いんじゃないですかね。でも義理とは言え兄に全裸アタックを仕掛けた時の話を嬉々として語る九埜さんは清楚や純真無垢なんて言葉とはかけ離れてると思うんですけど」
『よっしゃ! 取りあえず会ったら一発ぶん殴るぜ! お前をな』
「最後中々ドス効いてましたよ。ともかく、迎え行けばいいんですね?」
『……そう。話は終わり、私たち今から観光する事に決めたから』
『いえーい! セレーネと観光だっ! 水着とかあるかな?』
『……水着?』
『泳ぐ時に着る服だよ』
『……泳ぐ時に一々着替えない。着替えたとしても素っ裸』
『素っ裸……っ! セレーネ、なんて恐ろしい子! そして異世界サイコーだねっ! 水着が無いとは。よしっ、兄貴誘って海行こ海。全裸で誘惑し放題! 仕方ないよね、水着が無いんだもん! そうこれは致し方ないことであって、アタシは露出狂じゃない。兄貴の前で合法的に全裸になれるぜなんて考えて無い事も無いかなーっ! ぐへへへへー、おっと涎が――』
通信を切る。ボクは何も聞いちゃいない。
最後捲くし立てられた言葉を全力で脳内削除にかけながら、粉雪陸は嘆息した。
きっと自分がこんなにも苦労して、体重が一〇キロほど落ちて、実年齢プラス一〇歳に見られるようになって、夢と希望に溢れている筈の異世界がちっとも好きになれないのは、上司の悪いのも少しは関係しているのに違いない。
将来はそこそこ裕福に暮らして生きたいとか考えていたのも今は昔。
なんと今では一国の重要人物だ。四天王の最弱ポジション。
全く、全然、欠片も笑えない。こんな目にあう事となった、自分を殺した美しい神を恨む。
最初はその美しさに目を奪われた(ついでに心も奪われそうになった)ものの、今では不信感が募り恋など出来る筈も無い。
「はぁ、全く。溜息ばっかりだなボクは」
何故間違って殺したなどと嘘をついたのか。
何故転生させたのか。何故チートなんて特典をつけたのか。
疑問ばかり増えるだけで答えは一向に見えそうに無い。
兄ということは間違いなく転生者なのだろう。一度話をしてみたい。
そんな事を考えながら、粉雪はすっかり癖となった溜息を吐き出し、迎えに行く準備を始める。
気分はすっかり、仕事帰りに一服する間もなく迎え来てと連絡を受けた草臥れた父親のものだった。
◆ ◆ ◆
冒険者ギルドの前で賞金片手にウロチョロしていた瞬谷と合流した霧裂は、ぼんやりと空を見上げながら教会への道のりを歩いていた。
「あの、霧裂さん? なんかあったんですか?」
「いんやー、なーんもないよ」
「そ、そうですか……」
目を離していた数分の間に何かがあったことは明らか。しかし本人が何も無いと言っている以上、追求するのも不味いのではないだろうか? しかしだからといってこのまま放っておくことは出来ない。
ぐるぐるぐるぐる思考の渦に飲まれていた瞬谷は、無言の重圧に耐え切れなくなり今だぼんやりとした霧裂に話題を振る。
「そ、そう言えば鎌咲さんとレアルタさんはどうなりました?」
「マーレに居るって事は教えたから。恐らく明日ぐらいには来るんじゃねーの?」
「な、なるほど」
話題終了。再び訪れる気まずい沈黙。
キョロキョロ目を動かし話題を必死に探す。教会に帰るまでの数十分でいいのだ。
と、数十分時間を十分に稼げそうな話題を見つける。
義足だ。そう言えば詳しい説明をまだ受けていなかった。精々『収納』という機能があること、大砲やらドリルやらが内蔵されている事ぐらいだ。大砲やドリルという単語が出た時点で瞬谷はギブアップした。
恐らく詳しい説明を頼めば嬉々として説明してくれるだろう。
変わりに精神に多大なダメージを負うことに違いない。
自分の足が実は国一つ程度なら吹き飛ばせるぐらいのエネルギーを内蔵してますよなんていわれてビビらない人は居ないだろう。故障すればそのまま爆発するかもしれないのだから。ハクから『霧裂王間魔道具開発失敗談』を面白おかしくそして詳しく聞かされているのだから尚更だ。
そして、瞬谷は悩みに悩んで沈黙を選び取った。
これ以上精神に負荷がかかればちょっとやばいかもと本気で不安に思ったことが決めてだった。
エーテル、別名HENTAI裸幼女の存在を知っている瞬谷は、何度か霧裂の背にある大剣にヘルプサインを送ったが無反応。段々と大剣に必死にヘルプサインを送っていることに虚しくなり、もしかしたらあれは幼女に変身しない大剣なのかも知れないという答えにたどり着き恥ずかしくなり、瞬谷は結果的に精神にダメージを負ってしまった様だ。
小さな声で『オレって……』と呟いている。
そんな瞬谷と霧裂の二人は、変わらず無言で。
方やぼんやりと、方や俯き、教会の扉を開けたところで。
思いもよらない話題を目にした。
「おお神よ。なぜ貴女様はそんなにも美しいのですか。おお神よ、貴女様を思うあまり私の心は壊れてしまいそうです。おお神よ、もう一度私の眼に美しき姿を焼き付けさせて頂きたい」
神父だ。神父の姿をした成人男性が何故かは知らないが跪き頭を垂れ、女神像のつま先をペロペロ嘗めている。
流石に無言で居るわけにも行かず、霧裂は第一感想を口にした。
「……なんだあれ」
「えっと、……新手の変態じゃないですか?」
なんともインパクトのある光景だった。
ほのぼのは……死んだっ!