あの日
「お前も参加していたのか」
私が、並んで馬をつけると腐れ縁のそいつは、体を揺らしながら気楽に挨拶した。
「人手が足りねぇてんで、お呼びがかかったのよ。
最近はここらも荒れてるからな」
「違いない。
どこもかしこも戦に合戦。大名達は、名を上げようと焦っている」
「仕方あるめぇよ。
それが侍ってもんだ」
「はは、いかにも」
声を出して笑うと腐れ縁のそいつ、風月もつられて笑った。
たった今、用心棒の仕事でゴロツキを斬奸してきたというのに、その身は驚くほど綺麗だった。
「そう言うお前も大儀であったな。
なんでも、山賊の城を落としたそうだな?」
「なに、あれは相手がボンクラだっただけの話。
それに俺一人の力じゃねぇ。仲間がいたから成し得たことだ」
珍しく謙虚な姿勢だ。
いや、こいつの場合本気でそう思っているのだろう。
辺幅を飾らず。
こいつは、そういう男だ。
「しかし、最近村で噂立っているぞ。柳道館に恐ろしく腕の達つ者がおるとな。天下の逸材だと」
「…異なことを」
「そうか?私もお前なら、出世できると思っているぞ」
「よせ。笑えない冗談だ」
「冗談なものか。
何年、お前と手合わせしてきたと思っているんだ。お前の実力は私が一番知っている」
私の言葉に、ハァと息を吐く風月。
心底、興味が無いと言う表情だ。
全く、宝の持ち腐れとはこの事だ。
「我々も、もう十八だ。名を上げようとは思わないのか?お前も侍ではないか」
そう言うと、風月は表情を崩した。
ガチャリと音を立てたのは右腰に差した刀。
それを撫でるように触ると、風月は小さく笑った。
「悪いが、俺のこいつは天下を向いちゃいねぇのさ」
と奇妙な事を言った。
私がわからないと表情を見せる。
すると風月は鼻を鳴らした。
「では、お前の刀はどこを向いている?何を斬る?」
そう尋ねる。
前から聞きたかった。
こいつがこの世の中に何を見ているのか。
「そんなの決まってる」
風月は揚々と口を開く。
まるで冗談でも言う軽い口調で。
「斬る剣ではなく、守る剣。
俺の刀は、京を守るためにある」
などと、とんでも無いことを口にした。
「…ふっははははっ、いかさまな!奥方を守るためか!」
数秒の沈黙の後、つい吹き出して笑ってしまう。
これは驚いた。
天下より、女が欲しいときたか。
こいつは世など見てはいなかった。
こいつの眼中には、一人の女しか写っておらんかったのだ。
「…なにがおかしい?」
「それはおかしいだろう。嫁のための侍など聞いたことが無い」
「変か?」
「ああ、変だ」
ははっと笑い続ける私に風月は忌諱に触れたか、ふて腐るように表情を固めた。
「だが…嫌いじゃない。やはりお前は最高だよ風月」
「うるせぇ。てめぇはさっさと出世でもなんでもしちまえ」
「そうへそを曲げるな。今夜は三人で一つまいろうではないか」
「嫌だ。茶屋でもいけ」
「よいではないか。京殿から聞くお前の話は飽きんからな」
「それが嫌だと言ってんだよ!」
風月の必死の声に、高く笑い声が漏れる。
以前三人で杯を交わすことがあったのだが、その際の京殿は心底愉快であった。
なんでも、酒を口にするのは初めてだったらしく加減というものを知らなんだ。
お流れから一つ、二つ、三つ…と杯は進み。
気づけば、完全に酒落の人となっていた。
そうして出来上がった奥方は、何を思ったか自分の夫について喋々し始めたのだ。
その内容というのが、こう…聞いているこっちが赤面するような。
まるで上々吉な惚気話。
それが、風月はたまらなく恥だったのだろう。
あの時の風月の顔ときたら、おさおさ見られるものではない。
「夫婦は二世と言うだろう?
あながち、間違いではないのかもしれんな」
「…斬られてぇのか剣坐」
「ははっ照れ隠しのつもりか?
お前もつくづく…」
と言葉の途中、土の抉れる音に馬を止めた。
音は前から近づいてくる。
風月も気づいたのか、同じように足を止めた。
すると、松明の光揺らしながら一人の男が近づいてきた。
身なりからして農民のようだ。
体中汗だらけで、慌てふためいている様子だった。
そして急停止で棹立ちから落ち着くと、松明の明かりが三人を照らした。
「霧島!大変だ!」
「あんた村の…なにかあったのか?」
風月の問いに、村人はハァハァと息を整えた。
そして、崩れた顔で口を開いた。
「あんたが倒した山賊に生き残りがいたんだ。村が襲われてる!」
「なんだと!野郎、懲りもせず!」
声を震わせ、綱を弾こうと腕を挙げる風月。
それを男は、まてと口止めた。
「狙いは村じゃない。あんたへの復讐だ。あんたの家が…」
風が荒波のように流れていく。
カランと火の点いた松明が音を立てた。
まるで時が止まったように静かで何も聞こえない。
ただ、村人の言葉が頭に突き刺さる。
「京ちゃんが狙われてるんだ!」
馬が走り出す。
「風月!」と叫ぶ声は届くわけもなく。
私も慌てて、綱を叩いた。
脳裏に映る最悪の結果を噛み殺しながら。