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S  作者: ぼーし
第五章 【亜人】編
59/62

-50- 角を曲がるときは気をつけましょう

 一礼して退室する。

 少し疑問が残るものの、一応これでギルドでの用事は全て済ませたことになる。警戒していたような事態が起こらなかったことに瞬谷はほっと胸を撫で下ろした。だが隣にいる霧裂はそうも言ってられない。何故魔道具を造れることがばれたのか? 霧裂の作る魔道具は破格の性能を誇る。瞬谷からも鎌咲からも、魔道具を売り払う時は幾分かランクを落として、その上で最大限の警戒をして売り払えと言われているのだ。


 幾ら馬鹿でも自分の造る魔道具がヤバイと言うことぐらいは理解していた。それ故に、今回の事は聞き捨てなら無い。


(あの女……、名前は何て言ったっけ? 確か、ベルタだっけ? ファミリーネームも教えてもらえりゃ良かった。そうすりゃ『アレ』が使えんだけど。おんなじ名前の奴が居ないと良いなぁ……)


 頭を振る。頭の上に乗っているキューが抗議するように尻尾でぺしぺし顔を叩く。

 今はしょうがない。ファミリーネームを知らなければ精度は下がるものの、それでもやってみる価値はある。汚れ一つ無い研究者を連想させる白衣のポケットに無造作に手を突っ込む。目的の魔道具を引っ張り出し、起動させようとして、


「これからどーします? 折角ハクさんから逃れたんだし、観光でもしますか? それとも、何か一つ依頼でも行きます?」

「……依頼かぁ……」


 異世界! 冒険者! 依頼!

 とても良い言葉である。胸の中で中二心が擽られる。そう、今の霧裂は冒険者なのだ。異世界に来たらなってみたい職業堂々の一位を長年守り続ける天下の冒険者。ならば少しぐらい依頼を受けてみるのも悪くない。


「そうだな、なんか依頼受けようか。瞬谷の【空間転移(テレポート)】使えば大体日帰りで行けるだろ?」

「ええ、まぁそうですね」


 霧裂は興奮を隠し切れない表情でキョロキョロと改めてギルド内に目を走らせる。

 隣で苦笑いを浮かべながら、最初はあんな感じだったなと共感を覚えた瞬谷は、先導するように前に立ち、迷い無くある方向へと歩いていった。初心者は先輩の後を黙って取りあえず付いていく。瞬谷が立ち止まったのは、同じようなサイズの、しかし色にバラつきがある紙が何枚も張られた木の板の前。


「ほほぅ、これが依頼と言う訳か」

「そうです。この中から選んで受付に持って行って、許可が下りたら出発って感じです。ちなみに青色が最低ランクで、赤に近づくほど高ランクの依頼になります」

「ほへぇ~。やっぱ高ランクのが報酬とか高いな」

「当然ですよ」


 瞬谷はドギツイ赤色をした紙を指差し、


「あれ最高ランクの依頼ですね。多分、報酬は一ヶ月豪遊できる程度だと思います」

「なるほど。じゃ、これ行くか」

「絶対却下っ! 最高ランクって神獣のテリトリーを調査しろとかそんなんですよ!? 神獣のテリトリーって言ったら、事前準備無しじゃ一秒も生きられないといわれる死の世界! とても日帰り出来るような依頼じゃないですよ!」

「んー、そうみたいだな。詳しく書いてないけど、なんかどっか攻め込むための兵を募ってる」

「うわっ、そりゃまためんどくさそうな事で。SS級称金首の根城を見つけたとか、神獣を狩って英雄になるとかそんなんですよきっと。ここは簡単に、これとかいいんじゃないですか?」


 瞬谷はそこまでキツクない普通の赤色をした紙を剥がす。

 依頼内容はおととい居た森の奥深くに、【煌鹿】と呼ばれる魔獣が巣を作り上げた。被害が広がる前に殲滅しろ、という物。


「【煌鹿】ってなんだ?」

「えーっとですね、大きさ的には地球の鹿と変わらないんですけど、角から光線発射するんですよ。他にも目くらましとか、賢い魔獣らしいです」

「見たことないのか?」

「はい。だから詳しい事分からないんですよ」

『はーい! はいっ、はーいっ! 我知ってる! 旧主と狩った事あるから知ってる! 教えて欲しいじゃろ? 教えて欲しくばっ、主は我に対する態度を少し改めて――』

「まぁ初見でも対応できるだろ。それ行くぞ」

「分かりました。霧裂さんは外で待っててください」

『主っ! ごめん! 態度改めてとかいわないから無視しないでっ!』



◆ ◆ ◆



 暇だっ!

 九埜はベッドに寝転がった状態で大きく息を吐き出す。

 下着に薄いシャツを着ただけの格好の九埜は、特にやることも無く、かといって暇を潰すために他の人となにかする気分でもない。そもそも今この教会にいる九埜以外の人物といえば、全てが全て意中の相手と妙に距離の近い女性。さらに言うならほぼ初対面。転校初日に誰からも話しかけられる事無く、自分から話しかけることも出来ずに一人寝た振りをしている転校生のような気分だ。


 何故こんなことになってるのだろう?

 九埜はもっぱら足りない頭やお馬鹿ちゃんと言われている頭脳を目一杯動かし考える。

 計画通りに行けば、既にゴートゥーザベッドしても良い頃なのに。


(うにゃーっ! 何がいけないというのだ! アタシはただ兄貴といちゃこらにゃんにゃんしたいだけなのにっ、なんだか全くしてないようなっ! てゆーかてゆーかっ、アタシ影薄くない!? 地球の頃はベッタリベットリグッチョリ状態だったのになぁ)


 ぐへへへへーっ、と涎で枕を汚し素晴らしき過去の思い出に浸る九埜の顔はとても残念な事になっている。枕を抱きしめゴロゴロ転がる。過去の思い出から浮上し、現在を見つめなおしてみる。最悪だ。落差が激しい。今の今まで幸福な記憶に溺れていただけに、現状を見つめなおした九埜の気持ちはとことん沈む。先程までの至福の表情を一転、唇を噛んで枕に小さなグーパンチをぽすぽす叩きつけはじめた。


(くぅ、異世界なんてヤなことばっかりだ。兄貴に近寄る女どもは全て排除してやったというのに、たった一年目を離しただけでハーレム状態! 兄貴はいっちゃなんだけどフツ面だぞ。異世界といったら美男子美女わんさか居る筈じゃん。なんで兄貴に色目使ってんだよ。くそぅ、わがままボディのアタシよりもスタイルよさそうなのも居るし、さらにはレンサカなる新たな敵の気配すらしてるんだよ! あんのオバハンめ、兄貴を殺しただけに飽き足らず、アタシから兄貴を奪おうとするなんてっ! 喧嘩売ってるとしか思えないんだぜ。今度あったらぶちのめしてやる)


 九埜は過去に思いを馳せる。といっても、今回は幸福な記憶ではない。最悪の記憶だ。コンビニへ行き、アイスかなにかで誘惑してやろうかなどと考えていた昼下がり。うきうきした気分で帰宅して目にした物は兄の死体。はっきり言ってトラウマ物だ。死体の状態も酷かった。なんだかもの凄く苦しんだ表情と言うか、この世の全てを呪ってやるなんて言っても違和感無いような表情で死んでいたのだ。九埜は一瞬の思考の停止後、すぐさま意識を手放した。


 思えば防衛本能だったのかもしれない。お陰で九埜はよくあの時の光景を思い出せないで居た。思い出そうとも思わない。ともかく、気絶して目覚めた九埜は真っ白な空間に居た。酷く混乱していたのだろう。泣き喚く九埜は、ある言葉で正気を取り戻した。


 目の前に居た銀色の髪をした女性のこの言葉で。


『貴方の兄は生きています。会いたいですか? なら私の言う事を聞いてください』


 そこから先は正気には戻ったもののさらに酷かった。本気で兄貴を差し出せと脅したり、神だと名乗ればお前が殺したのかと殴りかかった。それでも何とか話が終わり、漸く兄貴に会えると意気揚々と異世界へ行き、数日後まさかのレイプ未遂。思い出しただけで身が竦む。完全にパニックになってしまい、どうする事もできなかった。だが、未遂、あくまで未遂。アタシはまだ処女だ、と心の中で再確認する。


 結局、九埜は最後まで抵抗できなかったが、危機一髪の場面を救ってくれた人物が居た。ネコと名乗る乳だ。助けられた九埜はそれはもう感謝し、ついこんな事を口走ってしまう。


『ご恩は絶対忘れません! 何かアタシに出来る事があれば何でもしますっ!』


 あの時のネコの悪そうな笑みは今でも鮮明に思い出せる。全く持って馬鹿なことをしたと思う。そのままあれよあれよと事は進み、気付いたら迫害されている種族の女王兼世界最大の犯罪者になっていた。一体何故こんな目にと頭を抱えた回数は数え切れない。それでも九埜は頑張った。何時か兄に出会える日を夢見て一年間頑張ったのだ。


 だがしかし、漸く発見した兄の傍には複数の美女の姿。

 ――あの時プッツンしなかったアタシは偉い。

 直前にあった瞬谷との邂逅及び友人と兄が殺し合っているという場面を見て、九埜はプッツンするよりも混乱してしまったのだ。結果的に怒りに我を忘れて大爆発☆は起こらず、同時に感動の再会シーンも消えてしまった。


(ううううう、一年ぶりの再会だって言うのに兄貴はなんだか冷たいし! あー……、こんな筈じゃぁ無かったのになぁ……)


 思い出に浸り一喜一憂していた九埜は、最終的にぐずぐずと鼻を鳴らしながら落ち込むという状態に落ち着いた。


「……何してるの?」

「どぅわぁぁっ!? びっくりしたぁ~、セレーネ脅かさないでよ」

「……ごめんなさい。脅かすつもりは無かった」

「むぅ、まぁ良いか。てかセレーネびしょびしょじゃん。ほい、タオル」


 朝から姿を見せなかったセレーネが何故かずぶ濡れの状態で現れた。

 取りあえず水滴であられもない姿になっているセレーネにタオルを投げる。

 気持ち的には友人として素直に心配したが三割、残り七割は兄貴が誘惑されないようにだ。

 タオルを受け取ったセレーネは、わしゃわしゃと髪を拭きながら九埜が寝転がっているベッドに腰掛ける。


「朝どこいってたのさ。探したんだぜ」

「……ん、ちょっと。運動しに」

「ダイエット?」

「……趣味、かな?」

「ふーん、まぁいいや」


 戦闘時はキャハキャハと狂ったように笑うというのに、非戦闘時、日常においてはワンテンポ遅れて返事をする、どこかふわふわっとしたセレーネはきっと二重人格なんだろうな、なんて事を考える。だから問題ない。戦闘時の人格が友情より殺し愛を選んだだけで、非戦闘時はまだまだ友情は育める筈だ。だから全く持って問題ない。そう思わないとやっていけない。


「ねぇセレーネ、少し外行かない? 観光しようぜ」

「……それも良いかも」

「でしょ? ふふ、兄貴になにかお土産買ってあげようっと」


 ぱたぱたバタ足するように布団を叩く。恋する乙女の脳内は常にピンク色なのだ。

 今日はどんな手を使って誘惑してやろうかぐへへ。


「……あ」

「うそぅ……」


 しかし二人は観光に行く事はできなかった。ベッドの隣にある丸テーブルの上に置いてあった通信機が、小さな機械的な音と共にピカピカ光っている。


「あーん、空気読んでよ」

「……仕方がない。観光はお預け」


 やだぁ、と呻きながらベッドに背中から倒れこむ。セレーネも心持ちどこかしょんぼりと残念そうに通信機を手に取り口元へと持っていく。通信機は点滅するのを止め、音も止まる。変わりに流れてくるザーザーという豪雨のような音を聞きながら、セレーネはゆっくりと口を開いた。


「……はい、こちらセレーネ。用件は何?」



◆ ◆ ◆



 霧裂たちは森に来ていた。


 少し登ったところにある丘の上から、青々と茂る森を一望する。


「おお、あそこらへんが俺たちが破壊した部分だな」

「あれ? じゃぁあっちはなんだろう? あっちもなんか木々が根こそぎなくなってるんですけど……」

「誰かが引っこ抜いたんじゃねーか?」

「いやいや! それヤバイでしょ!」

「まあ気にすんな。それよりさっさと依頼を始めようぜ」


 依頼内容は【煌鹿】の巣の破壊及び繁殖していた場合一定以下の数になるまで殲滅。

 広大な森の中から巣を発見したり、他にも【煌鹿】の総数把握など中々にメンドクサイ依頼といえる。

 だが、霧裂の捜索能力は異常の一言に尽きるものだった。


「【変更・双眸(チェンジ)】⇒【天より見抜く(クレアボイアント)】。んー…………めっけ」

「マジですか。流石って言うかなんというか……、でこれからどうします?」


 呆れたような表情の瞬谷。霧裂はにやりと笑い、


「簡単だ。【天より見抜く】で発見。エーテル投擲。瞬谷素材回収。終わり。な、簡単だろ?」

「ええ、まぁその通りにいけば簡単ですけど……」

『主主主ーっ! 投擲ってなに!? 斬るじゃなくて投擲? 我、剣なのじゃが! なんか主は勘違いしてないじゃろか?』

「してないしてない」

『ホント?』

「ホントホント」

『マジ?』

「マジマジ」

『嘘じゃな――』

「クドイ!」


 何度も確認してくるエーテルを笑顔で殴りつける。

 慣れたもので瞬谷はオールスルーだ。ただ一匹、霧裂の頭上で惰眠を貪るキューが邪魔するなと一鳴きした。


「んじゃ行くぜ。【摘出(テイクアウト)】⇒【無駄な努力(リターン)】」


 取り出したのは無骨な足枷。ソレを無造作にエーテルの柄の部分に嵌めた。形を変えエーテルの柄の太さに対応し、ガッチリと固定される。


「あ、それって……。なるほど」

「よっしゃ準備オッケイ! 見とけ、こういう使い方も……」


 霧裂はエーテルを片手で抜き放ち槍を投げるように腕ごと後ろに引く。

 嫌な予感を感じ取ったのか、エーテルは震える声で、


『あれちょっとまって主。とうてきって投擲? TOUTEKIって投擲なの!? まって、待つのじゃ主! 我まだ捨てられたく――』

「――できるんだぜッ!!」

『いやァァァァァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――…………』


 悲鳴の尾を引きながら、エーテルは『闘気』を纏い、空気を切り裂き投擲された。恐るべき速度で発射されたエーテルは、瞬く間に森の中へ突っ込み、ザシュッ! と寸分狂わず標的を切り裂いたことを音で霧裂に伝えた。一斉に森から小鳥達が飛び立つ。


「行って来ますね」

「おう。通信機、入れとけよ。次々行くぞ~」

「はい」


 時間が操作されたように気づいた時には瞬谷の姿が消えうせる。恐らく今頃足の魔道具に【煌鹿】の死体を収納している頃だろう。次は何処かな? と探し始めた霧裂は右手を少し上に掲げる。時間的には霧裂が手を掲げて直後の事だった。再び先程の悲鳴が脳裏に響き渡る。


『…………――――――――あああああああああああああああああああああああああッ!!』


 重力など様々な法則を無視して逆行するように飛ぶエーテルは、掲げた右手にしっかりと収まった。


『はぁはぁ……主……? あれ、我一体……?』


 エーテルは呆然とした声を上げる。恐らく人間状態ならぼけっとしてキョロキョロ周囲を見渡すだろう。

 そんな全く状況を理解出来ていないエーテルに、しかし一切声もかけず遠慮もせず、


「お、見つけた」

『ふぅ、よ、良かった。我、捨てられたかと……ってなに? なんなのいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』


 再び悲鳴が響き渡った。






「――依頼達成を確認。報酬は――」


 受付嬢の話も早々に切り上げ霧裂はギルドの外へ出る。後のことは瞬谷に任せておけば良いだろう。今回の依頼に掛かった時間は移動時間含め僅か一時間。冒険者ラクショー。そんな聞く人が聞いたら迷い無くぶん殴られるような言葉を内心呟きながら、霧裂はマーレの街並みを歩く。


 何処もかしこもお祭り騒ぎだ。王都も近く海が収入源のマーレは【海龍帝】の被害を最も受けていたのだろう。その【海龍帝】が討伐されたとあって、全ての人々が晴れ渡るような笑顔を浮かべている。鎌咲たちになにか魔道具プレゼントしてやるか、何て事を鼻歌交じりに考える。霧裂は今少々ご機嫌なのだ。


 と、ご機嫌さに水を差す不満な声が。


『主の馬鹿。アホおたんこなす腐れ外道鬼悪魔。我、あれだけ止めてって懇願したのに。なのに! 止めてくれなかったのじゃ! 確かに我Mだけど! 自他共に認めるドMだけど! 無視されればガチ泣きする繊細な乙女なんじゃからな! そこらへん主はもっと考えておけ!』

「悪かったよエーテル。でもさ、最後のほうお前も楽しんでただろ? 『うふふふふ、空がこんなに近いのじゃー……』なんていって笑ってたじゃないか」

『全ッ然楽しんでない! それ諦め! ただ諦めの境地に達しただけじゃから!』


 霧裂は素で火に油を注ぐ。地団駄を踏む子供のように我怒ってる! と訴えかけるエーテルは、しかしあまりに素っ気無い霧裂の態度に、段々と虚しくなっていき、次に悲しくなっていき、最後に目元がうるうるしてきて、そして。


『ふぐぅ……、うぇぇぇぇぇぇぇ、主がっ、あ、あるじがぁ~』

「悪かった! ホント悪かったって! 泣くなよ馬鹿。お前ホント直ぐ泣くな、餓鬼か」

『だって! だってぇぇぇ、あるじがわれのごどぉ。ひっぐ、ふぇぇぇぇぇええええん!』

「あーもうっ!」


 今居るのは街中だ。剣状態のエーテルの声が聞こえるのは主である霧裂と神であるステラのみ。今ここで背負った大剣に土下座したり話しかけたりすれば、完全にアウト。近寄っては駄目な人認定される事だろう。それだけは避けねば。


 どこか死角はないかと視線を彷徨わせる。街中には結構死角が存在するもので、霧裂も比較的楽に発見することができた。街中の死角といわれて真っ先に思い浮かべるであろう、裏路地である。建物と建物の隙間に滑り込もうと走り出す。今は一刻も早くこの泣き声を止ませなければという気持ちで一杯になり、霧裂は角を曲がる時に確認を怠った。まさか裏路地から出てくる人が居るとは思わなかったのだ。


 霧裂は速度を緩める事無く角を曲がり裏路地へと入ろうとする。

 転瞬、霧裂は裏路地からするりと出てきた男性と、正面から衝突してしまった。

 ゴン! と鈍い音が鳴り、大きく仰け反る。完全にバランスを崩し、尻餅を付く事は免れ無い事を悟った霧裂は、咄嗟に受身だけでも取ろうとして、しかし。

 想定していた衝撃は襲う事無く、代わりにガッチリと腕をつかまれた。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ。すまん、助かった」

「いえ、私も確認を怠っていました。申し訳ない」


 そう言ってにっこりと微笑む男性は、驚くほどに容姿の整った、イケメンという言葉を体現したような人物。知らず知らずの内に怨念の言葉が口を飛び出そうとする。寸でのところで突然暴言を吐くなどと言う暴挙に出ることを防いだ霧裂は、改めて男性にお礼を言おうと視線を合わせる。


(あれ……?)


 あまりに唐突な事だった。

 言いようのない不信感が胸の中に募る。イケメンだという事は関係ない。ソレとは全く関係なく、本能が危険だと知らせていた。その感情を裏付けるかのように、頭上のキューが身を硬くし威嚇の声を上げる。エーテルもまた不穏な空気を感じ取ってか泣き止み、緊張を孕んだ声で霧裂へと話しかける。


『主……、何時でも我を抜けるようにしておけ』


 言われるまでもなくすでに霧裂は警戒レベルを最大まで上げていた。

 男性は困ったような笑みを浮かべる。


「えーっと……、私何かしましたか?」

「ん、いやね、気にしなくていいんだよホント。別になんとも思ってないからホントに」

「はぁ……」


 癖なのか頬を軽く掻いた男性は、頭を下げそれではこれでと簡単な言葉と共に霧裂から離れようとする。慌てて霧裂は動いた。流石に行き成り斬りかかるなんて真似はしない。確信もなにもなく、ただ嫌な予感がするとだけで斬りかかっては、セレーネより最悪だ。


「すまん、名前、教えてくれるか?」

「名前、ですか?」

「そう名前。出来ればファミリーネームから全部」


 不自然すぎる。

 唐突に、見知らぬ男から名前を尋ねられて答える者がこの世界のどこに居る?

 今のはまずったか、と自分の失敗に唇を噛む。

 だが、ここで予想外の事が起きた。男性は拒むわけでも無視するわけでもなく、柔和に微笑みこういった。


「そうですね、名乗っておきましょう。私の名前は『安澄(あすみ) 義明(よしあき)』。いや、ヨシアキ=アスミですね」


 右手を心臓にあて、お辞儀するような大層な仕草で名乗った男性、安澄。

 霧裂は言い様のない恐怖の感情を抱く。まるで体内に爆弾を仕掛けられたようなそんな感覚。

 紛れも無い恐怖。何故だか分からない、説明できない、理解できない。しかし一つの確信があった。


 ――このままコイツの前に立っていたら。コイツに認識されていたら。俺は――――死ぬ。


 冷や汗が背筋を伝う。ゴクリと飲み込んだ唾は干からびかけていた喉を湿らせた。


「安澄か……、ありがとう、教えてくれて」

「いえいえ。それでは、貴方に正義がありますように」


 再び一礼し、安澄はその場を今度こそ立ち去った。

 闇に魅入られたように真っ黒な髪は長く、風に揺れている。背負った大剣はどこか見覚えのある形をしており、仄かに七色の光を宿している。

 そして、太陽の光を反射する白銀の甲冑は――――隠し切れない血の臭いを漂わせていた。


 絶望と恐怖と、怨念と憎悪。

 あらゆる業を纏いし甲冑は。

 しかし何事も無いかのように、煌びやかに輝き続ける。

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