-39- 死は永遠の別れと言うけど違うらしい
「それでは、私どもはこの辺で」
「ああ、じゃあな」
馬車に乗った【豪商】とリリエラ。二人に手を振りながら瞬谷の傍に集まる。瞬谷の【空間転移】は触れていないと一緒に飛べないからだ。その代わり生物であれば無制限に飛ばせるが。
「ハイ、今後とも私どものトクナガ商会をご贔屓に」
「ありがとうございました、ご飯も美味しかったです」
「そう言ってくれると嬉しいねぇ」
「いやー、たんまりと利益も出た事ですし、嬉しすぎます」
「えぇ!? 利益って何? あれ等価交換じゃなかったの!?」
驚愕、といった顔で仰け反る霧裂に、営業スマイルを見せながら【豪商】の馬車は遠ざかって行った。
「ま、霧裂さん別にぼったくられてた訳じゃないですし、仕方ないですよ」
《今度からは気を付けるんだな》
地に足を着け、俺って、と項垂れる霧裂に苦笑しつつ瞬谷は周りを見る。サリアナ、シャルロット、キュー、ハク、ステラ、そして地面に四肢を付ける霧裂の背にはしっかりとエーテルが括り付けられていた。
忘れ物が無い事を確認した瞬谷は、即座に【空間転移】。一向はサリアナの村を目指す。
連続で空中を【空間転移】するのだが、これが意外と酔う。サリアナの村もあと僅かになった頃、しかしソレよりも早く決壊が訪れそうであった。
だんだん顔色が悪くなっていく霧裂を見て、瞬谷は休憩出来る場所を探し始めたのだが、見つけるよりも早くステラが霧裂の手を掴む。
「マイマスター、私の手を」
「ほぇ?」
その時だった。
霧裂が取り合えず従ってすべすべぷにぷにとしたステラの右手を握り締めた瞬間、バォッ! とステラの背から翼が展開された。
一見漆黒の翼のようだが、良く見れば髪と同じく星空で出来ている。神々しい翼を広げたステラの傍に居た瞬谷は、当然バランスを崩し重力と言う当たり前の力によって落下。咄嗟にハクが空中に作り出した氷のブロックを蹴り飛ばし、空いているステラの左手を握ったものの、他のサリアナとシャルロット、キュー、そして瞬谷は捕まるものも無くバラバラになって落下した。
「うわっ、わわわわわわわわわわっわっわっわっ! ききききき霧裂さーん!?」
キャーと悲鳴を上げるサリアナたち。その上空で、翼の生えたステラにぶら下がる霧裂とハクは、少し下を見て助けようかと思案したが、直ぐに無駄だと悟る。
それならばサリアナの村へ向かったほうが良い。
霧裂は耳のイヤリング型の魔道具のダイヤルを瞬谷にセットし、その魔道具に声を投げ掛ける。
「あーあーこちら霧裂。瞬谷、別に大丈夫だろ?」
『たしっ、かに大丈夫ですけどっ!』
「なら俺たちはこのままサリアナの村へ向かうわ。なんかあったら連絡する、お前はサリアナを抑えてろ」
『え!? オレも行きま――』
途中で強制的に繋がりをきる。
元々、サリアナが村へ来ないように誰かが足止めする手はずだったのだ。それを瞬谷にしてもらうのは、そうした方が良いと【豪商】に密かに教えられていた為。
【未来予知】によって見た村の様子は、詳しく教えられることは無かったが、それを話す【豪商】の表情で粗方察しが着いた。
恐らく、瞬谷が見て良いものでは無いのだろう。
霧裂は上手く行くかな、と心の中で祈りながら、ステラにサリアナの村へ急いでもらった。
結果的に超スピードで酔い潰れた霧裂が色々ゲロゲロ吐く事になるのだが、それは余談だ。
それでもって空中を悲鳴を上げながら落下していた瞬谷たちは、瞬谷が即座に【空間転移】を行い、サリアナたちを回収、さらに追加の【空間転移】で怪我無く地面に着地した。
最低でも上空五百メートル近い場所から落下しておいて、全ての仲間を怪我一つ負わせず地面に下ろしたのは流石というところ。
取り合えず荒い息をつきながら、四肢を地面に付くサリアナとシャルロットをほっておいて、遠くに有るであろうサリアナの村の方向を見る。ここからでは目視する事は不可能だが、瞬谷の全力ならばサリアナの村まで後僅かで付く。しかし、
(サリィは連れていけない……くそっ、ハクさんに頼もうかと思ってたけど、まさか押し付けられるとは……)
瞬谷は深く深く息を吐き出す。気持ちを落ち着かせるためだ。
霧裂は瞬谷がサリアナの村の事で焦燥していることは知っている。ならばコレもなにか考えが有っての事なのだろう、と瞬谷は考え、一先ず霧裂からの連絡を待つことにし、どこかゆっくりと休める場所を探すために歩き始めた。
ここは異世界の森の中。魔物がうじゃうじゃいる異世界の森は、地球の森の数百倍は危険だ。それをサリアナもシャルロットも分かっているため、慌てて瞬谷の後を追う。
シャルロットが走るたびに、頭の上で跳ねながら『も、もうちょっとゆっくり走ってー』見たいな感じで鳴くキューに、サリアナがはぁはぁしていた為、瞬谷は絶対にサリアナの顔を見ないようにして走る。もし見てしまったら自分の中で何かが壊れるような気がしたのだ。
「瞬ーどこ行くのー! シャルちゃん疲れちゃったよね? ね?」
「んん、大丈夫」
「私が疲れたー!」
「ちょっと煩いよサリィ、もう直ぐ着くから」
なにも瞬谷は我武者羅に森の中を走り回っていた訳ではない。この森を少し行ったところに、人族の小規模な村が一つ有る事を知っていたのだ。【空間転移】を使えば早いが、もしもの時のことを考え、温存し徒歩で向かっていた。
ワーギャーと文句を言いつつも、速度を落とさずしっかり付いて来ているサリアナに、瞬谷は一安心しながら前を見据え、その目が何かを捕らえた。
バッ、と高速でバックステップ、シャルロットとサリアナを脇に抱え茂みに身を隠す。サリアナたちは何が何だか分かっていないが、瞬谷の警戒している雰囲気に一言も喋らず即座に気配を殺す。
「(サリィ、ここで待っててくれ。見てくる)」
「(ちょ、一人で大丈夫なの?)」
「(もしもの時は逃げるさ)」
サリアナは渋々と言った顔で頷き、シャルロットは『いってらっしゃーい』と小さな声で応援する。
瞬谷は小さく一つ頷き、【空間転移】を実行。複数のナイフに手を伸ばしつつ、限界まで気を張り巡らせていたのだが、先ほど目にした物体の全貌が明らかになった瞬間、瞬谷の気が抜け、小さく驚愕の声を漏らす。
「ほ、骨!?」
正確に言うならば、化物の骨だろうか。丸太を何本も纏めたような四肢に、立ち上がれば一五メートルは越すであろう最大級の化物の遺骨。
ゆっくりと注意深く近づいていく。万が一起き上がっても逃げれる様にだ。流石に無いと思うが、絶対に無いと言い切れない。つい先日骨が蘇ったのを目にしたばかりだ。
「す、スゲェー、こんなの誰が殺したんだよ……」
死因は恐らく顔面にある巨大な大穴だろう。少し触ってみて瞬谷は分かったのだが、この化物の骨はそこらの鉄なんかより遥かに高い硬度を持っている。その頭蓋骨に、一体どれほど強力な一撃をお見舞いしたのか、大きな穴が開いており、罅だらけになっていた。
この遺骨は霧裂にそれはもう喜ばれる事だろう。少し考えた瞬谷は、うんと頷く。
(まぁ結構お世話になってるからな……)
ズボンを膝の部分まで捲り上げ、銀の義足を外に出す。外見は完全に人の足ではないが、全く違和感がなく瞬谷も度々忘れる事があるぐらいだ。
「えーっと、こうやって……」
くいくいと足を動かし、霧裂に聞いた義足の一つの機能を使ってみる。
「よっと、『収納』」
パッカリと義足の脛部分が左右に開き、その置くには無限に広がる闇の色。その闇にポポイと骨を次々放り込んでいく。少し大きすぎても問題なしだ。この義足は霧裂と繋がっており、簡単に言えば霧裂が何時も着ている白コートと同じ効果を持っているため、こうして放り込めば自動で霧裂の下へ届くのだ。
一つ一つ丁寧に放り込みながら、瞬谷は再度この化物の異常性を理解する。
(これ、オレでも分かる。ヤバイ、コレはヤバイ)
圧倒的な力の奔流とでも言えばいいのだろうか。物言わぬ白骨であるにも拘らず、圧倒的な力を振りまくこの化物。一体こんな化物をどこの誰が殺したのか。そして。
この化物を殺した者は、サリアナの村へ行ったのだろうか。
もし、力を持った悪人だったら?
これ程の力を持った化物を殺した者がサリアナの村を蹂躙したとなれば、生存者は絶望的だろう。
自分のネガティブな想像を頭を振って振り払いながら、瞬谷はこの化物が一体何かを考える。
と、頭に浮かんだ【三帝】の文字。
確か【三帝】のうち【陸獣帝】は現在行方が分からなくなっていた筈。まさか、もしかして……。
(いやいやありえないだろ、この戦闘後とか傷とか、多分だけど一人だぞ!? 王国も教国も、帝国や冒険者ギルドに救援を頼んだほどの化物の一角を、たった一人で倒すとかありえないって!)
ありえないありえない!
そう心の中で呪文のように何度も繰り返す瞬谷は、しかし直感で気付いていた。
【陸獣帝】をたった一人で殺せるほどの、異常なヤツが居る……ッ!
その怪物の存在に頭を巡らせた所で、瞬谷は思考の無駄を悟り、同時にその見たことも無い怪物に恐怖で怯えた。
◆ ◆ ◆
てくてくと森の中を歩く奇妙な三人組。
深海のような碧が混じった白銀の髪とその双眸を持った、胸は控えめだが百人が百人美女と即答するであろう艶やかな肌を持つ麗人。
星空をそのまま髪の形にしたような美しい長髪を靡かせ、夜空の如き双眸を持った将来がとても楽しみなゴスロリ美少女。
そしてそんな二人を左右にそれぞれ控える、双眸の色を除き、ザ・フツメンの我等が霧裂王間だ。完全に両手の花状態の霧裂だが、霧裂はちっとも嬉しくない。そもそも隣に居るのは生後一日も満たない超幼女で、もう片方はずっと男(正確には雄)だと思っていた親友だ。
しかしそれでも、ちょっとぐらいは喜んでもおかしくないのだが、霧裂が全く嬉しくない一番の理由は背負った聖剣にある。
『いやーなんじゃなんじゃこの色男! リア充爆発しろ! いや、ここはなぁなぁ嬉しいじゃろ? と、言って置くか主! そうじゃもっと喜べ主よ! 左右に美女じゃぞ!? 我はさっきからテンション跳ね上がりっぱなしじゃ! 主の左右=我の左右に美女じゃからな! こんな事は生まれて初めてじゃ! 3P! 3Pしよ主! あの木陰に隠れて晴天の下3Pとかもう我の色々なところが勃起っちゃいそう! ムッハームッハー! ぐへへへへへへーっ! ぐふふふふふふふーっ! ぶひぃーっ!』
そう、この聖剣トンデモなく煩いのだ。かれこれ三〇分はこんな感じ。霧裂は最初は殴ったり蹴ったりしていたのだが、もうそんな気力は残っていない。最後の抵抗に左右に居る二人に離れろと言ってみたのだが、
《馬鹿が、離れたらもしもの時危険だろうが》
「その命は了解出来ませんマイマスター」
と、二人してほぼ即答に近い形で拒否したのだ。
結果このうるさいマシンガントークを、無我の境地に至った霧裂は只管聞き続けていた。
《オーマ、話しがある》
何故かその口元に微笑みを浮かべて全てを悟ったような表情をしていた霧裂は、ハクのその言葉に意識を覚醒させる。
「話?」
《ああ、確かあの小娘の村で誰かに会うのだったな》
「ん、徳永さんが言うにはね」
【豪商】徳永の言う、サリアナの村で会う『誰か』を密かに期待している霧裂は、何の気なしに答えた。
ハクは少しだけ難しい顔をして、
《あのデブが俺様たちを騙している可能性がある》
「え、いやいや無いって。俺たちを騙してどーすんだよ」
《はっきり言って、オーマは動く宝の山だ。旨みは十分だろう》
「私も、その可能性を考えておいたほうが良いかと思われます、マイマスター」
二人して真剣な顔で霧裂を見て進言する。霧裂はでもなぁ、と悩みながら、背後でシリアスブレイクを頑張っているエーテルを本気で壊そうかと少しだけ思案した。
「うーん、でもそんなの考えすぎかもしれないし」
《簡単な方法がある、もし村に誰か居た場合、即座にソイツを行動不能してやれば良い》
「具体的には、四肢を切り落とすのが一番良いかと思いますマイマスター」
「怖いなオイ! そんなのダメだって。あ、そうだ、【天より見抜く】で確認すれば良い!」
ポンと拳を手の平に打ちつき、ナイスアイデア! と自画自賛しつつ、即座に【天より見抜く】に変更し村を見る。
しかし。
「あれ? なんか無理なんですけど……」
村全体が黒い霧のような物でで覆われ、【天より見抜く】で村の様子を見ることは叶わない。
肉眼で見てみれば、そんな霧が一切見えないところを見ると、肉眼以外で見ようとするものを妨害する魔道具か、もしくは魔術がかけられているのだろう。
ハクに見えないことを知らせる霧裂。ハクはなお一層難しい顔をして、異論は許さないと口を開く。
《良いか、気を抜くな。一先ず誰か確認できたら、行動不能にしろ。会話はそこからだ。一瞬の気の緩みが即座に死に繋がるぞ》
「はぁ、もう良いかそれで。ただ絶対殺すなよ。四肢を落とすのもダメだ、凍らせるなり気絶させるなりにしろ。分かったな?」
《異論は無い》
「イエスマイマスター」
しっかりと注意した霧裂は、若干不安になりながら、サリアナの村へと一歩踏み出す。
一見なんの災害にも襲撃にもあってないような、平凡な村の姿は、入り口から暫く進んだところで姿を消した。
惨劇。
まさにその名に相応しいことが起こったのだろう、民家は全て跡形も無く破壊され、その代わりに立てられている血だらけの十字架。なにに使ったかなど、簡単に予想できる。瞬谷を連れて来ないで良かったと考えながら見渡した霧裂は、何かが引っかかった。それはなんだ? その答えは直ぐに出た。
「……おかしいな」
そう、不思議な事に屍は一体たりとも存在していない。槍やロープなどの凶器や血だらけの十字架など、斬殺に利用したと思われる物はその場に転がっているが、肝心の死体は見当たらない。
一体何処へ? と首を傾げながらその場を探索しながら進む霧裂に、ステラが声を掛けた。
「マイマスター、生命反応あり。数は一、私達から見て西南西に行った地点です」
「おお、ありがとな」
《オーマ、分かってると思うが、どんな姿だろうと先制攻撃は此方が仕掛けるぞ》
ハクの言葉に、無言で頷いた霧裂は気配を殺しながら、ゆるりとステラの指示に従って進む。
暫し進んだところで、ステラの言う生命反応を肉眼で見つけた。
真っ黒のローブにフードを着けており、霧裂たちが居る場所からは後姿しか見えない。大体目測で一五〇センチ程度だろうか。その背丈だけ見たら子供のようだが、男か女かも分からない者は、屍の山の前に立っていた。
「ッ」
霧裂は思わず口を塞ぐ。
首を落とされた者、切り裂かれたのか下半身が無い者、体中を貫かれた者、首が一回転している者。様々な屍の共通点は、その頭にある狐の耳と尻尾。間違いなく、この村の、サリアナの知人だろう。
その死体のあまりの状態に、ゾッとして動きが止まった霧裂だが、ハクとステラは即座に動いた。
ダンッ! と地を蹴り飛ばし高速で疾走するハクの隣を、星空の翼を広げ高速で飛翔するステラ。
慌てて二人に続こうとした霧裂の耳は、小さな声を捕らえた。
「――めんなさい……ごめんなさい……っ!」
涙声の、悲痛な少女の声。その声は間違いなく今ハクとステラが問答無用で襲い掛かっている謎の人物の声。
霧裂は先ほどとは別の意味で慌てて、二人を止めようと声を張り上げる。
「ばっ、ちょっと待てハク、ステラッ!」
しかし止まらない。
霧裂の声に反応して、人間離れした動きで振り返る黒ローブの少女。そのあまりの速度によって、被っていたフードがずり落ちた。
その下から出てきたのは、美の結晶のような美少女。一切の汚れが無い、真っ白な髪をサイドでツインテールにし、その紅き双眸は一つの宝石のような完成度を誇り、ぷるんとした光沢のある唇、シミ一つ無い赤ん坊のような肌など、どこをどうとってもこれを美少女と呼ばずして何と呼ぼう。
そんな全ての幸運を使い切って漸く、一生に一度お目にかかれるかどうかと言えるほどの美少女に、しかし霧裂は見覚えが有った。
ちょっと背が伸びたな、とか。
ツインテール似合ってるな、とか。
お前うるさいからコンビニ行ってこい、とか。
馴れ馴れしく話しかけても違和感ゼロの関係だった。
というか、簡単に大暴露してみると、今現在神獣と神に後コンマ何秒かでぶっ飛ばされるであろう美少女は――――死別した筈の義妹だった。
「なぁ!? なんでお前がぁ!!?」
超絶美少女義妹も、目を大きく見開かせ霧裂の姿を注視する。
「ええ!? もしかして兄――」
直後、ハクとステラのダブルパンチが直撃する。
「《スキありッ!!》」
「――ぐぅっはッ!!」
面白いようにぶっ飛び弧を描いて宙を飛ぶ義妹の姿に、霧裂は堪らず叫んだ。
「マ、マイシスタァァァああああああああああああああッ!!」
こうして、一年ぶりの再会は最悪の形で幕を下ろした。
◆ ◆ ◆
夜の帳が下りたある森の中。
馬車から降りた【豪商】とリリエラは、野宿の準備を終え夕食を食べていた。
「なんで言わなかったのさ。再会するのは義妹だって」
シチューが並々と入った皿を渡しながら、リリエラは【豪商】に問う。
【豪商】はニコニコ笑いながら、
「なに、そっちの方が面白い事になると思ったんだよ」
「そうかい、ま、次有った時殴られないようにね」
シチューで体を温めていた【豪商】は、リリエラの言葉に、それは困るなと苦笑しつつ星空を見上げて、少し慌てた様子で立ち上がる。
「そろそろ、時間だ。すまない、後で必ず食べる」
「分かってるよ、暖めながら待ってる」
食べかけのシチューをリリエラに預け、【豪商】は様々な小道具が散らばったテントの中に引っ込む。
大きなテントの中に置いてある椅子に、【豪商】は深々とその身を預ける。
無言で両目を閉じ、ポツリと呟く魔法の言葉。
「――――【未来予知】」
ポゥと【豪商】の両目から不思議な色をした、二つの光が浮かび上がる。金のようで、銀のようで、白のようで、黒のようで、赤のようで、青のようで、緑のようなまさに不思議な色。
浮かび上がった二つの光は、空中を順応無人に走り回り図形を描く。光が描く奇妙な図形、それはとても幻想的な光景で、幻想的な雰囲気に包まれていたテント――――しかし、唐突にその雰囲気がぶち壊された。
ぶち壊したのは【豪商】。両目をカッと大きく開き、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように口を二度三度と開け閉めする。溺れた人のように漸く酸素を吸い込んだ【豪商】は、直後に声を張り上げる。
「――リ、リリエラァァァあああああああああああああ!!」
その悲鳴のような絶叫に、外でゆっくりと休憩していたリリエラは飛び上がらんばかりに驚き、すぐさま愛用の剣を片手に【豪商】のテントに突入した。
「アンタ、どうしたんだい!?」
「リ、リリエラ、逃げるんだ。そうだ、逃げろ! 私はもうダメだ! 私の未来は変わらない! だがお前はまだなんとかなる! お前だけでも今すぐここから逃げるんだッ!!」
錯乱したように口から泡を吹きながら叫ぶ【豪商】をリリエラは支え、落ち着かせようと背を叩く。今の【豪商】は完全にパニックに陥っていた。
「落ち着きな、深呼吸してそれで――」
「分からないのか! もうそんな事をしている場合ではないんだ! 霧裂君たちの下へ行け! 彼らは強い、きっとお前を守ってくれる! そして知らせろ! 彼らも無関係ではないんだ!」
「落ち着きなって、一体何を――」
リリエラの言葉は、今度も最後まで紡がれる事は無かった。
遮るように、カツリ、と音がしたからだ。
リリエラは流れるように『闘気』身に纏い、即座に戦闘態勢に入る。
しかし、【豪商】は懇願するようにリリエラの手を引き、
「最後だ! 逃げろと言って居るだろうが!」
「ふん、アンタを置いて逃げることは絶対に無いね」
やはり【豪商】の言葉を拒否したリリエラに、【豪商】は馬鹿が、とだけ呟き項垂れた。
そして、悪魔が、姿を現した。
黒い髪と双眸。日本の学ランという服に身を包んだ堕天の名は、【邪帝】。
「クヒャヒャヒャヒャ、全くもって馬鹿だねェ。俺に勝てるとオモッテンのかよォ」
その言葉を聞くや否や、『闘気』に包まれたリリエラによる横薙ぎの一線。首目掛けて振るわれた剣線は、しかしガギンと金属同士がぶつかったような甲高い音を立て防がれた。
リリエラの一撃を防いだのは、【邪帝】の首の皮膚の上にもう一枚皮膚を重ねるようにして現れた、黒い液体が硬化したモノ。
その黒い液体とは、
「ゲヒャッ、【黒血装甲】」
ジワリと染み出すように、【邪帝】の皮膚を引き裂き黒血が溢れ出す。
距離をとり再び放った全『闘気』を集中させた、リリエラの渾身の突きも、【邪帝】に傷を負わせることは叶わず、反対にリリエラの剣身が砕け散った。
リリエラに勝ち目は無い。
だと言うのに、必死に【邪帝】という敵を排除しようとする彼女に、【邪帝】は小さく舌を舐め取り、
「イイなァ、オマエ」
ガッと突き出された【邪帝】の右手がリリエラの首を掴む。だんだんと右手に込められていく力は、静かにリリエラを窒息死へと導く。リリエラも暴れ対抗しようとするが、あまりにも力が離れすぎていた。
ニィと笑みを深くした【邪帝】は――――しかし、なにか次の行動に移る前に、【豪商】が咆哮を上げた。
「おお、ォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
【豪商】は散らばっていたナイフを手に取り駆け出す。その動きはとてもお粗末なもので、【邪帝】なら指一本で軽々と消し飛ばせるだろう。しかし、【邪帝】は悪意の笑みをその顔に張り付かせながら、ナイフを迎え入れる。無駄だと分かっているから。
だが、無駄と言うのは【豪商】にも分かっていた。だからこそ彼は、手に取ったナイフを――――最愛の妻に突き立てる。
「ガッ!?」
驚きに目を見開く妻に向かって、【豪商】は双眸に涙を溜め言葉を紡ぐ。
「すまない、こうするしかなかったんだ……すまない……」
呆然と突然の【豪商】の凶行に驚く【邪帝】の前で、ボロボロと泣き崩れる【豪商】に、リリエラは怒るのではなく恨むのでもなく、場違いなほど柔らかく微笑んだ。最愛の夫を心の底から信じているからこそ、一切の迷い無く言葉を返す。
「あ、の世で……待っている……」
その言葉と共に、床に崩れ落ちたリリエラの命は、儚く消え去っていた。
死んだ、己の手で殺した妻を泣きながら見下ろしながら、それでも信じてくれた妻に感謝の涙を零しながら、しかし【豪商】は力強い眼力で【邪帝】を見抜く。
「貴様の……貴様の力は知っている! 妻の魂は喰わせはしない!」
「やって、くれたなァおっさん……」
【邪帝】のチート【魂肉吸収】は死んだ魂をコレクト出来ない。ブチブチと【邪帝】の中で何かが切れる。こんな、瞬殺出来る弱者に、出し抜かれた。
「クソ野郎がァ!」
ドッ! と音速で突き出した【邪帝】の腕が【豪商】の胸を呆気無く貫いた。しかし【豪商】は笑いながら、間違いなく致命傷であるにも拘らず、こう言った。
「底が知れたな、小僧」
それは強者が弱者に吐く言葉。
見下した言葉。
そして、弱者であるはずの【豪商】の口から飛び出たその言葉に、絶対的強者であるはずの【邪帝】は口を開けて絶叫する。
「テメェェェェァァァァあああああああああああああああああああああああッ!!」
死ぬ寸前、【豪商】の体を闇が包み込み、魂は【邪帝】のモノとなった。だが【邪帝】の気持ちは晴れない。勝負は一瞬だった。誰が見ても【邪帝】の勝利だった。それなのに。
「ザッケンな……ふざけんじゃねェェェェぞォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
轟ッ!! と【邪帝】の背から黒の翼が爆発的に展開される。片翼五十メートルはあろう巨大な翼は、【邪帝】の背を物理的に突き破り展開されている為、その根元から絶えず鮮血が溢れ出す。
流れる血は黒という色へ変わり、【邪帝】の両翼に纏わり付き、本来飛行能力しか持たない翼を、一つの凶器へと染め上げていく。
「ぎィはァ。く。くくくっ、はははひひひひひ、ぎゃははははははははアハハハハハハハハッ!!」
嗤う。森羅万象、この世の全てを憎むように、憎悪を撒き散らすように、嗤い続ける。
自身の血で両翼と言わず全身を染め上げていく【邪帝】は、自身の中で何かが欠けている事に気付いた。
何かが欠けている。だがそれは何だ?
暫しの自問自答の末、彼は答えを導き出す。
欠けているモノ、それは自信。自分が絶対強者であるという自信。一捻りで殺せる筈の弱き存在に抗われた事で、【邪帝】の絶対である筈の自信が、いともたやすく揺らいでいた。
【邪帝】のその心に、確かに大きく消えぬ傷が残っていた。
「ダメだァ。これじゃァダメだろォ……取り戻さなくちゃなァ、早急に」
ゴァ!! と一瞬で天高く舞い上がる。
絶対の自信を、取り戻すには。
付けられた傷を、消し去るには。
どうすれば良いか。
そんな答えはとうに出ていた。
蹂躙。それが【邪帝】の出した答え。弱かろうが強かろうが、全てを上から捻じ伏せてこそ、【邪帝】。それこそが取り戻すための唯一の道。
「ぎゃはははははははははぎひひひひ、ヒャハハハハハハハハハッ!! 殺してやるよ! 全て! 目に付く奴等片っ端からぶっ殺してやる!!」
高らかに宣言した【邪帝】は胸のうちで小さく付け加える。
(それは、テメェも例外じゃねェぞ)
誰に向けて言った言葉なのか。
【邪帝】は空を見上げる。しかし【邪帝】は空を見ているわけではない。そのさらに上、ただ闇雲に駆け上っても決して届かぬ場所。そこで、【邪帝】の最後となろう標的は、静かに、胡坐をかいて、言葉通り森羅万象全てを見下して居た。
その絶対の象徴でもある存在は、顔を歪ませ、誰にも聞こえない呟きを漏らす。
「くすくすくす。さて、世界最強と【邪帝】君、どちらに軍配が上がるかな♪」
彼女は楽しそうに、世界の上で踊り続ける道化達を見下していた。自身が握り締めた運命は絶対、全ての生物は思い通りに動く。これを道化と、玩具と呼ばずになんと呼ぼう?
薄っすらとその顔に嘲笑を浮かべ、握り締めた運命をコレクションを眺めるが如き表情で、見つめる。
その世界から零れ落ちた者が居る事に気付かずに。
握り締めた運命の数が減っている事に気付かずに。