侍
時が経ち、村は騒ぎ始めていた。
中心にある広場には、村人達が群れを作り目引き袖引きしている。
そして群れの目線の先は、広場を陣取っている侍達にあった。
「先生、準備整いました」
一人の侍が膝をついて呟く。
それに小さく頷いたのはこの地区を代表する侍、倉永剣坐である。
用意された椅子に腰掛けると、剣坐は門下生達の顔を見定めた。
合計十二人いる門下生はいつもの道場の時の表情ではない。
どれも皆固く、どこか緊張した様子だった。
無理もない。
今の時代、戦は腐るほどあれども果し合いなどかなり珍しい事だ。
それにまだ若い。真の死合いに怯えているのかもしれない。
「あの、先生よろしいでしょうか?」
などと考えていると、膝をついた門下生が恐る恐る口を開いた。
「もし仮に霧島風月が現れなかったら、先生はどうするおつもりですか?」
一人の言葉に、門下生全員の視線が剣坐に突き刺さる。
その様子からして、皆考えていたことなのだろう。
それほど、霧島風月という男には信用がないのだ。
「奴が現れぬ時は柳道館に火を放て」
あまりに悩みのないあけっぱなしな言葉。
辺りはざわめいた。
それは門下生だけではなく、見物決め込んでいる村人達の声も混じっていた。
その中でカチャリと刃が揺れる音がする。
「し、しかし…」
「刀で死にたくないと申すのなら、火を持って除外する。
地区の汚点は絶たねばならん」
またもはっきりとした言葉。
従うしかないと悟ったか。
膝をつけた門下生は黙って体を退いた。
広場にはただ、村人達の慌しい声だけが交差する。
「お待ちください!」
と当然の声に広場は静まり返った。
剣坐を含む侍達の視線が変わる。
村人の群れを掻き分け足早に広場に近づく青年。
その腰には侍の証である一本の長刀が揺れていた。
「貴様、何奴!」
門下生の一人が道を塞ぐ。
その後ろに並ぶように、門下生達が構えを取った。
その様子を見て、慌てて立ち止まる。
そして青年は地に手をつけて鞠窮如に深く頭を下げた。
「拙者、相良兵太と申す者にございます」
「相良?…さては貴様、柳道館に住まう浪人だな?」
「いかにも!曲げて、倉永殿に用がある故、馳せ参じた次第にございまする」
「ちょこざいなり!この状況を知っての無礼か!?」
門下生は荒々しい声と共に鯉口を切った。
たまぎる様子で、村人の悲鳴が響く。
「やめい!…顔見知りだ、通してよい」
剣坐の一声で皆の動きが止まった。
納得できないのか、門下生の舌が鳴る。
そして、手をどかし、体を傾けて道を開けた。
向かい合う両者。
剣坐は変わらず椅子に腰掛けたまま。
兵太は対象的に、地面に膝を合わせて口を開いた。
「倉永殿、これは一体何の騒ぎでございまするか?」
頭だけを上げ問いかけるその姿勢は、弱者な想像を感じさせる。
しかし、剣坐に訴えかけるその眼光はけして弱者などではない。
女子染みた鈴を張ったような目。
だが、そこには確かに強さがあった。
それを見つめ、剣坐はその想いを感じ取った。
否、感じ取らされた。
何を考え、何を想い、何の為にここに来たのか。
剣坐はこの時、その全てを理解した。
「…信長様の命により柳道館道場組頭、霧島風月。命頂戴することと相成った」
しておきながら、剣坐ははっきりと告げた。
狂う事も無く淡々とした表情で。
「……っ!」
眼光が大きく開き、驚愕という色に染まる。
唸りをあげて頭を落とした。
この人を知らない。
拙者の知っているこの人は、そんな冷たい目で親友を名指しにしたりしない…。
「…慮外なことを」
「貴様、無礼な!」
震えた声は、門下生の怒声と砂煙に流れて消えた。
そして再び顔を上げる。
形は変わらず、剣坐が冷たいまなざしで見下ろしている。
もう一度その目を見つめ、兵太は喉を苦く鳴らした。
「…拙者は、あの人が戦いを避ける意味を、刀を抜かぬ意味を存じておりません」
声は震え、しかし力強い。
心から想う決意の言葉。
それは脆く、苦く辺りに広がっていく。
「しかし、貴方様は存じておられるはず。その貴方が、唯一の理解者である親友が!
なぜあの人を斬ろうなどと申されるのですか!」
擦れた声は、泣きつく子供のように不調法に剣坐を攻め立てる。
兵太もまた、倉永剣坐という男に惚れ込んでいたのだ。
周りになんと非難されようと、友の縁を守るその心意気。
そして懐の深さ。
心の師の唯一の理解者という立場が羨ましくも思えた。
侍としての道は間違いなく風月を追っていた。
だがしかし、若き青年はその目に理想の大人像として倉永剣坐を見据えていたのだ。
…故に許せられずにいる。
この状況を、理想を裏切ったこの男を。
そしてなにより、こうなることも知らずのうのうと生きていた自分が一番に腹立しい…!
「なぜ…」
じゃりと擦れる音は何を訴えるのか。
兵太は重く頭を伏せた。
肩は小刻みに震え、詰まりを押し出すような声が漏れる。
もう一度砂煙が舞う。
通り過ぎていく乱暴な風。
その中に混じって息を吐いたのは、紛れも無く剣坐だった。
「侍だからだ」
淡々とした一言。
その言葉に反応した者は皆、腰に刀を下げた男達。
最後に兵太も頭を上げた。
腰の刀が、カチャリと鳴った。
「刀に生き、刀に死する…。
お互い、それにしか生きようがなかったのだ。それが侍というもの」
「しかし…刀とて、斬れるものと斬れないものがございましょう!」
「何が斬れぬと言うのだ。自らの腹もかっさばくこの刃で、他に何が切れぬと言う!」
倉永剣坐という男は、品のある外柔内剛な侍として有名だった。
名門の武家に生まれ、その誇りと人格はまさしく一流。
慌てることなく、恐れることもなく人を指示するその姿は、誰もが金箔つきの長に相応しい利者だと思っていた。
だが、今の剣坐は違う。
荒立てる声は剣突をくらわすように、その表情はご連枝の欠片もない。
それは、初めて皆が目にする士風を作興した本来の姿。
篤き武士道を心に持つ一匹の侍、倉永剣坐その人である。
「…兵太、退け」
立ち上がり、剣坐が歩みを進める。
割れていく門下生の波を恬として恥じることなく、兵太に近づいていく。
そして、目の前にして片膝をついた。
「お前にできることはなにもない。もはや、ぜひもないことだ。
今は俗塵を払い、身を引け」
声を殺し息を吹き込む。
しかし、兵太は首を振った。
「それは、できぬ話です。あの人を斬るのであれば、曲げてここを退きません。
あの人は拙者の…」
「言うな!
…かまえて言うな。それを申せば、私はお前を斬らねばならん」
荒立てる声は厳しい口調。
しかし、確かに情理を尽くしていた。
それを読み取れないほど兵太も不調法ではない。
小さく声を漏らすと、とうとう目線を落とした。
剣座は小さく頷くと背を向け元の位置へと足を進めた。
「ふん、片腹痛い。即刻立ち去れ!」
声を鳴らしたのは同じ門下生。
武張る足取りで黙りこくる兵太へと近づく。
そして、その肩に掴みかかろうと手を伸ばした。
その瞬間。
「…ガッ!?」
鞘走る音が、辺りを木霊した。
「っ!」
剣坐がとっさに振り返る。
村人達の悲鳴が響き渡る。
まるで蛙を潰したような声を漏らすと、門下生はゆっくりと崩れ落ちた。
再び悲鳴が上がった。
「おのれ外道め!」
残りの門下生達が、声を荒立てる。
同時に、距離を取って反りを打った。
ぴちゃぴちゃと刃から液体が零れる。
何気なく聞くその音が、今は不快に触る。
それをふき取ることもなく、兵太はゆっくりと刀を持ち上げ剣先を向けた。
延びるその先には、門下生を束ねる頭の姿。
汚れた刃はしっかりと、倉永剣坐を捕らえた。
「退くことなど、なぜできましょう?
あの人を殺すと言われて…退く理由がどこにありましょう!?」
呟く声にもう震えはない。
いやむしろ小揺るぎもしない。
そして顔を上げる。
女子のようと例えた目はどこにいったのか、真っ直ぐ向かう眼光に迷いはなかった。
だがひとつ、小さな雫が頬を落ちていく。
「できることはない?いいえ違います。
拙者は拙者の、弟子としてのやるべきことがございます」
その言葉に再び騒がしく声が飛ぶ。
それが合図だったのか。
門下生が次々に抜いていく。
「我が名は相良兵太、柳道館道場唯一の門下生でござる。
我が師、霧島風月の汚名晴らすため倉永剣坐、お命頂戴仕る!」
名乗りは裂帛の気合に変わり、男達を突き動かす。
駆け出す足に砂煙が舞い、刃が噛み合う音に怒声が混じる。
それを動かぬまま見据えた剣座は、この状況で口辺を緩めた。
そして目を閉じる。
「そうか…忘れていた」
呟く言葉は重く、しかしながら喜びのように跳ねる。
その矛盾は、まるで子離れのような複雑な感情。
それを噛み締め、確かに確認すると大きく息を吐いた。
そしていつもの柔らかな、人を逸らさぬ表情で口元を緩めた。
「お前も、侍であったな」
ただ、そう呟いて。