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想い剣  作者: kou
5/10

絶望

「桃野江道場組頭、倉永剣坐。ここに参りました」


深々と下がる頭の後、しばらくして剣坐は顔を上げた。

それとほぼ同時に、後ろで案内をした女将が襖を閉める音がした。


「ああ。大儀であった」


中央に座る白髭の男が、低い口調で言う。


「はっ!」


それにわざとらしく張った声で応えると、そそくさと男の前に正座した。

部屋は夜中にも関わらず、蝋燭や派手な光沢で明るかった。

さすがは、天下を治めようとする織田軍の家老は違う。

何人前あるのかわからない高級料理に名産の酒。

そして、お粗末に塗りたくられた金箔の数々。

農民が見たら一揆でも起こしかねない贅沢三昧だ。

だがそれも触れず、剣坐はじっと見つめ相手の言葉を待った。


「苦労かけるな。昼の演習見事であった。お主の地区の侍は皆、猛者ばかりじゃ」


「ありがとうございます。地区の代表として恐悦至極(きょうえつしごく)に存じ上げまする。奴らも喜ぶ事でしょう」


ふむと喉だけ鳴らすと、家老の男はお猪口を口に運んだ。

礼儀の感じられない態度だが、顔に刻まれたシワ一つ一つが経験の違いを訴えており、家老の名は伊達ではないと感じさせる。

この男もまた、幾たびの戦場を乗り越えてきた猛者なのである。


「…だが、その中にも忠義を知らぬ没義道者(もぎどうもの)がいるようだな」


といきなり呟いた。

そして、酒を流し込む。

ゴクッという流動音は、酒の流れる音か。それとも、剣坐の喉が鳴ったか。


「…と、申しますと?」


返す言葉は重たかった。

脳裏に流れる嫌な予感。

それを察したように鋭い視線が剣坐に突き刺さる。


「通達には、全ての剣士須くと申したはず」


「それは、念には及ばず。故に、全戦力をもって男達を集めた所存でございます」


「ほう、これはしたり」


引きつった嫌味な笑い。

剣坐は小さく頷いた。

再び男が酒を口に運ぶ。

数秒間の沈黙。そ

して、吐いた息と共にそれが破れる。


「…霧島と言ったか?」


膝に乗る腕に力が入る。

崩れかけた表情を何とか保った。

絶えず送られる鋭い眼光。

しかし、目は逸らさない。

何故だかわからないが、ここで目を逸らしてしまったら何もかも終わる。

そんな気がした。


「お主、その者をなんと見る?」


男の態度は悪くなる一方だ。

対照的に剣坐は、丁寧に息を吐いた。

ゆっくりと目を瞑る。

瞼が閉じ、光が遮断され辺りは咫尺を弁ぜぬ闇と化す。

その闇の中、一人の少年が立っていた。

着物も髷もめちゃくちゃで、手足は煤でも踏んだかのように汚れている。

その腰には、体に似合わぬ長刀を奇妙に右側に差していた。

少年は、気づいてこちらを向いた。

顔は心底楽しそうな満面の笑み。

そして、いつものように口を開く。


「今日は勝たせてもらうぜ剣坐!」


…瞼を上げる。

もう一度深く息を吐いた。


「あ奴は、武士道精神を忘れ、生き恥を曝している下郎にございます」


そして、はっきりとそう言った。


「下郎と?」


それが、意外だったのか。

男は驚いたように声を漏らすと、目を見開いて剣坐を見つめた。


「はい。あのような者を軍に引き入れた所で、軍の風紀が落ちることが目に見えております。

構うことなどございませぬ。」


「…ふむ」


その言葉をどう感じたのか。

男はゆっくりと腰を上げた。

そして、小さな襖を開けると外を眺め始める。

中庭には、鯉池に月が映り風情があって綺麗だった。


「確かに若い衆も皆、口を揃えてそう言っておった」


口を開いた顔は、景色を眺めたまま。

剣坐は横顔を見つめ、小さく喉を鳴らした。


「…だが、奴と凌ぎを共にした侍達の話は違う。

曰く、その腕前に天稟ありとな」


剣坐の眼光が開く。

握り潰した着物がグシャリと音を立てた。

目眩がする。

頭の思考が止まっていく。

まるで、絶望が近づいてくるように首の座に直っていた。


「倉永、正直に申せ。お主が一番知っておるのだろう?」


気づけば男は、剣坐のすぐ横に移動していた。

剣坐は俯く。

一度、かちりと歯が擦れる音がした。


「…私にどうしろと?」


掠れたような弱弱しい声。

男は、口辺に笑みを漂わせた。


「主君に仕えるは侍の道。それをできぬというならば、主君の顔に泥を塗ることと同じ。

なにより、そのような者を信長様が放っておくわけがない」


膝をつき、顔を近づける。

剣坐は絶えず俯いていた。

ただ歯の擦れる音は一段と大きく、歪に鳴った。


「地区内の問題は、地区内で片を付けい。

その霧島とやら…」


嫌な予感が的中する。

頭はもう、まともに動いてなどいなかった。

流れているのは奴との記憶。

今はその思い出さえ憎い。


「お主が、斬り捨てい」


軋む音は、声となって口から漏れる。

絶望の近づく音はもうしない。

なぜなら、もうここにあるのだから。

重くなった体をゆっくりと傾ける。


そして、剣坐は震えた声を大袈裟に張って応えた。


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