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想い剣  作者: kou
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守るべきもの

「あなた、手入れしておきましたよ」


差し出された長刀に風月は草鞋を結んで顔を上げた。

驚きつつ受け取ると鞘をわずかに抜く。

現れた刃は、銀色に反射しその切れ味を物語っていた。

ほうと息を漏らす。


「こんな事、どこで習った?」


「道場の皆様に。

でも、包丁を研ぐのと大して変わりないのね」


その表情が欲しかったのか。

夫の驚く顔に、その妻はふふと笑みを浮かべた。

風月もつられて口辺を緩めた。


「なぜ?」


「あら、夫の身なりを整えるのは妻の務めじゃない。

それがお侍様なら尚更のこと。私は貴方の奥方なんだから」


「京…」


鈴のような丸い瞳を細めて笑う。

恬として恥じないその笑顔は、心惹かれるには十分過ぎるほど綺麗だった。

故に、風月は顔を下げた。

その笑顔が眩しすぎて、目に留めることができない。

気づけば、その表情は苦痛に耐えているように歪んでいた。


「…あなた?」


その様子に京が気づく。

そっと頬に手をやると優しく顔を近づけた。


「京、すまねぇ」


すると、風月の口から意外な言葉が漏れた。


「お前を守るために俺は侍になった。こいつはお前の為の剣だ。

だが…今の俺は、他人の為に剣を振るい、当のお前を孤独にしてる」


手に持つ刀がカタカタと揺れる。

まるで心のように。


「長く家を空けるのが、心苦しいの?」


「そうじゃねぇ。

ただ俺は、口だけで京の為に刀を振るえもしねぇ己自身が、情けなくてならねぇんだ!」


自虐な声は、悔しさに揺さぶられ震える。

京は筋金入りの家付きの娘だった。

片や、風月は田舎の平侍。

どうひっくり返ろうと、遇い塗れぬ身分。

しかし、二人の気持ちに変化はなかった。

周りの反対を押し切り、義絶覚悟で結婚。

二人は幸せだった。

しかし、現実は甘くない。

家を捨てた若者に、生計を図る術などあるはずも無く。

手元に残ったのは、風月の住み古した裏店と一本の刀だけだった。

故に、風月は刀を振るうしかなかった。

来る日も来る日も刀を振るい、人を斬り続けた。

血で血を洗い、その腕が何色だったかわからなくなっていった。

そうして、ようやく気がつく。

本来、横にいるはずの者が。

守るはずの女が存在せず。

そこにいるのは金で自分を買う、小汚い貴人だけであったことを。


「侍の名など、他人などどうでもいい。

俺はただ京を守れれば…お前と共に居ればそれでいい」


その言葉は、誰に言い聞かせるわけでもなく。

ただ呟く。

忘れぬように、心に刻み込むように輪唱しているのだ。


「風月…」


そんな夫を京はどう捉えたのか。

握りしめるように手を引っ込めた。

しかし、すぐに両手を伸ばした。

細く白い腕は、

風月の頬を優しく(きく)すように包み込む。

そして、くすりと笑った。


「それは無理な話だわ。もうあなたの剣は、私一人の為の剣じゃない。

みんなを守る、みんなを幸せにする為の剣よ。みんながあなたを必要にしてる」


ゆっくりと風月が顔を上げる。

それに咫尺(しせき)の距離で、今までで一番美しく、優しい笑顔を見せた。


「それでも、俺はお前と居たい」


「ううん、嘘。」


「嘘じゃ…」


言いかけて、京は唇に指を立てた。

そして首を振る。


「たとえ、全てを投げ出して私の傍に居ても、友人が、村の人が、誰かがあなたを求めた時、あなたはきっとここを離れてその人を助けに行くわ。

それが、私の知ってるこの世でもっとも優しいお侍様。霧島風月という人」


頬を優しくなぞる。

そして、唇が重なった。

わずかな時間、世界が二人のために廻り始める。

口内でかかる吐息が、面妖な安心感を体に運ぶ。

しかし、それは本当に刹那。

その幸せを噛み締めることもなく、二人は距離をとった。

再び、京が頬を触る。


「そんなあなたを愛しています。心からあなたの妻として誇らしい。だからそんな顔しないで。

私は大丈夫だから。あなたを待つ人の元へ行ってあげて」


「京…」


再び顔を下げる。

しかし、先ほどとは違う。

目線の先には、愛する人より授かった一本の太刀。

一度、強く握り締める。

そして、その魂を腰に差した。


「…すまねぇ。行ってくる。」


「いってらっしゃいませ」


丁寧な見送りは、奥方の鏡。

優しい笑顔は一変して、凛としたたくましい笑顔になった。

風月は口辺を緩め、背を向けた。

歩を進めるとかちゃりと音が鳴る。

もう振り返ることはなかった。

心に据えた想いは硬く、揺るぐことはない。

皆を守る。

そう決めた。

ならば、それをやり抜こう。

それが俺の武士道なのだ。

なにより、その皆の中には、愛する者も含まれているのだから…。


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